食知新ブログ
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BLOG京の会長&社長めし
2020.01.20
山田繊維株式会社の社長が通う店「本家尾張屋 本店」
■山田芳生(やまだ よしお)さん 山田繊維株式会社代表取締役(3代目)。1965年生まれ、京都生まれ京都育ち。大学卒業後、神戸で5年間アパレルの会社に勤務した後、山田繊維の東京事務所開設を機に家業に就く。東京で8年間営業を経験した後、2001年に京都に戻り、2003年社長に就任。現代のライフスタイルに適したふろしきの開発に力を入れる他、東京(神宮前)と京都(三条)に直営店「むす美」を開設、またセミナーや書籍の発刊など、ふろしきの普及活動も行う。新しいことも、伝統的なことも、その両面が体験できる仕事と、京都という地の利に感謝している。伝統と革新が入り混じる京都の食文化も大好きで、和食も中華もイタリアンも大好きだが、やっぱり魚料理が一番好き。最後の晩餐は、グジの焼き物。16代続く蕎麦の老舗。四季のしつらえに風情を感じ、名水を使った蕎麦に舌鼓100年以上の歴史を持つ店が数多ある京都。烏丸御池から程近い「本家尾張屋 本店」もその一つに数えられる。1465年、尾張の国出身の初代が菓子屋として創業し、江戸時代中期からは蕎麦も商うように。代々受け継がれる蕎麦と蕎麦菓子が京都の人々から愛されてきた。明治時代に建てられた築約130年の店舗は、看板や「寶」の染め抜きの暖簾が歴史と風格を感じさせる。今回推薦した山田さんも、長年この店の味に親しんできた一人だ。「学生時代にも訪れたことはありましたが、ちょくちょく行くようになったのは、会社で仕事を始めた25年くらい前から。最近はあまり行けていないのですが、お昼に親父とよく行っていましたね」(山田さん)「私は普段裏方の仕事をしているため、なかなかご挨拶ができないのですが、ご愛用いただいて本当にありがたいと思っています。地元の人に愛してもらうお店であることがすごく大事だと聞いて育ってきたので、長い歴史があったとしても、庶民のお蕎麦屋さんであることを意識していきたいと考えています」と、16代目の稲岡亜里子さん。ここでは蕎麦やうどんなどの麺類に丼物、甘味と、豊富なメニューを楽しめる。特に天ぷらそばや天せいろ、天とじ丼など、注文が入ってから揚げる天ぷらを使ったメニューが人気だという。「京都でお蕎麦の尾張屋さんと言えば、誰でもご存じだし、会社から歩いて行けるので、お客さんと一緒に行くこともあります。ここのお蕎麦はおだしがおいしいので気に入っています。何でもおいしいですが、特に温かい蕎麦が京都らしくて好きですね。親父は年中とろろ蕎麦で、僕は、冬は鴨なんばを食べていました」(山田さん)尾張屋の蕎麦は、北海道・音威子府(おといねっぷ)で契約栽培された蕎麦粉を使って蕎麦を打ち、注文が通ってから湯であげる。だしは、利尻昆布と宗田鰹、ウルメ、サバ節などの削り節を用い、比叡山水系の軟水の地下水で時間をかけてとった一番だし。無添加で、優しくまろやかな味わいが身上だ。「お蕎麦はもちろん大切ですが、京都の文化はだしなので、だしを取る素材はすごく吟味しています。また、鶏肉や鴨肉、かまぼこ、麩などの食材も長年京都でおいしいものを作られているところから仕入れています」(稲岡さん)山田さんがおすすめに挙げるのが、脂ののった肉厚の鴨肉とたっぷりの九条ネギがのった冬の定番「かもなんば」1980円。「鴨肉は噛みごたえがあっておいしいし、品書きにあると、この季節が来たなと思います」(山田さん)上品で深みのあるだしは、やわらかい鴨肉の脂や旨味が溶け込み、更に豊かな味わいになる。「山椒をかけて食べていただくのがおすすめです」と、稲岡さん。10月から3月後半まで楽しめる。山田さんのもう一つのおすすめは、稲岡さんの祖父である14代目が考案した「宝来そば」。「わりご」という五段の漆器に盛り付けた打ち立ての蕎麦を、海老天、しいたけ、錦糸卵などの異なる薬味で一碗ごとに味わう名物だ。「僕は薬味が好きなんです。京都は湯豆腐など薬味を使う料理が多いですよね。これは薬味がいろいろ添えてあるところが京都らしいし、お客さんが来られたときにもおすすめできます」(山田さん)「お蕎麦は宝を集める縁起の良い食べ物とされているので、お祝い事や接待などの特別なときにも、おめでたいお蕎麦として楽しんで食べていただけると思います」(稲岡さん)山田さんは、店内のしつらえなどに京都らしさが感じられることも魅力に挙げる。「たとえば、旧暦に合わせて昔ながらの飾り方でお雛さんを出しておられたりするので、『さすが尾張屋さんやなぁ』と思います。庶民的な普通のお蕎麦屋さんなのに、そういったところに気を遣われているところがいいですね」(山田さん) 「しつらえは母の担当で、季節のお花や、雛人形や兜など、昔から続けているものを守っています。