2019年に始まった「うつわ知新」は、初心者の方にもわかりやすい焼き物やうつわ解説でした。丸2年を迎えた2021年9月からは、もう少し深く、焦点をしぼった見方ができる内容をご紹介しています。 それぞれのうつわが辿ったストーリーや製法についても、ひも解いていきます。
9月末~4回ほどは「伊万里焼と古九谷焼」について。
4回目は、古九谷様式に焦点をあてて解説いただきます。
「伊万里焼と古九谷」の物語をお楽しみください。
梶高明
梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。
伊万里焼と古九谷焼4
先月は、伊万里が中国人の技術指導を得たことで、初期伊万里と呼ばれた時期を抜け出していく様子と、その時に獲得した技術的な特徴についてお話をさせていただきました。
優しく解説すると言っておきながら、後で読み直すと結構難しくなってしまったことを反省しております。
まずは今回の導入部分をお話しすると、伊万里は1640年頃に初期伊万里から古九谷様式と呼ばれる次の時代に入っていきます。そして古九谷様式の焼物は中国人の技術指導を得て、大きく分けて、青手古九谷・色絵古九谷・藍九谷(染付)・吸坂手(錆釉)の4種類の作風へと広がりを見せていきます。
今月は、この古九谷様式の焼物に焦点をあててお話ししたいと思います。
青手古九谷には、磁器と半磁器の焼物があります。半磁器と言うのは陶土(粘土)と、磁土(陶石の粉末)を混合した生地を用い、陶器の柔らかな風合いを残しつつ、磁器に近い強さを持った焼物です。
主に緑の色釉で表面を塗り詰めているため、緑色っぽく見えることから青手と名付けられたようです。緑色なのに青と呼ぶのは、古くから緑を青と呼んだ日本の習慣に由来すると言われます。
色釉でうつわの全面を塗り尽くしたのは、くすんだ色調の生地を隠すためだったと記された文献を見けることがありますが、それならば磁器質のうつわだけを生産して、半磁器のうつわを生産した説明ができません。私は逆に、半磁器のくすんだ生地に色釉を乗せることで、全体の色調に重厚感が出るからではないかと考えています。
青手古九谷は赤の色釉を使っていないこともその特徴です。さらに絵付けにおいて高い画力を求めて、職人ではなく絵師に力を発揮させていたことも特徴のひとつでしょう。絵画のごとくに一点限りの焼物を作ろうとしたと考えられます。
古九谷の下絵は、狩野派の絵師で金沢にも住まいした久住守景によるものではないかという説もあると読んだことがあります。これはそれほど数寄者が、自分だけの唯一の茶碗を所有することを望んだように、注文主の好みを強く反映させようとした証と言ってよいのかもしれません。
伊万里青手古九谷様式椿絵鉢
赤の色釉は使わないと言う青手のお約束の通り、赤は使われていません。高台の内側の色釉を塗っていない箇所や、高台の畳付き部分の素地の色を見れば、このうつわは磁器ではなく、くすんだ色の半磁器であることがお分かりいただけるでしょう。しかし、そのくすんだ素地のおかげで、落ち着いた重厚感があらわれて、魅力が増しているのも事実です。これは青手の鉢類の中では比較的小さい部類の七寸 (約直径21cm)の大きさですが、量産することを主眼に置かない一点物の風格が感じられます。お菓子を盛ってもおさまりが良いのは、茶人たちの好みを意識して造られた青手古九谷の風格なればこそでしょう。後世の伊万里とは異なる高い美意識だと思います。
色絵古九谷では青手古九谷同様に一点限りの大皿なども焼きながら、同時に、景徳鎮で焼かれ輸入された南京赤絵の写しや、日本人の好む図柄や形を反映させた数物の向付も量産しています。その背景には、中国からの陶磁器の輸入量が激減し、入手できなくなった古染付などの穴を埋める必要があったからだろうと推測できます。
ところが、品質も向上し、これから販売攻勢をかけようとする伊万里のライバルとして想定された明国の陶磁器が、生産量が減るどころか国もろとも消滅してしまったわけです。それは、衝撃的な出来事ではありましたが、伊万里にとっては千載一遇のチャンスが到来したことになったのです。
色絵古九谷と言うのは、赤・緑・黄・紫・紺青(こんじょう)の5色の上絵釉内のいくつかと、意匠によって染付も組み合わせて彩色された磁器を指しています。白磁の上に鮮やかな色絵を用いて、豪華な大皿も焼かれていますが、同時に端皿(はざら)と呼ばれる円形・四方形・長四方形・扇形・菱形・八角形など多彩な形状の平向付(平皿)も大量に焼かれました。
この端皿はおおよそ20客揃いの数物であったと言われていますが、手間を省略して大量生産に重きを置いただけのうつわではなかったようです。サイズを小さくして量産はしても、クオリティーは保とうとする心意気が感じられるうつわなのです。
形も多種多様のものが作られていますが、これは織部の向付から古染付の向付に受け継がれた数寄者たちの形へのこだわりが、この色絵古九谷の端皿に反映された結果でしょう。
だからこそ、現代の茶会においても色絵古九谷の端皿が向付に用いられているのかもしれません。また茶会の中での色絵古九谷は他の古い道具と違和感なく馴染んでいます。茶会で伊万里は使われないのだと皆様にお話してきましたが、この古九谷様式のうつわは茶人のことも意識して造られていたのかも知れないと、私自身が伊万里と古九谷を深く学んでいく中で感じられるようになりました。
色絵古九谷山水図長方皿
左に岩山、右手前に梅、右奥に楼閣を遠景で描き、紙に描く山水画を陶器で試して額縁にはめたようです。奥行きのある構図は、画家の指導があったことを感じさせます。
色絵古九谷牡丹図四方皿
中央に百花の王の牡丹を、周囲に子孫繁栄を願う葡萄を描き、目出度さを表現しています。描かれた複数の植物の配置が実に見事です。
色絵古九谷団栗図菱形皿
中央に子孫繁栄の団栗を描き、周囲の丸窓には宝珠を描いています。菱型も植物の菱が子孫繁栄のシンボルなので目出度さを意識したデザインになっています。
色絵古九谷山水長方皿
中国由来の絵画風、日本では狩野派がこのような構図を好んで描いています。やはり狩野派絵師の指導があったとしか考えられません。
古九谷寒江独釣図丸皿
茶人好みの中国絵画の題材を採用し、生産者の教養の高さが感じられます。裏面中央の緑の部分の中に柱を立てた跡が見られます。高台内の沈み込みを防止するための伊万里独自の技術です。
とりどりの色絵古九谷向付(端皿)
ほとんどが丸い皿型の青手古九谷に対して、色絵古九谷の形は実にバラエティーに富んでいます。このようなユニークな形の展開は織部向付に始まり、動植物や様々な形を採用した古染付向付に受け継がれ、丸・四方・長方・菱のこれら古九谷端皿のへと、国境さえも越えておおよそ100年間進化してきたものだと思います。このような向付の進化の先に色絵古九谷が存在するからこそ、茶懐石のうつわとして用いられているのではないでしょうか。色絵の端皿のひとつにお菓子を乗せてみましたが、青手の鉢ほどのおさまりの良さは感じられません。青手古九谷とは違い、料理の向付として生まれているからかもしれません。
来月は藍九谷、吸坂手についてお話していきたいと思います。
伊万里焼と古九谷焼5へつづく