食知新ブログ
-
BLOG京の会長&社長めし
2021.08.27
株式会社スコープ・ココの社長が通う店「はつだ」
■加納 圭悟(かのう けいご)さん 株式会社スコープ・ココ 代表取締役社長1979年 京都生まれ大学在学中に、ロンドン留学。その後、東京にてアパレル会社に3年勤務。2008年 株式会社スコープ・ココ入社2010年 X JAPAN YOSHIKI氏と「YOSHIKIMONO」を立ち上げる。2019年より現職。好きな食のジャンルは、肉系と和食。最後の晩餐は「はつだ」の薄切りバラと白ご飯。常連たちの〆のお決まり「薄切りバラ」をはじめ、店主の哲学が詰まった焼肉を「バラタレというメニューがあるんですけど、その味がすごく好きで。小学校の頃から現在までずっと食べています」(加納さん)洛北・修学院の住宅街の一角に立つ「はつだ」は、味にうるさい京都の社長たちが多数通う人気の焼肉店だ。叡山電鉄の修学院駅から5分ほど歩いたところにある。昭和55年に創業し、今年で42年目を迎えるが、加納さんはもう30年以上、家族で通っているという。「最初は小学校の時ですね。当時、僕はリトルリーグで野球をやっていたんですが、仲間のお父さんに最初に連れて行っていただいたと思います。試合終わりに父親や仲間の何家族かと行くことが多かったです。今は娘が生まれて親子3世代で行っています」と加納さん。友人や取引先などとの食事にも利用するという。時には、ここでリトルリーグ時代の友人、親戚などの知り合いとばったり、ということも。店の営業部長、武一誠二さんは、そんな加納さんを小さい頃から知る一人だ。「僕はここで30年になるので、圭悟くんのほうが年数は長いと思います。加納さんは、亡くなられたおじいさんの時から来てくださっていて、うちとはずっと家族ぐるみのおつきあいをさせてもらっています。圭悟くんは若い時からおしゃれやったね。今は家族で月1、2回は食べに来てくれます」「一緒に行く人は皆、絶賛してくれます。東京の方とかをお連れすると、すごく喜ばれて、また京都に来た時に寄っていかれたりします。ここのたれの味はなかなかほかにはないと思うので」(加納さん)3階建の店舗は、カウンターと掘りごたつ席を含む座敷があり、絶えず常連客たちで賑わう。中心部から離れた場所にありながら、わざわざ足を運ぶ人も。「うちは口コミで来てくれるお客さんを大事にしよう、というコンセプトでやっています。会社の社長さんやご家族連れほか、いろんな方が来られるし、僕らも誇りを持って働けています」と武一さん。また昔なじみの加納さんとは年齢が近いこともあり、よく冗談を言い合ったりするという。「圭悟くんは、東京の方も連れてきてくれはるし、お父さんと一緒に仕事の接待でという時もあります。人当たりがいいので、お客さんからも絶対好かれる人やと思います」「その日の一番いい肉を仕入れられていて、とても肉質がいいです」(加納さん)「いい肉をなるべく安く仕入れ、お客さんになるべく安く提供する」ことをモットーとしている「はつだ」。毎日業者に赴き、国産のメスの和牛の中から吟味して買い付けるという。その肉選びには妥協はなく、仕入れを任されるベテランの武一さんでも、時にはオーナーから叱られることもあるそうだ。写真は焼き用のレバーの皮をとる様子。肉は血合いや筋などがない部分を丁寧に成形していくという。ほかの常連と同じく、加納さんも頼むものは昔から大体決まっているという。「まずタンれもん醤油から始まってタン塩。そのあとに赤身へいって、その日のお薦めを出していただいて、あとはステーキやウルテ、最後はバラとご飯で〆るというのが基本構成です。だから、はつださんに通っている人と一緒に行くと、頼むメニューが違うので、新たな発見があって面白いですね」冒頭のコメントにある加納さんの大好物バラタレとは、「薄切りバラ焼」1400円のこと。細かく極薄に特別成形したバラ肉を甘辛い秘伝のタレを絡め、一気に焼き上げる名物。はつだといえば、和牛弁当が全国的に有名だが、実はこの弁当に使われているのが薄切りバラ焼。直火で焼いた肉は柔らかく濃厚で、脂の甘味、香ばしさが口の中に広がる。「オンザライスで食べるんですが、ゴマの葉に包んでご飯にのせて食べるのも好きです。バラタレに関しては、お店の人に焼いてもらうほうが圧倒的に美味しいので、常にお願いしています」と加納さん。焼きを頼むお客は多いそうで、「ほとんどのお客さんは、焼いてくれるのが当たり前のように『はよして、待ってるねんで』という感じで言ってきはります」と武一さん。薄切りバラ焼は、大根おろしかタレにつけて味わう。加納さんはタレ派だという。加納さんもお薦めの人気の「タン塩」1500円~。「山椒がかかっているのが京都らしいし、薄切りで口当たりがよく、食べやすいですね。ここは赤身は大根おろしのポン酢、ステーキはガーリックと和がらしなど、いろんな味の変化が楽しめるのもいいんです」と加納さん。「うちは、飲み物はできるだけ安くしてあげて、肉を堪能してもらうという考えなんです」と武一さん。希少な高級ウイスキーも破格の値段で提供している。