京都に住んでいると、そうした季節のものが日常の中にあります。商売をしている中で、お花を生けるのも節句の飾りでお祝いするのも、一つひとつが自然やお客様への感謝からくるものだと思うので、大切にしていきたいですね」(稲岡さん)また、接客について、「あれだけたくさんのお客さんが来る中で、お店の人がてきぱきと嫌な思いをさせずに上手に対応されているなと思います」という山田さんの言葉に、「ありがとうございます。出来立てのお蕎麦を食べていただくために、裏はすごいスピードで動いているのですが、お客さんへは、心豊かにするものとして落ち着いた気持ちでお出しすることを皆、意識してやってくれていると思います」と、稲岡さん。「空間、お料理、素材、従業員のサービスのあり方、そして、ものの値段が上がっても、できるだけ値段を抑えること。そのすべてがもてなしにつながっていると思っています」と、稲岡さん。そうして質の高いものを提供し続けることが、長く愛される秘訣なのだろう。稲岡さんは、16代目の新たな取り組みとして、店舗横に蕎麦菓子専門の店をオープンする予定だという。「うちはルーツが菓子屋。そのルーツともう一度つながって蕎麦菓子の店をもつことで、蕎麦菓子屋と蕎麦屋の2つの顔の尾張屋を守っていきたいと思っています」撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■本家尾張屋 本店京都市中京区車屋町通二条下る075-231-344611時~19時(LO18時)※菓子販売のみ9時~定休日 1/1~1/2
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BLOG美人&イケメンスイーツ
2020.01.18
『珈琲工房 てらまち』の「カフェシュークリーム」
ジャズシンガー 澤田ユカさん兵庫県出身。京都在住。JAZZ R&B POPS、昭和歌謡等、幅広く歌いこなすシンガー。学生時代に組んだバンドをきっかけに歌の世界へ。京都、滋賀を中心に近畿一円のライブハウスのほか、レストランやカフェ、バー、各種イベンドで活動する。「珈琲工房 てらまち」では、毎月1~2回演奏する。 二条城や街中からも近い「三条会商店街」は、昔懐かしい雰囲気を残しながらも、新たな顔を見せる京都屈指の商店街。堀川から千本まで三条通りの南北に続く800mの商店街に180店の店が並びます。昔ながらの青果店もあれば、おしゃれなカフェやセレクトショップなどもあって、地元の買い物客に加え、観光客も訪れる人気の買い物スポットになっています。 今回、ご紹介するのはそんな隠れた名所にある珈琲専門店のシュークリームです。珈琲シュークリーム(1個200円)は、珈琲とともに味わいたい。推薦人の澤田ユカさんは、京都で活躍するシンガー。ジャズをメインにR&Bやポップスまでを歌いこなしひっぱりだこの人。そんな澤田さんが、おすすめするのが、専門店ならではの珈琲を生かしたシュークリームです。「普段はあまり甘いものは食べないんです。そう! お酒を飲む機会のほうが多くて...笑。でも、珈琲工房てらまちさんでライブの後にだしていただいたカフェシュークリームが美味しくて。サクサクで香ばしい生地となめらかな珈琲味のクリームが忘れられなくなりました」と話します。明治時代に建てられた4軒長屋の一軒。風情ある町家を改装した「珈琲工房てらまち」は、自家焙煎の珈琲専門店。京都の老舗珈琲店・小川珈琲で永らく勤めた店主の寺町靖之さんが、「昭和の喫茶店のように人が集まり会話を楽しむ店をつくりたい」と2005年に開いた店です。 寺町さんの思い通り、近所に住む常連さんはもちろん外国人観光客など老若男女が訪ね、薫り高い珈琲を味わいながら思い思いの時間を楽しみます。澤田さんがライブハウスとは趣の違うこの珈琲店でライブを行うようになったのは、どんなきっかけがあったのでしょう。「実は、私も学生時代に吹奏楽をやっていて、そのときの仲間のひとりがライブをお願いしました。そのグループのひとりがボーカル担当の澤田さんでした。年に数回ですが、楽しみにしているお客さまもいて、珈琲店が一挙に大人っぽいアーティスティックな場所になります」と寺町さん。澤田さんが絶品というカフェシュークリームは、寺町さんのお嬢さんでスイーツづくりを担当する美津子さんが手作りしたもの。珈琲粉をちりばめたクッキー生地をのせてザクザク感をだすほか、中のカスタードクリームに濃縮した珈琲やコーヒーリキュールなどを加えるのだそうです。プリン(1個380円)は、なめらかな舌触り。ほどよい甘さと濃すぎない風味で、するりと食べられる。このシュークリームとは別に、澤田さんが「ぜひ食べてほしい」と言うのが、テイクアウト用のプリン。黒豆を食べて育った丹波卵とジャージーミルクでつくったプリンは、卵の風味がそのまま生きる濃厚な味わいです。「シュークリームもそうですがこのプリンも、女性だけでなく男性や辛党の方も美味しいと思えるスイーツ。手作りならではの丁寧な味にほっとします」と澤田さんは言います。豆の特徴に合わせて焙煎される珈琲は購入もでき、こちらも人気。購入者には、寺町さんが丁寧に煎れ方や美味しい飲み方を教えてくれます。ゆっくりと珈琲やスイーツを楽しめる店ですが、澤田さんたちのライブが開かれる日を目指して訪れたいところです。■珈琲工房 てらまち住京都市中京区三条大宮西入ル上瓦町64-26075-821-63239:00~20:00(土日祝は8:00~)休 第3金曜日http://coffee-teramachi.ocnk.net/
