BLOGうつわ知新2019.12.31

晴れの日にふさわしいお軸と器

うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。新しく始まるこのコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄についてなどを、「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

一月

格別な、寿ぎの日。
新春の喜びに満ちる、
晴れの日にふさわしいお軸と器

迎春の晴れやかな日を祝うおめでたいお軸

「かくて明けゆく空のけしき きのうにかわりたりとは見えねど ひきかへめずらしきここちぞする」と兼好法師は徒然草の中でお正月をこのように読みました。

今の言葉で語ると「こうして明けてゆく空の景色は 取り立てて昨日と違っている様子はないけれど うってかわって心新たな心地がする」ということのようです。

私たちのお正月は「NHK紅白歌合戦」が終わって、「ゆく年くる年」の番組を見ながら、時報が12時を告げるのを待つ。ただ時報によって年が明けたことを知るだけのことですが、それだけのことでも何かめでたい気分になれる。それほどお正月っていうのは、特別なことなのですね。

前回にもお話したように、以前の日本人は1213日の「事始め」の日に、年末のご挨拶を終えたのを合図に、新年を迎える準備を始め、その作業をこなしていく中で新年への期待感を高めていったのでしょう。
そして時計の時報で年明けを知るのではなく、夜が明けるのを見ながら、年が明けた喜びに満たされたのです。

時間に追われて余裕のない暮らしの中にいる私は、優雅さとは程遠い年の瀬を送っています。苦手な掃除をして、神棚を整え、玄関にしめ縄を飾り、床の間に飾る掛軸を選ぶという作業を大晦日の夜までかかって、どうにか終えています。

お正月を迎える準備の中で掛軸を選ぶと書きましたが、商売柄、私はいくつか正月の掛軸持っています。
売り買いを繰り返すので、決まった掛軸はありません。他人に「イマイチ」と言われても、そんなのは私個人の趣向だからお構いなしだと開き直って、あれこれ楽しんで選んでいます。

それでは私がいま所有しているお正月に良さそうな掛軸をご紹介しましょう。

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「松竹梅雙寿図」

まずは、浮田一蕙筆「高砂松竹梅図」三幅対です。
三幅の掛軸を同時に飾るわけですので、なかなか普通のお宅ではおさまりきらないサイズではありますが、逆に言えば大画面の迫力は他に代えがたいものがあります。

この浮田一蕙は、復古大和絵派の画家として名高く、私も大好きなひとりですが、その穏やかな作風とは裏腹に、強い信念を持った人であったようです。
時代は幕末、日本国中で佐幕開国だ、尊王攘夷だと叫びあい、国を二分した激動の時代。
その大きなうねりは政治だけにとどまらず、文化芸術にまでもその影響を及ぼします。
もはや形骸化し、魅力を失いつつあった大和絵派においても、その画風の再構築が叫ばれていました。

一蕙は、そんな絵画の世界でも政治の世界でも改革派の先方として活動をしたため、安政の大獄時には投獄されてしまったほどです。
そんな情熱と裏腹に、この三幅対には、みずみずしい常緑の松、天に向かって真っすぐに伸びる潔い竹、寒中にあって香り高い花を咲かせる梅として、好まれた歳寒三友の松竹梅をえがいています。さらに中央には、相生の松の化身(二本の松でありながら根が一つで、共に老いる松)とされる、高砂の尉(じょう)と姥(うば)を描き、夫婦が仲睦まじく添い遂げていく姿を描いています。

ただめでたいだけでなく、正月らしい特別感のあるめでたさを描き出しています。
写真ではこの三幅対の持つ力強さを十分にお伝え出来ないことが残念です。

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「赤の一」

次にご紹介するのは須田剋太筆「赤の一」です。
先にご紹介した掛軸の持つ古典的な雰囲気とは打って変わって、現代の感性を持った掛軸です。

須田剋太は司馬遼太郎の紀行文集「街道を行く」の挿絵をつとめ、脚光を浴びた画家です。
しかし、彼の遺した書は、彼の描いた力強い絵にも勝るほどの高い評価を得ています。
この「赤の一」は1990年に彼が亡くなる半年前に描かれたもので、渾身の作と言っても過言ではありません。

「一」は物事の始まりの「一」という意味や、「万法一に帰す」という、万物の根源であるという意味を持っている字です。
単純な一本の線ではなく、字に強いエネルギーを込めた作品だと思います。
この掛軸も、ただ墨で描いた一ではなく、鮮やかな赤を背景にした一ということで、まさに正月らしいめでたさも表現していると思います。

ご自宅で掛軸を鑑賞することができなくても、新年になれば初釜茶会、美術館や博物館の新春企画、またお料理屋さんなど、掛軸を鑑賞できる場所はたくさんあります。誰の作品で、なぜ正月の掛軸として選ばれたのかなどを探ってみると、より深く美術を楽しんでいただけることでしょう。
 またその際に、なぜ松竹梅がめでたいのかという理由に触れましたように、何故めでたいのかという理由を深掘りして見ると、美術の背景にある文化を読み解くきっかけになることでしょう