写真は丹波ワイン製の「はつだワイン」各2500円。店では常連も一見も関係なく、同じサービスを提供することを大事にしている。「新しいお客さんが、うちの肉の出し方、店の雰囲気とかが自分に合うと思ったら、常連になってくれはりますし」と武一さん。そこからお客と店とのいい関係が作られていくのだろう。「これだけ通っているお店ってないですよね。自分の好みを知ってくれているし、体調や食べたいものも伝えやすいので、安心感があります」ちなみに加納さんは、東京出張時、よく伊勢丹で売っている和牛弁当を買い、新幹線の車内で食べるという。加納さんにとって、はつだの味はソウルフードといえるのかもしれない。予算は12000円~15000円程度。撮影 エディ・オオムラ/文 山本真由美■はつだ京都市左京区山端柳ヶ坪町17-3075-722-8179営業時間 17時~22時(LO21時30分)定休日 月曜
-
BLOG料理人がオフに通う店
2021.08.27
「季節料理と天ぷらのお店 LovA」-「創作料理と京野菜のびすとろKIZANO」野崎雅也さんが通う店
「創作料理と京野菜のびすとろKIZANO」オーナーシェフ野崎雅也さん からすま京都ホテルで仕事をスタート。その間に、ホテルと東京銀座のレストラン「KIHACHI」のコラボレート企画に関わるチャンスに恵まれ、創作フレンチの第一人者とされる熊谷喜八さんのもとで様々な料理や素材、技法に出会う。「ジャンルレスで常識にとらわれることなく、国境を超えて自在な料理の融合や発想ができることに本当に衝撃を受けた」そうで、知らない世界でもっとチャレンジしたいと、ホテルを退職し、新たな道へと進んだ「H.Splendideアッシュ・スプランディード g旬風庵」やその他の店で腕を磨き、2010年、東本願寺の東の真向かいに「創作料理と京野菜のびすとろKIZANO」をオープンさせた。季節の食材にいろいろな国のスパイスや独自の調味材を使いこなして、素材の味を最大に引き出しつつ、酸味、苦味(にがみ)、甘味、辛味、鹹味(かんみ)、淡味(たんみ)の六味をバラエティ豊かに創造している。 平等院にも近く、風光明媚な宇治の中心にある宇治橋商店街。若い世代が新しく店を開くなど、元気な商店街としても知られている。その一角に建つ築80年の古民家をリノベートしたのが、「季節料理と天ぷらのお店 LovA」だ。 「ロバさんにはオープンした時期などもほぼ同じタイミングでオープン当初から行かせてもらってました。夫婦でランチに行くときなどに利用しています。私たちが暮らす宇治では当時はまだ珍しかった古民家を改装したお店で、興味があって行ってみたら、お料理も美味しく雰囲気も良かったので、今では家族ぐるみで仲良くさせて頂いています。ご主人の荻田さんとは、同世代ということもあり、毎回、いろいろな刺激をもらっています。いつ行っても心地よく、知り合いの家に招かれたように落ち着けるところが好きですね。妻とよくランチタイムに伺うのですが、薄味ながらもしっかり手をかけた季節感抜群のランチのプレートがおすすめです」と野崎さん。庭の緑を眺めつつ、滋養に満ちた料理をいただく幸せ。リピーターが多いのもうなずける。 主人の荻田貴之さんは、美術大学の彫刻科を卒業後、さまざまな飲食店で働いてきた。「なかなか彫刻の仕事で食べていけるものではありませんから(笑)、あちこちの店で料理の仕事をするうちに、いろいろな創意工夫ができる料理の世界に面白さを感じるようになったんです」 飲食の世界でやっていくことを決め、創作料理カフェやダイニングバーなど、さまざまなジャンルの飲食店で経験を積んだ荻田さんは、2009年、縁があってこの地に店を開くことにした。店名は「ロバの歩みのようにゆっくりでも着実に歩んでいけるように」という思いを込めたそうだ。 店内はどこか懐かしい和のくつろぎに満ちて、坪庭を眺めながら、ゆっくりと過ごすことができる。古いダイニングテーブルや床の間の掛軸がしっくりと馴染んで、いつまでも滞在したくなるような心地よさだ。農家さんが丹精込めて作った野菜たち。荻田さんは、最も美味しく食べてほしいと日々、真剣に向き合っている。 当初から大切にしていたことは、良い食材を使って、無添加、手作りの味を提供するということ。お客さんや知り合いの紹介で、宇治や奈良の農家さんと知り合い、また山城産の新鮮な野菜を扱ううちに、野菜の豊富なバリエーションや季節感、旬の野菜が持つ滋養などに心惹かれ、「とにかく野菜を美味しく食べてほしい」と、今年から天ぷらを主体にした料理構成に一新した。「野菜を美味しく食べる料理として天ぷらは、最もシンプルで、野菜本来の味わいをそのまま食べていただけるということが大きな理由ですね。それと日本人には食べ慣れた味わいであり、みんなが大好きな御馳走でもありますから」天ぷらは手際が大切。温度、時間など見極めて常にベストな揚げ具合を求める。 ランチタイムにもディナータイムにも人気が高いのが、「LovAの天ぷら膳」だ。 メインの天ぷらは旬の野菜8:魚介2という割合で、8〜9種の揚げたて天ぷらを味わえる。 油は米油100%。