食知新ブログ
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BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2020.03.30
祇園にしかわ「白子のポタージュ」
奇想の一皿「白子のポタージュ」着物の絵付師をしていたおじいさまに導かれるように、料理の道を志した西川さん。料理を含め、さまざまな一流のものに触れる機会を作ってもらったことが、現在の礎になったといいます。そんな西川さんが、祖父の眠る大谷祖廟にほど近い祇園・下河原に店を構えたのは2009年のこと。ほどなくミシュランに掲載され、瞬く間に京都を代表する懐石料理店のひとつとなりました。伝統文化に精通する一方、進取の気性にも富む西川さんの「奇想の一皿」をご覧ください。発想秘話二月頃というのはふぐの白子が一番おいしい時期です。白子って塩と反応すると、ものすごい「とろみ」が出るんですよ。下処理の際に思いっきり塩を使って臭み抜きをするんですが、ボウルに入れてガッガッと揉んでやると、とろみがドワーッと出てくるんです。そのとろみを見て「なにかに利用できるんちゃうかな?」と思ったのが、この料理の原点です。ふぐの白子ってね、塩で揉むと臭みが抜けて、うまみだけがしっかり残るんです。裏ごしをして、再度火にかけて塩を入れても、まだ粘り気が残っている。そういう新しい発見があったときは、使い方をあれこれ試してみますね。鯖寿司のように、ずーっと変わらず作り続けていくものもありますが、同じ料理ばかりではつまらない。店の子たちにとっても、レシピが増えていくほうがいいと思うんです。そんな思いもあって、新しい調理法は積極的に取り入れていきたいと思っています。では、白子のとろみを生かした温かいポタージュを作っていきましょう。まずは生の白子を裏ごしします。今日は時期的にふぐを使いますが、鱈の白子でも構いません。味の違い? 毎日味見をしている料理人でもない限り、まず分からないと思います。それぐらい良く似ていますね。純米酒を煮切ったところに先ほどの白子を加えます。あまりいいお酒を使うと、そっちが勝ってしまうので、普通の清酒で十分です。続いて鍋にかつお出汁を加え、塩水(えんすい)を注(さ)します。塩水というのは塩を卵白とともに水で煮詰め、えぐみだけを取り除いたもの。ものすごく塩辛いんですが、辛さはまろやかで......今日は4滴ぐらいかな。味見をして、最後に白味噌で味を調えます。使うのは<山利>さんの白味噌。味噌を入れたら火を止めます。これね、実はこないだ<山利>のご主人に「僕の作った味噌をあんまりコトコト炊かんといて欲しいんや~」って言われて、それから調理法を変えたんです(笑)。僕ら京都では「白味噌はえぐみを抜くためにコトコト炊く」って教わるんですけど、味噌屋さんは「炊かんといて欲しい」って思ってるんです。というのも、発酵食品の味噌は生きているから。火を入れすぎると香りも変わってしまいますしね。実際火の入れ方を変えてみたら、以前より「パンチの効いた味」になったんですよ。上品な、まろやかな味ではなくなった。でも白子や蟹味噌といった「味に主張のある食材」には、このほうがいいんです。上品な味噌で強い食材を味付けしようとすると、味噌感を出すために使用量が増えてしまう。そうすると、食材そのものの味がぼやけてしまうんです。椀だねは炭火で焼いた白子。焼き目が付くぐらいまでしっかりと焼き上げます。蓋つきの椀の代わりに<象彦>さんの漆器にポタージュを注ぎ、仕上げにオーガニックのオリーブオイル<BISPADO>を垂らしたら完成です。寒い時期は、まず最初にこういった温かい飲み物をお出しして、それから料理を楽しんでいただくことにしています。白子のピューレは独特のとろみがあるため、ベシャメルソースの代用品としていろんな料理に使えます。ここで生クリームを使ってしまうと一気に創作料理っぽくなってしまいますが、そういったものを使わなくても、調理法や合わせ方を変えることで、おもしろいものが作れるんじゃないかな。今回見ていただいた白味噌の使い方にしてもそうですが、僕ら料理人はもっと生産者の思いや意見に耳を傾けなくちゃいけないと思っています。彼らの思いを受けて、それをどのように料理に生かしていくか。僕自身が実践していくのはもちろん、次の世代の料理人たちにもしっかり伝えていきたいですね。撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■祇園にしかわ京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル075-525-177612:00~15:00(退店)、18:00~19:00(L.O.)定休日 日曜・月曜の昼 ※日曜が祝日の場合は翌日休
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BLOGうつわ知新
2020.03.23
卯月 -桜-
梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。卯月 -桜-「願わくば 花のしたにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ」これは「2月(如月)の満月のころに花の下で死にたい」と、西行法師が桜への思いを歌たったものです。如月(2月)と読まれていることから、これを梅花を見ながら死にたいと願った歌ではないだろうかと疑問を持つ方もあるのではないでしょうか。ところが、辞書を引いてみると、「単に『花』と表現されている場合は『桜』のことを表す。」と解説がされています。私も古美術を商う以前、「花」は植物全般の「花」を表すものとしか理解していませんでしたから、このことを知って驚かされました。それ以来、和歌の意味を調べる際に、「花」=「桜」と解釈しておりますが、不都合を生じることはまずありません。