外国人料理人奮闘記
世界中の料理人が「食の発想」を求めて訪れる美食の街・京都。なぜ京都なのか?彼らが京都で得るものは何なのか?外国人料理人の苦労や成功体験を通して見える「京都の食とは」を探ります。
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BLOG外国人料理人奮闘記
2019.07.31
タイ人料理人 ソンタヤ―・マークジャルーンさんの「忍耐と勤勉」
ただただ仕事をしていたタイ時代タイの漁港で生まれ育ちました。父は漁師で、物心ついたときには、もう父の手伝いをしていました。9歳ぐらいだったでしょうか。その後、15歳くらいからは兄とともに鉄工所で働いたこともあります。料理人の道に進んだのは結婚がきっかけでした。妻の兄がホテルで働いていて、そこのレストランで働かないかと誘ってくれたんです。イタリアンもタイ料理もいろいろと経験させてもらいました。ただ、タイでは料理人として精一杯働いても給料は上がりません。けれど、海外でならいいお給料をもらえる。どうせ料理人として働くならと、10年間タイ料理店で働いて海外での在留資格を取得し、オーストラリアのタイ料理店に勤めました。そんなとき、知人から声をかけてもらい、日本に来ることになったんです。どうしても日本に来たかったというよりは、ある意味よりいい環境を求めた「出稼ぎ」でした。家族を養い、いつか自分の店を持つためにお金を貯めるには、今も海外で働くのが一番なんです。三宮から京都「パクチー」へ最初は三宮のタイ料理店で働いていましたが、先輩から京都で料理人を探していると聞いて受けることにしました。ちょうど三宮の店の閉店が決まっていたこともあったし、日本で働くなら京都には行ってみたいと思っていました。紹介されて来た「パクチー」は、まるでバンコクの下町のような雰囲気でした。店のなかに屋台が置かれているし、食材なども極力タイのものを使っている。オーナーの菊岡さん夫妻は、タイが大好きで理解があります。奥さんの美紀さんはタイ語が上手なのでコミュニケーションもとれ、社長が次々と新しいことに挑戦するのも面白い。どんなことも僕に相談してくれるから、どんどん距離が縮まる。2014年に勤め始めて5年。あっという間でした。ここでちょっと「パクチー」について「パクチー」は、2009年8月にオープンしたタイ料理店。旅行好きの菊岡信義さん、美紀さん夫妻が経営しています。美紀さんがバンコク留学して、そこでであった料理にひかれ、帰国後大阪のタイ料理店などに勤めた後、京都で「パクチー」を開店。できる限り、タイの食堂のような店にしたい、学生さんでも通えるような安価な店にしたいと思ったそうです。菊岡夫妻が飲食店を始めようと思ったのには理由があります。「日本人は自由に世界中を旅できる豊かな国です。でも世界には食べるにも困る貧しい村がたくさんあります。おこがましいかもしれませんが、そんな村の子供たちを支援したいと思ったんです」と美紀さん。二人は、教育を受けられないアジアの村に学校を建てたいと思い、お金を稼ごうと思ったそうです。2009年からおよそ10年。これまでにラオスの村に2校、小学校を建てています。この間、「パクチー」は、三条店、四条店と店舗を増やしました。 二人の目標は店を大きくすることよりも海外支援。「私たちには子供がいないから、その分貧しい国の子供達を育てることに力を注ぎたい」と言います。そんな「パクチー」でソンタヤ―さんは京都の人たちは本当に優しいんです。さっきも学生さんが、わざわざケータイで検索して「美味しかった。また来ます!」とタイ語で言ってくれました。お金はもちろん大切ですが、僕がここで長く働くのはそれだけじゃない。どんどん京都が好きになっています。川や山が近くて、お寺もある。休みの日は、自転車でお寺をめぐっています。一番嬉しかったのは、2週間の休暇をもらったときに家族を京都へ呼べたこと。着物を着てお寺巡りをしたり、日本料理を食べたり。家族も大はしゃぎでした。離れて暮らしていますが、今はケータイで顔を見ながら話もできる。だからさみしいと思ったことはないんです。店の料理はもちろん本格派の味わい店の料理ですか? 僕がつくるんですから、もちろんタイそのものの味です。食材や調味料が違うから、多少風味は違うかもしれないけれど、調理法などは一切変えていません。写真の「ガパオライス」を食べてみてください。タイのバジル「ガパオ」で豚と鶏のミンチを炒め、タイ米の上にかけたもの。ピリ辛ですが、目玉焼きをくずして食べるとまろやかになります。タイ人のソールフード的な料理ですね。新たな味にも挑戦しています!嬉しいことはほかにもあります。この店に来て、ベトナム料理を学べたことです。