「木乃婦」髙橋拓児の「精進料理知新」
食材や生産する人への感謝の気持ちをもち、食材をあますことなく味わう「精進料理」は、世界中で注目される料理。料亭「木乃婦」の三代目主人、高橋拓児さんが取り組んできた「精進料理」を語っていただきます。
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BLOG精進料理知新
2019.08.22
京都の料亭「木乃婦」、高橋拓児の「精進料理をひもとく〜これからの精進料理は?〜」
料亭「木乃婦」の三代目主人、高橋拓児さんは、2015年より京都料理芽生会創立60周年事業で同会が取り組んだ「精進料理の世界へ」をメンバーともに推進してきました。現在も自身の店で、お客さんの要望に応えるかたちで精進料理に取り組んでいます。高橋さん自身が考える精進料理とは?その進化や精進料理への思いはいかに?というテーマで5回にわたって、語っていただきます。今回はその最終回。ずばり、精進料理のこれからはどうなっていくのか?を伺いました。※「京都料理芽生会」/日本料理の発展と、伝統と格式のある京都の食文化を次世代へ継承するために1955年に設立。京の料亭の若主人たちが研鑽・研究を行い、様々な挑戦を行っている。何ごとにも美を求める日本人の感性。これは変えようのないこと。 ここ4年ほど、ほぼ精進料理が念頭にあったと言っても過言ではないかもしれません。通常の料理を作る時も、精進料理の考え方で捉えることが癖になってしまっているというか(笑)、不思議ですが、その方が自分でも納得がいくことが多くなってきました。 精進料理に関わるようになって一番変わったことは、食材に対する考え方かもしれません。以前は、旬のもっともいいものを使うことのみを考えていましたが、今はまず、食材を前にして、その背景を考えるようになりました。 この食材はどこでどう育って、なぜ、ここまできたのか。その背景をじっくり考える時間、少しだけ典座の気持ちに近づいているのかもしれません。 要は食材としっかり向き合うようになったことが大きな変化だと思います。 精進料理は中国から渡ってきたのですが、日本に渡ってきてさらに戒律が厳しくなったように思います。特に日本人は美意識が高いので、美しさにさえ厳しいものを求める傾向があると思うんです。お寺さんでいただく精進料理も、器や盛り付けも非常に美しいでしょう?だから高度なレベルまで昇華させたのも、日本人の性というか、美的追及を際限なくしてしまう性が日本人にはあるんでしょうね。 仏教の本を読んでいても必ず「美」というものが現れ、仏像にしても、寺院建築、庭園、装飾などにも出てきますよね。宗教なのに、そこに美しさを求めるという高邁な精神には凄まじいものを感じますよね。 掃除ひとつ取っても、お寺さんの境内から室内、お手洗いに至るまで、ピカピカでしょう?着物を着て、白足袋を履く感覚、その白足袋がまた真っ白で生地がピンと張っていて美しい。全体を俯瞰で見出す審美的な感覚は、日本の精進料理にも生きていると思います。 美を愛でる、楽しむとなると本来の精進の意味からずれていくのですが、料理人として精進を考える時、美しさを求めることは、やはり必要だと思います。どんなTPOでもオールマイティな精進料理 また、精進料理に限らず、料理には創意工夫が大切です。今ある材料をいかに使い切って、美味しくいただけるものを作るのか?もちろん栄養も考えて。そこは通常の料理と全く変わらないと思います。 食材と向き合うこと、美しさを求めること、創意工夫をすること。この3つの柱って、そもそも、料理人がするべきことなんですよね。 精進料理に向き合うようになって、自分自身の考え方が劇的に変わりました。 例えば、海外で料理を振る舞うときに、なかなか日本と同じ食材って手に入らないんですよ。ナスひとつでも、めちゃくちゃ大きくて中がスカスカみたいなものが用意されることもあります。以前ですと「日本のナスに近いものを探して欲しい。そうでないと美味しい料理が作れない」と要求していました。 