日本国花のひとつでもあり、場所取りまでしてお花見に出かける一大イベントを巻き起こし、「花」=「桜」と解釈されるくらいの存在であるにもかかわらず、「桜」は「松竹梅」「四君子(梅・竹・蘭・菊)」...などのような吉祥を表す植物に含まれていません。それよりも桜花の下で気がふれるような物語が作られ、短命な「はかなさ」の象徴とされ、根元には屍が埋められているとまで噂され、人々に強烈に愛されながらもネガティブな印象もあわせ持つ不思議な存在が「桜」なのです。西行の歌の2月15日(如月の望月のころ)はさておき、私の日ごろの暮らしの中で「桜」は4月のイメージです。過去のデータを調べれば、例年4月上旬に桜は満開になっていますから、桜の季節は4月と思っている方も多いでしょう。ですから4月に向けて、桜をあしらった帯を締め、雲錦模様(桜と紅葉をあしらった図柄)のうつわが使われるわけです。「時代本間六曲犬追図屏風」江戸時代 作者不明桜は屏風画の世界でも春を表現する重要な題材として描かれてきました。今月はそんな桜を描いた屏風画をご紹介させていただきます。最初にご紹介する屏風は約400年前、桃山~江戸初期に描かれた「時代本間六曲犬追物(いぬおうもの)図屏風」です。犬追物は、武家たちの鍛錬を目的として行われた競技会です。サッカーコートより少し小さめの敷地に犬を放ち、犬を傷つけないように配慮した矢を用いて武芸を競いました。鎌倉から室町時代にかけて随分と流行した犬追物ですが、江戸時代に入って、弓矢に代わって鉄砲が重要視され、五代将軍徳川綱吉が生類憐れみの令を制定したことにより、開かれなくなっていきました。満開の桜の下に様々な階層の人たちが集い、その華やかな時候に合わせて開催されたのであろう犬追物、双方を楽しんだ様子をうかがうことが出来だけでなく、当時の着物や髪型の流行までも興味深く見せてくれます。またこの屏風の所有者のことを推察すれば、犬追物を大変愛し、きっとこの屏風をしつらえて、人を招き会食なども楽しんだことでしょう。そういった意味ではそれも、うつわと呼ぶことはできなくとも、食事等を楽しむための道具のひとつだったと考えることができるのではないでしょうか。さらに今回は屏風をもう一つご紹介いたします。「時代本間源氏物語図屏風一双」です。名前にある、「時代」というのは古い時代物であることを意味し、「本間(ほんけん)」というのは、座敷の鴨居の下までの高さを示し、おおよそ170 cm強の高さを表しています。「一双」というのは一対と同義語で、多くの場合、一対の左側が春から夏を、右側が秋から冬を描いています。この屏風は源氏物語54帖の内の異なる帖を左右に分けてひとつづ描いています。残念なことに左側はどの帖を描いたのかを断定することができないのですが、桜満開の宇治橋とその周辺を描いたものだろうと思われます。「時代本間源氏物語署図屏風一双」 江戸時代 作者不明右側は、「野分(のわけ)」の帖を描いており、秋の強風(台風)によって屏風が倒れそうになり、女房たちの慌てている仕草が描かれています。屏風は折り曲げて飾ることにより、奥行きを演出するのだと言われていますが、完全に伸ばしきった状態で鑑賞しても、遠近を感じられる工夫がされていて、遠近法が未発達な中においても、絵師たちが知恵を絞って描いたことをうかがうことができます。屏風の中には、所有者の権力を誇示す目的で描かれたものや、物語を語り聞かせるための教育的な絵本のような役目を果たすものもある中、ご紹介したニ種の屏風は、人をもてなすために描かれたのであろうとうかがい知ることができます。つまり、食事の時のうつわの役割に似た目的で使われたものだと言えるかもしれません。器に込められた桜への憧憬つぎは桜を描いたうつわをご紹介いたします。最初に白井半七の作品で「模乾山寄向付(けんざんうつしよせむこうづけ)」10客のうちより、貝合(左)、桜狩(右)を選んでみました。白井半七造 模乾山寄向付より、貝合(左)と桜狩(右)貝合(かいあわせ)は2枚貝の形のうつわに、桜と芽柳(めやなぎ)が描かれています。貝はその内側に絵を描いて、絵合わせの遊びに用いられました。それは男女の和合のようであり、この世で一組しかぴたりと合わさるものがない、つまり一組の男女が一生添い遂げるという意味を持たせているのです。このことから雛祭りに貝の形をしたうつわを用い、蛤のお料理をいただいたく習慣が生まれたのです。貝の形に桜と芽柳を描くことで、3月の桃の節句へと向かうまだ寒い時期から使い始め、お花見の時期を経て、桜が散って柳の新芽がまぶしい初夏の頃までの長い季節を楽しめるように工夫がされているのです。それとは逆に桜狩のうつわは短い季節を的確にとらえて楽しませてくれるうつわになっています。名前は桜狩と書かれていますが、野山も描かれていることから、「吉野山」と命名されてもよいうつわだと思います。十六代永樂即全造 乾山写絵替 細向付より、雲錦(左)と吉野山(右)次のうつわは筒状の形をしていますが、これを深向付(ふかむこうづけ)または筒向付(つつむこうづけ)と呼び、16代永楽即全によって作られたものです。先ほどの白井半七のうつわと同じく尾形乾山のうつわの意匠より作られたものなので「乾山写絵替細向付(けんざんうつしえがわりほそむこうづけ)」となっています。左側は雲錦模様、右側は吉野山を描いています。万葉の時代から桜は吉野、紅葉は龍田川という名前が当て嵌められてきましたが、その両方の桜と紅葉を描くことで春にも秋にも使えるよう雲錦模様(うんきんもよう)というものが考案されたのでしょう。最後に黒い椀に朱でさくらを描いた吉野椀をご紹介いたします。吉野は桜で有所でありながら、修験道の実践の場として、大変重要な地でもありました。ですからこの椀は、豪華な蒔絵を施したものとは違い、むしろお寺の什器(備え付けのうつわ)として生まれ、きらびやかな装飾は控えた椀になっています。吉野椀 作者不明屋外は桜が満開、料理にも華やかな春の食材が並び、その中で、あえて華美な装飾を抑えて存在感を表している椀です。華やかさと地味さ、甘さと辛さや苦さ、相反するもの料理の中でうまく表現されているのが日本の料理だと思います。この吉野椀が愛される理由はその控えめな存在感なのでしょう。今月はうつわの枠を大きく外れ、屏風にまで話が及びました。ひと昔前の日本人は茶の湯を通じて、物の扱い方、鑑賞法を学んでいたわけですが、茶道が堅苦しく、窮屈で儀式的なものと捉えられがちな今日。食事を楽しむ中で、使われるうつわや道具に目を向けて、教養を高めていく楽しさが、見直されているように感じるのは私だけでしょうか。