店でタイ料理だけでなくベトナム料理も出すことになり、ベトナム料理に詳しい社長から米粉の汁麺・フォーや汁なし混ぜご飯・ブンなど定番のベトナム料理を教えてもらったんです。材料やだしのとりかたなんかも違うので、勉強になりました。これは、タイに帰ってからも使えるなって思ってます(笑)夢はタイでお店を開くこといつかは、タイに帰って家族と一緒に食堂を開きたいと思っています。ただ今は、ここがほんとうに居心地よくて楽しくて。まだまだ勉強することもたくさんあるので、もう少しは日本に居たいと思っています。好きな言葉は「忍耐と勤勉」。忍耐というと我慢して何かをやっている感じがするかもしれませんが、僕にとっては違うんです。日本に来て学んだことです。どんなこともコツコツと毎日まじめに続けていけば、必ず身につく。日本人はほんとうにみんな真面目で一所懸命。菊岡夫妻は、自分のためだけじゃなく誰か他の人のために頑張る。その姿を見ていたら、そうでなければ何かをやり遂げられないと思うようになりました。忍耐の本来の意味がわかるようになったときが、国に帰って店を開くときかもしれません。■ タイキッチン パクチー丸太町京都市上京区河原町通丸太町上る桝屋町374番地ローレックス田村1F075-241-089211:30~14:30(14:00L.O)、18:00~22:00(21:30L.O)※ディナータイムは予約可能(土曜・日曜・祝日 ディナー17:00~)不定休
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2019.06.28
ポルトガル料理人 パウロ・ドゥアルテの「しばいたろか!」
3回目に登場いただくのは、北野天満宮近くでポルトガルの菓子店を開く、パウロ・ドゥアウテさん。夫婦二人三脚でやってきた彼らのこれまでとこれからをご紹介します。日本のカステラの美味しさに魅入られた日本のカステラを知ることができたのは、妻の智子が僕の勤務していたお菓子店にやってきたから。30年くらい前だったでしょうか。彼女は当時大学を卒業したばかりで、ぼくよりもずっとポルトガルのお菓子への想いがあった。長崎で出合ったカステラのルーツを知りたいと、単身・ポルトガルへやってきたんです。そう想うと大胆ですよね。妻と出会っていなければ、僕は日本へ導かれることはなったかもしれません。やがて僕たちは結婚して、在日ポルトガル大使館やポルトガル貿易振興庁により長崎でのイベントに招かれました。そこで出合ったのが長崎カステラの老舗「松翁軒」でした。カステラの美味しさを知り、しばらくの間「松翁軒」で日本のカステラづくりを学びました。そして、その味を「ポルトガルにも」という思いを持って帰国したんです。ポルトガルで日本のカステラを販売1996年、智子と僕は、ポルトガルのリスボン郊外で自分たちの店を開きました。ポルトガルのお菓子と日本の「カステラ」を販売する店でした。ポルトガルでいうところのカステラ「パォンデロー」は、地方によって作り方や風味が違います。ただ、どこの土地でも、このお菓子は洗礼式や結婚式などには欠かすことのできない伝統菓子として食されていました。日本に伝わったのが、そのなかのどんな菓子だったのかはわかりませんが、日本で今食べられているカステラとはかなり違います。だからこそ、ポルトガルから日本に伝わり進化を遂げた「カステラ」を、ポルトガルの人にも知ってほしかった。2003年にはリスボンに拠点を移し、僕たち夫婦は日本とポルトガル、両方のカステラを販売し、多くの方に喜んでいただけるようになっていました。ただいま日本、そして京都そんななか、「日本でポルトガルのカステラを広めないか」というお話をいただきました。日本は智子の故郷だし、僕にできることがあればとお引き受けしました。店を出すなら、智子の出身地でもあり、義母のいる京都だろうと思っていましたが、なかなか店舗が決まらず、僕はパン店などに勤務。智子が物件を探すという日々が続いていました。そんなとき、ご縁があって元は酒蔵だったこの建物を見つけました。 蔵だったこともあり、電気も水道もガスの通っておらず、まさに一からの出発。けれど、リスボンの店も教会の近くだったこともあって、北野天満宮そばのこの場所に、なにか運命的なものを感じました。2014年、今から5年ほど前のことです。ポルトガルの味を日本にも先にも話しましたが、ポルトガルのカステラ「パォンデロー」は、日本のカステラとは随分違うお菓子なんです。共通点を探すのが難しいくらい(笑)。日本のカステラは木枠で焼くけれど、それも日本独特。ルーツは確かにポルトガルですが、今となっては和菓子といえるでしょうね。まずは、そのことを日本の皆さんに知っていただくのが大切だと思いました。とはいえ、日本の材料はほんとうに優れているから、小麦粉も卵も上質なものが手に入り、この店でもポルトガルの味をほぼそのまま復元しています。