でも今は、大きなナスを前に、このナスは何か意味があって自分のところにやってきたのか、それならば、なんとかこのナスの個性を生かしきって料理ができないか?と考えるようになりました。酸っぱいみかんも同じです。甘い和歌山のみかんを取り寄せて欲しい、ではなく、そうでないみかんでも創意工夫で、新しく美味しい味ができるかもしれない、と思うわけです。 面白いことに、精進料理のルールに料理の幅が狭められたようでいて、実はものすごく広がっているんですね。これは驚きでした。 お客様についても、昨今はいろいろな宗教の方、戒律がある方、ヴィーガンの方、健康上の制限がある方など要求されることが様々です。それを面倒とか難しいとは思わなくなりました。精進料理の考え方で料理に臨むと、不思議に自分も納得する味で、しかもお客様にも非常に喜んでいただける料理に仕上げることができるんです。京都迎賓館の仕事でもそれこそ20か国の賓客が居られればかなりの縛りやお好みが分かれて以前なら相当、頭を悩ませましたが、今は精進料理をベースに考えているので落ち着いて取り組めるようになりました。ある意味、オールマイティな料理、それが精進料理なのだと思います。 精進料理の海外への発信ということについては、最初はとにかく精進料理自体を味わっていただくことを念頭におきます。いきなり禅や典座のお話をしても殆ど伝わらないので(笑)。でも、二度、三度とリピートされる方は、真に興味があることがわかるので、座禅や法話が聞けるお寺さんをご紹介したり、少しずつ、禅への理解を深めていただくようなアプローチをするんです。すると料理自体の味わい方も深まっていくわけです。 ただ、それには最低でも数年以上かかるし、本当にスロースタートで徐々にしか進んでいかないんですよ。我々日本人は、精進の土壌がそもそもあるというか仏教が生活の周辺にあって禅や精進料理の知識も、なんとなく分かっていますが海外の方はゼロからのスタートですから、本当に発信して理解してもらうには、かなりの時間を要しますね。我を捨てつつ、我を生かす。縛りがあるようで無限の広がりが見えてくる。 結局、今の時点で考えられるのは、いろいろなものを削ぎ落としたところに、精進料理本来の姿があるのではないかということです。天ぷらやお揚げさんなどをどんどん取り外して、蕎麦と塩で食べるみたいな(笑)。極限のマイナス志向ですね。 身の丈という言葉がありますが、もともと我々の食も四方四里の手の届く範囲の食材を食べてきたわけです。それ以上、無理もしないし、よそのものを勝手に取ることもなかった。身近で身の丈にあうその土地のものを使って、根っこも葉っぱも余すところなく使って、米ぬかでぬか漬けを作って、大根を干して切り干し大根にして、というように...。そうやって合理的な食の循環を生む暮らしの中で、日本食の文化を作ってきたわけです。 今、政治・経済・文化など全てに閉塞感があるでしょう?一度、発想変えて、四方四里の中だけで生きてみようとか、当たり前を一旦リセットしてみると面白いかもしれませんね。精進は全てに通じるものがあると思うんです。 精進料理の理解は、料理人にとって技術革新に繋がると思います。また、僧侶から料理人へと受け手が変わるので、新しい哲学を生むと思います。 精進料理とはこれだ!というように固定化せず、ロシア、マレーシア、京都、どの国で作るとしても自分の成したい料理を優先するのはなく、我を捨てつつ、我を生かすみたいな、そういう哲学が今、自分にとってとても心地いいんです。このバランス感覚を大切にしていきたいですね。 ピースフルで、新しくて、どんな人が集まってもそこに料理をお出しすることができること。精進料理の強みを持っている、知っていることは自分にとって大きなことだと思います。時代が変わっても、この強みは変わらないと信じています。取材・文/ 郡 麻江■ 木乃婦京都市下京区新町通り仏光寺下ル岩戸山町416075-352-000112:00~14:30(L.O.13:00)、18:00~21:30(L.O.19:00)定休日 水曜
高橋拓児
「木乃婦」3代目主人
