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2021.11.16
哲学の道と「熊野若王子神社」
11月の第3木曜日は、「世界哲学の日(世界哲学デー)」です。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が、平成14年(2002)に初めて実施。平成17年(2005)のユネスコ総会で、11月の第3木曜日に制定されることが宣言されました。令和3年(2021)は、11月18日(木)が「世界哲学の日」にあたります。京都で「哲学」といえば、「哲学の道」とよばれる疏水沿いの小径ですね。京都大学の教授で哲学者だった西田幾太郎が、瞑想にふけって歩いたことが名前の由来です。北端の銀閣寺橋から南端の若王子橋まで約2kmにわたり、現在は散策路として整備されています。春の桜、夏の新緑やゲンジボタル、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の表情も魅力。今の時期はところどころで木々が色づき始め、これから紅葉や黄葉の最盛期を迎えます。哲学の道の周辺には永観堂や南禅寺、銀閣寺などの紅葉の名所も点在。紅葉とともに、椿の花や南天の実なども疏水沿いを彩っています。哲学の道の南端に位置する若王子橋。このたもとに建っているのが「熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)」です。御祭神の一柱である、天照大神(あまてらすおおみかみ)。その別号である「若一王子(にゃくいちおうじ)」にちなんで命名されたとか。「熊野神社」「新熊野神社」とならぶ、"京都三熊野(きょうとみくまの)"のひとつ。社務所では、哲学の道散策記念の絵馬も授与されます。熊野若王子神社の石造りの手すりは、もともとは大正9年(1920)に架けられた若王子橋の高欄。平成5年(1993)の若王子橋の改築の際に、こちらの境内に移設された歴史があるとか。また、ご神木の梛(なぎ)の木はすべての苦難を"なぎ倒す"とされ、梛守(なぎまもり)の授与も。ほかにも、社宝の「恵比須神像」など見どころの多い神社なので、ぜひ参拝してみては?熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)京都市左京区若王子町2市バス停南禅寺・永観堂道下車、徒歩10分
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2021.10.17
京都御苑の十月桜と宗像神社
「十月桜(ジュウガツザクラ)」が見ごろを迎えています。その名のとおり、10月ごろから冬にかけて咲く桜として知られています。春と秋の2回咲き、秋は春に比べて小ぶりで可憐な花が特徴です。京都御苑では「出水の小川」の東側、「宗像神社」の北側で見ることができます。これから紅葉の季節を迎えますが、薄紅色の小ぶりな秋咲きの桜にも注目してみてくださいね。「出水の小川」は、親子で水にふれあえる場として整備された約110メートルの人工の小川。地下水が約20センチメートルの浅い小川となって木陰を流れる、憩いのスポットです。烏丸通の下立売御門から入ると近いですよ。「宗像神社ってどこにあるの?」と思った人も多いのではないでしょうか。京都御苑内に3つの神社が鎮座しているのは、意外にも知られていないかもしれません。そのうちのひとつが、宗像三女神をまつる「宗像神社(むなかたじんじゃ)」です。宗像三女神とは、多紀理比売命、多岐津比売命、市岐嶋比売命のこと。宗像三女神は「道主貴(みちぬしのむち)」ともいい、すべての道をつかさどる神様です。延暦4年(795)、桓武天皇の命により藤原冬嗣が筑紫より勧請し、創建したのが起源。現在の社殿は、江戸時代の安政年間に再建されたものといわれています。明治維新までは花山院家(かざんいんけ)の邸地で、宗像神社もその邸内にあったとか。邸宅が廃せられたあと、社殿のみが残されています。境内社として花山稲荷神社、京都観光神社、少将井社、繁栄稲荷社、金刀比羅宮も鎮座。10~12月には境内にカリンの実がなり、11~12月は紅葉が参拝者を出迎えてくれます。また、御神木である楠の巨木は樹齢600年ともいわれ、京都御苑内で最長老とされているとか。秋空の下、十月桜を愛でながら、苑内にたたずむ神社に参拝してみてはいかがでしょうか?京都御苑(きょうとぎょえん)京都市上京区京都御苑3地下鉄丸太町駅から徒歩3分(下立売御門まで)