家具や調度などは極力ポルトガルから取り寄せました。ポルトガルの雰囲気のなかでお菓子を味わってもらいたかったんです。お客様にはカステラのルーツ「パォンデロー」とはこんなお菓子で、こんなに種類があるとか、どんな風に食べるとお伝えしています。それが、僕たちの使命だとも思っています。お帰りの際は、「オヴリガード(ありがとう)」とお声かけするのが習慣です。店でつくる「パォンデロー」は3種類「パォンデロー」はポルトガルの地方によって変わることはお伝えしました。北のものはしっかり焼きあがっていますが、南へいくほどとろりとして半生(半熟)で、プリンかムースのような口あたりです。しっかり焼いたものはチーズなどとともに味わい、半生のものはスプーンですくって食べます。日本でも餡の炊き具合が違ったり、うどんの堅さが違ったりするような? たぶんその地方の気候風土や慣習などによっても変わるのでしょう。うちでは、そんなタイプの違う「パォンデロー」を3種ご用意し、味わいや食感の違いを感じていただきます。大きな素焼きの型で焼いたしっとりと弾力のあるミーニョ地方のもの、小ぶりの素焼きの型で焼いたとろりと濃厚なベイラリトラル地方のもの、そして鍋や金型で焼いたシュワッとした食感を楽しめるエストレマドゥーラ地方のものです。 写真のイートインメニュー「食文化比較体験プレート」税込700円 (※価格は取材当時のもの)は、ポルトガルの味3種と日本風のカステラを盛り合わせたもので、これを味わっていただくとそれぞれの違いを感じていただけるようになっています。僕たちの望みはただひとつ、これら「ポルトガル菓子」の礎を日本で確立すること。まあいえば、うちの店はその元祖的なものでしょうか。50年後や100年後にポルトガルのお菓子が日本で親しまれていれば嬉しいですね。いつかはまたポルトガルで日本のカステラをもうひとつの願いは、またポルトガルに戻って、日本のお菓子やカステラを教える学校を開くことです。日本とポルトガルの橋渡しというか相互交流ができればいいと思います。京都は暮らしにくいかというと、決してそうではありません。そういう意味で言ったらポルトガルのほうが、よそ者を受け付けない気質があるかも。でも、何かに本気な人や一所懸命な人には、誰でも手を差し伸べる。それは京都でも他の国でも一緒でしょう。だから僕は、京都で苦労したことなんてない。「成功した」と思ったら終わりだから、いくつになってもしんどいことはしていくべきだと思っています。関西弁に「しばいたろか!」って言葉あるでしょう。これ、いろんな意味で使えますよね。愛のある「しばいたろか~」もあるけれど、ちょっと怒り気味の「しばいたろか!」もある。けど、どんなふうに使っても笑いが起こる。厳しさを含みながらも、笑いに変えられる。絶妙な関西のコミュニケーションを、僕は京都に来て知りました。 そんな言葉のニュアンスを感じることができれば、世界中どこででもやっていけます!■ Castella do Paulo カステラ ド パウロ京都市上京区御前通今小路上ル馬喰町897075-748-05059:30~18:00(カフェ~17:00)休 水曜、第3木曜
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2019.05.31
イタリア人料理人 ファビオ・パルミエリの「ワインを飲む人は100年生きる」
京都は生まれ故郷のフィレンツェに似ている日本へ来た一番の理由は、妻が日本人だったから。彼女がフィレンツェに留学していたときに出会って結婚し、彼女が生まれ育った名古屋で暮らすことになったんだ。僕の実家はレストランだったから16歳からずっと料理を続けていたこともあって、仕事に対する不安はまったくなかった。名古屋ではデパートやホテルのレストラン、町場のピッツエリアなどでも働いた。1年だけだけど、東京のイタリアンにも勤めていたよ。 名古屋にいた頃に、休みになると京都へ来ていた。なぜかというと、京都は僕が育ったフィレンツェにとても似ているから。山に囲まれた地形、四季のある気候、お日様が毎日見えるし空気もきれい。そして京都の人たちはフィレンツェ人みたいだと思った。真面目で自分の町や文化に誇りをもっている。どちらも古都だから、人柄も似ているのかもしれないね。 独立の場は京都僕はレストランで、妻は企業に勤めて独立のための資金を貯めた。といっても10年くらいかかったけどね。いざ、独立というときに、京都を選んだのにはいくつか理由がある。さっきも言ったように京都が好きだったことがひとつ。東京には本格的なフィレンツェ料理の店が何軒かあるけれど、京都にはまだ少なかったこと。ヨーロッパの人など外国人もたくさん住んでいるから、きっと本格的な味を求めて通ってくれると思った。