衣は天ぷら粉に玄米米粉、卵を用いて、からり軽やかに食感よく揚げる。天つゆは、醤油、砂糖、少量の酢で作った返しに一番だしを合わせたもので、ほんのり甘・旨な味わいで、飽きがこない。お好みで焼塩をつけてもいい。からりと薄衣の天ぷらが美しい「LovAの天ぷら膳」。島根の穴子、海老の他は全て、野菜や生麩、海藻を使う。ベジタリアン仕様で全て野菜に変更するのもOK。写真は昼の膳で1650円(税込)。天ぷら、旬のサラダ、小鉢、具沢山の味噌汁、黒米のご飯がついてかなりのお値打ちだ。 ディナータイムにはおばんざいなど、こちらも野菜をふんだんに使った一品料理が揃う。天ぷらを頼んでおいて、お酒を一品とともにゆっくり味わい、最後に締めで天丼を頼むもよし、京田辺のヒノヒカリの白ごはんと具沢山の味噌汁で終わるもよよし。地元ファンが多いそうだが、全体にゆっくりと時間が流れるようで、初めて行っても親戚の家に来たような寛ぎを感じることができる。トマト、なす、じゃがいも、インゲン、コーン、玉ねぎなど野菜をたっぷり使った夏の定番、夏野菜のトマト煮700円。自家製トマトソースに塩、バルサミコ、隠し味にココナツミルクを加えてまろやかさを添える。ほろっと柔らかく仕上げた牛ホホ肉の宇治ほうじ茶煮込み1500円。甘辛い味付けにほうじ茶の香ばしさがさっぱりとした後口を添える。重すぎず、香りの良い赤ワインがよく合いそう。ほうじ茶は宇治の利招園茶舗のプレミアムな茶葉を惜しげもなく使う。お酒も天ぷらと和食によくあう日本ワインや日本酒などを厳選。「醍醐のしずく」は古式醸造で作られた自然酒。 妻の真紀子さんは実はパン作りの名手。千葉で、古式醸造で自然酒を作る寺田本家の酒粕で酵母を作り、パンを焼いている。今は子育てに忙しいため、毎週、金曜だけ店の一角で販売しているが、卵や乳製品を使わず、奈良の竹炭塩や国産小麦、沖縄のきび糖など、体に優しい素材を厳選して焼き上げるパンは、地元の若い母親や女性ファンに評判がよく、すぐに売り切れてしまう。仲の良い素敵な荻田さん夫妻。二人の人柄が和やかで心地よい店を作っている。「これからは揚げ方も素材も日々、研鑚、研究して、さまざまな素材を組み合わせて揚げてみたり、うちらしい味わいを探しながら、天ぷらをもっときわめていきたいです」夫婦で自然体で切り盛りする店には、どこか空気も自然に、ゆるやかに流れていく感じがする。古色ゆかしい空間で季節の恵みを美味しくいただいて、自然に、農家さんに、料理をする人に心から感謝する。今こそ、こんな幸せな時間を持つことを大切にしていきたい。そんなことをふと思わせる一軒だ。■「季節料理と天ぷらのお店 LovA」宇治市宇治壱番830774-24-5966営業時間昼 11:30~14:00 LO、夜 17:30~20:30 LO休 月曜日 / 火曜日撮影/竹中稔彦 取材・文/ 郡 麻江
-
BLOGうつわ知新
2021.08.18
楽焼3
今月のテーマは「楽焼」です。400年の歴史を経てなお、一作品ごとの作風や個性を生み出す「楽焼」について、その歴史と魅力を梶さんに解説いただきました。1回目は楽焼と楽茶碗について。2回目は料理に用いるうつわの見方や解説です。そして3回目は、中華料理を新しい解釈で再構築するイノベーティブ中華の雄「ベルロオジエ」の岩崎シェフとのコラボレーションです。中国と日本の季節感を織り交ぜた岩崎シェフの料理と楽焼との融合は稀少。「楽焼の世界」をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。10代 樂旦入造 宗全好 柚味噌皿 柚子は冬至の頃に収穫の最盛期を迎えます。柚子と白味噌を和えて作られる柚子味噌のお料理は同じ時期に収穫期を迎える大根と合わせて田楽として人々に愛されて来ました。このうつわは千家三代目宗旦の求めに応じて樂家四代の一入が作ったのがその起こりなのだそうです。大根を炊いて、熱々を食べるのには、熱を伝え難い樂のうつわはたいそう勝手が良かったのでしょう。幾代もの樂家の当主の手によって焼かれています。世代によって色や形がわずかに異なりますが、焼かれた数が多かったのか、よく見かけるうつわです。楽家の作ったうつわは季節感を反映したものが多いと思います。厳密にいえばこのうつわは初冬のものなのでしょう。でも、そのことに意識はしても囚われすぎず、現代の皆様の感性で自由に使いこなす器用さも大切だと思います。 楽焼2よりとうもろこしのブランマンジュと焼とうもろこしのアイス「今回このお話をいただいたとき、すごく嬉しかった。ですが一方で、改めて考えてみると、うつわについてはそれほど勉強してこなかったこともあって、僕に美術品ともいえるうつわを使いこなせるだろうかというちょっとした不安もありました。 けれど、梶さんのお店にうかがってうつわを拝見した途端、その存在感と美しさに心を捕まれました。 梶さんから季節感やそもそもの用途は考えなくてもいいと言っていただき、第一印象でうつわを選ばせていただきました。 この柚味噌皿は、表情のある色目といい質感といい、非常にキレイで、夏の野菜・とうもろこしとの組み合わせが頭に浮かびました。