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2021.10.15
お風呂だけじゃない銭湯② 京極湯と週末のアヒル
秋はあっという間に日が暮れるという意味のことわざ「秋の日のつるべ落とし」。夕方でも明るかった夏より、なんとなくせわしなく感じてしまいますね。せわしなく感じてしまう季節こそ、銭湯でひとっぷろ浴びてから帰りませんか?広々とした湯船で手足をのばせば、疲れも吹き飛ぶ気がします。だいたい15時くらいから深夜にかけて営業するところが多いという、まちの銭湯。今回は、昭和の名残を今に伝える「京極湯」をご紹介します。京極湯があるのは、かつて歓楽街や映画の興行街としてにぎわいを見せた「西陣京極」。日暮れとともに京極湯のネオンが灯ると、往時の歓楽街らしい情緒が漂います。大人の雰囲気を感じる外観ですが、暖簾をくぐると、子どもに戻った気分を味わえそうです。銭湯といえば、番台や脱衣場に掛けられた「あすもあります」という札。京極湯では、金・土・日曜限定で「今日はあひるがおります」の札が掛けられます。あひるとは、おもちゃの黄色いアヒルのこと。週末は、湯船に浮かべられた黄色いアヒルとお風呂に入ることができますよ。浴室の鏡広告にもアヒルが描かれているので、ぜひ見つけてみてはいかがでしょうか?レンガ造りの煙突も珍しく、お湯は毎日ご主人が薪で井戸水を沸かしているとか。まろやかな肌ざわりのお湯で、体の芯から温まります。番台では、ご主人手づくりの木札キーホルダーなどのオリジナルグッズも販売されています。木札の「2615」や「1010」といった番号を見てニヤリとする人も多いかもしれませんね。かつては何軒もの映画館や寄席・芝居小屋が建ち並んでいたという西陣京極。その地で今も営業を続ける京極湯は、西陣の貴重な文化財ともいえそうです。京極湯(きょうごくゆ)京都市上京区土屋町通一条下ル東西俵屋町666市バス停千本中立売下車、徒歩4分お風呂だけじゃない銭湯① 銀座湯とメガネ はこちら
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2021.10.09
お風呂だけじゃない銭湯① 銀座湯とメガネ
10月だというのに、昼間は季節外れの暑さが続きますね。汗をかいたあとも体は冷えているので、お風呂にゆっくり入って温まりたいものです。たまには銭湯の暖簾をくぐって、非日常感を味わってみてはいかがでしょうか?10月10日は、その語呂合わせから「銭湯の日」に制定されています。今回は、京都大学の近くにあり、京大生も通うという「銀座湯」をご紹介します。6年間の休業を経て、2020年2月に待望のリニューアルオープン。先代のご夫婦の跡をお孫さんが継ぎ、地元の人たちで再びにぎわいを見せています。カウンター型の番台や休憩所が新設され、レトロさを残しながら清潔感のある脱衣場に改装。開放感あふれる浴室で、深風呂、ジェット風呂、水風呂、電気風呂、薬湯、サウナを楽しめます。洗い場に並ぶ鏡の中には京大のサークルの広告もあり、京大生の御用達なのも伝わってきます。そして、この銀座湯の暖簾、ほかの銭湯にはないデザインだと思いませんか?京都タワーや大文字山などの名所の真ん中に、メガネが大きく描かれています。これは、お孫さんが銀座湯を継ぐまでメガネ店で勤務していたことに関係があるようです。銀座湯では、入浴した人限定でメガネの洗浄サービスもおこなわれています。受付時間とメガネの種類は限定されますが、プロの仕上げでピカピカにしてもらえるとか。メガネをかけている人にとっては、身体の一部であるメガネ。お風呂上りにメガネまでさっぱりする銭湯は、京都では銀座湯だけかもしれません。のれんと同じメガネがデザインされたタオルの販売もあり、メガネへの愛を感じます。また、10月10日(日)・22日(金)には、毎月恒例の「生糀(なまこうじ)風呂」も実施。東山二条の「茶と糀つきあかり」とのコラボ風呂で、ツルスベのお肌を体感できそうです。秋の夜長、たっぷりのお湯に身をゆだね、物思いにふけるのも一興ですね。銀座湯(ぎんざゆ)京都市左京区吉田近衛町26-7市バス停近衛通から徒歩2分
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2021.09.29
「京の大仏」の名残③ 大仏殿跡緑地