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BLOG料理人がオフに通う店
2020.03.21
「ツネオ」―「青柳」青柳旭紘さんが通う店
「青柳」青柳旭紘さん《プロフィール》京都市生まれ。23歳の時に調理師学校に入り、24歳から料理の世界へ。和洋の料理を経験する中で魚を扱う面白さ、奥深さを知る。30歳で独立し、魚料理専門店「青柳」をオープン。上質の素材を駆使した季節のコースで、魚介の魅力を余すところなく伝えている。今年で13年目を迎える。選り抜きの素材で織りなす料理と上質ワイン。幸せな出合いを現代と過去が融合した空間で「最初に会ったのは市場やったかな。ここも魚屋さんが同じで、互いの店に行くようになったと思います。いい魚を使った和食が食べられてワインもおいしいし、堅苦しくなく、居心地がいい。遅くまで営業されていたので、仕事終わりに行くことが多かったですね。最近祇園に移転されたんですが、前より使いやすく、雰囲気もおしゃれ。落ち着いて飲める大人の店になった印象です」(青柳さん)花見小路通からすぐの富永町の雑居ビルの1階奥。明治時代のレトロなガラス戸を開けると、中は大きなワインセラーが置かれたコンクリート打ちっぱなしの空間に。青柳さんが通うここ「ツネオ」は、上質の素材を使った和食や豊富なワインが楽しめると、人気の店。もとは下河原通で営んでいたが、今年2月5日に移転。行きやすくなったと、常連たちを喜ばせている。以前と同様、厨房を囲むカウンターで、食事を楽しむスタイルだ。「青柳くんとは市場の仕入先が同じで、行く時間帯は違うんですが、たまに一緒になるので親しくなって。最初に来てくれたのは2、3年前かな。店でも料理の話をしたりします。僕と同い年で、同年代の中でも趣味趣向がバチっと合うというか、尊敬しあえる存在ですね」と、店主の岸名裕彦さん。「イル・ギオットーネ」丸の内店など、東京のイタリアンでサービスの仕事に従事した後、独学で料理を勉強し、2013年に店を開いた。 「食べ疲れしないというか、口に入った瞬間に、ああ、おいしいなと思ってもらえるような引き算の料理を心がけています」と、岸名さん。"毎日でも通える食べ飽きない料理"をコンセプトに、白ごまを使った定番の嶺岡豆腐や造りなど、素材本位のシンプルな料理をアラカルト中心に提供している。それだけに素材選び、特に魚介への思い入れは強く、毎朝市場に赴き、納得したものだけを仕入れている。 「仕入先が一緒だから、どれだけいいものを使っているのかわかります。あの人は食材マニアで、食材をよく知っている。凝り性でもあるので、同じ食材でも『こういう使い方もあるんや』と思うような料理を出されていて、勉強になりますね」と、青柳さんも刺激を受ける岸名さんの料理。極上の素材を更においしくするために、下処理にも力を入れ、例えば白ぐじなどの魚を血抜きして熟成させるなど、手間暇かけて工夫が施されている。サービス出身の岸名さんが集めたワインの充実ぶりも人気の秘訣。入口近くに設けられたセラーには、イタリア、フランスを中心に約150種、300本以上揃い、料理とのマリアージュを提案してもらえる。青柳さんは、ワインのセレクトを岸名さんにお任せし、料理をつまみながら楽しむことが多いそうだ。「入手しにくい古いビンテージのものなどを結構揃えています。青柳くんはシャンパンやしっかりめの白がお好みですね」(岸名さん)牛生レバーをヒントにしたという青柳さんお薦めの「低温調理した濃厚あん肝」2000円(価格は時期により変動あり)。「うちも使っている大きめのあん肝を低温で調理されていて、すごく柔らかい。とろけるような感じで、ワインにもものすごく合います。クリーミーで全然生臭さもないですね」と、青柳さん。あん肝を血抜きして牛乳に浸け、1時間程湯せんしたものを、ねぎとゴマ油、塩と共に味わう。ふわっとした食感、まったりとした味わいに、マルドンの塩がアクセントに。日本酒やローヌの赤ワインなどがよく合うという。「まず姿がすごくきれい。頭ごと食べられて、鮎を堪能できる感じです。肝の苦みもあるし、ワインにも合います」(青柳さん)青柳さんもよく頼むという「オイル鮎ディーン」800円は、脂ののった鮎で仕立てるスペシャリテ。ぬめりをとった鮎を1時間程塩をあてた後、ローリエなどと一緒にひたひたのオイルに入れ、ラップして6時間蒸すという。ふっくらと仕上がった鮎は、骨まで柔らかく、絶妙な塩加減でお酒が進む味わいだ。「皆、こんな鮎は食べたことがないと驚かれます。ワインはオーストリアのグリューナーフェルトリーナーのようなちょっと青臭い白がいいですね」と、岸名さん。 カウンター越しのコミュニケーションを大事にし、その中でお客の好みをくみ取りながら献立を考えたりするという岸名さん。青柳さんが「これもお薦め」という裏メニューのパスタも、お客のリクエストから始まったものだ。「こんなん食べたいと言われると、チャレンジしたくなる部分はあります。この界隈は口の肥えた方も多いので、そういう人たちの急な要望などにも対応できるようにしていけたら」「僕がコースよりアラカルトを中心にしているのは、自分の好きなものを自由に食べていただくほうが、お客さんもストレスなく楽しめるんじゃないかと思うからなんです」と、岸名さん。あちこちから入るオーダーを聞きながら、料理を作り、会話する。そんなライブ感が好きだという。それはお客にとっても、同様に魅力的な時間に違いない。予算はワインを飲んで1万5000円~2万円程。撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■ツネオ京都市東山区富永町123 花見会館107号室075-746-497718時~23時(LO21時)休 不定