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BLOG精進料理知新
2019.07.30
京都の料亭「木乃婦」、高橋拓児の「海を越える精進料理」
料亭「木乃婦」の三代目主人、高橋拓児さんは、2015年より京都料理芽生会創立60周年事業で同会が取り組んだ「精進料理の世界へ」をメンバーともに推進してきました。現在も自身の店で、お客さんの要望に応えるかたちで精進料理に取り組んでいます。高橋さん自身が考える精進料理とは?その進化や精進料理への思いはいかに?というテーマで5回にわたって、語っていただきます。 ※「京都料理芽生会」/日本料理の発展と、伝統と格式のある京都の食文化を次世代へ継承するために1955年に設立。京の料亭の若主人たちが研鑽・研究を行い、様々な挑戦を行っている。SHOUJINから回心へ 私の店でも、精進料理のコースの予約は年々、増えています。厳密な意味での精進料理というよりは、ヴィーガンの方や、ハラル食を希望される方などに精進料理の考え方で対応すると、問題なく、食事を楽しんでいただけるんです。 1日1組は最低、そういったご要望があるものですから、厨房では、前回お話しした独自で引いた濃厚な昆布だしや、卵を抜いた玉味噌のストックは欠かせません。 ただ、今、お話していることは、食材、つまり"かたち"のことだけなんですね。そこに精進料理の精神性までは伝えられていないと思うんです。 野菜だけを使う、肉や魚を使わない。そういう捉え方で、「なんとなくSHOUJIN」という感じは、海外のお客様に伝わっているとは思うのですが...。でもそれは、SUSHIやTEMPURAとして伝わっている日本料理の段階とそう変わりはないのとちがうかなと感じています。 私自身、ここ何年か、精進料理に取り組んできて、やはり、その背景にある禅、仏教のことについて自分自身がよくわかっていないことを痛感していて、少しずつですが、禅や仏教のことを知ろうとしているんです。 仏教に「回心」という言葉がありますが、これは「知」と「情」を掛け合わせたものといわれています。 「知」は主観的なもの。形式を知ってはいるけれど、知っているだけというあくまで主観的なものを指します。 「情」は客観性があるもので、人間の叡智によって論理的にストーリーを描けること指します。 この「回心」の「知」と「情」を料理に生かすことが、精進料理に関わる際に非常に大切なことではないかと、私は考えています。「美味しい」と感じることの、その背景に潜むもの。どういう素材で誰がどう考えて料理したのか。それをどうやって伝えていくのか。ここに「回心」が深く関わっていくはずです。「置き換える」ことの大切さに気づく 「なんとなくSHOUJIN」は、まず、そこかスタートすればいいと思うんです。でも、そのレベルを少しずつ上げていって、最後どこを目指すのか?というと、これはもう典座の境地に至るということなんですね。 作る方だけでなく、食べる人自身が、精進料理を「典座」の気持ちで理解できるようになって、「知」と「情」が掛け合わされるんです。 たとえば、海外の人が、自分の国で真剣に、本格的に湯葉をつくりはじめるような(笑)感じでしょうか。まあ、そういうことが一つでも起こって、はじめて、「SHOUJIN」が「精進料理」として海外に伝わったといえるのではないでしょうか。 では、店で料理をお出しする立場としてはどうか。 一度、召し上がっていただけでは、もちろん、そこまで到達できませんから、リピートしてくれたお客様には、2回目には少し、典座のことをお話ししてみる、3回目になったら禅寺を紹介して座禅を体験してもらい、その上で、精進料理を召し上がっていただく。そんなことをおそらく何十年もかけないと、「伝える」ことは無理でしょうね。もしかしすると我々の次世代でようやく実現するかもしれません。でもね、今、確かに精進料理は、海を超えていきつつありますよ。それは日々、実感しています。どんな人も共に食事を。ピースフルな食、精進料理 こちらが「伝えようとすること」をやめなければ、相手も、何かきっと、ほんの少しの「気づき」や「腑に落ちる」といった体験ができると思うんです。