先日の「きょうのちしん」でご紹介した、「京の大仏」跡。豊臣秀吉公が建立した方広寺に、奈良の大仏にならって造営されたものといわれています。今回は、大仏殿の台座があったとされる場所をご紹介します。豊国神社の東、京都国立博物館の北側、現在は「大仏跡緑地」として整備されています。現在の豊国神社、京都国立博物館、三十三間堂なども、かつては方広寺の寺域だったとか。平成12年(2000)に、豊国神社境内の東で大仏殿跡の発掘調査がおこなわれました。その際に大仏殿の正確な位置が判明し、台座や柱跡などの遺構が見つかったのです。遺構は再び地下に埋め戻して保存され、地上に配された板石などで位置が示されています。当時の大仏殿は、高さ約49メートル、東西約55メートル、南北約90メートルという大スケール。そこに安置された「京の大仏」は、約19メートルの高さだったともいわれています。「京の大仏」の姿はないものの、ここへ来ると思わず空を見上げてしまいます。また、豊国神社から京都国立博物館にかけて西側に見られる巨石は、大仏殿の石積みです。当時、方広寺の大仏殿などの主な伽藍は巨大な石塁に囲まれていました。現在は「方広寺大仏殿跡及び石塁・石塔」として、国の指定史跡に指定されています。石垣の間には、パズルのようにさまざまな大きさや形の石が埋め込まれているのもユニーク!傍らには、「大佛殿石垣 天正14年豊臣秀吉築造」と刻まれた石碑も建っています。社寺を参拝し、京都国立博物館を訪れる際は、大仏殿跡にも注目してみてはいかがでしょうか?大仏殿跡緑地(だいぶつでんあとりょくち)京都市東山区茶屋町531京阪七条駅から徒歩10分「京の大仏」の名残① 正面通と大仏前 はこちら「京の大仏」の名残② 甘春堂の「大佛餅」 はこちら
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2021.09.26
日本最古とされる「招き猫伝説」が残る檀王法林寺
9月29日は「9(来る)」「29(福)」。この語呂合わせから「招き猫の日」とされています。平成7年(1995)9月29日に、「日本招猫倶楽部」によって制定されました。京都に、日本最古といわれる「招き猫伝説」が残るお寺があるのをご存じでしょうか?三条大橋の東詰、慶長16年(1611)開創の「檀王法林寺(だんのうほうりんじ)」です。こちらにまつられている神様は「主夜神尊(しゅやじんそん)」。もとの名前を「婆珊婆演底主夜神(ばさんばえんていしゅやじん)」というそうです。「主夜」が「守夜」に転じて、盗難や火災、悪夢など、夜を守る神様として信仰されてきました。そして、古来より主夜神尊のお使いとされてきたのが、黒猫です。主夜神尊をまつる社寺は珍しく、さらに黒猫を神様のお使いとするのはここだけなのだとか。檀王法林寺では、主夜神尊のお使いである、右手をあげた黒い招き猫もまつられています。江戸時代の中期ごろには、主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られていたといわれているそう。黒猫が右手を上げた姿で、檀王法林寺が"黒い招き猫"の発祥の地ともいわれています。現在の一般的な招き猫は、右手は金運、左手は千客万来や商売繫盛を呼び込むとされていますよね。当時は、檀王法林寺を真似て「右手招福猫」を作ることが禁止されていたとか。それほど霊験あらたかで、人々の信仰の厚い招き猫だったといわれています。秘仏の主夜神像は、例年、12月の第1土曜日の「招福猫・主夜神大祭」でご開帳されます。当日、参拝者には主夜神尊のお札と、江戸時代の後期の招き猫の復刻像が授与されるそうです。※2020年の「招福猫・主夜神大祭」の斎行は未定です。境内の本堂では、日本各地から奉納されたという招き猫もたくさん展示されています。庫裏(寺務所)では、黒い招き猫やお守り、御朱印など、主夜神尊にまつわる授与品も。お財布用の小さな招き猫や、猫おみくじ付きの招福猫飴、招き猫の御朱印帳なども授けられます。遠方やこのご時世で参拝が叶わない人には、郵送による授与も受け付けられていますよ。詳細は檀王法林寺の公式ウェブサイトで確認してくださいね。檀王法林寺(だんのうほうりんじ)京都市左京区川端通三条上ル法林寺門前町36地下鉄三条京阪駅・京阪三条駅から徒歩すぐhttp://www.dannoh.or.jp/※本堂の拝観は300円(緊急事態宣言の発令中は拝観できません)。※庫裏(寺務所)は法務などにより閉鎖されている場合があります。事前に確認してください。
