先日の『きょうのちしん』でご紹介した、『平家物語』にも登場する妖怪「鵺(ぬえ)」。
今回は源頼政が、近衛天皇の勅命で鵺を退治する前に祈願に訪れたという神社をご紹介します。
四条烏丸からほど近い、綾小路通高倉にひっそりとたたずむ「神明神社」です。
平安時代後期の公卿・藤原忠通の邸宅跡といわれ、近衛天皇もしばしば行幸に訪れていたとか。
「四条内裏」や「四条東洞院内裏」とよばれていたという忠通の邸宅。
その敷地内にあった鎮守の社が神明神社とされています。
弓の名手であった頼政は、郎党の猪早太(いのはやた)とともに弓矢で鵺を退治。
その後、その弓矢の"やじり"2本を神明神社に奉納したといわれています。
頼政の"やじり"は社宝として伝わり、毎年9月の祭礼の際に公開されます。
御本殿に、"やじり"の写真や、頼政の"鵺退治"をイメージした絵が展示されていますよ。
また、神明神社には「文子(あやこ)天満宮」が合祀。
文子とは、菅原道真公の乳母を務めていたという多治比文子(たじひのあやこ)のこと。
境内には、天照大神(あまてらすおおかみ)と菅原道真公が祭神としてまつられています。
神明神社のほかにも、京都市内に4ヶ所あるという文子天満宮。
「鵺退治」も京都や大阪のさまざまな場所で生まれ、伝承されています。
もとは、「護国山 立願寺 円光院」というお寺によって管理されていたという神明神社。
明治の初期に配布された「神仏分離令」によって、神社だけが残されました。
現在は、神社のある「新明町」の人々によって管理されているのも珍しいですよね。
住宅地に溶け込み、知らないと通りすぎてしまう、こじんまりとした神社です。
まち歩きの際は、小さな神社やお寺にも注目してみてはいかがでしょうか?
思いがけない歴史や伝説に出合えるかもしれません。
神明神社(しんめいじんじゃ)
京都市下京区綾小路通高倉西入ル神明町
阪急烏丸駅・地下鉄四条駅から徒歩5分
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