BLOGうつわ知新2021.03.27

現代陶芸1

季節ではなく備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介。京都・新門前にて古美術商を営む、梶古美術7代目当主の梶高明さんに解説いただきます。 さらに、京都の著名料理人にそれぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん器との相性やデザインなどについてお話しいただきます。

今回のテーマは「現代陶芸」です。

1回では現代陶芸の魅力について、2回目には今回使用したものをふくめ、代表的な現代陶芸について解説いただきます。

そして、3回目は、イルギオットーネの笹島保弘シェフとのコラボレーションです。笹島シェフがこのうつわに料理を盛りたいと思ううつわを選び、渾身の料理を盛りつけます。

知っているようで知らなかった「現代陶芸の世界」をお楽しみください。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

現代陶芸

 古美術商の私が「現代陶芸」についてお話しすると、「ついにネタが切れたか」と思われるでしょうか。
 私は20年以上にわたって美術鑑賞レクチャーを開講しており、今では京都に限らず、毎月、広島や東京でもお話をさせていただいている経験がありますので、この「うつわ知新」の原稿の回数くらいでネタが尽きることはありません。
 それでも「現代陶芸」についてお話をする理由はと申しますと、古い時代のうつわも、近代の名工の作品も、やがて枯渇してしまうのではないか、という危機感を感じ始めたからなのです。そしてそれに代わる存在が「現代陶芸」のうつわだと思うのです。

 日本人は茶の湯に親しんできたおかげで、茶碗・花生・水指など茶道具のみでなく、茶懐石のうつわに至るまで鑑賞の幅を広げ、美と愉しみを追求してきました。
 もしこの強い追求心がなかったら、今頃私たち日本人は、アジアの他の国々と同じようにプラスティックやアルミ製の食器を使って日々暮らす民族になっていたのではないでしょうか。これらのうつわは、薄くて軽いだけでなく、割れない、欠けない、吸水性もないから清潔を保ちやすい、といった多くの面で陶磁器のうつわに対して優位であります。
 しかしながら、唯一、「美」という鑑賞的な方面でだけは陶磁器のうつわが圧倒的に勝っていると思うのです。日本人はこの「美」にこだわって、文化としてそれを育てて、利便性を排除してでも使い続けて来たのではないでしょうか。

 和食を世界遺産に登録するのに大きな役目を果たした、日本料理アカデミーという組織があります。私は料理人ではありませんが、その末席に名を連ねています。日本料理アカデミーは以前、海外から一流シェフを招いて和食を学ぶ機会を数回にわたって提供しておりました。参加していたのは、世界中のスターシェフたちでした。十日間ぐらいのプログラムだったでしょうか、一人ひとり異なる和食店で働きながら和食の技を学ぶのです。さらにその合間に包丁などの和の調理器具、茶道、和菓子、うつわについての研修も受ける、盛りだくさんのプログラムでした。
 最終日には料理関係者のみならず、多くの観客の前で、学んだ技術で調理を行い、研修の成果を発表することになってました。そして、実はその時に使用するうつわを、私どもが提供をしておりました。家内が営む南禅寺の「うつわやあ花音(あかね)」で取り扱う、現代の陶芸家・漆器作家の皆さんにもお声がけして、優に100を超える数のうつわを提供していただいておりました。もちろん私の専門分野の古陶磁器からも、うつわを選べるようにしていましたので、それこそ広間に足の踏み場もないほどに敷き詰めた現代陶のうつわだけに留まらず、私どもの店内すべてのうつわからシェフたちが好きに選べるようにしたのです。

 多くのシェフたちは日本のうつわを使った経験があるので、特に大きな期待もなく、平然とした面持ちでうつわの前に立つのですが、直後、彼らは驚愕の表情に変わるのです。彼らの言う日本のうつわは「ノリタケ」や「ナルミ」製の洋食器を意味し、私たちが用意したうつわは彼らのイメージとはまったく異なるものだったのです。
やがて彼らは興奮し、「このうつわは一体どこから持ってきたのですか?」「日本人にこのようなうつわを作るセンスがあるのですか?」としきりに尋ね始めるのです。
その驚きは、中国や日本の伝統的な古陶磁器ではなく、「現代陶芸」のうつわに向けられたものでした。実は海外の料理人も観光客も、さらに言えば日本人でさえ「日本はうつわの超先進国」であることを知らないのです。それを知っているのは海外で日本美術を扱うギャラリーや、美術館関係者くらいなのです。