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BLOG京のほっこり菜時記
2020.01.13
「白味噌」
京都に暮らしていると、お雑煮はもちろん、冬のお椀に白味噌が使われることが多いから、こっくりとして甘味がある白味噌汁になじみがある。ところが、関東の方は、白味噌椀を普段それほど口にすることがなく、最初はあの濃厚でまったりとした味わいに目を丸くされる。「美味しい!」と言う人もいらっしゃるが、濃厚過ぎて「苦手」という人もときにおられる。かくいう私も、京都の老舗料亭で味わった「白味噌雑煮」の美味しさに心奪われ、白味噌汁の見方が変わったひとり。だしではなく水に白味噌をといただけというそのお椀は、とろりとした口当たり。けれども、甘すぎることなく喉をすうっと通っていく。焼いた丸餅に辛子を少し。それらが一体となって、ほかにはない味わいになっている。このお椀に出合って以来、白味噌椀は私の好物のひとつになった。ところで、みなさんのお家のお雑煮はどんなものだろう? 関西は白味噌が多いが、関東では、おすましだろうか。ご存知のように、京都は基本「白味噌雑煮」。それぞれの家によって具材や作り方は違うけれど、一般的なのは、丸餅に頭芋、祝い大根と白い具材ばかりに、昆布出汁に白味噌をといた汁をはる。仕上げに花鰹や糸鰹をぱらりとかけ、鰹の風味も楽しみながら味わう。白味噌は、平安時代に京都で生まれたといわれている。貴重な米麹をたっぷり使ってつくり、宮中の有職料理に用いられていた。その後、室町時代になると精進料理にも使われるようになり、それが懐石料理や京料理へと広がっていく。貴族の嗜好に合わせてつくられたこともあって、塩分が少なく甘め。熟成期間が短いため賞味期間も短い。だから大量には造らず、毎日販売する分だけをつくり仕込む作業を繰り返すという。手間暇のかかる調味料なのだ。京都の料理、特に冬の汁物などに白味噌は欠かせない。お雑煮、蓬麩の白味噌椀、ふろふき大根、粕汁、白味噌鍋、白和え、魚の白味噌漬けなど。料理屋だけでなく、家庭でもさまざまな料理に使われる。白味噌グラタンやクラムチャウダーなど熱々をふうふうして食べると、その甘味や濃厚さに癒される。我が家では、冬の野菜鍋は白味噌仕立てだった。これに豆乳を加えると、まるでシチューのようで。白味噌鍋の日は、なんだか嬉しかった。最近、「こんなところにも白味噌が!」と驚いたのが、たまごサンド。四条烏丸からすぐのサンドイッチ店「ロッカ&フレンズ パピエ キョウト」を訪ねたときのことだ。店長の入江さんは、「京都でたまごサンドというとオムレツサンドのイメージがあったので、あえてたまごサラダに。それも白味噌や柴漬けなどを合わせて京都らしさをだした」と言う。8cmほどもあるたまごサンドは、食べごたえ十分。素直な味わいのたまごサラダにシャキシャキ野菜。白味噌や柴漬けがアクセントになって、面白い。案外ビールにも合うかもと思いながら、大口を開けて頬張った。2018年6月に町家を改装して開店したこの店。たまごサンドのほか、季節のフルーツサンドやスムージーもあって女子に人気。だが、おひとり男子の客も以外と多い。食の嗜好に男女差なんていうものは、そもそもないのかもしれない。持ち帰りもできるので、たまごサンドとフルーツサンドを詰め合わせてもらえば、上等の手土産になる。こんなお土産をもらったら、かなり嬉しいだろうなあ。■ROCCA & FRIENDS PAPIER KYOTO京都市下京区新釜座町735‐2075-744-668810:00~18:00休 月曜(祝祭日の場合は翌日休み)
中井シノブ
ライター
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BLOGうつわ知新
2019.12.31
晴れの日にふさわしいお軸と器
梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。一月格別な、寿ぎの日。新春の喜びに満ちる、晴れの日にふさわしいお軸と器迎春の晴れやかな日を祝うおめでたいお軸「かくて明けゆく空のけしき きのうにかわりたりとは見えねど ひきかへめずらしきここちぞする」と兼好法師は徒然草の中でお正月をこのように読みました。今の言葉で語ると「こうして明けてゆく空の景色は 取り立てて昨日と違っている様子はないけれど うってかわって心新たな心地がする」ということのようです。私たちのお正月は「NHK紅白歌合戦」が終わって、「ゆく年くる年」の番組を見ながら、時報が12時を告げるのを待つ。ただ時報によって年が明けたことを知るだけのことですが、それだけのことでも何かめでたい気分になれる。それほどお正月っていうのは、特別なことなのですね。前回にもお話したように、以前の日本人は12月13日の「事始め」の日に、年末のご挨拶を終えたのを合図に、新年を迎える準備を始め、その作業をこなしていく中で新年への期待感を高めていったのでしょう。そして時計の時報で年明けを知るのではなく、夜が明けるのを見ながら、年が明けた喜びに満たされたのです。時間に追われて余裕のない暮らしの中にいる私は、優雅さとは程遠い年の瀬を送っています。苦手な掃除をして、神棚を整え、玄関にしめ縄を飾り、床の間に飾る掛軸を選ぶという作業を大晦日の夜までかかって、どうにか終えています。お正月を迎える準備の中で掛軸を選ぶと書きましたが、商売柄、私はいくつか正月の掛軸持っています。売り買いを繰り返すので、決まった掛軸はありません。他人に「イマイチ」と言われても、そんなのは私個人の趣向だからお構いなしだと開き直って、あれこれ楽しんで選んでいます。 それでは私がいま所有しているお正月に良さそうな掛軸をご紹介しましょう。「松竹梅雙寿図」まずは、浮田一蕙筆「高砂松竹梅図」三幅対です。三幅の掛軸を同時に飾るわけですので、なかなか普通のお宅ではおさまりきらないサイズではありますが、逆に言えば大画面の迫力は他に代えがたいものがあります。この浮田一蕙は、復古大和絵派の画家として名高く、私も大好きなひとりですが、その穏やかな作風とは裏腹に、強い信念を持った人であったようです。時代は幕末、日本国中で佐幕開国だ、尊王攘夷だと叫びあい、国を二分した激動の時代。その大きなうねりは政治だけにとどまらず、文化芸術にまでもその影響を及ぼします。もはや形骸化し、魅力を失いつつあった大和絵派においても、その画風の再構築が叫ばれていました。一蕙は、そんな絵画の世界でも政治の世界でも改革派の先方として活動をしたため、安政の大獄時には投獄されてしまったほどです。そんな情熱と裏腹に、この三幅対には、みずみずしい常緑の松、天に向かって真っすぐに伸びる潔い竹、寒中にあって香り高い花を咲かせる梅として、好まれた歳寒三友の松竹梅をえがいています。さらに中央には、相生の松の化身(二本の松でありながら根が一つで、共に老いる松)とされる、高砂の尉(じょう)と姥(うば)を描き、夫婦が仲睦まじく添い遂げていく姿を描いています。ただめでたいだけでなく、正月らしい特別感のあるめでたさを描き出しています。写真ではこの三幅対の持つ力強さを十分にお伝え出来ないことが残念です。「赤の一」次にご紹介するのは須田剋太筆「赤の一」です。先にご紹介した掛軸の持つ古典的な雰囲気とは打って変わって、現代の感性を持った掛軸です。須田剋太は司馬遼太郎の紀行文集「街道を行く」の挿絵をつとめ、脚光を浴びた画家です。しかし、彼の遺した書は、彼の描いた力強い絵にも勝るほどの高い評価を得ています。この「赤の一」は1990年に彼が亡くなる半年前に描かれたもので、渾身の作と言っても過言ではありません。「一」は物事の始まりの「一」という意味や、「万法一に帰す」という、万物の根源であるという意味を持っている字です。単純な一本の線ではなく、字に強いエネルギーを込めた作品だと思います。この掛軸も、ただ墨で描いた一ではなく、鮮やかな赤を背景にした一ということで、まさに正月らしいめでたさも表現していると思います。ご自宅で掛軸を鑑賞することができなくても、新年になれば初釜茶会、美術館や博物館の新春企画、またお料理屋さんなど、掛軸を鑑賞できる場所はたくさんあります。誰の作品で、なぜ正月の掛軸として選ばれたのかなどを探ってみると、より深く美術を楽しんでいただけることでしょう。 またその際に、なぜ松竹梅がめでたいのかという理由に触れましたように、何故めでたいのかという理由を深掘りして見ると、美術の背景にある文化を読み解くきっかけになることでしょう。器に見る吉祥十六代 永樂即全作 仁清写 双鶴向付日ごろ何気なく見過ごしていても、うつわの形や図柄には基本「めでたい」が表現されていることはお気づきのことと思います。でも正月はその「めでたい 」の中にもさらに強調された感じが欲しいものです。そこで取り上げるのが 16代永楽即全作仁清写双鶴向付です。菱鶴と言われることもあるうつわです。では鶴はどうしてめでたいのでしょう。「鶴は千年、亀は万年」と言われるように長寿のシンボルとされてきたこと。そして鶴は樹齢千年を経た松に宿る特別に気高い鳥であること。更に双鶴は、その生涯を同一の雌雄で添い遂げるということがその理由であるようです。