BLOGイベント2022.02.25

秀吉公ゆかりの"鳴虎の寺"が特別公開中

令和4年(2022)の干支である「寅(とら)」。

「鳴虎(なきとら)の寺」とよばれる「報恩寺」が、「京の冬の旅」で8年ぶりに特別公開中です。

報恩寺は、室町時代に開創したと伝わる「法園寺(法音寺)」が起源。

もとは一条高倉にあり、天正13年(1585)、豊臣秀吉公の命で現在地の堀川寺之内に移転しました。

寺宝の「鳴虎図」は、中国・明の絵師である四明陶佾(しめいとういつ)の作。

文亀元年(1501)に、後柏原天皇より下賜されたという掛け軸です。

川の水を飲むトラの姿が描かれた掛け軸が、なぜ「鳴虎図」と名づけられたのでしょうか。

さらに「鳴虎の寺」ともよばれるようになったのには、次のような不思議な逸話があります。

報恩寺を訪れた豊臣秀吉が「鳴虎図」を気に入り、聚楽第に持ち帰りました。

ところが、夜中に掛け軸の中の虎が鳴き出したため、眠れなくなった秀吉公が降参。

秀吉公の命で掛け軸はお寺に返され、それ以降、掛け軸の中の虎が鳴き出すことはないとか。

報恩寺で「鳴虎図」の原本が公開されるのは、12年に一度、寅年の正月三が日のみ。

今年は「京の冬の旅」でも公開され、第2期となる現在はデジタル複製図が公開されています。

1本ずつ細密に描かれたトラの毛並みも精巧に再現され、原本と遜色ない美しい仕上がり。

318日(金)までの特別公開なので、この機会にぜひ拝観してはいかがでしょうか。

報恩寺_リサイズ3.jpg

また、報恩寺の境内に現存する梵鐘は、平安時代の後期につくられたという名鐘。

「撞(つ)かずの鐘」とよばれる悲しい伝説も残されています。

昔も今も、報恩寺のある西陣は、織物のまちとして知られています。

かつては、報恩寺で朝と夕方につかれる鐘が、織屋の仕事の開始と終了を告げていました。

報恩寺の近くにあった織屋の丁稚(でっち)と織女は、普段から口論が絶えなかったとか。

あるとき、丁稚と織女は報恩寺から聞こえる鐘の数を賭けました。

丁稚は8つ、織女は9つで、賭けに負けた方は勝った方の言うことを聞かなければなりません。

悪知恵を働かせた丁稚が、お寺の人に鐘の数を聞くと、9つ。

そこで、丁稚はお寺の人に「今日だけ鐘の数を8つにしてほしい」と頼みます。

そのため、本来なら9つつかれるはずの鐘が、この日は8つで止まりました。

結果、賭けに負けた織女が、悔しさのあまり鐘楼に首を吊って自らの命を絶ってしまったのです。

これ以降、報恩寺では朝と夕方の鐘をつかなくなり、「撞かずの鐘」とよばれるようになったとか。

現在では大晦日に除夜の鐘がつかれ、この日は参拝客も先着で1つずつ鐘をつくことができます。

「京の冬の旅」期間中の拝観は、インターネットでの事前予約が優先。

当日、受付で空きがあれば、予約なしでも拝観できます。

詳細・予約は、京都市観光協会の「京の冬の旅」の公式ウェブサイトで確認してください。


報恩寺(ほうおんじ)
京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579
市バス停堀川寺ノ内下車、徒歩2

詳細・事前予約はこちらから


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