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2021.09.09
「京の大仏」の名残① 正面通と大仏前
かつて、日本一の大きさを誇る大仏様が京都にいたのをご存じでしょうか?奈良の大仏様に負けじと、豊臣秀吉公の命によって東山の方広寺に造営された「京の大仏」です。初代の大仏様の完成を目前に控えた慶長元年(1596)、慶長伏見地震により崩壊。あとは大仏様の開眼を待つのみというタイミングでの崩壊だったとか。ほどなくして秀吉公が亡くなり、大仏様が不在の大仏殿で開眼法要が行われました。焼失を繰り返し、江戸時代の天保年間に再建された4代目は、昭和48年(1973)に焼失。これを最後に、方広寺の「京の大仏」は姿を消したといわれています。「大仏殿」があった場所は、現在の豊国神社の鳥居のあたり。当時は豊国神社のほか、京都国立博物館や智積院、三十三間堂なども方広寺の寺域だったとか。そのなかで大仏殿は東西に27間、南北に45間で、大仏様の高さは6丈3尺だったといわれています。『東海道中膝栗毛』の主人公・弥次さん喜多さんいわく「大仏の手のひらに畳が8枚敷ける」。奈良の大仏様よりもはるかに大きな規模だったことが伝えられています。京都の古いわらべうたでも、「京の大仏」が天火で焼けてしまったことが歌われていますよ。豊国神社の前を東西に走る「正面通」は、大仏殿の正面にあったのが名前の由来だとか。かつて大仏殿の台座があったとされる場所は整備され、「大仏殿跡緑地」とよばれています。また、「京都大仏前郵便局」や「大仏前交番」など、往時の名残を伝える地域のスポットも。大仏前郵便局は地元の人が利用する小さな郵便局ですが、ぜひ風景印に注目してみてください。今は幻の「京の大仏」ではなく、現存する方広寺の国家安康の鐘が描かれた図案です。ハガキや手紙を出す際は、その郵便局にある風景印を添えてみるのもすてきですよね。窓口で「風景印」をお願いするとハガキ1枚から押してもらえますよ。コロナ禍でなかなか会えない今、大切な人に京都からの思いを届けることができそうです。方広寺(ほうこうじ)京都市東山区正面通大和大路東入ル茶屋町527-2京阪七条駅から東へ徒歩5分京都大仏前郵便局(きょうとだいぶつまえゆうびんきょく)京都市東山区本町4-136(ノーサイトビル1階)京阪七条駅から北東へ徒歩5分
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2021.09.04
船岡山公園の「ラジオ塔」
9月6日は「MBSラジオの日」に制定されています。大阪・梅田の茶屋町に本社のある「株式会社毎日放送(MBS)」。昭和25年(1950)12月27日に、「新日本放送株式会社」として設立されたのが始まりです。翌年の昭和26年(1951)9月1日には、ラジオの本放送を開始。現在の「毎日放送」に改称されたのは、昭和33年(1958)6月1日のことだそうです。昭和34年(1959)3月1日にテレビの本放送が開始されるまでは、ラジオの単営局だったとか。MBSラジオの周波数は、AMが1179メガヘルツで、ワイドFMが90.6メガヘルツ。平成28年(2016)にワイドFMが開設されたのを機に、周波数にちなんで記念日が制定されました。ラジオといえば、以前の「きょうのちしん」でご紹介した「ラジオ塔」(公共のラジオ受信機)。日本で初めてラジオ放送が開始されたのは、大正14年(1925)3月のことだとか。昭和初期から戦中にかけて、ラジオ放送を聴くために全国に建てられたのがラジオ塔です。京都に現存する8基のなかで、今回、船岡山公園のラジオ塔をご紹介します。船岡山公園は、標高112メートルの船岡山の中にある眺望のよい史跡公園。ラジオ塔は、昭和10年(1935)の船岡山公園の開園にともなって建造されました。野外音楽堂のステージのバックに設置され、現在は客席からも一部が見えるようになっています。平成27年(2015)4月には、全国で唯一、往時の姿のままラジオ塔の拡声器と受信機を再設置。再びメロディーが流れるラジオ塔を前に、復活後、初めてのラジオ体操が行われたそうです。2021年4月1日より、「株式会社MBSラジオ」として新たな一歩を踏み出したMBSラジオ。AMのほか、ワイドFMやradikoでも番組を聴くことができます。radikoは、パソコンのサイトから聴きたい放送局を選んで聴収できるサービス。近畿2府4県のエリア内なら、無料で番組を楽しむことができますよ。おうち時間にゆっくりラジオを聴いてみてはいかがでしょうか?船岡山公園(ふなおかやまこうえん)京都市北区紫野北舟岡町市バス停船岡山停下車、徒歩3分MBSラジオ 公式ウェブサイトhttps://www.mbs1179.com/京都に現存する「ラジオ塔」 はこちら
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2021.08.31
仁王門通の由来になった「仁王門」があるお寺