また菱型が意味する菱という植物は、その繁殖力の強さから子孫繁栄を意味するのです。とどめにうつわの色を赤くすることでめでたさを際立たせてもいるわけです。これだけめでたさを重ねたうつわでお料理が出てくれば、さすがに新しい年はきっと良い年になりそうですよね。ところが、めでたさも度を超えると、正月や特別な機会にしか使えないうつわになって、経済性が悪いとご心配の方もあるやもしれません。しかしこの特別感こそが大切だと教えて頂いたことがあります。ある料亭のご主人は「いつでも使えるうつわは、いつも使えへん」。つまり季節感やそのうつわの持つ意味が曖昧なものは、結局お客様にありがた味を感じていただけないからあかんのだそうです。高いお料理代を払って遊びに来たお客様には、存分に遊んで帰ってもらわなあかんのです。鶯宿梅吸い物椀(おうしゅくばい すいものわん) 次はお椀をご紹介しましょう。椀の表裏一面に、さらには高台内にまで、びっしりと梅の花を金蒔絵で描き詰め、ところどころに鶯を宿していることから鶯宿梅(おうしゅくばい)蒔絵吸物椀と呼ばれています。懐石料理の要は煮物椀で提供するお料理です。ですから主役らしく煮物椀は吸物椀に比べると大振りに作られています。それを吸物椀で代用すれば少し窮屈なわけです。その窮屈さは覚悟のうえで、多くの料理人はこの鶯宿梅吸物椀を新春のこの時期の煮物椀として使いたがるほど人気のあるお椀なのです。鶯宿梅にはこんな物語があります。平安時代後期に記された大鏡(おおかがみ)という物語の中で、夏山繁樹(なつやまのしげき)という若侍が語っているお話があります。あるとき、村上天皇がお住まいになる清涼殿と呼ばれる御座所の前の梅の木が枯れてしいました。天皇様は皇室の道具などを管理するお役の蔵人(くろうど)と夏山繁樹に代わりの木を探してくるようにとお命じになられたそうです。苦労の末に、西の京の辺りの屋敷で見つけた梅の木を掘り起こして、清涼殿の前に移植すると、枝に文が括られていることに天皇がお気づきになったそうです。その文には「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」と記されていたそうです。その梅の木のあった屋敷の主を尋ねたところ、紀貫之の娘であることが判明し、強引に梅の木を持ち帰ったことを天皇も夏山繁樹も恥ずかしく思ったそうです。歌を現代の言葉で表現すれば「天皇のご命だから畏れ多いことですが、この梅の木にやってきていた鶯が、家がなくなったことを尋ねたなら、私は何と答えてやればよいのでしょうか」いう、何とも洒落たお話がこの模様には添っているのです。庭山耕園 図・川合漆仙 塗 日の出椀さて、最後は日の出鶴の椀をご紹介いたします。漆黒の闇の中から鮮やかな朱の朝日が昇ってくる。その太陽の中で、黄金に輝く鶴が舞う姿を描いています。これこそ元旦の朝に使いたいような特別な意匠です。鶴の絵は明治から戦前にかけて大阪で活躍した四条派の絵師、庭山耕園によるものです。躍動的な鶴の姿が素晴らしい新年の幕開けを予感させるようです。お塗は2代川端近左に学んだ大阪の川合漆仙によるものです。ちょうど図案を手掛けた庭山耕園の展覧会が大阪市立美術館で2019年12月18日(水)~2020年2月9日(日)の期間開催されています。今月も、予定を大幅に超えた長いお話になってしまいました。私たちの暮らしの中にある美をより深く理解し、今よりも楽しむためには、教養というものが欠かせないのだと、この文章を書きながら強く感じています。高慢で鼻持ちならない教養ではなく、子供のような「これなに?あれどういうこと?」という探求心を満たしてやるということです。私も色んな資料片手に、学びながらの寄稿なのです。 撮影/竹中稔彦 聞き書き/郡 麻江■ 梶古美術京都市東山区新門前通東大路西入梅本町260075-561-4114営10時~18時年中無休(年末年始を除く)
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BLOG京のとろみ
2019.12.29
「餃子の王将」のあんだく天津飯
京都発祥の中華料理チェーン店「餃子の王将」2019年3月31日現在、海外含め729店舗あるらしい。その1号店が1967年京都の四条大宮にオープンした。私の家から800m徒歩10分以内である。小学生の頃は親に連れられ、高校生になると学校から近いので毎日のように足を運んだ。今でも週に1〜2のペースで通っている。お気に入りのメニューはたくさんあるけれど今回は天津飯。この天津飯のオーダーには必殺の裏技がある。「あんだく天津飯」だ!注文時に「餡多めで」や「餡たっぷりで」と頼むと追加料金無料で餡がたっぷりかかってくる。玉子のとろみ、餡のとろみが圧倒的。私はこの餡に餃子や唐揚げも絡めて食べる。うまい!とろみだくだくの天津飯。とろみストとしてこれをオーダーしない手はない。ぜひ一度、試してほしい!
