6月2日は「本能寺の変」が起こった日です。
天正10年(1582)6月2日の未明に、明智光秀が本能寺の織田信長を急襲したという事件。
その際に信長公が火を放って自害した本能寺は、現在地(寺町通御池)にはなかったそう。
当時、本能寺があったのは四条堀川あたりといわれています。
"要塞"とも称される、お城のような広大な寺域を誇っていたとか。
現在の本能寺は、「本能寺の変」のあとに豊臣秀吉が寺町通御池に移築したものです。
油小路通蛸薬師には、「本能寺跡」を示す石碑が建立。
蛸薬師通小川の一角には「此附近 本能寺址」の石碑も残されています。
この近くに残る「本能寺町」や「元本能寺町」という町名も、歴史を今に伝えていますね。
現在地の寺町通御池に移築後、跡地には、大名たちが邸宅を構えていたそうです。
長い歴史のなかで、たびたび火災に見舞われてきた本能寺。
よく見ると、本能寺の「能」の字の「ヒ」「ヒ」の部分は「去」の字に。
これは、"火"を連想させる「ヒ」を避けた、本能寺の習わしだといわれています。
広大な寺域だったため、このあたりに広く「本能寺」の名前が残っています。
明治2年(1869)11月に「下京第二番組小学校」が開校しました。
明治5年(1872)に「本能小学校」と改称し、平成5年(1993)近隣の小学校との統合により閉校。
跡地は、京都市立堀川高等学校本能学舎や京都市本能特別養護老人ホームなどの複合施設に。
「本能寺跡」と同じ敷地内には「本能校跡」の石碑も立っています。
もちろん、このあたりは「本能学区」とよばれていますよ。
「本能寺の変」のあと、秀吉公によって寺町通御池に再建された「法華宗 大本山 本能寺」。
例年6月2日には、信長公をしのぶ法要「信長公忌」がおこなわれています。
コロナ禍のため、今年は一般参拝は受け付けられず、お寺の僧侶のみで厳修されるようです。
また、これまで6月ごろに、本能寺婦人会による「本能寺バザー」が開催されてきました。
こちらも昨年に引き続き、開催されないのが残念でなりません。
境内の大寶殿宝物館で7月4日(日)まで開催中の「本能寺と法華文化」の展示も休止中です。
展示が再開されたら、「本能寺跡」とあわせて足を運んでみてはいかがでしょうか?
本能寺跡(ほんのうじあと)
京都市中京区蛸薬師通油小路東入ル
阪急烏丸駅から徒歩10分
本能校跡(ほんのうこうあと)
京都市中京区油小路通蛸薬師下ル東側
阪急烏丸駅から徒歩10分
法華宗 大本山 本能寺(ほっけしゅう だいほんざん ほんのうじ)
京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
地下鉄京都市役所前駅からすぐ
日本で最初の学区制小学校「番組小学校」 はこちら