京都の東西を走る通りのひとつ「仁王門通(におうもんどおり)」。西端の川端通から東大路通までの約600メートルは、「仁王門繁栄会」としても知られています。東大路通からさらに東に進むと2車線の広い道となり、雰囲気が華やかになります。京都国立近代美術館や京都市京セラ美術館、京都市動物園などが建ち並ぶ岡崎エリアです。多彩な文化施設や平安神宮の大鳥居を望みながら1kmほど歩くと、白川通にたどり着きます。仁王門通は白川通で南東へ折れ、南禅寺前交差点のあたりから三条通と合流します。東大路通と仁王門通の交差点は「東山仁王門」とよばれ、バス停の名前にもなっていますね。これは東大路通が、かつては東山通とよばれていた名残だそうです。東山仁王門の周辺には55もの寺院が密集し、"もうひとつの寺町通"ともよばれています。「仁王門」とは、どこの寺院の仁王門のことを指すのでしょうか?それは、仁王門通川端の「頂妙寺(ちょうみょうじ)」です。頂妙寺を参拝するために山門前の通りが整えられ、仁王門通と名づけられたのだとか。仁王門通から頂妙寺の山門をくぐると、参道の先にさらに門がそびえ立っているのが見えます。この門が、仁王門通の由来になった仁王門といわれています。直接、仁王門通に面しているのではないですが、どんとした存在感です。東に「持国天像」、西に「多聞天像」が安置され、「二天門」ともよばれていたとか。門の上部には、豊臣秀吉公が宗門布教の再開を許可したとされる書状の扁額が掲げられています。頂妙寺は「日蓮宗京都16本山」のひとつで、境内に8院の塔頭を擁する由緒寺院。それでもなお広々としていて、観光寺院ではないため人も少なく、ゆっくり参拝できます。江戸時代初期の画家・俵屋宗達ゆかりのお寺としても知られ、境内には宗達の墓もあるとか。宗達筆・烏丸光広賛の「紙本墨画 牛図 双幅」(重要文化財)なども所蔵しているそうです。イチョウの名所でもあるので、境内が黄金色に染まるころには世の中が落ち着いていますように。頂妙寺(ちょうみょうじ)京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96京阪三条駅から徒歩5分
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2021.08.22
京都の西を守護する「白虎(びゃっこ)」
平安京の遷都より「四神相応の地(しじんそうおうのち)」とされてきた京都。四神とは、東の「蒼龍(青龍)」、西の「白虎」、南の「朱雀」、北の「玄武」の聖獣のことです。蒼龍は八坂神社、白虎は松尾大社、朱雀は城南宮、玄武は上賀茂神社(賀茂別雷神社)を守護。その四神の中心をつかさどっている平安神宮とあわせて、「京都の五社」ともよばれています。8月23日の「白虎隊の日」にちなみ、今回は「白虎」ゆかりの地をご紹介します。白虎が宿る西山連峰に位置する松尾山。その山のふもとに建つ、松尾大社(まつのおたいしゃ)。四条通の西の端にあり、対する東の端は蒼龍の八坂神社です。松尾大社は、太古より人々の生活を守護する神様として崇敬されてきました。平安京の遷都以降は「賀茂の厳神、松尾の猛霊」とよばれ、お酒の神様としても信仰されています。そんな松尾大社のおみくじのなかで人気なのが、「白虎おみくじ」。おうちの西側に、白虎の顔が東を向くようにしてまつるとよいとか。なんとも愛らしい表情のトラに、思わず頬がゆるみます。さて、蒼龍、白虎、朱雀、玄武の四神の中心を守護している平安神宮。平安京を模してつくられた境内には、四神にちなんだ石像が建てられています。西の手水舎を守っているのは白虎。東の手水舎には蒼龍が鎮座しています。そして、西には「白虎楼」、東には「蒼龍楼」と名づけられた2棟の重要文化財が並んでいます。また、四神の名前は、江戸幕府の会津藩の部隊名にも使われていました。ときは慶応4年(1868)、「鳥羽伏見の戦い」のあと。戦いに敗れた会津藩は、年齢別に4つの部隊を編成します。年齢の高い順に「玄武隊」「青竜隊」「朱雀隊」「白虎隊」。最年少の白虎隊は、数えで16~17歳の武士から構成された部隊だといわれています。白虎隊の少年隊士たちは会津藩のために戦い、飯盛山(福島県会津若松市)で自刃。その日が、慶応4年(1868)8月23日だったと伝えられています。多くの若い命が散った、なんとも悲しい日。この悲劇は、ひとり生き残ったという少年隊士の手記によって語り継がれているそうです。松尾大社(まつのおたいしゃ)京都市西京区嵐山宮町3阪急松尾大社駅から徒歩3分平安神宮(へいあんじんぐう)京都市左京区岡崎西天王町市バス停岡崎公園 美術館 平安神宮前下車、北へ徒歩5分または、市バス停岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前下車、北へ徒歩5分山吹の名所「松尾大社」 はこちら
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2021.08.11