ハリー中西
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BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2019.12.27
祇園 いわさ起「テールシチューの白味噌仕立て」
奇想の一皿「テールシチューの白味噌仕立て」「祇園 丸山」で料理長を務め、2016年に自身の店「祇園 いわさ起」を開いた岩﨑道一さん。花街・祇園らしい華のあるお料理は、オープン間もなくミシュランで星を獲得するなど、各方面から高い評価を受けています。日本酒はもとより「シャンパーニュに合う」と評されることも多い、いわさ起流。その奇想の一皿をご覧ください。発想秘話今回の料理は、フレンチの定番「牛ほほ肉の赤ワイン煮」からヒントを得ました。食べながら「これを赤味噌で炊いたらどうやろ?」と思い、まずはテールを赤味噌で炊いたものを作ってみました。僕は普段から牛テールやほほ肉をよく使うんですよ。京料理というと魚のイメージが強いと思いますが、実は肉を食べたいというリクエストが意外と多くて...。たくさんはいらないけれど、どこかで"ちょっと"お肉も挟みたい。そんな声に応えるために、いろんな形でお出ししています。ただ、お出汁も一緒に味わうなら、赤味噌より白味噌のほうがいいんですよね。白味噌は味噌そのものにクリーミーさがありますが、赤味噌はさらっとしているので、例えば裏ごししたじゃがいもの餡をかけるとか、そういう工夫がないとおいしくない。白味噌のほうが脂身との相性もいいですしね。そんなわけで、今回はテールを白味噌のスープで煮込んでみました。テールスープといえば焼肉店の定番ですが、それとはまったく風合いの違う、うちらしい一品に仕立てたいと思います。まずは牛テールをほろほろになるまで炊いていきます。2回くらい煮こぼしたあと、水を換えて昆布、酒、ねぎ、生姜と一緒に5時間くらい。アクと脂を取りながら、じっくり炊きます。その後、バランスのいい「山利」さんの白味噌を溶いてさらに1時間。これでテールにしっかり味が入ります。ポイントは、テールスープに和のだしを加えた「ダブルスープ」を使う点。テールスープを一番だしで割ることで、とても上品な味わいになります。やわらかく煮込んだテール肉を骨から外します。長時間じっくり煮込んでいるので、簡単に骨から離れます。今回一緒に合わせるのは海老芋とはくさい菜です。それぞれお出汁で炊いたものを事前に温め、テールと一緒にココット鍋に盛り込んで火にかけます。海老芋の代わりに丸大根、はくさい菜の代わりに水菜、菊菜、モロッコインゲンなど使ってもおいしいですよ。陶器の器ばかりじゃおもしろくないので、今日はココットを使ってみました。これは南部鉄器のココットです。直火でぐらぐら煮立てますが、南部鉄器は熱を保存しないので、火から下ろすとすぐに落ち着きます。仕上げにねぎと辛子を乗せて完成です。柔らかく煮込んだテールは臭みもなく、白味噌のスープとよく合うでしょう? うちの料理はシャンパンとの相性を意識していて、例えばおひたしに柑橘の果汁を搾ったり、お造りに塩レモンやごま油を添えたりということをよくやります。酸味やコクを加えることで、シャンパンやワインとも合いやすくなる。僕自身が好きということもありますが、やはり祇園町の華やかなイメージとシャンパンって相性がいいと思うんです。コースの最初から最後までシャンパンで通しても違和感なく楽しめる、そんな料理が提案できたら素敵かな。京料理とそうでないものの境界線を一言で定義するのは難しいですが、やはり「ライン」というのは存在すると思います。例えば今回の料理でしたら、赤ワイン煮込みを赤味噌煮込みにしたら京料理になるのか? といえば、そう単純なものでもない。新しい要素を取り入れたあと、それを自分なりに解釈して、どう昇華させるか。いかに「京料理」として納得してもらえるものに仕立てるか。そこが腕の見せ所であり、各々の力量が問われるところじゃないでしょうか。洋食、フレンチ、イタリアン、パティスリー......和食以外のお店でヒントをもらうことも多いですし、勉強会や食事会、他ジャンルの料理人さんとの交流を通して、今後も自分の料理をブラッシュアップしていけたらいいなと思います。撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■ 祇園 いわさ起京都市東山区祇園町南側570-183075-531-053311:30~14:00入店、17:30~20:00入店不定休
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BLOG外国人料理人奮闘記
