BLOGうつわ知新2020.07.31

旧暦七夕と盂蘭盆会

屏風に見る桜の美学うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。 このコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄について「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

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北大路魯山人作糸巻向付

数ある魯山人の作品の中でも、とりわけ目を引くこの糸巻向付を8月のうつわとして紹介させていただきたいと思います。

五色の糸巻きで七夕を連想させることから、一般的には6月後半から7月7日頃に使われるうつわです。何故そのうつわを8月のものとして紹介したのか、その理由をお話しさせていただきましょう。

ひとつ目のお話は、中国の神話が関係します。牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の恋の話はよくご存じのことでしょう。天空を支配する天帝には機織りに秀でた娘がおりました。ある時、川の東岸に住む娘と、西岸に住む働き者の牛飼いが恋に落ち、やがて夫婦になります。しかし、夫婦になって以降、ふたりとも自らの職分を忘れ、織物も織らず、牛の世話もしなくなったので、天帝の怒りを買ってしまいます。天帝はふたりを天の川を隔てて別々に住まわせ、自由に行き来できないようにし、七夕の夜にだけカササギが天の川に橋をかけ、逢瀬が叶うようにしたのです。これが夏の夜空に輝く、わし座のアルタイルとこと座のベガにまつわるお話です。

ふたつ目のお話も、やはり中国から伝わった乞巧奠(きっこうでん)と呼ばれる儀式に関係があります。7月7日に女性たちは棚を設えて酒や供物を供え、五色の糸で飾りつけ、手芸や裁縫の上達を願ったと言われています。また角盥(つのたらい)に水をはって星を映し、願いを記した梶の葉を浮かべて願をかけたようです。

このように牽牛・織女の神話と、技術上達を願う乞巧奠の儀式が合わさって、「七夕(しちせき)」の節句を、機(はた)を織る意味の「棚機(たなばた)」という言葉に読み替えて「七夕(たなばた)」と呼ぶようになったのです。

ところが、明治6年以降、日本では太陽暦を新しく採用しました。その結果、旧暦に合致していた季節行事に、カレンダー上のずれが生じるようになります。年に一度だけ許された牽牛星と織女星の七夕の逢瀬は、梅雨明け後の晴れ渡った夏の夜空で叶えられるはずが、新暦のもとでは梅雨の真っ只中に変わってしまい、天空のデートは10年に一度実現するかどうかという難しいものになってしまいました。そんなことで、この5色の糸巻向付は梅雨が明けた後の八月初旬に使うことが似合ううつわだと思うわけです。

少し話は脱線しますが、手芸や織物は主に農閑期の仕事として昔は行われていましたから、その理由からすれば、この糸巻向付は収穫後から冬の間のうつわだろうと言う人がいてもおかしくありません。結局、うつわの選定は客をもてなす亭主の考えを反映させて、「亭主の勝手にしなさい」と言うことなのでしょう。こうしてうつわについて深く学んでみると、食事のときに話が盛り上がり、うつわもご馳走のひとつになっていくわけです。

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古染付蓮華文平鉢

俳句や歌を詠む際、季節を盛り込むために用いる言葉を季語と言います。そして晩夏を表す季語に「蓮」があります。「古染付蓮華文平鉢」はそういった意味で、7月から8月にかけて使いたいうつわです。「蓮」は極楽浄土に咲く花として慈しまれたことから仏教的なイメージがつきまといますが、うつわの模様はどれもおおむね吉祥紋、つまりおめでたい図柄が用いられています。この「蓮」も、極楽浄土の花というだけにとどまることなく、インドの神話においては梵天(ブラマン/ブラフマー)が蓮の花の中から生まれ出て世界を創造したことから、万物は蓮の花から生ずるがごとくに考えられていました。また多くの仏像は蓮台の上に設置されていますし、蓮の花から半身をのぞかせ、仏が蓮の花から生まれる瞬間の姿を表現した仏像まで存在します。そのように蓮の花は吉祥紋どころかエネルギーの源のようにさえ考えられていたのです。