霊的な体験というと驚かれるかもしれませんが、私自身、精進料理に取り組むうちに、ふと「あ、そうだったんや!」という、天啓のような気づきが何度かありました。 困った時にいつもするのが「典座の仕事を自分の仕事に置き換えてみる」ということ。これは日々のくせみたいなものになってしまいました(笑)。 でも、この、いったん「置き換える」という段階を入れることで、八方ふさがりと思っていたのにすっと抜け出せたり、思わぬヒントに出会えたり...。ほんの少しだけ、典座の境地に近づいているのかな。でもそんなことを考えているうちは、あかんのですけどね(笑) 大使館のレセプションで料理をさせていただく時など、いろいろな国の人、いろいろな宗教の人が同じ食卓につくということがあるんですね。以前でしたら、あれもダメ、これもだめ、あちらを立てれば、こちらが立たずで、頭を抱えていたと思うんです(笑)。 でも、精進料理の考え方で取り組むと、これがとてもうまくいくんですね。ムスリムの方もヒンドゥーの方も、ヴィーガンの方も、どんな人がいても共に食事ができる。これって、じつにピースフルですよね。これはほんまに素晴らしいことやと思います。 混沌としたこの時代、グローバリゼーションも行き着くところまでいった感がありますが、精進料理はもしかするとその突破口になるかもしれません。 次回は最終回となりますが、精進料理の可能性についてお話ししたいと思います。取材・文 郡 麻江■ 木乃婦京都市下京区新町通り仏光寺下ル岩戸山町416075-352-000112:00~14:30(L.O.13:00)、18:00~21:30(L.O.19:00)定休日 水曜
高橋拓児
「木乃婦」3代目主人
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BLOG精進料理知新
2019.06.27
京都の料亭「木乃婦」、高橋拓児の「精進料理と技」
料亭「木乃婦」の三代目主人、高橋拓児さんは、2015年より京都料理芽生会創立60周年事業で同会が取り組んだ「精進料理の世界へ」をメンバーともに推進してきました。現在も自身の店で、お客さんの要望に応えるかたちで精進料理に取り組んでいます。高橋さん自身が考える精進料理とは?その進化や精進料理への思いはいかに?というテーマで5回にわたって、語っていただきます。※「京都料理芽生会」/日本料理の発展と、伝統と格式のある京都の食文化を次世代へ継承するために1955年に設立。京の料亭の若主人たちが研鑽・研究を行い、様々な挑戦を行っている。私たちプロの料理人が精進料理に取り組むとき、やはり当然、玄人としての仕事、お寺の典座さんとはちがう仕事をすると思うのです。典座さんはあくまで禅の修行が主眼ですから、私たちとは立ち位置がちがいますよね。 で、私が最初に考えたのは、やはり味のことです。玄人が作るだけの味、おいしさを忘れてはあかんのとちがうかなと思ったわけです。 そのキーワードはやはり「旨味」なんです。和食の基本のキは、鰹と昆布のおだしですよね。その両輪があって初めて、和食独自のあの「旨味」が生まれるんです。でも精進料理ではその片方の輪の鰹が使えないんですよ(笑)。最初の頃は、大豆を燻製させたとか、旨味を引き出すには?と随分、悩みましたね。いろいろなことを試行錯誤したのですが、昆布だしの引き方を工夫することで、しっかりとした旨味を引き出す方法に落ちつくことができました。 普通、昆布だしは65度の温度帯で引くのが一般的なんです。でもそれを58度まで下げると、甘みが出てくるんです。甘みは旨味っていいますよね。 58度のお湯でおよそ1時間半ぐらいかな。ぬめりが出て、多粘糖類が出やすくなって甘みがより引き出せるんです。 粘りが出るということは味わい、旨味の余韻が長くなるんです。口の中で旨味と甘みの余韻が程よく続いて、それによって鰹でしか出せない旨味をうまく違う美味しさに変換できるようになったんです。 