2019.12.27
フランス人料理人 ウエ・フランクさんの「いただきます」
勉強嫌いの少年が14歳で料理の世界へ僕は勉強があまり好きじゃなくて、早くから料理の道へ進もうと決めていました。14歳になる直前に実家近くの「プレ・ポンテサージュ」という専門学校の準備クラスのようなところに入り、そこで料理の勉強を開始。学校に通いながらレストランで実習するという生活を2年間続け、16歳で「ポンテサージュ」(料理の専門学校)へ進みました。プレ・ポンテサージュからポンテサージュを卒業するまでの4年間、ロワールの「ル・ラブレ」というシーフードが有名な店で働いたのですが、そこでは料理はもちろん、話し方やマナー、掃除に数字......何も知らない14歳の僕は、一からすべてを叩き込まれました。卒業後は学校のあっせんでロンドンのレストランへ。経験豊富な厳しいフランス人シェフのもとで働いたあと、フランスやスイスのリゾートレストランなどで各地のスペシャリテを覚え、シェフとしての腕を磨きました。仕事ばかりのハードな日々に心が折れて日本に初めて来たのは2002年、21歳のとき。その少し前、南アジアを旅行中に、のちに結婚することになる日本人女性と知り合ったのがきっかけです。21歳で日本に住み始めた時、既に料理人として8年ほどの経験がありました。最初に働いたのは、当時四条烏丸にあったビストロ「パリの食堂」です。日本での仕事はハードだと聞いていましたが、思っていた以上に大変でした。毎日16時間働いて、休みは週に一日。もちろんバカンスなんてないし、プライベートな時間はほぼゼロ。その上、言葉の問題もあってコミュニケーションに一苦労......実家の母が「仕事なんてやめて早くフランスに帰ってきなさい!」って激怒するぐらい痩せ細ってしまいました。毎日、ただ職場と家を往復するだけの生活。そうこうするうちに結婚も破綻し、一度生活を立て直すためにフランスに戻ることにしました。でも「2年後には日本に戻ってくる」と決めていて、実際ヨーロッパで2年働いた後、再び京都に戻ってきました。なぜかって? 確かに仕事は大変だったけど、日本のことは好きでしたから。年配の人を敬うところや同僚へのリスペクト、治安の良さ......今度は仕事だけじゃなく、プライベートも充実させて、日本のことをもっとちゃんと知りたいと思ったんです。2006年、京都で再スタート2006年に再び来日した時、手を差し伸べてくれたのはシェフ仲間でした。「パリの食堂」で苦楽を共にした「エピス」の井尻シェフ、「アルザス」の道坂シェフ、そして新町通にあった「ガスパール」の内野シェフ。最初は住むところもありませんでしたが、ガスパールの上に住まわせてもらい、彼らの店で働き始めました。友人と食事に行ったり、クラブに出かけたりする余裕もできて、今の奥さんと出会ったのもちょうどこの頃。いつか自分の店を持ちたいと思いはじめ、そのための準備も少しずつ始めました。レストランで働く傍ら、意外な才能を発揮店を始めるには資金が必要だと思い、副業として始めたのが牧師です。関西だけじゃなく、名古屋とか四国とか、いろんな土地の式場に行って、たくさんのウェディングに立ち会いました。結婚式って一生に一度のものだし、「絶対に失敗できない」というプレッシャーがあって、最初はすごく緊張しました。前日は禁酒を守り、ベストの状態で臨めるよう体調を調えて......でも、仕事自体はとても楽しかったな。今でも思い出すのが、大阪の茶屋町にある、とあるホテルのチャペルでのこと。ある朝、大阪市内を見下ろす高層階のチャペルで、たまたま聖歌隊のリハーサルを見た時、とても感動したんです。静謐な空間に、聖歌隊のほかは僕一人きりで。結婚式の牧師業って「愛を渡す」という素晴らしい仕事。もしお店が潰れたら、また牧師に戻りたいな(笑)。2012年、オープンへ向けて動き出すそんな生活を6年ほど続けて、転機が訪れたのが2012年。当時、仲良くしていた長谷川琢馬くん(現「くまのワインハウス」オーナー)と彼のお姉さんの店に食事に行った時、琢馬くんのお義兄さんから「2人で一緒にお店をやれば?」と言われたのがきっかけです。琢馬くんはその頃、一時的に料理の世界から離れていたんだけど、「2年後に2人でお店を始める」という具体的な目標が決まり、それぞれ動き始めました。資金繰りや物件探し、お店のイメージを話し合ったりと大変でしたが、ボロボロの町家を大工さんたちと少しずつリノベーションして、目標だった2014年になんとかお店をオープン。料理は僕、ワインとサービスは琢馬くんが担当して、最初は二人だけでスタートしました。