BLOGうつわ知新2021.01.31

信楽焼2

季節ではなく備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介。京都・新門前にて古美術商を営む、梶古美術7代目当主の梶高明さんに解説いただきます。 さらに、京都の著名料理人にそれぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん器との相性やデザインなどについてお話しいただきます。

今回は「信楽焼」の器について梶さんにレクチャーいただき、
京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんのほか、グループ店の「祇園 楽味」水野料理長、「鮨 楽味」野村料理長に料理をおつくりいただきました。

「信楽焼」の解説については、信楽焼その1「歴史」信楽焼その2「それぞれの器解説」の2回に分けて配信いたします。

「信楽焼」の歴史や世界観をお楽しみください。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

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 まずご紹介するのは、杉本貞光氏作の信楽長方鉢です。
 信楽焼は本来焼き締めの陶器ですから、野趣あふれる姿がその見どころと思われがちです。ところが陶芸家によっては、荒々しい野趣が際立つ作風の人もあれば、茶席で使いたくなる品格ある作風の人もいます。その違いを、陶芸家はどのようにして作り分けられるのか、私はまだ見出せていませんが、この杉本貞光氏は後者の人です。
 自然釉がかかっていない部分は明るいオレンジ色が出ています。これを信楽では火色と呼ぶそうです。このオレンジ色の部分がこげ茶色に発色することもあるようですが、それは粘土に含まれる鉄分の加減と陶芸家の窯の操作によって生み出されるようです。
 信楽焼の自然釉は、緑色を帯びたガラス状に結晶するため、ガラスを意味するポルトガル語のビードロと呼ばれます。

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 これは辻清明作氏の信楽窯変盤です。彼の活動拠点は信楽ではなく東京であったため、信楽に住み、信楽の空気を吸っている陶芸家の作品とは異なる趣を持っています。中央に真紅の火色を出すことに成功していますし、そこから横方向に引っ掻いたような激しい線で中央が爆発しているように演出された、エネルギッシュな作品になっています。
 側面に刻まれた波模様も現代的なセンス溢れる作品です。風炉の敷板にも使えそうな大きな盤だけに、うつわとして使うと迫力があります。

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 続いてご紹介するのは、北大路魯山人の信楽の茶碗です。茶碗に料理を盛るなどけしからん、と叱られそうですが、桃山時代の古信楽には、複数の人で取り廻す盛り鉢はあっても、ひとりの人が直接口をつける様な茶碗や向付はほとんど存在しません。
 信楽焼の特徴を「自然釉を使った焼物」と考えるならば、釉薬の掛かっている方向は正面のみのはずですが、この茶碗は45度斜め方向からも釉薬の痕跡が見受けられます。
 その不自然さから、魯山人自らが作為として釉薬を掛けて景色を演出したことがわかります。高台を低く小さく削り出し、高台脇を水平に整えた、手のひらに収まりの良い円筒形の茶碗です。魯山人の茶碗は、食器に比べると気のないような作品も多く見られるのですが、この茶碗は気持ちの入った作品に仕上がっていると思います。

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 何度も申し上げているように、桃山時代に作られた焼き締めの茶碗はほとんど存在しません。それ故に、もし、古い信楽の茶碗に出会えたなら絶対購入しようと、いつもアンテナを張っていましたし、幾度か手に入れてみたこともありました。
 しかしそれらの茶碗を自分の所有物として眺めているうちに、メッキが剝がれるように時代の若さが見えて来て、ガッカリさせられてばかりでした。
 この茶碗は1800年代半ばに活躍した表千家10世家元の吸江斎が「信楽新焼茶碗」と最初から箱に記して「山猿」の銘を与えています。つまり自ら、桃山以降の茶碗だと名乗っている茶碗です。とても固く焼きしまっていますので相当な熱量をかけたことが想像されます。自然釉の景色は見られませんが、備前の火襷の景色のように、赤い火色が複雑に絡みついたような焼き上がりです。高台は低く広く、荒々しく削り出してあり、畳にどっしりと座る姿をしています。山猿として野山を駆け回って暮らしている躍動感と筋肉感に溢れた作品です。その魅力を作り手の作為として訴えてくるところが桃山時代の作品らしくないところです。
 美を積極的に創り出すことに成功していることが、まさに新しい時代の感性なのだと思います。「作品なのか」「道具なのか」、そういう観点でいうならば、桃山の作品は、作品である前にまず道具であると言えるでしょう。
 作品としての作者の作為は、その道具の後ろに息をひそめて隠れているものだと思っていますが、新しい時代のものであるが故、この茶碗は作者の作為が隠れきれず、激しい削りの姿になって見えているのです。難しい話をしましたが、それでも唸るほどに魅力ある茶碗です。

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)杉本貞光作 蹲花生、 左手前)信楽新茶碗 銘山猿、
右手前・奥)北大路魯山人作 信楽徳利、右)信楽水指

 写真の左手前は、すでに解説をさせていただいた信楽新焼茶碗「山猿」です。その右隣と奥にある徳利は北大路魯山人の作品です。
 この徳利は未使用であるためか、まだ糊のきいた白いワイシャツのようで柔らかさがありません。いつの日かお酒好きの誰かが、たっぷりお酒を吸った肌に仕上げてくれるのを期待しています。

 魯山人は信楽焼の作品を作るときに限らず、好んで信楽の陶土を用いていることは以前にお話をしたと思います。私は信楽に足を運んで陶芸家とお会いする度に、魯山人の足跡を尋ねるのですが、いまだにそのことをご存じの方に出会うことがありません。
 相当な量の信楽の土を使い、作品も数多く残っていることから、誰かが焼き方を指導したり、土の手配をしたりしていたはずです。たかだか60年ほど前にはこの世に暮らしていた人物です。ぜひ信楽での彼の足跡を探し当ててもらいたいと思います。

 写真右端は信楽の細水指です。赤みのさした素直な景色がいかにも信楽的ですが、これが伊賀であったなら、複雑に厚くビードロをかぶり、どうだ!と言わんばかりの主張があるでしょう。下部が黒くなっていますが、これはこの部分が灰に埋もれた状態で焼きあがったことで生まれた景色です。

 写真左端は杉本貞光氏作で、蹲(うずくまる)と呼ばれる花生です。人がうずくまったような形に見えることからその名があります。肩のところに施された桧垣(ひがき)模様が信楽独特のものです。桧垣模様は古典作からずっと見られる文様です。
信楽は肌が明るい色なので、花を生けるととても華やぎます。詫びていながらも華やいだ空気感を出せるのも信楽の特徴だと思います。

信楽焼3につづく

今月の記事を書き上げるのに際して、信楽の上田直方ご夫妻には沢山のご指導を賜りました。この場をお借りして感謝申し上げます。