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BLOG外国人料理人奮闘記
2020.03.20
インド人料理人シェイク・ヌルールさんの「とてもおいしかった」
インドからドバイ、そして東京へ出身はインド北東部のコルカタです。実家は農家ですが、僕は子どもの頃から料理が好きで、ずっと料理人になりたいと思っていました。レストランで料理長をしていた兄から手ほどきを受け、料理の世界に入ったのが17歳のとき。ホテルなどで経験を積み、20歳の頃にドバイで働かないかと誘いを受けて、当時の勤務先の店長と一緒にドバイに行くことになりました。それが1999年の12月だったかな。それから5年くらいドバイでコックとして働きました。転機が訪れたのは2005年、親戚が東京で働いていて「東京に来ない?」と誘われたんです。まだ若くていろいろ経験してみたかったし、ドバイの上司も「何か問題があったら、すぐに帰ってきたらいいから」と言ってくれたので、思い切って東京へ行くことに。日本のことは何ひとつ知らなかったけれど、2005年の3月に来日し、東京のインド料理店で働き始めました。店長は「いつでも帰ってきたらいい」と言ってくれましたが、特に問題もなく(笑)、日本で順調にキャリアを積むうちに、とあるパーティーで今の奥さんと出会いました。その頃、彼女は京都でシェフをしていて「いつか自分の店を持ちたい」という夢を持っていたんですね。僕も将来は日本で独立したいと思っていたので、同じ夢を共有しながら、京都と東京でしばらく遠距離恋愛を続けました。京都・北野白梅町に念願のお店をオープンその後、結婚をし、開業に向けて物件探しを始めました。舞鶴、滋賀......いろんな土地を見てまわりましたが、最終的に北野白梅町で「ヌーラーニ」をオープンしました。最初はとても不安でしたね。あの頃はインド料理店も少なくて、インド料理自体の知名度が低かったこともあり、具体的なビジョンが持てませんでした。でも口コミでどんどんお客さんが増えていって......学生時代から社会人になってもずっと通い続けてくれる常連さんや、今ではすっかり友だちみたいになったお客さんもいて、お店も3軒まで増やすことができました。旬の味覚が楽しめる黒板メニュー僕は今、烏丸北大路の姉妹店にいることが多いです。どの店もメニューはとても多いのですが、グランドメニューに載ってない「黒板メニュー」が食べられるのは、僕のいるお店だけ。「黒板メニュー」には、その時々の季節の野菜や魚を使ったアラカルトを載せています。特に京都に来てからは、日本の旬の食材をたくさん扱うようになって、その時季のスペシャリテを味わってもらっています。仕入れの日は朝4時に起きて、奥さんと一緒に中央市場まで出かけます。日本の食材をどんな風にインドのスパイスやソースと合わせるか、今も日々勉強ですね。お客さんの中には昼、夜と続けて来てくれる常連さんや、週に何度も足を運んでくれる人がいます。そういうお客さんに毎回同じものは出せません。顔を見ながら少しずつ味付けを変えたり、食材に変化を持たせたりして、その時に一番おいしいと思ってもらえるものを出すようにしています。キッチンをオープンスタイルにしているのも、そのためです。これは黒板メニューから、菜の花を使った肉料理。煮込んだ牛肉をトマトベースのソースといろんなスパイスで調理しています。辛さはもちろん、お客さんと話をしながら、スパイスの使い方を変えることも。そういうアレンジは僕以外のコックさんには(言葉の問題もあって)難しいので、季節のアラカルトが食べたい方は、ぜひ僕の入っているお店(※)にいらしてください。※確認はお電話でこれも黒板メニューから、「寒ぶりサーグ」です。サーグというのは緑色の葉野菜のこと。今日はほうれん草のペーストで脂の乗った寒ぶりを煮込みました。お客さんが口に運ぶタイミングで一番おいしくなるように、ぶりは半生ぐらいに仕上げています。インド料理は何種類ものソースの組み合わせによって、いろんなバリエーションが出せるんです。僕の料理は基本的に日本向けのアレンジはしていません。辛さは調節しますが、それ以外の味付けや使っているスパイスは基本的に現地仕様。出身の北インドだけでなく、インド全土のお料理をまんべんなくお出ししています。お客さんの言葉を励みに好きな言葉? お客さんの「とてもおいしかった」かな。その言葉を聞くのが何より幸せ。揉めごとやケンカもなくて、日本は本当に暮らしやすい国だと思います。北野白梅町のこのあたりもとても住みやすくて、近くに家を建てました。店から歩いて10分くらいかな? 年を取っても近くなら通いやすいでしょう? オープン以来の常連さんもたくさんいるし、健康でなるべく長く、「とてもおいしかった」と言われる料理を作り続けたいですね。写真 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■ヌーラーニ本店京都市北区大将軍川端町21 ルミエール白梅1F075-464-058611:00~15:00 17:00~23:00不定休
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BLOG京の会長&社長めし
2020.03.19
株式会社ウンナナクールの社長が通う店「ビリキナータ」