本来は冬に用いるうつわだそうですが、わがままな感性で使わせていただくことにしました。 豊かな収穫をイメージして、獲れたてのとうもろこしも添え、御敷に合わせることに挑戦しました。 柚味噌皿には、とうもろこしのブランマンジュと焼とうもろこしのアイスを盛り、ウニや焼ソーセージ、コーンスプラウト、プチセロリなどを添えています。混ぜて食べると旨味の幅が広がるとともに、とうもろこしの深い甘みを感じていただけます。 器の縁にかけたのは、三日月をイメージしたとうもろこしのサブレです。上には黄色みの強いゴールドラッシュと色白のピュアホワイトの2種類を散らしています。 コロンと丸い揚げ物は、ライウーゴ―という芋のコロッケ。今回は大和芋を使っています。 瑞々しいとうもろこしと端正な楽焼の組み合わせをお楽しみください。」 岩崎シェフ 樂の向付けに折敷(おしき)を合わせてみました。折敷も立派なうつわのひとつなので別の回にお話しさせていただこうと考えています。写真の折敷は我谷盆(わがたぼん)と言い、私が思いを伝えて彫っていただいているものです。本来、お盆はお料理を運搬するために使う道具の名称で、うつわの下に敷く折敷とは用途が異なります。それを知っていてお盆に折敷の役目をさせたのかをお話いたします。我谷盆は石川県の山中温泉近くに存在した我谷村の村民たちが、付近に多く自生していた栗の木を用いてコツコツ彫り上げた農閑期の手仕事のお盆なのです。我谷村は昭和33年にダムの底に沈んでしまいましたが、残された我谷盆の魅力に魅せられた木工作家の黒田辰秋氏が好んだことで、世に知られるようになりました。私は京都生まれの京都育ちですが、梶古美術のルーツは我谷村から近い、石川県加賀市にあります。なかなか古い我谷盆は見つからないのですが、干菓子盆に使える良い寸法のものを所有しております。自分たちで使うために作られた生活民具ですが、その素朴で美しい手仕事は民芸の域を超える魅力あるものです。 梶高明さん11代 樂慶入造 舟形向付 舟形の向付で主に夏に好んで使われます。向付の中ではやや大きいので、使い勝手が良いのか、私の店では人気があります。樂家には舟形と呼ばれる向付が幾種類もあります。また、桃山時代の織部にも見られることから、焼物の種類を問わず人気のある姿のうつわです。写真の向付は香炉釉と呼ばれる白い釉薬が使われ、緑の織部釉で縁取られています。この白い釉薬は樂家二代常慶が香炉を作るのに好んだ釉薬だから、香炉釉と呼ばれるのだそうです。釉薬の表面には貫入(かんにゅう)と呼ばれるヒビが黒く縦横に入っています。この黒い貫入は、焼成後に表面を墨で黒く塗って拭き取って生み出します。 楽焼2より鮎尽くしのひとさら「舟形のうつわには、鮎料理を盛りつけました。 鮎の焼きもの、揚げ物、春巻き、骨せんべいと、鮎の美味しさをさまざまに楽しめる一皿です。 胡瓜やズッキーニ、オクラ、枝豆、シャンツアイなど緑の夏野菜を合わせ、香りや食感を添えています。 塩焼きで味わう鮎とは違った鮎の魅力を発見していただくとともに、水辺に想いを馳せていただければと思います。」 岩崎シェフベルロオジエ2019年12月に苦楽園から四条河原町GOOD NATURE STATION2Fに移転して開業。ベースは中国料理だが、モダンスパニッシュにも通じるアート感覚にあふれた料理が評判。大阪のホテルで広東料理を、京都のホテルで四川料理を身に付けた岩崎祐司さんが、独学でフレンチなどガストロノミーを学び個性あふれるチャイニーズ・イノベーションを創り上げた。餃子や酢豚を再構築して旨味を積み重ね、デザイナブルな料理に仕上げる。温前菜からデザートまでのおよそ10~14品のコースは、驚きと感動の連続。ゆったりと楽しみながらも、時間があっという間に過ぎていく。■ ベルロオジエ京都市下京区河原町通四条下ル2丁目稲荷町318番6 GOOD NATURE STATION 2F075-744-698412:00~15:00(※12:30最終入店)、18:30~22:30(※19:00最終入店)休 水曜日(不定休あり)
-
BLOG京のとろみ
2021.07.31
「芙蓉園」の鳳凰蛋
芙蓉園は1955年創業の京都中華の店。ニンニクを使わない出汁の効いた優しい中華料理が提供される。場所は京都市内のど真ん中、四条河原町にある。客層は近所の家族連れから観光客、芸舞妓、サラリーマン、OLなど幅広い。鳳凰蛋(ホウオウタン)とは鶏肉入り玉子焼きのこと。ここ芙蓉園の名物料理だ。具材は鶏肉、卵、玉ねぎとシンプル。出汁の効いた鶏スープでこれらの具材を半熟卵でとじてある。印象は甘めで親子丼のアタマのようだ。なので、ごはんにめちゃくちゃ合う。酒より絶対ごはん。春巻きや焼売、カラシそば、酢豚などを紹興酒で楽しんでいても鳳凰蛋が出てきたら、たとえ序盤であってもごはんを注文しなくてはならない。そして、ごはんに鳳凰蛋をぶっかけ親子丼にして食べる。これが一番旨い食べ方!是非一度、試してみて欲しい。更に私はチャーハンにも鳳凰蛋をぶっかける。本当はこれが一番旨い!