あとは小芋を炊くときには大豆の香味を少し加えるとか、青ものを炊くときやったら、青ものの食べられないところを乾燥させたものを、炊き上がりのときにちょっと入れるとかね。大根の葉っぱを乾燥させたものを風味付けに使ったりするんです。なんのためにそういう手間をかけるのか?というと、私が一番意識したのは「風味の強化」なんです。香りと味わいの強化。本来のおいしさを引き出しつつ、風味の強化をすることで、昆布だしのみで調理する単調さをカバーしようと考えたんです。 精進料理のご注文をあえて私らたち料理人に頼んでくれはる、じゃあ、そこで玄人のスキルをどう生かせるか?ということなんです。私たちはお寺さんと比べると料理の技術力は格段に高いです。何故ならそれしか日頃やってませんから。笑 実際、それ以外はからっきしダメで偏った人間す。ですから、私たちにしかできない技術を全面に出すことに重きをおいてます。 その一つが包丁のキレです。たとえば、かぶらを炊くときに、かぶらの断面が全面がぴかぴかになるように私たちは切れるんですね。面取りの技術ですよね。 そういうふうに切ったものを大根の含め煮なんかにしますと、味がよく染みて、柔らかくて、そして食感がものすごくいいんですよ。最後の最後にね、食感ってやっぱり大切な要素なんです。 それから見た目。面取りしてスカッと切られたかぶらがね、いい感じで炊かれて、塗りの器にピシッと盛り付けられている。もう、ほんまに綺麗やと思います。おいしさと見た目のすっきりとした美しさ、風味、食べやすさ、食感、そして余韻。私たち料理人にとって、精進料理と一般のお料理の技術についてはそんなに違いはないと思います。しかし、何のために生きるのか、何故食べなくてはいけないのかということを頭に入れながら料理を作るときは、確実に料理人は素人になり、お寺さんが玄人になります。この素人と玄人を同時に兼ね備えることが大変重要だと思います。 次回は精進料理の発信、とくに海外へどう発信していくのか?その辺りをもう少し詳しく、お話したいと思います。 ■ 木乃婦京都市下京区新町通り仏光寺下ル岩戸山町416075-352-000112:00~14:30(L.O.13:00)、18:00~21:30(L.O.19:00)定休日 水曜
高橋拓児
「木乃婦」3代目主人
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BLOG精進料理知新
2019.05.28
京都の料亭「木乃婦」、高橋拓児の精進料理への思いvol2
※「京都料理芽生会」/日本料理の発展と、伝統と格式のある京都の食文化を次世代へ継承するために1955年に設立。京の料亭の若主人たちが研鑽・研究を行い、様々な挑戦を行っている。 食材に深く向き合う姿勢。食材への洞察を深めていく。 「京都料理芽生会」で精進料理に取り組むようになってから、うちの店にも精進料理でコースをいただきたいというご要望や、お寺さんからのご注文が増えてきました。これはとてもありがたいことやと思います。 お寺さんの場合は、例えば新しい管長が就任される晋山式など、「ハレ」の日のご注文も多いですね。 まず、通常のご予約と同じように、先様のご要望をよく聞きます。目的やご予算、ご希望、お好みなどをよくお聞きして献立を考えていきます。 でも、前回もお話ししましたが、精進料理の場合は、ここからが通常の店の仕事を少しちがってくるんです。そのあたりをもう少し詳しくご説明したいと思います。たとえば大根一つ目の前にして、その背景をじっくり考えるようになりました。この大根はどんな畑で育ってきたんだろう、とか、農家さんの作り手のこだわりというよりも、その大根そのものが自然の中でどういう育ちをしてきたのか、とかね。以前はそんなことは考えもしなかったことです(笑)。 実態にとらわれず洞察するというか、その素材をどうすれば活かしきれるのかを考える癖が身についてしまったというか、でもそういう姿勢で食材に接するといままで見えてこなかったものが見えてきます。 