 恥ずかしながら私も、これを経験するまでそんな事情を知りませんでした。そう言えば、オーストラリアの美術館から美術品の購入担当者が幾度か私の店を訪ねてきたとき「日本の近代の陶芸作品は世界の宝だ」と話してくれたなあ、というようなことが、かすかに頭に残っていたくらいでした。

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 「現代陶芸」のうつわの中には、日本で大人気の作家の作品や、「これは海外のシェフにも気に入ってもらえるであろう」と私たちが自信満々の作品も多数並べていたのですが、その自信はあっさりと打ち砕かれてしまいます。私たちはうつわとしての本当の「美」を間違って理解していたのです。私がうつわを評価していた基準は、作家の人気度や、うつわの陶磁器としての完成度といった観点で、「美」を扱う人間でありながら、その実、日本人的な目でしか見ていない狭い価値観で測っていたことを思い知らされました。シェフたちは初めて目にする日本のうつわに感激しながらも、ことごとく私たちが自信を持っていたうつわを選ばなかったのです。

 いまになって思えば当然のことです。海外から来た彼らにとって、作者の名前は聞いたこともないから知名度など意味があるはずもなく、焼物の産地も、聞いたこともない地名だし、うつわの形の由来などにもまったく興味なく、作品としての質の高さも私たちの基準とは異なっていたわけです。彼らは目の前のうつわを自分の料理の入れ物だとのみ考えて、食材を選ぶ時のように自由度の高い目線で眺めていたわけです。しかも欧米人の習慣では、陶器と呼んでいる、いわゆる土物のうつわは、盛り鉢としては使用されますが、そこから直接口へ運ぶうつわとしては、あまり使用しないのです。ですから、欧米のうつわ、つまり洋食器は磁器製だという大原則に気付かされたのです。

 このようにして私は、日本の現代陶芸の素晴らしさと可能性を知ると同時に、日本の陶芸が乗り越えなければならない課題も見つけることができたのです。
 近年の和食文化の世界的な広がりは、「UMAMI(うまみ)」や「WAGYU(和牛)」などを海外のメニューで見かけるようになっただけでなく、料理のジャンルを問わず、日本の食材が海外で使われるようになったことからも明らかです。それと同じく、私たちの扱っていた現代陶芸のうつわもパリやニューヨークの超有名店から注文をいただくようになりました。まさに和食文化の輸出は、日本文化の輸出の絶好の機会なのです。

 そこで、足元の現代陶芸の置かれている環境を改めて見てみると、売れっ子の陶芸家ですら、急速に縮小している茶道市場に向けた作品展開がまだまだ主流になっているように見られ、最も市場規模の大きいはずの食のうつわへの取り組みは、どうも格下の仕事のように軽んじられているようなのです。うつわを多く発表し続けている陶芸家も、その販売先をうつわ好きの一般主婦に置いているかのような売り方をしているように見えます。和食が世界に広がっていくこの機会に、その波に乗っかっていけば、日本のうつわの文化は世界に向けて輸出されていく可能性を秘めていると思うのですが、もったいないなと思うのです。

 日本の皆様には、食べること、調理することが、服を着ておしゃれを楽しむようなファッショナブルなことだと気づいて欲しいと思います。そしてうつわの存在は日本人が世界に向けて提案できる文化なのだと知って欲しいのです。ハンバーガーはうつわさえも使わず、包み紙で食べます。京都の錦市場や大阪の黒門市場での食べ歩きや、簡易なイートインなどは、楽しくはあっても、日本文化から考えればいかがなものかと思えます。
 現代のAIやITで日本が遅れをとっていても、美しい文化の中で暮らす国民性は捨ててはならないと思います。どうか、世界の最先端にあるうつわの存在に気付いて、現代陶芸を応援して育てていくために、あなたの食器棚の棚卸をして、美しいうつわで満たしてみませんか。「日本の現代陶芸は世界の宝なのです。」

現代陶芸2につづく