■塚本 昇(つかもと のぼる)さん 株式会社ウンナナクール代表取締役社長1977年生まれ。大学卒業後2000年に福岡の百貨店、株式会社岩田屋に入社。その後2003年に株式会社ワコール入社。生産部門や商品営業部、米国駐在を経て2015年より販売部長として株式会社ウンナナクールに出向。2017年より現職。株式会社ウンナナクールでは『女の子の人生を応援する』というブランドミッションを達成するべく既存の下着屋さんとは一線を画したブランディングを展開している。最後の晩餐は、かつて下鴨にあった中華料理店の焼きめしと酢豚。焼きめしに酢豚をのせて味わうのが最高。自慢の魚料理からパスタまで、生産者の思いを繋ぐ愛情いっぱいの料理に心躍る「すごく雰囲気のいい素敵なレストラン。まだ行き始めてから期間は短いのですが、大好きなお店です。何を食べてもおいしいですし、お店の方がとても優しくて、家族で気に入って利用しています」(塚本さん)塚本さんが今回推薦するイタリア料理店「ビリキナータ」は、大宮交通公園近くの閑静な住宅街にある。つい見過ごしてしまいそうなマンションの1階に、オーナーシェフの齊城(さいき)庸平さんが2016年11月にオープン。イタリア語で「いたずら」を表す店名の通り、シェフの遊び心溢れる料理がリピーターを増やしている。ミシュランのビブグルマンに掲載されるなど、その実力は折り紙付きだ。京都の料理店でシェフを務めていた齊城さんは、独立にあたり、地元であるこの地を選んだという。「街中ではなく辺鄙なところでやりたかったんです。『あそこに行きたいな』と思って来てもらえるような店にしたいという思いがあったので」コンセプトは"普段使いできるけれど、ちゃんとしたおいしいものが食べられる店"。大きな黒板メニューが目を引く店内は、齊城さんやスタッフが醸す温かな雰囲気の中、幅広い層が食事を楽しんでいる。塚本さんが最初に訪れたのは2年程前。家族に小さい子供がいる場合、行く店は限られてしまうが、塚本さんも例外ではなく、子供連れで行ける店を探していたという。「下の子が生まれたばかりの時で、行けるお店が近所になかなかない。おいしいイタリアンのお店を探していたところに、友人がここなら子供も行けるよと、フェイスブックに上げていたんです。その内容がとても魅力的で、電話をして行きました。偶然シェフが僕の幼馴染と知り合いで、歳も近くて。また、シェフにもお子さんがおられて、子供が泣いたり汚したりすることにもすごく寛容で、感じよく接してくださったんです。何を食べても衝撃的においしいし、家内といい店を見つけたなと話していました」と、塚本さん。以来、誕生日などの家族の行事にもよく利用しているそうだ。「塚本さんは、お客さんのSNSを見て気になってくださって。そこからですね。今では塚本さんのお母さんもよく来られます。塚本さんは、お子さんとお絵描きをされたりして、本当に仲が良くて。僕も子供が4人いて子供好きなので、お子さんとお話ししたり、奥さんと情報交換したりしています」と、齊城さん。自身の経験から子供連れでも通える店にしたかったという。カラフルな椅子の色も子供たちが選んだそうだ。メニューはアラカルトが中心。その日入る天然物の魚介や大原の有機野菜ほか、全国から集めた新鮮な食材を使った季節メニューが定番と共に用意される。「生産者さんがちゃんと作られたものを、食べる方にしっかり届けることを意識して調理しています」と、齊城さん。ラクレットチーズと旬野菜のオーブン焼き、寒ブリのレアカツなど、独自の感性で仕立てた品々が黒板に並ぶ。「何を食べてもおいしいので、つい頼みすぎるんです(笑)。メニューにないものも、こんな食べ方もできますという感じで作ってくれます。子供用に料理をアレンジするなど、フレキシブルに対応してもらえるのもうれしいですね」(塚本さん)塚本さんお薦めの「トマトのピーチマリネ」650円。白ワインをベースに桃の風味を加えたマリネ液にミニトマトを数日漬け込んだ一品で、甘く爽やかな味わいが人気。「フルーツのような味ですごくおいしい。子供も大好きでよく食べます」(塚本さん)マリネに使うフルーツは季節によって変わるそうだ。「肉料理もおいしい」と塚本さん。鴨やラムなどのほか、知人の猟師から届く鹿や猪の肉を使った料理もお目見えする。写真は美山の鹿肉を使った「鹿肉の低温ロースト」2980円。新鮮な鹿肉を熟成させて旨味を出し、43度程度でゆっくり加熱してから表面を焼いたものを、バター風味のフランボワーズのソースと。しっとり柔らかく仕上がった鹿肉はまったくくせがなく、上品な甘味と旨味、ねっとりとした食感が楽しめる。「生ハムやパスタも必ず注文します。特にパスタは固めのゆで方が僕の好みにドンピシャなんです」(塚本さん)実は齊城さんはパスタが好きでイタリア料理を始めたそうで、パスタにもファンが多い。「麺を早くお湯から上げてソースで煮込みながら作っていきます。お好きな方は2~3皿食べられますね」と、齊城さん。赤エビのソースのパスタや自家製からすみのパスタが人気だ。豊富な自然派ワインも魅力で、料理に合わせて提案してくれる。「グラスワインを頼むと3~4種類持ってきて、説明しながら的確に薦めてくれるのでありがたいです」(塚本さん)ここではしっかり食事をするほか、食事帰りに立ち寄ってワインとパスタで締める、などの使い方をする人も多い。「表の雰囲気から入りにくいという方もおられますが、僕もお話しするのは好きですし、リラックスしていろいろ食べていただけたら」と、齊城さん。お客は地元を中心とした常連が大半で、塚本さんのような企業経営者も少なくない。料理のおいしさはもちろん、気張らず食事が楽しめる雰囲気やホスピタリティも、そうした人々から愛される理由だろう。予算は食べて飲んで7000円~1万円程。春はサヨリや鰆、山菜などの素材が登場予定だ。撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■ビリキナータ京都市北区紫竹上緑町5 グリーンハイツマークⅠ 1F075-492-7775営業時間 17時~23時定休日 日https://birichinata.gorp.jp/
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BLOG料理人がオフに通う店
2020.03.18
「Vena」―「青柳」青柳旭紘さんが通う店
