「旨い店は料理人に聞け!」京都を代表する料理人がオフの日に通う店、心から薦めたいと思う店を紹介する【料理人がオフに通う店】。今回は「すし甚」の店主、西川政明さんが通う「乃り英」です。
「すし甚」西川政明さん
16歳からこの道に入って50年以上。昭和56年に「すし甚」をオープンした西川さん。お店があるのは、銀閣寺道バス停から徒歩すぐの場所。ジャズの流れる店内で、価格以上においしい寿司づくりを続けている。
「街から少し離れた場所で、静かに食事ができます」と、西川さんが教えてくれたのは一乗寺にある「乃り英」。正統派の日本料理が楽しめる割烹だ。
白川通りから曼殊院道を少し東に、庭園の美しさで知られる詩仙堂からもすぐの閑静な地にある。
店主の福原英人さんがこの店をオープンしたのは2011年3月。当初は一本南側に店を構えていたが、5年前に現在の場所に移転した。
檜の一枚板を用いたカウンター8席と、手入れの行き届いた庭に面した掘りごたつ式の座敷が1室。20名まで利用できる大部屋もあり、落ち着いた空間で料理を味わえる。
「ここは湯豆腐屋さんやったんです。お客さんに入っていただくスペースは住居として使われていたところ。家で食事をするような感覚で料理を楽しんでいただきたいと思い、建物の構造も生かして靴を脱いで上がっていただくスタイルにしました」と話すのは、朗らかな女将・美和さん。
「前の店では靴を履いたままテーブルに座っていただきましたが、それやとこのあたりは寒いから足元が冷えるんです」。もっとくつろいでもらえる空間にしたいと「次は必ず床暖房を」と決めていた。
熊本出身の福原さんは、16才で大阪に出て料理の世界に飛び込んだ。4年後に京都へ移り、今はなき祇園の名店「割烹乃り泉」へ。正統派日本料理店として知られたこの店が閉店するまで6年間、店主の髙乗英樹さんの元で経験を積んだ。その後、知る人ぞ知る名古屋の「加瀬」をはじめ、数々の日本料理店で腕を磨いた。
「将来は熊本に帰って料理屋を開こうと思っていました」という福原さんに、「わたしの京都パワーが勝ったんやね」と冗談交じりに返す美和さん。
美和さんは、「乃り泉」のご主人・髙乗さんの姪にあたり、そんな縁もあって「乃り泉」時代からの馴染み客が多く訪れる。
座敷の床の間に飾られた掛け軸は、髙乗さんと親交あった書家・吉川蕉仙さんによるもの。カウンターの目の前に掲げられた墨書「大愚者終身不霊」も吉川さんの作品だ。
乃り泉を贔屓にしていたという俳優・森繁久彌さんの書も飾られている。
すし甚の西川さんとも、「乃り泉」時代からの付き合い。その関係はもう30年以上になるという。
「叔父もすし甚さんにはよくお邪魔していて、わたしもたまに連れて行ってもらったんです。叔父が入院していた頃は外出許可が出た日に伺いました。うちの子どもも大好きで、今でもよく家族で寄せてもらいます」(美和さん)
「乃り英さんへは季節の変わり目ごとにお邪魔して、その時々の旬の魚を楽しみます」という西川さん。開店して間もない頃に訪れ、それから10年近く通い続けているそうだ。
年間を通してさまざまなネタを揃える寿司屋と、季節ごとの食材だけをピンポイントで扱う割烹。お互いの料理を味わい手本にすることも多い。
今回お店に伺ったのは8月はじめ。「鱧」の季節だ。
「鱧といえば夏のイメージですが、秋までおいしく食べられるんです。梅雨の雨水を吸って旨みを増すといい、時期によって脂の乗りが変わります。それに合わせて、はじめはお椀、その後に落とし、鱧寿司、焼き霜、鱧しゃぶというように、食べ方も変えてお出しします」
今この時の鱧料理を楽しめるのだ。これから迎える秋は、鰆や甘鯛、穴子、のどぐろがおいしくなるという。
手間を惜しまず丁寧に仕上げられた料理は、いずれも正統派。料理人仲間には「まだそこまで手をかけているのか」と、驚かれることもある。
胡麻豆腐は、とろ火にかけて1時間練りあげる。手を休めずに混ぜ続けることで、強い粘りをだすことができるのだ。アワビを添えて秋のはじめの先付にする。
器使いや盛り付けで、客の目を楽しませることも忘れない。鈴虫の声が聞こえる頃には、虫籠をイメージした八寸を。虫籠を開けると、鮎の風干しにトコブシ、白だつ(白ずいき)の胡麻和え、鱧の肝の煮こごりなどが現れる。
「この銀椀は吉兆の創業者・湯木貞一さんが考案してつくられたお椀で、銀を混ぜた漆が施されています」という福原さん。聞けば、50客ほどしかない稀少なものだという。深みのある銀砂色の蓋を開けると、松茸の香りが立ち上がる。小豆を萩の花、銀杏を葉に見立てた秋のひとときだけの楽しみだ。
本枯節と利尻昆布の一番だしを、毎日汲む北白川の地下水でとる。比叡山の山肌から湧き出る水は、ミネラル分が豊富で、口当たりはマイルド。
「松茸は産地の篠山まで、直接わけてもらいに行きます」という福原さん。春の筍は大枝塚原、初夏のとり貝は宮津、冬のぼたん(猪肉)は丹波と自ら産地を訪れ、目で確かめ食材を仕入れる。
基本はおまかせコース(8,000円〜)だが、好みや予算に応じて料理の相談にも乗ってくれる。
「蟹は京丹後の間人(たいざ)産だとやっぱり値が張ります。事前にお客さんとお話しさせてもらい、予算に応じで産地やお料理も変えます」と美和さん。
1組1組に応じた料理ができるのは、完全予約制だから。昼は2日前までに予約すれば松花堂弁当も注文可能。「夜のコースはハードルが高い」という方は、リーズナブルに楽しめる昼時に、まずは訪れてほしい。
撮影/津久井珠美 文/野村枝里奈
■乃り英
京都府京都市左京区一乗寺下リ松町31-2
075-703-8045
11:30~14:00(L.O) 17:00~21:00(L.O)
不定休