だけどオープン前、毎日店の工事に立ち会ってるうちに、近所の人ともすっかり打ち解けて......彼らがしょっちゅう来てくれたので、オープン直後からすぐに忙しくなりました。これは、タイムとローズマリーで風味付けをした「うめ鶏のロースト」。直前に熱々のオリーブオイルをかけるので、立ち上がってくるいい香りがなんとも言えません。身はとても柔らかいのに外側の皮はパリッとしていて、お気に入りの一品です。 トマトベースのソースとクリーミーなアイオリソース、ふたつの味が楽しめる「サーモンとエビのブレゼ」。これ目当てのお客さんも多い、ランチの人気メニューです。大ぶりのサーモンはとても食べ応えがありますよ。今ではすっかり日本がホームに初めて来日した時、日本という国にすごく重苦しさを感じました。ルールが厳格なところとか、堅苦しい感じがするところとか。でも、今ではすっかり日本に馴染んでしまって、逆にフランスに帰ると「ここには住みたくないな」と感じるほど。日本人の仕事に対する真摯な姿勢や他人への心配り、そういうフランス人とはまったく違うフィロソフィーが、自分にとっての当たり前になってしまったんですね。好きな日本語は「いただきます」です。どうしてフランス語には「いただきます」にあたる言葉がないんだろう? 不思議ですね。「こちそうさま」や「おつかれさま」もそう。人に感謝を伝えたり、さりげなくねぎらったりする言葉って、いいなぁと思います。撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■LES DEUX GARCONS(レ・ドゥ・ギャルソン)京都市左京区下鴨上川原町3075-708-750011:30~14:00(L.O.)18:00~22:00(L.O.)休 木曜
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BLOG美人&イケメンスイーツ
2019.12.26
『粟餅所 澤屋』の「粟餅」
推薦人:茂山逸平さん(大蔵流 狂言師)しげやまいっぺい[狂言師]1979年生 まれ。二世茂山七五三氏の次男。3歳で狂言を始め次世代を担う若手狂師の一人として「狂言小劇場」など精力的に活動。古典の舞台はもちろん、映画やテレビドラマなど現代劇でも活躍。著書に『茂山逸平 風姿和伝』 (春陽堂書店刊)がある。何度食べても食べ飽きない美味しさ「北野天満宮さんで舞台があるときには、必ずといっていいほど、澤屋さんの粟餅を買い、休憩時間などにいただきます」と話す茂山逸平さん。『粟餅処 澤屋』は、茂山家代々が贔屓にしてきた店で、ものごころついた頃から、ここの粟餅が好きだったと言います。 体力も知力も使う狂言の舞台はや稽古の合間には、甘いものをちょっと味わうと心身ともに癒されるのだそうです。創業天和2年(1682)の老舗『粟餅所 澤屋』。祖先は楠正行公の臣下でその首塚守護の命を得て、嵯峨野に移り住みました。その後、子孫が「粟餅」をつくり、北野天満宮の境内で販売したのが、はじまりだといいます。名物の「粟餅」は、充分蒸した粟を店内の臼で搗いた餅に、あんときな粉をまぶした素朴な和菓子。土台の粟餅は、つくり置きせず、一日に何度も搗くのだそうです。粟のぷちぷちした食感が残るしっとりやわらなかな粟餅に、甘さを抑えた上品なこしあんと香ばしいきな粉がよくあいます。※持ち帰り用は5個650円~人気の「紅梅」(500円)は餡2個、きなこ1個が盛られ、見た目はボリュームがありますが、するっと平らげてしまえる美味しさ。甘いものはあまり食べないという人も、「ここの粟餅だけは別」という人が多いのがわかります。注文が入ってから手作りする粟餅は、今年97歳という12代目の与八郎さん、13代目の哲良さんと14代目の淳平さんの3人が作業分担して作ります。手でもった加減だけで粟餅の分量を量り、丸めて餡をつける、きなこをまぶすとその作業はよどむことがない一子相伝の熟達の技。親子3代の連携作業で注文からわずかの時間で仕上げます。「店では食べず持ち帰ってじっくり味わう」という茂山逸平さんのお気に入りは、きなこ。たっぷりとかけられたきなこの香ばしさが際立ちます。「ここの粟餅を食べるとほっとする」と逸平さん。「茂山さんにはご贔屓にしていただいています。確かに、逸平さんはいつもきなこですね」と哲良さん。永らく家業を継ぐ家同士のつきあいは、これからも続いていくのだろう。撮影:ハリー中西■栗餅所 澤屋京都市上京区紙屋川町838−7075-461-45179時〜17時 売切れ次第終了休 木、毎月26日
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