「青柳」青柳旭紘さん《プロフィール》京都市生まれ。23歳の時に調理師学校に入り、24歳から料理の世界へ。和洋の料理を経験する中で魚を扱う面白さ、奥深さを知る。30歳で独立し、魚料理専門店「青柳」をオープン。上質の素材を駆使した季節のコースで、魚介の魅力を余すところなく伝えている。今年で13年目を迎える。年代物中心に充実のイタリアワインと旬の食材で織りなす独創的な皿のマリアージュを食材選びなどにポリシーがあり、独自性が感じられるような店に行くことが多いという青柳さん。今回お薦めに挙げるのは、御所南にある「Vena」。「イル・ギオットーネ」出身のシェフ・早川大樹さんと「ボッカ・デル・ヴィーノ」出身のソムリエ・池本洋司さんが共同経営するリストランテで、2016年12月のオープンながら2020年版ミシュランで星を獲得するなど、早くから高評価を受けている。町家を改装した店舗は、1階は庭を望むカウンター、2階は2つの個室で構成。池本さんが10年ほど前から集めていたという北欧の家具や、日本の作家の器など、上質なものが揃えられている。青柳さんは、元々2人と面識があったという。「早川さんはイル・ギオットーネの料理長をされている頃から魚の仕入先が同じで、話をするようになりました。池本さんも、ボッカ・デル・ヴィーノ時代にお店へ何度か行って「おいしいワインを出さはるな」と思っていたんです。その2人がやるお店はどんなんやろうと。僕の店にも来てくれていたし、できてすぐ行ったと思います。アンティークの椅子などもあって、すごく素敵なお店です」(青柳さん)「青柳さんは早川が知り合いで、彼を通して僕も青柳さんのことを知るようになりました。お互いの料理に刺激を受ける部分があるのでしょう。最初はアカの東さん、高台寺和久傳の松本さん、お魚屋さんと一緒に来てくださいました」そう話す池本さんは、修業時代、互いの店で交流があったことから早川さんと親しくなり、一緒に店を持つことを考え始めたという。「早川も将来的には独立を考えていましたが、ワインのことなど勉強し直さないといけない。僕も料理ができる人間を探さないといけないということで、お互いにないものを持っていた感じです。僕が力を入れてやりたかったのは、イタリアの熟成したワイン。ワイン本来のおいしさと、それに合わせたシェフのお料理を楽しんでいただこうというのが、コンセプトです」と、池本さんは経緯を語る。季節の味覚を盛り込んだメニューは昼6000円、夜13000円(各税サ別)のコースのみ。春は白アスパラ、筍、ホタルイカ、貝類などが登場予定だ。「素材の組み合わせが独特で面白いし、調理方法など考えをもってやっておられるのを感じます。ジャンルは違いますが、すごく勉強になります」と、青柳さん。その言葉に、「ありがとうございます。青柳さんとは、朝市場で食材の使い方など世間話程度に聞き合ったりします。僕は市場でメニューを考えるので、自然と季節に応じた料理を作っていく感じです。季節の素材を使った自分の思う料理を、イタリア料理を媒介に表現しています」と、早川さん。青柳さんの楽しみの一つが手打ちパスタ。写真の菜の花と自家製からすみのスパゲッティは、京都の農家から届く菜の花をペーストのように柔らかく炊き、からすみの角切りと小粒のパスタを揚げたものを散らして。アサリと鶏のだし入りのオイルが麺に絡む。しっとりしたからすみのコク、菜の花の風味がよく合う春らしい一品だ。「このパスタもだしが利いていて食感もよく、おいしかった。からすみも菜の花も麺も、一つひとつが考えられていると思います」(青柳さん) 早川さんが手打ちパスタにするのは理由があるという。「手打ちだとソースも麺も自分で作るので、一つの料理にしやすいんです。コースの途中で出すので、太いパスタにはせず、食べやすくするためもちもちと程よい弾力になるようにしています」(早川さん)「うちは魚屋なので肉料理は新鮮。毎回違うお肉が出るので楽しみにしています」(青柳さん)フランス・ラカン産の小鳩の炭火焼は、筍と原木椎茸のフキノトウと黒ニンニク和え、鳩の肝のソースと味わうシェフの自信作。鳩は丸ごと低温で火入れしたのち、骨から外して炭火で炙り、皮の脂を落として供する。身が詰まった鳩は、しっとりなめらかな食感で豊かな旨味がありおいしい。「鳩は敬遠されがちですが、実はすごく食べやすいんですよ」と、早川さん。肉料理は鳩のほか鴨、羊、牛などがよく使われるという。オールドビンテージの品揃えを誇るイタリアワインは、1960年代~80年代を中心に約1200~1300本をストック。「オープン2年ほどの店でこれほどオールドビンテージがあるところはほぼないと思います」と、池本さん。ワインを目当てに遠方から訪れるお客も数多いという。古いビンテージボトルを料理と味わうほか、料理に若いワインを合わせるペアリングも好評だ。「いつもペアリングで楽しんでいます。池本さんが薦めるワインがおいしくて、早川さんの料理とマリアージュするから、更においしく感じます」(青柳さん)「居心地がよく、休みの日に妻と行く時はカウンターでゆっくりさせてもらっています。接客も自然で、ストレスなく過ごせるのがいいですね」と、青柳さん。池本さんは、「店の内装などから少し緊張される方もおられますが、あまり堅苦しくならないような接客を心がけています。一度入ってしまえば、くつろいでいただけると思います」と語る。 「料理がおいしいのはもちろん、ワインもおいしいし、接客も雰囲気もいい。ミシュランをとられた理由がわかります。予約が取りにくくなるのは困りますが、応援しています」(青柳さん)夜2~3万、昼は1万円前後で楽しめる。撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■Vena京都市中京区室町通夷川上る鏡屋町46-3075-255-875712時~13時(入店)、17時30分~21時(入店) 要予約休 水 ※木・金は夜のみ営業https://www.facebook.com/venakyoto/
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BLOG美人&イケメンスイーツ
2020.03.13
『銀閣寺 㐂み家』の「豆かん」