ハリー中西
料理カメラマン
-
BLOGうつわ知新
2021.07.31
楽焼2
今月のテーマは「楽焼」です。400年の歴史を経てなお、一作品ごとの作風や個性を生み出す「楽焼」について、その歴史と魅力を梶さんに解説いただきました。1回目は楽焼と楽茶碗について。2回目は料理に用いるうつわの見方や解説です。そして3回目は、中華料理を新しい解釈で再構築するイノベーティブ中華の雄「ベルロオジエ」の岩崎シェフとのコラボレーションです。中国と日本の季節感を織り交ぜた岩崎シェフの料理と楽焼との融合は稀少。「楽焼の世界」をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。楽焼210代 樂旦入造 宗全好 柚味噌皿 柚子は冬至の頃に収穫の最盛期を迎えます。柚子と白味噌を和えて作られる柚子味噌のお料理は同じ時期に収穫期を迎える大根と合わせて田楽として人々に愛されて来ました。 このうつわは千家三代目宗旦の求めに応じて樂家四代の一入が作ったのがその起こりなのだそうです。大根を炊いて、熱々を食べるのには、熱を伝え難い樂のうつわはたいそう勝手が良かったのでしょう。幾代もの樂家の当主の手によって焼かれています。世代によって色や形がわずかに異なりますが、焼かれた数が多かったのか、よく見かけるうつわです。 楽家の作ったうつわは季節感を反映したものが多いと思います。厳密にいえばこのうつわは初冬のものなのでしょう。でも、そのことに意識はしても囚われすぎず、現代の皆様の感性で自由に使いこなす器用さも大切だと思います。11代 樂慶入造 舟形向付 舟形の向付で主に夏に好んで使われます。向付の中ではやや大きいので、使い勝手が良いのか、私の店では人気があります。樂家には舟形と呼ばれる向付が幾種類もあります。また、桃山時代の織部にも見られることから、焼物の種類を問わず人気のある姿のうつわです。 写真の向付は香炉釉と呼ばれる白い釉薬が使われ、緑の織部釉で縁取られています。この白い釉薬は樂家二代常慶が香炉を作るのに好んだ釉薬だから、香炉釉と呼ばれるのだそうです。釉薬の表面には貫入(かんにゅう)と呼ばれるヒビが黒く縦横に入っています。この黒い貫入は、焼成後に表面を墨で黒く塗って拭き取って生み出します。11代 樂慶入造 織部薬鶴菱平皿 舟形向付と同じ香炉釉と織部釉を用いた大きな鉢です。菱鶴(ひしづる)・双鶴(そうかく)或いは、向鶴(むかいづる)とも呼ばれるお目出たい形です。この鉢をそのまま小さくした向付も作られていて、人気があります。鶴は実際20~30年の寿命にもかかわらず千年の長寿と言われていますがどうしてなのでしょう。誰も教えてくれないので、私の経験でお話します。 秦(しん)の始皇帝(しこうてい 紀元前259年~紀元前210年)がそこには不老不死の妙薬があると信じて家来の徐福(じょふく)に探させた蓬莱山。古くから詩歌に読まれてきた現中国の湖南省にある名高い霊山の祝融峯(しゅくゆうほう)。それらには樹齢千年とも万年とも言われる松がそびえ立っていて、その上空を鶴が舞い飛んでいるお決まりのイメージが昔の人の頭にはあったようです。 そして私はそのおめでたい掛軸を数えきれないほど目にしてきました。松竹梅がめでたい取り合わせなのだと皆様の心に刻まれてしまっているように、昔の人には鶴に千年や万年といったイメージがしみ込んでいて、それが現代にまで伝わっているのでしょうね。さらに、2羽の鶴が形取られているは、ご存じのように鶴のつがいが生涯添い遂げることを好んだ意匠なのでしょう。また菱形は菱という植物の繁殖力から子孫繁栄に結び付けているようです。 ここまで聞かされると季節感で用いるのではなく、慶事に用いるうつわだと言うことが良くお解りになったかと思います。参考年代1560年代前半 織田信長、尾張を平定し、東美濃へ領土を拡大。元亀4年(1573) 利休と信長の出会い。天正2年(1574) 長次郎が獅子像を作る。天正7年(1579)頃 長次郎、茶碗を作る?天正10年(1582) 本能寺の変天正13年(1585) 聚楽第建築始まる天正14年(1586) 茶会記に「今焼茶碗・宗易形」の登場。
-
BLOGうつわ知新
2021.07.31
楽焼1
今月のテーマは「楽焼」です。400年の歴史を経てなお、一作品ごとの作風や個性を生み出す「楽焼」について、その歴史と魅力を梶さんに解説いただきました。1回目は楽焼と楽茶碗について。2回目は料理に用いるうつわの見方や解説です。そして3回目は、中華料理を新しい解釈で再構築するイノベーティブ中華の雄「ベルロオジエ」の岩崎シェフとのコラボレーションです。中国と日本の季節感を織り交ぜた岩崎シェフの料理と楽焼との融合は稀少。「楽焼の世界」をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。楽焼 毎月皆様にうつわについてお話をさせていただいておりますが、「うつわの種類など無数にあるのだから、この先もネタは尽きることないだろう。」と皆様はお考えかもしれません。ところが私は投稿を始めて以来、皆様の予想とは逆に、この場でお話しできるうつわの種類が少ないことに苦しんでいます。それは食事を楽しむためのうつわの歴史が、案外浅かったことに原因があります。 焼物は桃山時代より古い時代へと時間をさかのぼっても存在するのですが、すり鉢や水瓶・種壺と言った道具としての焼物が存在するに過ぎません。食事を楽しむためのうつわではなく、「入れもの」に近いものが大半なのです。しかし桃山時代になって茶の湯が流行すると、土間や台所に置かれていた水瓶・種壺などの道具であった焼物に、より上級の役目を求めるようになります。そして茶室や座敷への出入りを許された茶碗などの茶道具、そして向付や鉢などの食事を楽しむうつわへと進化していくのです。 