また中国では、宋代の学者の周茂叔(しゅう もしゅく)のエピソードと共に蓮の花が愛されていました。蓮が泥の中より生えているにも関わらず、泥に汚れることなく清浄で可憐な花を咲かせているのを見て、国の政治が腐敗し、社会に不安が渦巻いても、泥の中から蓮が立派な花を咲かせるごとく、どんな境遇でも乱れた世に希望をもたらす人物は必ず現れると唱えたのです。橋の欄干や船端に寄りかかって、蓮を眺める周茂叔の姿は日本の画家たちによっても描かれ、陶芸家によっては盛んにうつわに絵付されてきました。

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この「古染付蓮華文平鉢」が作られた17世紀初めの明朝末期は、未だ陶磁器を素焼きする技術はなかったため、このような蓮弁の繰り返し模様でさえも、下書をせず、いきなり呉須を筆に含ませて、一気に描いていたと言われます。細やかな筆運びを行いながら、全体のバランスにも配慮できる力が絵付け師に求められたのです。裏面の高台の内側には「大明成化年製」と記されています。高台内に描かれた文字や図形から製作された場所や作者が特定できるのかと尋ねられますが、製作年代や様式を探るための手掛かりになることもありますが、大半の場合は特に意味を持たせず習慣的に描かれたものだったようです。この鉢に描かれた「大明成化年製」は明国の成化年間(1465~1487)に作ったという意味です。しかしこの言葉は、後世の日本の多くの伊万里のうつわにも描かれるほどで、この古染付の製作年代とも異なることから、とりたててこれに意味を求めることは無理なようです。

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天啓赤絵鮑形鉢

次に、やはり明朝の同時期に作られた「天啓赤絵鮑形鉢」をご紹介します。天啓赤絵は明朝末期の天啓年間(1621年 ~1627年)に製造された色絵磁器を意味するのですが、その区別が困難なことから、染付を伴わないか染付に重きを置かない絵付けの色絵を「天啓赤絵」と呼ぶ傾向にあるようです。貝の形はそれを女性器に見立てることから、雛祭りのころに用いることもありますが、魚や海老が描かれ海の匂いも感じられることから8月のうつわとして紹介させていただきます。鮑は神様へのお供えものである新撰(しんせん)として用いられてきた縁起ものです。

ところで、「古染付蓮華文平鉢」と「天啓赤絵鮑形鉢」を皿や向付ではなく、鉢と呼ぶのはどうしてだろうか、と疑問に思ったことが以前ありました。
単純に、サイズの大小での呼び分けでも正解なのですが、それだけでは充分な区別にはならないようです。鉢はそのサイズ、さらに希少性や品格によって、皿や向付より上位に位置付けられているようです。ですから、場合によっては数物として生まれたにも関わらず、多くが失われてしまった結果、鉢として扱われるようになっているものもあるように思います。

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浮田一蕙筆「盂蘭盆会(うらぼんえ)

浮田一蕙筆「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と「盆踊り」の二本を8月の掛軸としてご紹介いたします。
「盂蘭盆会(うらぼんえ)」は、地獄の責め苦から救う意味、或いは逆さ吊り刑を意味する「ウラバンナ」が語源だといわれています。お釈迦様の16人の弟子のひとりが、亡くなった自分の母が飢餓道に堕ち、一切のものを口に入れることが出来ずに苦しんでいることを知ります。その原因は、母が自分を養うために他人への施しを拒んだことによると解り、彼は悩み苦しみます。そしてお釈迦様に自分の心情を訴え、お盆の日に母に代わって人々に施しを行うことを勧められます。その結果、施しは母にも届き、母は地獄を抜け出すことも叶ったのです。従って、この絵も吊り灯篭の下、人々がお供えを運ぶ姿が描かれています。

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浮田一蕙筆「盆踊り」

もう一方もお盆の情景が描かれています。盆踊りをする人々の中に顔を隠して踊る女性がいます。お盆には亡くなった先祖が現世に戻ってくると信じられていますので、顔を隠し、供養する人の着物を着て、その人に扮して踊っているのです。
どちらの絵も、多くを描かずにさらりとした表現で、情緒やその風情を伝えています。
今月もいくつかのものを紹介しましたが、それらを鑑賞することは勿論ですが、それらを理解するための私たちの教養が必要だということにもお気づきいただけたでしょうか。日々何気なく通り過ぎているものに、深いストーリーが隠されています。ぜひ、立ち止まって調べる楽しみを発見してください。