推薦人:川尾朋子さん書家。6歳より書を学び、2004年より祥洲氏に師事。様々な角度から「書」を捉え、現代の書作品を制作。宙を舞う筆の動きに着眼した「呼応シリーズ」、自身が文字の一部になる「人文字シリーズ」などを発表。近年の活動として、Rugby World Cup 2019 Official Movie、BBC「Art of Japanese Life」、映画「Van Gogh & Japan」出演。現在、京都新聞CM,コカコーラ社「DRAGON BOOST」CM出演中。 銀閣寺からほど近い場所にある小さな甘味処「銀閣寺 㐂み家」。木のぬくもりに満ちた店内には、いつも静かな時間が流れています。「数年前に友人に連れられてここに来ました。豆かんをすすめられていただいたのですが、お豆の美味しさとあっさりとしながらも上品な甘さ、そして、あのつるんと冷たい寒天との絶妙なバランスに感動しました...!」と川尾さん。 それ以来、海外から来た友人を連れていったり、自身も創作で多忙な時期に一人で訪れて、ゆっくり豆かんを食べて心身をリフレッシュして、また創作に取り組むということが多いのだそう。「何よりも、お店の雰囲気が好きなんです。落ち着いた店内やお店の方の物柔らかな接客など、お店自体が癒しの空間になっているんだなあと思います。またこの辺りの銀閣寺界隈には、いつもゆったりとした時間が流れているので、帰りの散策も楽しみなんですよ」どこか懐かしくほっと心安らぐ空間。「銀閣寺 㐂み家」は、北村れい子さんと渡邉裕子さん姉妹が、20年前に始めた甘味処。姉妹二人でいろいろな素材やレシピを試行しながら、豆かんをはじめとするメニューを一つひとつ、大切に作り上げてきました。「実は私たちは東京の出身なんです。豆かんは私自身大好きな味で、東京時代の懐かしい味でもあるので、ぜひお店でお出ししたかったんですよ」と姉のれい子さん。赤えんどう豆がたっぷり入った豆かん630円。寒天が艶やかにきらめいて、とても美しい。黒蜜をかけるとすぐに水っぽくなってしまうので、出来立てをすぐに食べて欲しい。 美しい器に盛られた豆かんは、ほんのり紅みがかったまん丸いお豆がころころとたっぷりと入って、透明な四角い寒天がところどころに見え隠れしています。ひと口いただいてみると、赤えんどう豆はとろけるような柔らかさで、全体にあっさりとした味わいながら、豆本来の甘みとコク、そこに黒蜜がよくからんで、寒天のつるりとした食感と共にスルスルと喉を通っていきます。「赤えんどう豆は、皮が固く、中身が煮崩れやいので、時間をかけて、そうっとそうっと静かに炊き上げていくんです。すべて手作りを大切にしているので、なかなかハードな毎日なんですよ(笑)」と妹の裕子さん。 豆かんとともに、芳しい香りのほうじ茶が供されます。京都の茶舗のもので、いろいろ試した中から、もっとも相性の良い茶葉を二人で選んだのだそう。豆かんの美味しさを邪魔することなく、互いにその美味しさをよく引き立て合っているのがわかります。「ほうじ茶は夏は冷たく、冬は温かくしてお出ししています」。そんな細やかなサービスにも心が和みます。 夏場はひんやりと喉を潤し、冬場は暖かい部屋でつるんと冷たい食感を楽しむ。甘すぎず、全くくどさのない豆かんは、四季折々どんな季節にもよくあって、不思議なことに一度食べると、またすぐに食べたくなる、そんな一品です。 「豆かんはトッピングが多彩で、粒あんや白玉、アイスクリームを載せたものもあって、お友達とそれぞれ違うトッピングを選んだり、その時々で色々な味わいを楽しめるのがいいですね。冬場は季節限定のぜんざいも大好きで、よく注文するんですよ」と川尾さん。 北海道産の小豆を丁寧に炊き上げたぜんざいは、自家製の丸餅をこんがりと焼いてお椀の中へ。さらりとしていて、小豆のまろやかな味わいが満ちて、焼き丸餅の香ばしさがアクセントに。たっぷりと入った一椀もするりと完食。暖かさが体の芯からじんわりと広がっていきます。 赤えんどう豆も小豆も北海道産を使用し、毎日、厨房で炊き上げています。丸餅は近江羽二重を蒸して搗いた自家製、塩こぶも然り。豆かんの黒蜜も波照間島の黒糖などを使用して、丁寧に炊き上げます。「昔は家庭で小豆を炊いてぜんざいを作ったり、おやつもお母さんの手作りが多かったですよね。そういった家庭の台所で普通に作るお菓子にように、気取らない、どこか懐かしい優しいお菓子を作りたいと思っています」とれい子さん。甘すぎず、それでいて濃厚なうまみを感じる、ぜんざい750円。こんがり丸餅の香ばしさが嬉しい。 れい子さんも裕子さんも、何より難しいのが、日々、安定して同じ美味しさを提供するということだといいます。創業当時から通う常連さんや遠方からのファンも多く、「"㐂み家"のあの味を食べたい」という思いに応え続けるには、日々、基本をしっかりと積み重ねていくこと。素材、水、天候など、すべてが年々、刻々と変わっていく中で、いかに時間をかけて丁寧に仕事をするかが大切なのでしょう。 あの豆かんを食べたい!と思い立ったら、どうしても行きたくなってしまう一軒。姉妹が愛情込めて作る甘味は、幼い頃を思い出させてくれるような、そんな懐かしさに満ちています。"あの味"をゆっくりと味わううちに、心身が穏やかにリセットされる、ここはそんな場所なのです。レトロな風情のレジが最近、お客さんの注目を集めているのだとか。現在では貴重な一品。撮影/竹中稔彦取材・文/郡 麻江■銀閣寺 㐂み家京都市左京区浄土寺上南田町37-1075-761-412711:00~17:00水曜日定休
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BLOG京の会長&社長めし
2020.03.10
株式会社ウンナナクールの社長が通う店「クレープメゾン モック」