『君が代の日』と護王神社の「さざれ石」
オリンピックやパラリンピック、高校野球などでも斉唱される日本の国歌『君が代』。8月13日は『君が代』にちなんだ日です。まず、明治26年(1893)のこの日に、文部省が『小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜』を布告。小学校の祝祭日の唱歌として、『君が代』など8つの曲が定められたといわれています。「国旗及び国歌に関する法律」により、正式に国歌になったのは平成11年(1999)8月9日。そして、国歌として公布・施行されたのは同年8月13日と、意外にも平成になってからのことです。『君が代』は、わずか32文字という世界でもっとも歌詞が短いとされる国歌。さらに、世界最古の国歌としても『ギネス世界記録』に認定されているのだとか。法令には著作権がないため、『君が代』の歌詞と旋律に著作権は発生しないのだそうです。「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで」歌詞に出てくる「さざれ石」は、漢字で書くと「細石」だとか。学名は「石灰質角礫岩(せっかいしっかくれきがん)」。石灰石が長い歳月をかけて雨水に溶け、大小の石を集めて巨岩となった自然の産物だそう。とても縁起のよい石とされています。「さざれ石」は、日本各地の公園や神社の境内などで見られることもあります。岐阜県揖斐(いび)郡にあるのは、"日本一"を誇るという「さざれ石」です。その揖斐郡の産物である「さざれ石」が、京都の護王(ごおう)神社に奉納されています。高さ2メートル、幅3メートルと、まさに日本一の大きさ!『君が代』の歌詞のように、苔もむしていて壮観ですよね。これだけの大きさになるのに、どのくらいの年月、どのくらいの石が積み重なったのでしょう。困難の多いご時世ですが、「さざれ石」のように心をひとつにして立ち向かいたいものです。護王神社(ごおうじんじゃ)京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385(京都御所 蛤御門前)地下鉄丸太町駅から北へ徒歩7分
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2021.08.09
源義経が旅の安全を祈願した「首途八幡宮」
「8(は)」「10(と)」の語呂合わせから、「鳩の日」に制定されている8月10日。鳩は全国の八幡神の使いとされ、京都では石清水八幡宮や三宅八幡宮などの象徴に。平和のシンボルとしても知られ、六角堂 頂法寺の境内でも鳩が大切にされています。今回は、西陣にある「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」をご紹介します。境内の手水舎を守っている鳩の像の、フォルムや大きさ、たたずまいが本物の鳩にそっくり!さらに、鳩の像に人が近づくとセンサーで鳩の口から水が流れ出すという仕掛けにびっくり!御本殿や門などにもさまざまな鳩の姿が見られるので、ぜひ探してみてくださいね。また、絵馬やお守り、土鈴などの授与品にもさまざまな表情の鳩があしらわれています。旅行バッグや車などに貼りたい、旅行・交通安全ステッカーも鳩の形がユニークです。首途八幡宮は、八幡宮の総本宮の大分・宇佐(うさ)神宮から八幡大神を勧請したのが起源。もともと、このあたりに平安末期の商人・金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷がありました。吉次は奥州(東北地方)で算出される金を京で商うことを生業にしていたとか。承安年間(1174)、吉次に会うため鞍馬山から飛び出してきたのが、牛若丸こと源義経。義経は吉次の屋敷近くの内野八幡宮で道中の安全を祈願し、吉次の援助を受けます。そして、奥州・平泉の藤原秀衡(ひでひら)のもとへ旅立つことができたといわれています。義経が参拝した内野八幡宮こそが、現在の首途八幡宮。その安全祈願の逸話から、「出発」や「旅立ち」の意味を持つ現在の「首途」に転じたとか。境内には「源義経奥州首途之地」と刻まれた石碑も建っています。このご時世で旅行もままならなくなりましたが、人生の転機にもご利益があるそうですよ。幸せを運んでくる鳩にあやかって、新しい世界へ羽ばたくことができますように。首途八幡宮(かどではちまんぐう)京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1市バス今出川大宮下車、西へ徒歩5分鳥と神社③ 鳩に囲まれる「三宅八幡宮」 はこちら
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2021.08.05
野球関係者も参拝する「狸谷山不動院」