紆余曲折を繰り返して道具から発達を遂げた多くの焼物とは違って、今回取り上げた「楽焼」は、初めて焼かれた時から茶室に出入りする許可を得ていた特別な焼物だと言うことが出来るでしょう。 では、なぜそんな特別な焼物になり得たのでしょうか。歴史を紐解くときには私はいつも感じることがあります。それは「何の前触れもなしに、突然に物事は起こらない」という法則のようなものです。その法則に従えば、「楽焼」も茶室に出入りさせてもらえるまでの前触れがあったと言うことになります。その前触れについてお話させていただきますが、これからお話しする内容には異論がある方もおいでになるかもしれません。しかしながら、学術論文ではないので、異論があることは承知の上で、あくまで私説としてお話しさせていただきたいと思います。左より15代 樂直入造 焼貫茶盌、11代 樂慶入造 黒茶盌、7代 樂長入造 黒茶盌、3代樂道入(のんかう) 赤茶盌世代による表現の違いは、個人のセンスだけでなく各時代が求めた表現が形として反映されているように感じます。 お話は軸足をうつわではなく、茶碗に置いて進めていきます。それは、おそらく「樂焼」のうつわが誕生するのは茶碗誕生のずいぶん後の話になるため、「樂焼」を知るには、「樂茶碗」の源流を見に行く必要があるからです。 時代は織田信長が尾張を平定し、陶器の産地として重要な意味を持つ東美濃(現在の多治見方面)へと領土を拡大した頃になります(1560年代前半)。信長は東美濃を自分の領地として再開発に着手する中で、尾張領内の瀬戸焼の職人たちを東美濃へ移住させます。当時は輸入品の唐物の茶道具が最上のものと珍重されていましたが、信長は領地内の産業振興に力を注ぎ、その結果、陶工やそれを商う商人たちを優遇します。窯業を育てる中で、国産茶道具の先駆けとして漆黒の筒状の「瀬戸黒茶碗」、別名「天正黒」が誕生します。これは信長の指示の下、千利休と今井宗及がプロデュースしたと言われています。 私は以前、「瀬戸黒茶碗」より先に「樂茶碗」が誕生し、それが好評であったために、量産化を目指した結果、「瀬戸黒茶碗」が誕生したと考えていました。 ところが最近は「瀬戸黒茶碗」をプロデュースした経験を生かして、千利休は「樂茶碗」を考案したのではないかと思っているのです。7代 樂長入造 黒茶盌アーティストとしてセンスを表現する前に、職人として茶を飲む道具を作る意識が強いのか、作り手の個性を強く押し出してはいない作品に感じます。 天正時代(1573〜1587年)についてもう少し詳しくお話させていただきます。千利休と織田信長の出会いは元号が天正に改元される直前の元亀4年(1573)でした。「瀬戸黒茶碗」の誕生は茶会記に記載され「天正黒」と呼ばれ、それは信長の指示があって美濃で焼かれたと言われていますので、天正10年(1582)の「本能寺の変」以前ということになります。一方、「楽焼」は樂家初代の長次郎作で天正2年(1574)の年号が入った獅子像が残されていますので、「樂茶碗」を作る以前から作陶をしていたことが考えられます。そして長次郎が茶碗を焼き始めた時期は天正7年(1579)頃という説もありますから、樂茶碗の原型となる茶碗はこのころに存在したのかもしれません。天正13年(1585)の秀吉の聚楽第(じゅらくだい)建築時に出てきた聚楽土(じゅらくつち)を用いたことから「聚楽焼」と呼ばれ、やがて秀吉から「樂」の陶印を授かることで「樂茶碗」と呼称が定まります。つまり、「樂茶碗」の誕生は聚楽第建築以降の誕生と言うことになります。実際「今焼茶碗(いまやきちゃわん)」とか「宗易形(そうえきがた)」として茶会記に出てきたのが、天正14年(1586)とされています。そして、これが利休の指導を受けた「樂茶碗」ではないかと言われ、聚楽第完成の頃の登場となるのです。11代 樂慶入造 黒茶盌腰の部分の深い削りや、内側に絞り込むような口づくりに、道具としての姿より、作者の表現が優先されてきているように思えます。 このようにコマ送りのように歴史の事実と、人物、茶会記などを照らし合わせて行くと、見えてくることがあると思いませんか。大きな窯で一度にまとまった数を焼き上げられた「瀬戸黒茶碗」に対し、数寄者たちの更に細かな要望を聞き入れ、利休自らが深くかかわり、ひとつひとつ丁寧に作りこんで焼かせたオーダーメイド茶碗が「樂茶碗」なのだと言えるのではないでしょうか。このように茶会で使うことを前提に生まれた「樂茶碗」であり、また「樂」という焼物だからこそ、特別な扱いを受けていたのだと思うのです。 「樂焼」への発想は、利休が「瀬戸黒茶碗」を作った経験が元になっているのだろうとお話しました。それではその技術はどこからもたらされたのでしょう。もし利休が「瀬戸黒茶碗」と同じものを京都の地で焼こうと考えていただけなら、美濃から職人を呼び寄せれば容易いことだったでしょう。でも利休はそうはしなかったのは何故でしょうか。 それはきっと異なった焼物や人物との出会いによって、「瀬戸黒茶碗」を超える新しいイメージが頭に浮かんだからなのではと私は思っています。15代 樂直入造 焼貫茶盌茶を飲む道具である前に、アーティストの感性が釉薬のかかり具合や腰上部の強い削りに強く表現されています。道具である前に作品であろうとする主張が溢れているようです。 「樂焼」は中国の「華南三彩」の技術がその元になっていると言われています。それは当時、秀吉の命によって建築された聚楽第の瓦職人の中に、中国の三彩を焼く技術を持った渡来人がいたからだと考えられています。それが樂家初代の長次郎の父の阿米也(あめや)だったのではないかと言われています。 では「華南三彩」とはどんな焼き物なのでしょう。そもそも三彩とは二種類以上の色釉(色のついた釉薬)を掛けて低い温度で焼き上げた軟陶(高温で焼き締めていない軟らかい陶器)を言います。多くは緑・黄・褐色の色釉と透明釉が用いられ、その形式によっては交趾焼とも呼ばれる焼物で、「樂焼」が誕生した時代の数寄者たちに好まれていました。