器に見る吉祥

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十六代 永樂即全作 仁清写 双鶴向付

日ごろ何気なく見過ごしていても、うつわの形や図柄には基本「めでたい」が表現されていることはお気づきのことと思います。
でも正月はその「めでたい 」の中にもさらに強調された感じが欲しいものです。そこで取り上げるのが 16代永楽即全作仁清写双鶴向付です。

菱鶴と言われることもあるうつわです。では鶴はどうしてめでたいのでしょう。「鶴は千年、亀は万年」と言われるように長寿のシンボルとされてきたこと。
そして鶴は樹齢千年を経た松に宿る特別に気高い鳥であること。更に双鶴は、その生涯を同一の雌雄で添い遂げるということがその理由であるようです。
また菱型が意味する菱という植物は、その繁殖力の強さから子孫繁栄を意味するのです。とどめにうつわの色を赤くすることでめでたさを際立たせてもいるわけです。
これだけめでたさを重ねたうつわでお料理が出てくれば、さすがに新しい年はきっと良い年になりそうですよね。

ところが、めでたさも度を超えると、正月や特別な機会にしか使えないうつわになって、経済性が悪いとご心配の方もあるやもしれません。
しかしこの特別感こそが大切だと教えて頂いたことがあります。ある料亭のご主人は「いつでも使えるうつわは、いつも使えへん」。
つまり季節感やそのうつわの持つ意味が曖昧なものは、結局お客様にありがた味を感じていただけないからあかんのだそうです。
高いお料理代を払って遊びに来たお客様には、存分に遊んで帰ってもらわなあかんのです。
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鶯宿梅吸い物椀(おうしゅくばい すいものわん)

 次はお椀をご紹介しましょう。

椀の表裏一面に、さらには高台内にまで、びっしりと梅の花を金蒔絵で描き詰め、ところどころに鶯を宿していることから鶯宿梅(おうしゅくばい)蒔絵吸物椀と呼ばれています。
懐石料理の要は煮物椀で提供するお料理です。ですから主役らしく煮物椀は吸物椀に比べると大振りに作られています。
それを吸物椀で代用すれば少し窮屈なわけです。その窮屈さは覚悟のうえで、多くの料理人はこの鶯宿梅吸物椀を新春のこの時期の煮物椀として使いたがるほど人気のあるお椀なのです。

鶯宿梅にはこんな物語があります。平安時代後期に記された大鏡(おおかがみ)という物語の中で、夏山繁樹(なつやまのしげき)という若侍が語っているお話があります。
あるとき、村上天皇がお住まいになる清涼殿と呼ばれる御座所の前の梅の木が枯れてしいました。
天皇様は皇室の道具などを管理するお役の蔵人(くろうど)と夏山繁樹に代わりの木を探してくるようにとお命じになられたそうです。
苦労の末に、西の京の辺りの屋敷で見つけた梅の木を掘り起こして、清涼殿の前に移植すると、枝に文が括られていることに天皇がお気づきになったそうです。
その文には「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」と記されていたそうです。
その梅の木のあった屋敷の主を尋ねたところ、紀貫之の娘であることが判明し、強引に梅の木を持ち帰ったことを天皇も夏山繁樹も恥ずかしく思ったそうです。歌を現代の言葉で表現すれば「天皇のご命だから畏れ多いことですが、この梅の木にやってきていた鶯が、家がなくなったことを尋ねたなら、私は何と答えてやればよいのでしょうか」いう、何とも洒落たお話がこの模様には添っているのです。

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庭山耕園 図・川合漆仙 塗 日の出椀

さて、最後は日の出鶴の椀をご紹介いたします。漆黒の闇の中から鮮やかな朱の朝日が昇ってくる。
その太陽の中で、黄金に輝く鶴が舞う姿を描いています。これこそ元旦の朝に使いたいような特別な意匠です。

鶴の絵は明治から戦前にかけて大阪で活躍した四条派の絵師、庭山耕園によるものです。躍動的な鶴の姿が素晴らしい新年の幕開けを予感させるようです。
お塗は2代川端近左に学んだ大阪の川合漆仙によるものです。
ちょうど図案を手掛けた庭山耕園の展覧会が大阪市立美術館で2019年1218日(水)~202029日(日)の期間開催されています。

今月も、予定を大幅に超えた長いお話になってしまいました。私たちの暮らしの中にある美をより深く理解し、今よりも楽しむためには、教養というものが欠かせないのだと、この文章を書きながら強く感じています。
高慢で鼻持ちならない教養ではなく、子供のような「これなに?あれどういうこと?」という探求心を満たしてやるということです。私も色んな資料片手に、学びながらの寄稿なのです。

撮影/竹中稔彦  聞き書き/郡 麻江

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■ 梶古美術

京都市東山区新門前通東大路西入梅本町260
075-561-4114
営10時~18時
年中無休(年末年始を除く)