制服姿の高校生たちが大学の門をくぐる受験シーズンがやってきました。
緊張の面持ちで試験会場に向かう姿に、エールを送りたくなりますね。
「大学のまち」とよばれる京都には、30校ほどの大学と10校ほどの短期大学があります。
そのなかで、令和7年(2025)に創立150周年を迎えるのが「同志社大学」。
11月29日は同志社大学の創立記念日です。
同大学の創始者といえば、キリスト教の教育者としても知られる新島襄(にいじまじょう)。
新島襄と八重夫人が暮らした邸宅は、「新島旧邸」として春と秋に一般公開されています。
今回は、新島夫妻が眠る「同志社墓地」をご紹介します。
明治23年(1890)1月23日に、神奈川県で46歳の生涯を終えた新島襄。
1月27日の葬儀のあと、学生さんたちに担がれてこの地に埋葬されたといわれています。
同志社共葬墓地があるのは、鹿ヶ谷の若王子山の山頂。
哲学の道の南端・熊野若王子神社の脇に登り口があり、25分ほどかけて山道を登ります。
登り口には、「同志社若王子会」「若王子町町内会」の提供による竹の杖が設置。
健脚を自負している私も、1本をありがたく手に取って登りました。
杖は山頂の墓地の前で返却できるので、下りは杖を置いてくることもできますよ。
足場が整えられているとはいえ、それなりにハードな山道なのでスニーカーは必須。
山道は人の気配もないため、なるべく複数人で登ることをおすすめします。
今の時期は紅葉も美しく、すがすがしい気分で登ることができるでしょう。
外国人宣教師らキリスト教徒たちも眠っている、同志社共葬墓地。
墓碑に十字架を彫ったものや、十字架の形の墓碑も見られます。
新島襄の初代の墓碑は、京都・鞍馬の自然石に勝海舟の揮毫による碑銘が刻まれたものだったとか。
倒壊などにより、現在の墓碑は昭和62年(1987)に再建された3代目です。
勝海舟の揮毫である「新島襄」は、「島」の横棒が1本抜けているまま継承されています。
新島襄の墓碑の左隣には八重夫人の墓碑が並び、八重の兄・山本覚馬の墓碑も建立。
八重夫人の碑銘は、襄の教え子である徳富蘇峰による揮毫だそうです。
新島八重の「島」の字が「嶋」になっているのもご愛敬ですね。
例年、同志社大学の創立記念日の11月29日と、新島襄が永眠した1月27日に祈祷会が斎行されます。
山深い墓地にも、創立者・新島襄の"建学の精神"が脈々と受け継がれているのを感じます。
同志社墓地(どうししゃぼち)
京都市左京区鹿ヶ谷山町
市バス停南禅寺・永観堂道下車、徒歩10分(熊野若王子神社まで)
熊野若王子神社から山道を20分(若王子山山頂まで)
新島旧邸の春の通常公開と特別公開はこちら