BLOGうつわ知新2020.09.30

備前焼

「うつわ知新」の配信は、9月から2年目に入ります。今年は、季節ではなく備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介し、梶高明さんにそれぞれを解説いただきます。 また、せっかくの美しい器ですから、京都の著名料理人に、それぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん器との相性やデザインなどについてお話しいただきます。 1回目は備前焼についてのレクチャー、2回目は「洋食おがた」の緒方博行シェフに料理とのコラボレーションに挑戦していただき、ご紹介します。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

備前焼

備前の焼き物について語る前に、この備前と言う名前がどこから来たのかということについてお話をしなければなりません

備前はご存知のように備中・備後、つまり備に対して全中後という言葉が加わったものです。備州あるいは吉備国と呼ばれた名が基になっていることを知っておく必要があります。

この吉備国はたいそう繁栄した地域で文化度も高かったようです。
良質な砂鉄を産し、それを加工するための燃料である赤松にも恵まれた地域であり、なおかつ瀬戸内を通じて全国に届ける海運が発達していました。

鉄器文化が他の地方より随分と進んでいたことにより、火を扱って加工する設備や窯などの知識にもたけていたことから、備前焼が誕生する前の寒風焼と呼ばれる白い陶器(須恵器)が作られ、平安時代の都の貴族達にももてはやされていました。

もともと備前周辺は、鉄器つまり刀剣類と白い須恵器の生産地として、ともに平安の頃に大変栄えた2大産業の地域であったということです。

備前焼は、日本の六古窯の一つに数えられます。
六古窯というのは、平安時代に端を発する古い陶器の産地を指します。
備前を筆頭に、丹波 信楽 伊賀 越前 常滑 瀬戸 があります。

瀬戸を除いたすべての窯は、焼き締めと呼ばれる釉薬を使わない陶磁器を生産しておりましたが、その中でも特に多くの作品が残されていて、現在も盛んな窯は備前ではないでしょうか。

備前焼は、伊部という地域で作られていたので伊部焼と呼ばれていたようで、それが長い年月の間に備前という名前に変わってしまい、現在では、備前焼がこの地域の焼き物の総称となりました。その中でも、 鉄分を多く含む泥を塗って焼いたスタイルを伊部と呼んで区別するようになっています。

古美術を扱っていますといろいろ分かるのですが、古い時代の備前焼で見受けられるのは、甕、種壷、陶板、すり鉢といった鑑賞を目的としていない雑器のようなものが多数でした。
それが桃山期の茶の湯の流行とともに花生、茶入、建水、灰器、水指、手鉢など多くの茶道具を生産するようになります。
その茶道具のほとんどが泥によって化粧された伊部の手であることが大変興味深いことです。

古い時代に作られた備前焼きを数々見てまいりましたが、どういうわけか直接口に触れる茶盌や口のそばでつかわれる向付はほぼ存在しません。
それは備前焼に限らず、 六古窯のうちの瀬戸を除く五つの焼締の窯のどの焼き物ついても言えることであります。土を成形して焼いてみただけの焼き締めは、本来、下手で不潔なものという風に考えられていたのでしょう。

この伊部という鉄分を多く含んだ泥を塗ってまるで釉薬をかけたがごとくに化粧をする方法で茶道具が生み出されていたことを考察すると化粧を施すことで釉薬をかけたようにみせかける目的があったのであろうと思われます。

料理店で備前にかかわらず、焼き締めの器を使う時はたっぷりと水にさらして濡らした状態で使うということがお約束です。
濡らす理由は、料理から出る水分をうつわが吸収し料理の臭いや出汁の色を付着させないように、先にたっぷりと水を吸わせておこうとするからだと料理人たちの間では伝えられていますが、私はそれを違っていると思います。
土を焼き固めただけの下手なうつわは、使用前に清める必要があり、お客様に強くアピールする必要があったのだと思います
そしてこの備前は特に濡らしてやると乾燥したように見えていた肌がしっとりと濡れて、僅かに赤みを差した肌も鮮やかな赤や青が浮かび素晴らしく美しくなります。
さらに、予期しなかった結果として料理の水分や臭いや、汚れを付着させないという結果が後で分かったというのが本当のところではないでしょうか。

備前は、伊部という手の他にも、焼きあがった景色によっていくつかに分類されます。
最上のものは灰が被って、それが焼き物の表面に付着し、さらに高温でその灰が溶けて黄色いゴマを振ったかのような景色、あるいはそれが大量にかかって溶け流れた景色を生み出す「ごまだれ」です。

窯の中で炎が強く当たる部分、少し影になった部分、つまり炎の通り道によって生じる温度差が表面に異なる発色をもたらす窯変、降り積もった灰や燃えカスが器の側面、あるいは全体を覆い隠してくすぶって焼きあがった灰色あるいは青色にも近い景色を棧切と言います。

窯の中で意図的に品物を積み重ねて起こった景色を「ぼたもち」と言います。
窯に火を入れる前に焼物に巻き付けた藁などによって表面を赤く筋模様の変化を生み出す火襷など様々な種類が存在します。

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この水指は、円筒形に轆轤で引き上げ、口の部分を内側に折り返した「矢筈(やはず)」と言われる形で、桃山時代の古備前の茶道具では定番の、化粧土を塗った伊部手で作られています。

大きな垂れ耳をくっつけて形を歪ませ、その上にヘラ目を引っ掻いたような縦筋が入り、腰分にも線を一周回すことで、強い作為が表現されています。轆轤目の上に軽く飛んだゴマの、黄色い自然釉も、そこに更なる味わいを与えています。