たとえば、以前なら形や色が悪い、とか、虫食いがあるとか、そういうところは最初に排除していたわけですが、逆に虫に食われたらそれだけ健やかなんやなとか、虫もおいしいと思うねんなとか(笑)、土が硬いところで育ったから繊維質が強いんやろうなとか、見方を変えれば、本当に食材って面白いし、より深く付き合っていきたいと思いようになりました。 精進料理の場合は、虫食いのところも全てを活かしきることが基本ですから、そういうところも取り入れて、どう美味しく料理しようか、という新たな課題にぶつかるわけです。そこからの新たな工夫から、新しい素材の組み合わせや料理法なども生まれてくることがあるんですね。 食材を目の前にしてあれこれ考えるうちに、よく頑張ってここまで育ってきてくれたなあと、目の前の食材に感謝する気持ちが以前よりずっと強くなってきたと思います。神式の考えから仏式の考えへ。大きな転換を迎えて料理をしていると、どこどこ産の魚がいいとか、どこどこ産の葉物がいいとか、よう言いますよね。これって、僕は神式の考え方じゃないかなあと思うんです。神様に捧げる供物を四方八方走り回って集める、それが「馳走」であり、僕ら料理人は、より良いものを選んで持ってきて、より美味しく仕上げるという、まさに神道の考え方に則って料理をしてきたと思うんです。それはプロとしてもちろん大切なことですし、お客様に対するその気持ちは変わりません。 でも食材という実態を前にして、以前は自分がその対象物についてどう工夫して料理をするかで終始していたのですが、今は食材自身がどういう風な所で生まれてきてとか、何を訴えたいのかとか、今、対峙している"相手"について、より深く考えることができるようになってきたんですね。 神道の「馳走」という考え方に対して、仏式っていうのは、もの、たとえば食材についてそもそも順位もないし、優劣もないんです。 それぞれにそれぞれの生命みたいなものがあるので、それ自体をどのように活かすかを根本的に考えるんです。 食材の本質を明らかにする、といえばいいのかな。それを続けていくと、どんどんどんどんディープな深みにはまっていくんですけど(笑)、そこが、精進料理は永遠に進化するみたいなところではないかと思うんです。 ここにその食材を使う意味とは?典座の仕事に思いを馳せるこうして食材としっかり向き合った後、今度は献立を決めるのですが、ここがまたかなり難しいんです(笑)。たとえば、豆乳で湯葉を作るにしても、その湯葉やからこそ使いたいという意味を見つけないといけないんです。どうして今、ここに、その半生の柔らかい湯葉を使う必要性があるのか?みたいな、まさに禅問答ですよね。 でもそこまで考えて作るからこそ、湯葉がきちんと生かされるように僕は感じています。その食材の存在を、命を、僕の料理によってくっきりと浮き出させるようなイメージがあるんです。これはなかなか責任重大ですよね。 こんな考えは、以前なら本当にしていなかったし、まず知らなかったわけです。無知の知いうんですかね。知らんかった世界があったんやなあというのが実感です。精進料理に取り組むようになって、そういう気づきがあったことが僕にとっても非常に大きなことでした。 食材の背景や、調理に使う意味合いやら、もちろん味のことも考えながら献立を決めていくので、以前ならば、今の季節とか、旬とか、見立てや色彩とか、経験値からパッと決めていたことが、かなり長い時間を要するようになりましたね。でもそれは決して、面倒ではないんです。うまくそこに食材を用いて、使い切ることができるとやはり嬉しいですよね。 かっこよくいえば、精進料理って、自分自身の精神的な成長に比例して、料理の完成度も高まっていくように思います。僕自身、悪戦苦闘を続けながら、典座の修行にほんの少しでも近づけられたらと思います。 ようやく献立が決まって、いよいよ料理に入っていくのですが、精進料理は、魚肉を一切使わず、匂いの強い素材も避けて、野菜や穀類、豆類、海藻などを主体に料理を作ります。調理法としては生、煮る、焼く、蒸す、揚げるという「五法(ごほう)」を用い、そして、苦味(くみ)、酸味、甘味、辛味、鹹味(かんみ)、淡味の「六味(ろくみ」を心がけて料理に向き合います。 日本料理の生命線とも言える、だしの問題もあります。そのあたりの実際の料理法につきましては第三回でお話ししたいと思います。取材・文/ 郡 麻江■ 木乃婦京都市下京区新町通り仏光寺下ル岩戸山町416075-352-000112:00~14:30(L.O.13:00)、18:00~21:30(L.O.19:00)定休日 水曜