「東京オリンピック2020」の野球競技で、8月4日、日本代表の決勝進出が決定しました。プロ野球や高校野球も開催される時期で、自宅での野球観戦も日本の夏の風物詩のひとつですね。そんな気分を盛り上げるように、8月9日は「野球の日」です。「8(や)」「9(きゅう)」の語呂合わせと、高校野球のシーズンであることから制定されたとか。この夏の高校野球も出場校が決定し、いよいよ「野球の日」の8月9日に開幕を迎えます。また、8月18日は「高校野球記念日」に制定されているのをご存じでしょうか?現在の「全国高校野球選手権大会」の前身にあたる「全国中等学校優勝野球大会」。同大会の初回が、大正4年(1915)8月18日に大阪の豊中球場で実施されたことが由来です。会場が甲子園大運動場(現在の阪神甲子園球場)に移ったのは、大正13年(1924)のこと。そして、昭和23年(1948)より「全国高校野球選手権大会」に名称が変更されたそうです。日本のプロ野球の誕生は昭和9年(1934)なので、高校野球の歴史の方が長いのですね。さて、京都にも野球選手などスポーツ関係者が参拝する神社やお寺があります。そのなかから、一乗寺にある「狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)」をご紹介します。江戸時代の剣豪・宮本武蔵が修行したとされる滝が境内に残る、真言宗修験道のお寺です。「タヌキダニのお不動さん」として親しまれ、境内には無数のタヌキの焼き物が点在。タヌキは「他抜き」に通じることから、スポーツ選手たちの信仰が厚いのだそう。焼き物のタヌキがずらりと並ぶなかに建っているのは、阪神タイガースの「優勝記念」の石碑。同球団の投手として活躍した小林繁氏による「階段登り お百度参拝記念」の石碑も並んでいます。「階段登り」とは、狸谷山不動院の本堂まで続く250段の「健康階段」をのぼって参拝すること。日本を代表する剣豪や投手の精神力にあやかって、長い坂道と250段の階段をのぼりませんか?参拝の際は体調を万全に、歩きやすい靴や服装でお出かけを。出向くのが難しい人には、お守りやお札などの授与品を郵送で受付けてもらえます。詳細は、狸谷山不動院の公式ウェブサイトで確認してください。狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)京都市左京区一乗寺松原町6叡山電車一乗寺駅から徒歩15分http://www.tanukidani.com/
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2021.08.03
明治期の貴重な近代建造物「七条大橋」
8月4日は「橋の日」に制定されています。昭和60年(1985)に、宮崎県延岡市出身の湯浅利彦氏によって提唱されたとか。京都でも各地に大小さまざまな橋が架けられ、地域の人々の生活を支えてきました。なかでも鴨川(賀茂川)に架かる橋は、場所によってさまざまな表情を見せていますよね。今回はそのなかで、七条通の鴨川に架かる「七条大橋」をご紹介します。七条大橋は、明治末期にすすめられた「京都市三大事業」にともなって建設された橋梁。明治44年(1911)11月に着工し、大正2年(1913)3月に完成したといわれています。なんと今年で108歳の長寿橋で、鴨川(賀茂川)に架かる橋では最古だとか。水害による流失などで多くの橋が架け替えられてきたなか、七条大橋は明治期の意匠を現存。「京都市三大事業」による橋梁のなかで、ただひとつ残っているという貴重な存在です。京都が誇る文化財として、平成20年(2008)に「土木学会選奨土木遺産」に認定。平成31年(2019)3月には「国の登録有形文化財」に指定されました。5連アーチのモダンなデザインは、鴨川(賀茂川)に架かる橋では珍しい洋風建築。日本の近代建築の黎明期に建てられた鉄筋コンクリート橋のなかでも、きわめて巨大だとか。桂川(大堰川)の渡月橋、宇治川の宇治橋とならび、「京都三大名橋」にも数えられています。部分的な改修や撤去は見られますが、橋そのものは当時のまま残るという七条大橋。高欄は「三十三間堂の通し矢」をモチーフにした矢車のデザインに改められています。三十三間堂(蓮華王院)は七条大橋を東に渡った先にある仏堂で、通し矢は初春の風物詩です。同様に、七条大橋を東に10分ほど歩けば智積院や豊国神社、京都国立博物館へ。反対側の西へ10分ほど進めば渉成園(枳殻邸)や東本願寺があり、京都駅も徒歩圏内です。また、七条大橋の西詰には「松明殿稲荷(たいまつでんいなり)神社」が鎮座。伏見稲荷大社の境外末社で、「田中社」ともよばれています。毎月7日は、「七条大橋をキレイにする会」の皆さんによる清掃活動の日だとか。2021年7月7日に7周年を迎えたそうで、コロナ禍でも可能な限り活動が続けられています。橋を渡るときは、先人はもちろん、現代の人々の思いも大切にしたいですね。七条大橋(しちじょうおおはし)京都府京都市東山区下堀詰町京阪七条駅から徒歩すぐ
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