利休好みの静かさとは異なる積極的な造形に、織部好みの時代の反映が感じられます。

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続いてご紹介するのは、牡丹餅と呼ばれる景色が現れているまな板皿です。牡丹餅というのは、窯の中で焼く際に、板の上に他の作品を乗せて焼成したことで現れる景色ですが、このまな板は本来うつわとして作られたものではなく、作品を乗せるための窯道具だったようです。

そのせいか、裏面にも下敷き板として使われた際にできたと思われる景色が残っています。

たっぷりと濡らして使うことが、焼き締めのうつわのお約束ですが、備前は濡らすことで生まれ変わりをように赤が浮き立ち、表面に光を遊ばせるように反射して、カサついた表情が生まれ変わったようになります。

幾度も焼成され歪みや窯切れが出来ていますが、そこがさらに見どころにもなってる、面白いうつわです。

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写真左の花生は、赤く襷(たすき)掛けをしたように見えることから、緋襷と呼ばれています。

緋襷というのは、作品を焼く際、意図的に窯の中で灰を被らないように鞘(さや)と呼ばれる陶器の容器に入れて作られます。その際、巻き付けられた藁紐(わらひも)が一緒に焼けて、藁に含まれるカリウムと素地の鉄分とが反応して発色すると言われています。この藁紐は、窯の中で横に並べる作品同士が触れ合わないように巻いたとも、窯場までの運搬に用いたとも言われています。いまではガスや電気の窯で焼かれることも多いと聞きます。

写真右側のつる首は、江戸の前期に作られ、献上徳利と呼ばれています。

瀬戸内の海運の要の地であった鞆の浦の辺りで、現在でも保命酒と呼ばれるお酒が作られていますが、そのお酒を献上する際に使われたものだと言われています。

これも伊部手の作品となっています。身分の高い人への献上品ですから、釉薬をかけたような風情に見せたかったのでしょうね。

薄く轆轤引きされた端正な姿は、存在感ある荒々しい桃山期の古備前から、時代に求められるセンスが変わって来た証にも思えます。

写真中央は瓢箪型をした耳付きの水指です。古い時代に作られた茶道具の大半は伊部手だったということから考えれば、伊部手と異なるこの作品は、少し時代の下がった生まれだと思われます。それを裏付けるかのように、特徴ある形をしていながらも、備前特有の力強さや荒々しい表現が弱くなっているように感じられます。

全体的に青、あるいは灰色っぽく見えるのは、窯に投入された薪の燃えカスや、降り積もった灰に全体が埋もれてしまい、くすぶった状態で焼き上がったからだ考えられます。

この景色は棧切りと呼ばれています。

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写真中央と左の作品は、北大路魯山人の手によるものです。どちらも一品物なので、数物の皿ではなく、「鉢」と箱に記されています。

魯山人の作品は作為に溢れていて、古備前とは異なり一筋縄では理解できないこともよくあります。

左の円形の鉢は表面に灰が軽く被った景色をしていますが、裏面は塗り土を施した光沢がある伊部手になっています。

中央の角鉢は伊部手でありながら、その上に灰が被るように焼かれており、それが上手く溶けて「ゴマ」と呼ばれる景色を見せています。ところがこのゴマの景色は裏面にも出ているので、恐らく両面に灰が被るように、窯の中で立てて焼かれたのではないかと想像されます。その証拠に四方の一辺がややひしゃげたように変形しています。

写真右側の皿は現代作家の澁田寿昭氏の手によるものです。この作品は平皿の上に、何か別のものを伏せて焼くことで牡丹餅の景色を表現していますが、それだけに留まらず伏せた物の中に藁を入れて緋襷模様も浮かび上がらせています。

複数の土の配合によって生み出された、やや乾燥したような地肌に、かすかに灰がかぶったのか周辺には艶が見られます。うつわを濡らすと、乾燥気味の肌があずき色につやつやと輝き、やや中央をずらして浮き出てた牡丹餅の景色がなんともいえない魅力を振りまいています。

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このうつわは、本来茶席の炉の中を整えるために灰を盛っておく灰器、または焙烙(ほうろく)と呼ばれる道具です。

灰器に食べ物を盛るなど言語道断とおっしゃる方もお見えになるかもしれませんが、古い時代の灰器は素晴らしい味わいを持っているものが多いのです。

そのため、こうしてうつわに転用されたものも少なくありません。

手前の口縁に近い部分は、少し轆轤が乱れたような表情が見え、さらにその部分に窯の中で灰が被って、景色に変化が出るように計算されていたのでしょう。見事に激しい景色に焼きあがっています。これもやはり茶道具ですから、お約束通りの伊部の手です。

ちなみにお料理は、私が世界一美味しいと思う洋食おがたのハヤシライスです。

大好物なので忖度をしてくれたのでしょう、シェフがうつわに盛ってくださいました。笑

文章と写真によって、すべてのうつわの表情を説明しつくすことは叶いませんが炎の芸術として、あたかも偶然が生み出したかのようにみえる多くの景色は長い年月の陶芸家の経験や巧みな作戦によって表現されているということをこれをきっかけに読み解き食事と共にたのしんでいただく一路をしていただければ幸いです。

皆様にその味わい深さをご説明することは、とてもとてもかないませんが、すべての古い陶器、そして現在も焼き続けられている様々な手法によって色んな工夫をされている。

そのことを器の中から読み取ることができます。

備前焼は歴史の長い 途中で途絶えることなく続けられた焼き物であるだけに見どころもたくさんあります。

ぜひ備前焼をもう一度見直し あるいは現地に出かけて。

深く鑑賞していただきたいものだと思います。

※備前2回目では、上記の器から2点に実際に緒方シェフに料理を盛っていただきご紹介します。