高橋拓児
「木乃婦」3代目主人
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BLOG精進料理知新
2019.04.23
京都の料亭「木乃婦」、高橋拓児の精進料理への思いvol1
料亭「木乃婦」の三代目主人、高橋拓児さんは、2015年より京都料理芽生会創立60周年事業で同会が取り組んだ「精進料理の世界へ」をメンバーともに推進してきました。現在も自身の店で、お客さんの要望に応えるかたちで精進料理に取り組んでいます。高橋さん自身が考える精進料理とは?その進化や精進料理への思いはいかに?というテーマで5回にわたって、語っていただきます。※「京都料理芽生会」/日本料理の発展と、伝統と格式のある京都の食文化を次世代へ継承するために1955年に設立。京の料亭の若主人たちが研鑽・研究を行い、様々な挑戦を行っている。 そもそも精進料理とは? まず、精進料理とはどんな料理なのか、基本的な決まりごとからお話しましょう。「精進」とは悟りを得るための仏道の修行のことを指します。その修行の中に食事も含まれるます。食事と作ることも、また、食べることも修行となるわけです。 作る際の決まりごとは非常に厳格で、不殺生戒の教えによって肉類、魚介類は一切使いません。また「葷」と呼ばれるニラ、にんにく、ねぎなど匂いの強い食材も避けるよういします。基本的に、野菜、豆、穀物を使って料理を作ります。この教えは鎌倉時代に曹洞宗の開祖である道元禅師が、南宋に留学した時に「食も大切な修行である」ことを悟り、料理をする者の規範となる「典座教訓」(てんぞきょうくん)と食べる側の心得を説いた「赴粥飯法」(ふしゃくはんぽう)を著したことがもとになっています。 典座というのは寺の中で料理を担当する僧のことで。典座は食材の命の尊さを常に念頭におき、無駄を出さず、根や皮なども使い切るようにします。「五法」と「六味」を基本に、ひたすら料理に打ち込みます。 「五法」と「六味」については、次回、お話したいと思いますが、振り返れば、私が4〜5年前に精進料理に取り組み始め時、今、お話したような精進料理の概要というか、アウトラインだけを意識して、料理をしていたんやなあとつくづく思います。要するに、自分自身の心構えとか考え方が浅はかやったなあと...(笑)。"魚を使わなければいいんだな"とか、"匂いの強いものは避ければいいんだな"とか、要するに心は置き去りで、どちらかというとルールに則ってその料理をおいしくすることにのみに集中して、そこに何の疑念も抱かずに料理を作り始めていたんですね。自分の精神の部分が全くついていっていなかったと思います。習気(じっけ)によって体得する、典座の心構え 「京都料理芽生会」の精進料理がきっかけになったと思いますが、4年ほど前からうちの店にもお寺さんとか精進料理に興味を持つ方、そしてベジタリアンの方などから、精進料理のご要望が増えてきました。それで自分なりに一生懸命考えて、自分なりの精進料理をお出しするようになりました。 お寺さんの大切な行事の時にもお料理をさせていただくんですが、「こんなん精進料理とちがうよ」とお叱りを受けたり、反対に「この食材の組み合わせは面白いなあ」とお褒めを受けたり、自分もなんで叱られたんか、なんで褒められたんか、わからないんですよ(笑)。その度に考えて、悩んで、また料理を作るというのを繰り返してきました。 そうする中で、だんだんと、本当に少しずつですが、精進料理の根本というのは、食材や調理法のルールを守ればいいというものでは全くなく、作り手がまさに典座と同じ心持ち、心構えで取り組まなあかんのやということが、おぼろげにわかってきました。