BLOGまち歩き2021.05.31

「本能寺の変」と「本能寺跡」

62日は「本能寺の変」が起こった日です。

天正10年(158262日の未明に、明智光秀が本能寺の織田信長を急襲したという事件。

その際に信長公が火を放って自害した本能寺は、現在地(寺町通御池)にはなかったそう。

当時、本能寺があったのは四条堀川あたりといわれています。

"要塞"とも称される、お城のような広大な寺域を誇っていたとか。

現在の本能寺は、「本能寺の変」のあとに豊臣秀吉が寺町通御池に移築したものです。

油小路通蛸薬師には、「本能寺跡」を示す石碑が建立。

蛸薬師通小川の一角には「此附近 本能寺址」の石碑も残されています。

この近くに残る「本能寺町」や「元本能寺町」という町名も、歴史を今に伝えていますね。

現在地の寺町通御池に移築後、跡地には、大名たちが邸宅を構えていたそうです。

本能寺の変_リサイズ2.jpg長い歴史のなかで、たびたび火災に見舞われてきた本能寺。

よく見ると、本能寺の「能」の字の「ヒ」「ヒ」の部分は「去」の字に。

これは、"火"を連想させる「ヒ」を避けた、本能寺の習わしだといわれています。

本能寺の変_リサイズ3.jpg広大な寺域だったため、このあたりに広く「本能寺」の名前が残っています。

明治2年(186911月に「下京第二番組小学校」が開校しました。

明治5年(1872)に「本能小学校」と改称し、平成5年(1993)近隣の小学校との統合により閉校。

跡地は、京都市立堀川高等学校本能学舎や京都市本能特別養護老人ホームなどの複合施設に。

「本能寺跡」と同じ敷地内には「本能校跡」の石碑も立っています。

もちろん、このあたりは「本能学区」とよばれていますよ。

本能寺の変_リサイズ4.jpg

「本能寺の変」のあと、秀吉公によって寺町通御池に再建された「法華宗 大本山 本能寺」。

例年6月2日には、信長公をしのぶ法要「信長公忌」がおこなわれています。

コロナ禍のため、今年は一般参拝は受け付けられず、お寺の僧侶のみで厳修されるようです。

また、これまで6月ごろに、本能寺婦人会による「本能寺バザー」が開催されてきました。

こちらも昨年に引き続き、開催されないのが残念でなりません。

境内の大寶殿宝物館で7月4日(日)まで開催中の「本能寺と法華文化」の展示も休止中です。

展示が再開されたら、「本能寺跡」とあわせて足を運んでみてはいかがでしょうか?


本能寺跡(ほんのうじあと)
京都市中京区蛸薬師通油小路東入ル
阪急烏丸駅から徒歩10分

本能校跡(ほんのうこうあと)
京都市中京区油小路通蛸薬師下ル東側
阪急烏丸駅から徒歩10分

法華宗 大本山 本能寺(ほっけしゅう だいほんざん ほんのうじ)
京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
地下鉄京都市役所前駅からすぐ


日本で最初の学区制小学校「番組小学校」 はこちら

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