■塚本 昇(つかもと のぼる)さん 株式会社ウンナナクール代表取締役社長1977年生まれ。大学卒業後2000年に福岡の百貨店、株式会社岩田屋に入社。その後2003年に株式会社ワコール入社。生産部門や商品営業部、米国駐在を経て2015年より販売部長として株式会社ウンナナクールに出向。2017年より現職。株式会社ウンナナクールでは『女の子の人生を応援する』というブランドミッションを達成するべく既存の下着屋さんとは一線を画したブランディングを展開している。最後の晩餐は、かつて下鴨にあった中華料理店の焼きめしと酢豚。焼きめしに酢豚をのせて味わうのが最高。アットホームな雰囲気の中でゆっくり食事やデザートを。親子4代が通うクレープの老舗一口食べるだけで幼い頃の記憶がよみがえる。誰にでもそんな思い出の味はあるものだ。塚本さんにとって、この店のメニューがそんな存在かもしれない。地下鉄国際会館駅から10分ほど。宝ヶ池公園近くの街道沿いに、「クレープメゾン モック」はある。マスターの鳥居逸夫さんが妻の幸子さんと切り盛りするクレープの名店だ。「正確には覚えていませんが、幼稚園か小学校低学年の頃には行っていたと思います。母がマスターと知り合いで、以前は北山にあって家から近かったので、よく家族で行っていました。今は自分の家族と行くことが多いですね。家内も子供も大好きなお店です」(塚本さん) 幼少期から塚本さんを知る幸子さんは、塚本さんのことを"お兄ちゃん"と呼ぶ。「お兄ちゃんのお母様はマスターが独立する前からのお客様で、お母様のご両親からお兄ちゃんのお子さんまで、親子4代で来ていただいて長いお付き合いです」「ゆっくり時間をかけて食事をしてもらえたら」と、幸子さん。店内はカウンターとテーブルのあるゆったりした空間で、周囲の緑を眺めながらくつろぐことができる。お客の大半は常連で、塚本さん同様、親や祖父母の代から通う人も多いという。メニューは、自慢のバタークレープなどの多彩なクレープやガレットを中心に、スパゲッティ、自家製リンゴジュースやバナナジュースなど、豊富に揃う。「何を食べてもおいしい。僕はマロンとショコラのクレープとハンバーグスパゲッティが好きで、行くと必ず食べます。ナポリ風のスパゲッティもおいしくて、よく家内が真似をして家で作っています」(塚本さん) 創業は1976年。逸夫さんはクレープ専門店を開くために、京都にあったクレープの店で2年ほど修業。その後、幸子さんや息子さんと共に1カ月半かけてパリやブルターニュ地方などフランス各地を巡り、本場のクレープ作りを学んだ。「いろんなところのクレープやガレットを食べて、作り方を教えてもらいながら勉強しました。それを日本風にアレンジして店を始めたんです」と、幸子さん。しかし、京都にまだ専門店はなく、クレープのこともあまり知られていない時代。当初は説明するだけでも大変だったという。「クレープを含めメニューのほとんどが家庭料理。家庭のお母さんが作るようなやり方で作っています」と、幸子さん。料理がシンプルな分、地鶏の卵やスイスのグリュエールチーズ、特注のそば粉など、食材に気を遣い、無添加で作っている。写真は塚本さんお薦めの「自家製ハンバーグスパゲッティ」1500円。昔ながらの炒めたスパゲッティにハンバーグとチーズがのってボリューム満点。アンチョビとスモークオイスターの旨味が利いたスパゲッティ、ふっくらジューシーなハンバーグはどこか懐かしい味わいで、何度も食べたくなるおいしさだ。クレープは、油をひかず、鉄板の熱だけで焼いている。そうすることでやわらかく仕上がるという。塚本さんの大好物の「マロンクレープとショコラクレープ」1200円は、ラム酒が香るふんわりとした生地をマロンとチョコの甘く濃厚なクリームと楽しむファンの多い一品だ。「昔はテイクアウトもあって、子供の頃、病気で寝ていると親が買ってきてくれて、うれしかった思い出があります。僕はマロンとチョコを混ぜて食べるんですが、あまりにおいしすぎて、罪悪感を覚えます」(塚本さん)実はこのクレープ、塚本さんのリクエストで生まれたものだという。「最初はメニューになくて、マロンとチョコを組み合わせたものをオーダーされていたんです。食べてみるとマロングラッセのような味になっておいしくて。それで定番メニューにすることにしました」と、幸子さんは振り返る。塚本さんもよく頼む「テンベジサラダ」900円は、上賀茂産などの旬の野菜が10種類以上入り、食べ応え満点。さっぱりとした味わいのドレッシングもよく合う。入口近くの大テーブルを、塚本さんはよく利用するという。 世代を継いで愛されているこの店だが、店を閉めていた時期があった。逸夫さんが65歳になったのを機に、沖縄へ移住。しかし、知人もいない地での生活になじめず、6カ月で京都に戻ったという。「京都で3年ほどゆっくりしていたんですが、周囲の友人たちは現役でいるのに、自分たちは何をしてるんだろうと思って。それでできる範囲でやってみようと、2015年5月に宝ヶ池で再開しました」と、幸子さん。塚本さんは、その知らせをフェイスブックで知ったという。「お店がなくなって寂しい思いをしていたところに、僕の先輩が再開されたことを書いていたんです。それで、『やったーっ!』と思って食べに行きましたね」「お客様や周りの方に恵まれて、今やらせていただいています。『ありがとう、おいしかった』と言ってもらえると、やってよかったなと思います」と幸子さん。二人にとって、塚本さんたちお客との出会いがやりがいになっているという。「お母様の時代からのお客様が結婚してお父さんになって来られる。その人の成長をずっと見させてもらっていますので、それに感動してまたやろうという気持ちになります。お兄ちゃんも子供時代からのいろんな思い出が、うちのクレープの味に乗っているのだと思います。それをおいしいと思ってもらえる空間でお店をできるのは、本当に幸せです」撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■クレープメゾン モック京都市左京区岩倉幡枝町1260075-712-3908営業時間 11時~19時定休日 火(祝日は営業、翌日休)※飲み物だけの利用は不可
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