かつて、日本一の大きさを誇る大仏様が京都にいたのをご存じでしょうか?
奈良の大仏様に負けじと、豊臣秀吉公の命によって東山の方広寺に造営された「京の大仏」です。
初代の大仏様の完成を目前に控えた慶長元年(1596)、慶長伏見地震により崩壊。
あとは大仏様の開眼を待つのみというタイミングでの崩壊だったとか。
ほどなくして秀吉公が亡くなり、大仏様が不在の大仏殿で開眼法要が行われました。
焼失を繰り返し、江戸時代の天保年間に再建された4代目は、昭和48年(1973)に焼失。
これを最後に、方広寺の「京の大仏」は姿を消したといわれています。
「大仏殿」があった場所は、現在の豊国神社の鳥居のあたり。
当時は豊国神社のほか、京都国立博物館や智積院、三十三間堂なども方広寺の寺域だったとか。
そのなかで大仏殿は東西に27間、南北に45間で、大仏様の高さは6丈3尺だったといわれています。
『東海道中膝栗毛』の主人公・弥次さん喜多さんいわく「大仏の手のひらに畳が8枚敷ける」。
奈良の大仏様よりもはるかに大きな規模だったことが伝えられています。
京都の古いわらべうたでも、「京の大仏」が天火で焼けてしまったことが歌われていますよ。
豊国神社の前を東西に走る「正面通」は、大仏殿の正面にあったのが名前の由来だとか。
かつて大仏殿の台座があったとされる場所は整備され、「大仏殿跡緑地」とよばれています。
また、「京都大仏前郵便局」や「大仏前交番」など、往時の名残を伝える地域のスポットも。
大仏前郵便局は地元の人が利用する小さな郵便局ですが、ぜひ風景印に注目してみてください。
今は幻の「京の大仏」ではなく、現存する方広寺の国家安康の鐘が描かれた図案です。
ハガキや手紙を出す際は、その郵便局にある風景印を添えてみるのもすてきですよね。
窓口で「風景印」をお願いするとハガキ1枚から押してもらえますよ。
コロナ禍でなかなか会えない今、大切な人に京都からの思いを届けることができそうです。
方広寺(ほうこうじ)
京都市東山区正面通大和大路東入ル茶屋町527-2
京阪七条駅から東へ徒歩5分
京都大仏前郵便局(きょうとだいぶつまえゆうびんきょく)
京都市東山区本町4-136(ノーサイトビル1階)
京阪七条駅から北東へ徒歩5分