その原型は紀元前2世紀の前漢の頃にはすでに見られ、8世紀近くの唐時代には技術的な熟成を見たと言われています。日本でも、奈良から平安時代にかけて「奈良三彩」という類似品が焼かれていたことからも、このような焼物の技術を持った渡来人の往来が古くから存在したことがわかります。 そのような渡来人の持つ技術を瓦の生産に向けただけでなく、茶碗を焼かせる発想に至ったのは何故でしょう。そこには日本の統一を果たし、権力と財力を手中に収めた秀吉とその家臣たちが、ある意味、超好景気に近い状態に湧いていたからではないでしょうか。それ故、権力を示すための豪華な城や屋敷の建築、茶会や花見など華やかな行事の開催、南蛮始め世界中からもたらされた珍品や茶道具の収集に湯水のようにお金を使うことができたのでしょう。そんな世情の中で行われた聚楽第の建築工事。建築物の基礎を整える際の土木工事で聚楽土が発見されたのではないでしょうか。本来なら壁土に使うはずの聚楽土を、焼物の材料(粘土)として整え直して、茶碗を焼くところにまで持っていった遊び心にはただならぬエネルギーを感じます。右下赤茶碗より反時計回りで3代樂道入(のんかう) 赤茶盌、7代 樂長入造 黒茶盌、11代 樂慶入造 黒茶盌、15代 樂直入造 焼貫茶盌茶碗は高台側から見る方が、それぞれの個性が強く感じられるように思えます。高台中央の形状、畳付き、高台全体の形、高台脇の様子、釉薬のかかり具合、腰のから胴への立ち上がり、ヘラの削り跡等ひとつずつ比べてみてください。 この原稿を書くために四六時中楽焼について考えていて気づいたことがあります。それは「樂家」の作品からは量産化を目指して、効率を優先した気配を感じたことが無いと言うことです。400年強の長い時の流れの中では、職人の手を借りて、数量を作る発想も頭をよぎったことでしょう。歴代の「樂家」の当主が自らの手でひとつひとつ成形し、小さな窯で確かめながら焼成するスタイルを守り続けた結果、「樂家」の焼物は他家の楽焼のみならず、他の焼物と異なる風情を醸し出す存在になっていると思います。精神性が高いとでも言いましょうか、何か「凄味」のようなものが焼物の中に存在していると私は感じるのです。海外の知識人が好んで樂家の作品を買い求めるのは、彼らがそのことに反応しているからだと私は思っています。 「樂」はそんな特別なうつわであり焼物なのです。 今回のお題の「樂」は1度では到底書ききれない深い焼物です。私もこの原稿を書き始めてすぐに、一度にすべてを語ることは諦めました。そして勢いに任せて書いてみたら、「瀬戸黒」などを引っ張り出して、思っても見ない方向への話の展開になってしまいました。また近いうちに「樂」についてこの続きをお話しする機会を持ちたいと思います。楽焼2へつづく
-
BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2021.07.31
日本料理 研野「アメリカンドック」
日本料理 研野「アメリカンドック」京都屈指の料亭『菊乃井』で10年、さらに『京、精華』や『LURRA。』といった他ジャンルの実力店で研鑽を積み、2021年『日本料理 研野』をオープン。日本料理界に新たな風を吹き込むミレニアル世代の旗手として、今最も訪れたい一軒です。発想秘話朝ごはんをパンとコーヒーで済ませ、カレーライスがおふくろの味の代名詞となった今の日本で、「お茶の世界から派生した懐石料理こそ日本料理の本流だ」とするのは少し違う気がするんです。茶懐石の定義からはみ出すものでも、今の日本人に馴染むものであれば、「日本料理」としてどんどん提案したい。それが『研野』のコンセプトでもあります。今日作るアメリカンドックは、もともとアメリカで「コーンドック」と呼ばれているもの。日本で独自の進化を遂げ、今ではすっかりポピュラーな存在になっています。実際、ある時コンビニでふと「そういえばこれっていつの間にか根付いているな」「店で出せる料理になるかもしれないな」と思ったのが、発想の原点です。修業先の大将(菊乃井・村田吉弘氏)の言葉に「日本料理は言葉とインスピレーションの料理だ」というものがあります。アメリカンドックを食べると、祭の屋台や部活帰りのコンビニなど、味にまつわる思い出が蘇ってくる......まさにそういう料理が日本料理だと思うんです。アメリカンドックは串に刺したソーセージに衣をつけて揚げたものですが、今日はソーセージの代わりにうずらのミンチを使います。ミンチにはうずらのほか、豚肉、干し椎茸、台湾産のくわい、粉山椒が入ります。コースの一品として考えた時に、あまりにしつこいものは避けたい。その点、うずらはあっさりしていて、和食にも取り入れやすい食材ですね。うずらのミンチに塩と砂糖を加えてよく練ります。うずらだけでは少し頼りなさを感じるので、粗く叩いた豚肉も加えます。台湾産のくわいは炊いたあともシャクシャクとした食感が残るところが気に入っています。出汁で炊いたくわい、細かく刻んだ干し椎茸のほか、香りづけに自家製のねぎオイルと粉山椒を。「香りが料理の国籍を決める」これも菊乃井の大将の言葉なんですが、香りで「和」に着地出来たら、どんな料理も和のテイストにまとまるような気がします。タネをソーセージに見立てて、棒に巻きつけながら成形します。日本では食事の際に手や器が汚れることを嫌う傾向がありますが、アメリカンドックは持ち手があり、手が汚れにくいところも日本人に馴染んだ一因だと思います。成形したタネに片栗粉をはたき、軽く蒸した後にベーキングパウダー、薄力粉、卵、牛乳で作った衣を付けます。サラダ油でキツネ色に揚げ、自家製のトマトケチャップにすり胡麻を加えた特製ケチャップを絞って完成です。お祭りの屋台で食べた日のことや、学校帰りに空腹でかぶりついた懐かしい思い出と共に味わってもらえたら......。