BLOGうつわ知新2020.02.28

三月雛祭り

うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。新しく始まるこのコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄についてなどを、「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

三月雛祭り

 三月と言えば雛祭りを思い浮かべます。平安の頃、「雛(ひな)」は「ひひな」「ひいな」と言われ、小さいものを指す言葉だったようです。今でも「ヒナ」と言えば、「ヒヨコ」など、誕生間もない小鳥を指しますが、そのことから、小さな人形などで遊ぶ「おままごと」を「ひいなあそび」と呼んでいたようです。

 やがて江戸時代になり、3月の初めの巳(み)の日に、人々が水辺に出て、祓(はらえ)や禊(みそぎ)行う習慣が行事として根付くようになり、この日を「上巳(じょうし)」の節句と呼ぶようになります。それが3月3日に固定され、婦女子の祝いの日として、「ひいなあそび」から「雛祭り」へと季節を彩る催事へと変わっていったと考えられます。

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布志名焼 黄釉菱皿

 華やかな黄色の器は「布志名焼 黄釉菱皿」です。布志名焼は18世紀後半に興りました。茶人としてよく知られる松平不昧公の指導のもとで、ここ布志名では茶道具などの製作が盛んに行われ、やがて日常使いの民芸風のやきものの製作へとその方向を変えて、今日に至っています。

 この菱形の皿は布志名焼の特徴的な黄釉(黄色い釉薬)をかけて焼かれています。懐石の向付のように茶人好みの薄造りで品よく、現在の布志名焼のように耐久実用性に重きを置いた民芸調の作風とは異なる雅味のある出来栄えです。

 菱型は植物の菱に由来し、その繁殖力の強さから「子孫繁栄」を意味するものとされ、ひな人形に菱餅を供えることからも、3月に好んで使われる形です。

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九代 樂了入 作 桃香合

 また、上巳(じょうし)の節句」は「雛祭り」のことであり、さらに桃の花が咲く時期に当たることから「桃の節句」とも呼ばれます。桃は長寿のシンボルですから、貝形だけでなく、桃形の器や香合なども用いると楽しいでしょう。ころんと丸みをおびて艶やかな深い緑釉の香合は、九代 了入の作品で、この季節にふさわしい香合です。

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十一代 樂慶入作 簾貝向付

 雛道具の「貝合わせ」には、蛤が材料に用いられています。蛤はもともと一対だったもの同士でしか組み合わせることができない特性を持っているからです。このことは「貞節」や「男女和合」のシンボルとしても好まれるようになります。雛祭りの料理として、蛤のお椀をいただくようにもなりました。

 やがて蛤だけでなく、写真の簾貝(すだれがい)や唄貝(ばいがい)、栄螺(さざえ)など他の貝形の向付も用いるようになっていきます。

 中には蛤の形にしただけでなく、サイズも小さく作られているうつわがあります。これはサイズを小さくして「ひいなあそび」らしく、お料理も小さな盛り付けにして、「おままごと」としての遊び心を際立たせる趣向なのです。

 ここで樂家歴代の器をご紹介いたします。樂家は千利休の求めで樂茶碗をつくって以来、現在に至るまで千家とは強い縁で結ばれている「ちゃわん師」の家柄です。

 今回は、江戸後期の樂家 九代了入(りょうにゅう)、十代旦入(たんにゅう)、そして明治の十一代慶入(けいにゅう)の作品を紹介させていただきましょう。「ちゃわん師」でありながら、樂家は、どうして向付などのうつわをつくったのでしょう。九代以前の樂家でも、茶碗だけでなく、うつわもつくっていましたが、その量は多くありませんでした。ところが九代了入の時代、つまり江戸後期以降から、昭和年間の十四代覚入(かくにゅう)に至るまでは、盛んにうつわも手掛けています。

 樂家以外に目を向けてみると、やはり九州の伊万里でも、明らかに江戸後期から大量生産化が進んでいます。これは庶民文化に花が開き、食文化を楽しむ豊かな人々が武士階級以外の中にも生まれてきた証だといえるでしょう。

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九代 樂了入作 蛤向付(左)と十代 樂旦入作 螺皿(右)

 樂家も茶碗以外の需要に応えることで、由緒ある「ちゃわん師」の家柄を途絶えさせることなく、繋いできたのです。幕府が倒れ、武家社会が終焉を迎えても、西洋文化が押し寄せて日本の伝統産業が忘れられそうになっても、また戦争によって人心が乱れ、戦禍に日本が沈んでも、樂家はこのように粛々と器をつくり、波乱の時代を乗り切ってきたのです。

 こんな風に器を眺めてみれば、器を通して日本の時代の流れ、文化の移ろいを感じ取ることができるように思いませんか。まさに器は日本の歴史文化そのものなのです。

 春を身近に感じるこの季節、雛祭りにふさわしい樂家の作品を愛でながら、伝統を守り繋いでいくということ、その大変さと大切さ、伝統を真摯に受け継いでいく代々の姿勢に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

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■ 梶古美術

京都市東山区新門前通東大路西入梅本町260
075-561-4114
営10時~18時
年中無休(年末年始を除く)