「習気」=じっけという言葉が禅の言葉があるんですけど、わかりやすくいうと、"気づき"だと思うんです。習いながら、日々、実践しながら学んで、そうして気持ちがだんだんと入っていく。その繰り返しの中で、わかってくるもの、気づくものがあるんだろうなと...。 でも、やっぱり料理屋ですからね、美味しくしたいとか、美しく見せたいとかいう気持ちが働くんです。それは料理のプロとして当たり前なんですが、それって精進の世界からしたら「俗」なことであり、浄らかでなくなってしまうんです。 料理のプロとしての自我をぐっと抑える修養の場 料理にも色味ってありますでしょう?精進料理の場合は、まず基本が土の色なんです。黒、茶色、白がまずあって、そこにほんの少しの常若の緑と、浄土の蓮を表す赤とを、上手に組み合わせて、派手すぎず、色を抑えてバランスよく仕立てていくんです。要はお浄土の世界を料理で表現するわけですね。 色を抑えるのには理由があって、お寺の本堂で一番中心となるのは、みほとけです。金色に輝く仏さまが中心で、周りのものはそれを引き立てるための色彩であるべきなんです。精進料理もそれは同じです。 お弁当一つとっても花見弁当とか、紅葉弁当とかあるけど、精進の場合はぐっと抑えた感じにせなあかんわけです。 ここにこの色味を加えたら、雅びで綺麗になるなあと思った瞬間、その思いをね、ぐっとこう地を這うように抑えるわけです。心を制御しなあかんのです。私らにしたら、もうその心を抑えること自体が修行みたいなものになるわけです。 綺麗に見せたいという気持ち自体が自我であり、自我を抑えて料理をするというのは、最初は苦しいものがあったんですが、だんだんと、先ほどの習気(じっけ)というか、腑に落ちることが増えてきました。それが何なのか?というのを、具体的にこれ!と指し示すのは難しいですが、一つ言えるとすれば、素材をじっと見つめて、その背景に思いを寄せて、それ素材の本質を明らかにしていく姿勢が自分の中にできてきたように感じます。外に向かって明らかにするのではなく、むしろ自分の心の中で明らかにして、得心してから料理に臨む、そんな感覚が深まっていくように思います。気持ちから入っていく。それが第一歩 精進料理は、作り手の成長と料理の完成度というのが、比例して良くなっていくものなんだと思います。 いつ、どこで、どなたのためにどんな料理をお出しするのか、どういう目的で、どういう環境でいただく料理なのか。そういうことを、素材を目の前にした瞬間から、ずーっと考えて、考えて、深めていくんです。しかもそこに正解というものはない。ほんまに気の遠くなるような世界です。 精進料理を極めるには、一夕一朝では絶対に無理だし、まさに習気の領域で一つずつの積み重ねの中から培っていくしかない。知識も技術も工夫も必要ですが、技を磨いたり、決まりごとを守るとかの前に、まず気持ちをきちんと入れていくこと、そこが肝要だと思います。「典座教訓」が示すように、料理すること自体が修行ということを日々、体感するほかに道はないんでしょう。 私も、その道の端っこがほんの少しだけ見えてきたところに立っているだけで、何かがわかった訳では全くないんですけど(笑)。 でも、追い込まれた状況で必死に考えるうちに、常に深く考える癖だけはついてきたようには思います。昨日考えたことよりも、今日考えたことの方がより深まっていく。それでこそ、今日一日を生きた意味があるんじゃないでしょうか。 今回のお話は、精進料理を料理する側の気持ちのありように終始しましたが、まずそこがスタートやと思っています。第二回では、そのあたりをもう少し具体的な内容で、実際の調理法などを交えて、お話したいと思います。■ 木乃婦京都市下京区新町通り仏光寺下ル岩戸山町416075-352-000112:00~14:30(L.O.13:00)、18:00~21:30(L.O.19:00)定休日 水曜
高橋拓児
「木乃婦」3代目主人
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