BLOGまち歩き2021.04.26

日本の航空機の父・二宮忠八と「飛行神社」

「昭和の日」の429日が、飛行機にゆかりの深い日であるのは知られていないかもしれません。

飛行機といえば、発明者として名前が挙がるアメリカ合衆国の「ライト兄弟」。

明治36年(19031217日、世界初の有人動力飛行機の実験を成功させたことで知られています。

じつは、それよりも早く、飛行機の原理を発見していた日本人がいるのをご存じでしょうか?

愛媛県八幡浜出身の航空機研究者・二宮忠八(にのみやちゅうはち)です。

忠八がプロペラ式の模型飛行機の飛行実験に成功させた日が、明治24年(1891429日。

ライト兄弟が初飛行に成功した日より、12年も前のことです。

羽を動かさずに滑空するカラスを見てひらめき、その名も「カラス型飛行器」だったとか。

さらに明治26年(1893)には、有人飛行を想定した大型の「玉虫型飛行器」の開発を目指します。

しかし、エンジン部分の開発を残して完成という矢先に、日清戦争のため出兵となり、中断。

戦場で軍用の「玉虫型飛行器」の実用化を申請するも、戦時中などの理由で却下されます。

終戦後は製薬会社勤務を経て自ら製薬会社を設立し、飛行機の独力完成にも奔走。

まもなく完成というときに、ライト兄弟による飛行機完成のニュースが飛び込んできます。

ライト兄弟の二番煎じになると考えた忠八は、飛行機の開発を断念してしまったとか。

飛行神社_リサイズ4.jpg

しかし、世の中の飛行機の普及により、忠八は別の角度から飛行機に関わることになります。

当時、飛行機事故があとを絶たなかったのです。

忠八は飛行機事故の犠牲者の霊を慰めるため、大正4年(1915)に八幡の自邸内に飛行神社を創建。

航空安全と航空事業の発展も祈願し、これが現在の飛行神社の起源といわれています。

忠八が京都の八幡を飛行機の開発地に選んだのは、故郷の八幡浜に名前が似ているからだとか。

飛行神社_リサイズ2.jpg

現在の社殿や拝殿、資料館は、平成元年(1989)の飛行原理発見100周年を機に再興されたもの。

大阪・岸和田漁港で引き上げられたという、零式艦上戦闘機の機首部なども展示されています。

飛行機をモチーフにした航空安全の御守や絵馬の授与は、郵送でも受け付けられていますよ。

御祭神の饒速日命(にぎはやひのみこと)は、天磐船(あまのいわふね)で空を飛んだという神様。

国内外の旅行に気軽に行けなくなった今、再び空を飛べる日が来ることも願うばかりです。


飛行神社(ひこうじんじゃ)
京都府八幡市八幡土井44
京阪石清水八幡宮駅から南東へ徒歩5分

https://www.hikoujinjya.com/


※2021年4月25日(日)~5月11日(火)の期間、新型コロナウイルスの感染拡大防止に伴う「緊急事態宣言」が京都府全域に発令中です。

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