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2021.09.24
安井金比羅宮の「久志塚」と「櫛まつり」
先日の「きょうのちしん」でご紹介した、京都ゑびす神社の「名刺塚」と「財布塚」。今回ご紹介するのは、安井金比羅宮の「久志塚(くしづか)」です。「久志」とは、日本髪をとかしたり結い上げたりする「櫛(くし)」のこと。安井金比羅宮では、例年、9月の第4月曜日に「櫛まつり」が斎行されます。久志塚の前に、使い古されたさまざまな櫛が奉納される安井金比羅宮の伝統行事です。昭和期に、氏子の美容家・南ちゑさんから古い櫛の処分について相談を受けたのが始まり。古い櫛を供養するため、昭和36年(1961)に「第1回櫛まつり」が斎行されました。風俗研究家・吉川観方さんの賛意を得て、南さんを中心とする多くの美容家により発足。時代風俗の着付けと結髪の正しい伝承のため、「京都美容文化クラブ」も設立されたとか。南さんは、その生涯を"日本髪変遷の研究と結髪"に捧げたことでも知られています。現在の「櫛まつり」は、京都の美容師会が中心の「櫛まつり実行委員会」により運営されています。境内の久志塚は、「第1回櫛まつり」の翌年、昭和37年(1962)に建立されました。傍らには「櫛まつり」への貢献をたたえ、吉川観方さんの小直衣像も並んでいます。コロナ禍のため、2021年の「櫛まつり」も関係者による神事のみが斎行されます。残念ながら、今年も女性の「時代風俗行列」はありません。本来なら、安井金比羅宮を出発し、祇園界わいを練り歩くお祭りのハイライトです。古墳時代から現代の舞妓さんまで、それぞれの時代の衣装に身をまとった華やかな行列。なかでも、かつらではなく地毛で結い上げられたヘアスタイルは見ごたえ満点です。「縁切り神社」で名高い安井金比羅宮ですが、9月は「櫛まつり」にも思いを馳せませんか?来年こそは新型コロナウイルスと縁を切り、「時代風俗行列」が復活することを願うばかりです。安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)京都市東山区東大路松原上ル下弁天町7012京阪祇園四条駅から徒歩10分2021年の「櫛まつり」は9月27日(月)に斎行されます。※ただし、関係者による神事のみ。「時代風俗行列」はおこなわれません。京都ゑびす神社の「名刺感謝祭」 はこちら
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2021.09.20
"萩の寺"で知られる「常林寺」
"秋の七草"のひとつに数えられる、萩(はぎ)。梨木神社や真如堂、迎称寺など、京都の社寺で萩の花が見ごろを迎えています。じつは『万葉集』の歌のなかで、もっとも多く詠まれている植物が萩。原文では「萩」ではなく、「芽」「芽子」「波疑」と表記されているのも面白いですね。今回は「萩の寺」とよばれる「常林寺(じょうりんじ)」をご紹介します。アクセスしやすい出町柳にあり、普段はひっそりとした小さな寺院。初秋には山門から本堂へ続く参道の両側に、紅白の萩の花がこぼれるように咲き誇ります。かつてこの付近に砂川が流れ、境内には砂の層があり、萩の生育に適しているのだとか。北隣の長徳寺、南隣の正定院とともに、"砂川の三軒寺"ともよばれていたそうです。例年、9月の敬老の日には「萩供養」もおこなわれてきました。常林寺の萩は早咲きの品種なので、ほかの萩の名所より見ごろが早いのも特徴です。一説には、天正元年(1573)、念仏専修僧・魯道(ろどう)によって寺町荒神口に開創。寛文11年(1671)の"寺町の大火"によって、堂宇が次々と焼失したとされています。のちに現在地の出町柳に移転。元禄11年(1698)に、栄誉(えいよ)が本堂を再建したと伝えられています。通常非公開の本堂にまつられているのは、ご本尊の阿弥陀三尊像。地蔵堂に安置されている世継子育地蔵尊は、常林寺の移転前からあったという説も。幕末の武士であり、明治政府の初代海軍卿・勝海舟の定宿としても知られています。萩の見ごろの時期にはススキも揺れ、秋の風情に包まれる境内。万葉人(まんようびと)を気取って、一句詠みたくなりますね。常林寺(じょうりんじ)京都市左京区川端通今出川通上ル田中下柳町33京阪出町柳駅から徒歩すぐ
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