今後、衣の牛乳を豆乳に変えたり、白味噌を加えてみたり、さらに改良を加えてコースに組み入れたいですね。先ほども少し触れましたが、僕の考えでは懐石料理は日本料理の一部であって、懐石=日本料理とは考えていません。そもそも懐石料理の本質は、いかに心を砕いてお客様をもてなすかであって、形に囚われる必要はないと思うんです。時代の変化に合わせて食材や調理法、作法、ルールなども変わっていくものじゃないでしょうか。とはいえ何をしてもいいわけではなく、僕なりの線引きはもちろんあります。例えばうちではチャーシューや焼売、中華そばなども召し上がっていただきますが、あくまでも現代の日本料理として昇華したもの。静謐な和の空間にそぐわないものはお出ししません。あまりこねくりまわさず、ストレートに「おいしい!」と感じてもらえる清らかな料理。それが僕の目指す日本料理です。 撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■日本料理 研野京都市左京区岡崎徳成町28-22 聖護院ビル1F075-468-994417:00~と20:00~の二部制(一斉スタート)日・月曜定休
-
BLOG京都美酒知新
2021.07.29
カクテルが飲みたくなる話「モヒート」
■西田稔(にしだみのる) 京都木屋町二条「Bar K6」、「cave de K」、「keller」のマスターバーテンダー。2020年開業の「ザ・ホテル青龍 京都清水」内の「Bar K36」を監修。自らもカウンターに立つ。京都生まれ、同志社大学卒業後、東京のバーで経験を積み、1994年に「Bar K6」を開業した。シャンパーニュの将校、グラッパの騎士、クリュッグアンバサダー、ウイスキーコンテスト審査員モヒートカクテル言葉「心の渇きをいやして」ヘミングウェイが、「わがダイキリはフロリディータで、わがモヒートはボデギータで」という言葉を残すほど愛飲したカクテル「モヒート」は、今も世界中で飲まれています。エリザベス1世の時代、海賊フランシス・ドレイクの部下リチャード・ドレイクが、モヒートの前身といわれる「ドラケ」を、キューバに伝えたのが起源だそうです。「ドラケ」は、アグアルディエンテ(サトウキビが原料の蒸留酒でラムの前身)と砂糖、ライム、ミントを合わせたものだったと伝わります。19世紀後半には、バカルディ・ラムがキューバ国内で流行し、ドラケに使われていたアグアルディエンテをバカルディ・ラムに切り替えた「モヒート」が人気カクテルになりました。 1931年発行の『Sloppy Joe's Bar in Havana』のカクテルブックにも、この「モヒート」が紹介されています。ただし、バカルディ社がキューバ革命に伴ってキューバから撤退したこともあり、以降キューバで飲まれる「モヒート」には、ハバナ・クラブが使われています。今回ご紹介したのは、「Bar K36」のために考案したレシピです。ミントを擂り潰さず、叩くだけで香りを出し、フローズンで提供することによってミントが持つえぐみを抑えるのが特徴です。冷えたジュレップカップに注いでミントをたっぷりと盛り、その上に上品な甘みの和三盆をふりかけました。爽やかなこの「モヒート」で喉と心を潤してください。カクテルレシピバカルディ(ホワイトラム)45mlライム 2カットライムシロップ 15mlプレーンシロップ 10mlソーダ 40mlアンゴスチュラビターズ 1dasミントリーフ 適量和三盆 適量7月のウイスキータリスカー 10年ピートと強烈な潮の香り、スモーキーなモルトの甘い風味が口に広がる個性的なシングルモルトです。海水を思わせるほのかな塩味や生ガキの香り、柑橘系の甘味が特徴。煙るようなスモーキーさとともに力強いモルトの香味やドライフルーツのような豊かな甘みも感じてください。「タリスカー10年」は、タリスカーを代表する商品として世界中で愛されています。ハイボールにして、最後にぱらりと黒コショウをかけると、より引き締まった味わいを感じられます。タリスカー蒸留所1982年当時、タリスカー蒸留所を所有していたDCL社は40程度の蒸留所を所有していました。その当時、スコッチウイスキーといえばそのほとんどはブレンデッドスコッチウイスキーであり、タリスカーもジョニーウォーカーなどの貴重な原酒として重宝されていました。シングルモルトの個性的な味わいを広めたいとタリスカー8年がリリースされます。しかし、当時はシングルモルトにほとんどの人は見向きもせず、DCL社は買収されてしまいました。新しい所有者であるユナイテッド・ディスティラリーズ社(現在のDIAGEO社の前身)は必ずシングルモルトの時代が来ると、所有する蒸留所から各地域を代表する6つの蒸留所をボトリングした"クラシックモルトシリーズ"を1988年にリリースします。その際にアイランズモルトの代表として選ばれたのがタリスカー蒸留所です。タリスカーオンラインより■Bar K6京都市中京区木屋町二条東入ル ヴァルズビル2F075-255-5009撮影協力:Bar K36撮影:ハリー中西
- ALL
- - 料亭割烹探偵団
- - 食知新
- - 京都美酒知新
- - 京のとろみ
- - うつわ知新
- - 「木乃婦」髙橋拓児の「精進料理知新」
- - 「割烹知新」~次代を切り拓く奇想の一皿~
- - 村田吉弘の和食知新
- - 料亭コンシェルジュ
- - 堀江貴文が惚れた店
- - 小山薫堂が惚れた店
- - 外国人料理人奮闘記
- - フォーリンデブはっしーの京都グルメ知新!
- - 京都知新弁当&コースが食べられる店
- - 京の会長&社長めし
- - 美人スイーツ イケメンでざーと
- - 料理人がオフに通う店
- - 京のほっこり菜時記
- - 京都グルメタクシー ドライバー日記
- - きょうもへべれけ でぶっちょライターの酒のふと道
- - 本Pのクリエイティブ食事術