なにより、京都にいると落ち着くと言うか、ほっとできるんだ。大通りではなく狭い路地に魅せられた 柳小路というこの素敵な路地の物件と出合えたことは、ほんとうにラッキーだった。インターネットや不動産屋めぐりもして、物件を探していただけれど、最初はなかなか見つからなくて。そんなとき、この路地に「柳小路taka」という店があることを知ったんだ。この店のオーナーシェフのタカさんは、ミラノの「ノブ」で10年間も勤めた人。何かヒントをもらえるかもと思って訪ねたところ、この路地を一目で気に入ってしまった。彼とも意気投合して、できればこの路地で店を開きたいと思った。でも、そのときは空き物件がなくて。毎日、情報をチェックしていたら、あるときここの情報がでていたからすぐにエントリーした。大家さんとの面接では、どうしてもここでフィレンツェ料理の店をだしたいと想いを伝えて認めてもらい、お借りすることができた。ほんとうによかった。現地の味を食べてほしい 海外では、アメリカやヨーロッパはもちろん、インドネシアなどアジアでもイタリアンといえばイタリアの味だ。けれど、なぜか日本だけは、日本人に合うようにアレンジされていて、食材も日本のものが多く使われている。東京にはわずかに、イタリアを貫く店もあるが、名古屋や京都にはない。ある意味、競合がいないことはラッキーだと思った。2017年11月にここを開店して以来、僕がつくるのはフィレンツェの料理だけ。なかでも、トマトにニンニクをたっぷり加えたトマトソースは現地の味そのものだと思う。写真の「ピーチ にんにくトマトソース」は、太めのもちもち麺にたっぷりのトマトソースをからめたパスタ料理。コシの強いうどんのような食感は、日本の方にも気に入ってもらえるはず。日本のイタリア料理も美味しいし、逆にリスペクトしているくらい。だけど、それはあくまでジャパニーズイタリアンだし、僕がつくらなくても、もっと熟達した料理人が京都にはたくさんいる。僕は僕が自慢できるフィレンツェの料理をつくればいいし、その味を京都の人にも知ってほしいと思っている。オイルも牛肉もできる限りイタリアのものでフィレンツェの料理は、肉や生ハム、サラミなどを使うものが多くて、塩と胡椒、ハーブで味をつける。素材の持ち味を大切にし、そういう意味では和食と共通する部分もあるのかもしれない。とにかく、シンプルな料理が多いから、逆に配分などを間違えるとまったく違う料理になる。だから食材はとても大切。だから調味料や食材はできる限りイタリア産のものを使えるようにと思っている。 お客様はイタリア人もいるけれど、イタリアに住んでいた人や旅行に行ったという人も多くて、みんな「フィレンツェの味だ!」と言って喜んでくださる。少しでもイタリアの風を吹かせられれば、そんな嬉しいことはない。写真の「赤せんまい(ギアラ)の煮込み サルサヴェルデソース」は、フィレンツェのキングオブ・ストリートフード。赤せんまいを丁寧に掃除して下処理し、それを唐辛子やニンニク、ブラックペッパー、イタリアンパセリと煮込む。ピリッと辛くて、美味しい。思わず「ボーノ!」と言っちゃうよ!イタリア人はみんなワイン好き!料理を食べるときに、ワインを飲まない人はイタリアでは少ないね。だって、料理とワインはほんとうに相性がいい。そのうえワインは、塩や脂などを流してくれる。イタリアには、「ワインを飲む人は100年生きる」という名言がある。美味しい料理を食べてワインを飲み、幸せな気分になれば、ストレスもたまらない。みんなハッピーでいられるから。うちのディナーマットにもこの言葉が書いてあるんだ。辛いことや大変なことがあったときは、ぜひうちに来て、料理とワインを味わってほしい。きっと、いやなことなんてすっと忘れる。うちで初めてのフィレンツェ料理を食べた人たちは、現地に行っても困ることがない。同じ味に必ず出会えるから。すめば都! どこに住んでも同じ!最初は「京都の人に受け入れてもらえるだろうか?」と多少は不安だった。だけど、開店して1年半になるけど、嫌な思いはしたことがない。ここに来る人はみんな本当に優しいしいし、イタリア料理が好きな人ばかり。イタリアやヨーロッパの友人たちも、日本へ来るときは必ず京都へ来てくれるのも嬉しいこと。京都がもつ伝統や文化の力だと思っている。京都にはアートもあるしカルチャーも音楽もある。休みの日? 音楽を聴いたり、鴨川を散歩したり。焼き鳥や唐揚げ、ラーメンなど、大好きなものを食べに行くことも多い(笑)。京都は食のパラダイス。そんな街で、自分の国の料理をつくって食べてもらえることは、ほんとうに幸せだ!■ヴィナイーノ キョウト京都市中京区中之町577-14075-286-3180営12:00~15:30、17:30~22:30LO(金・土・日・祝は12:00~)休火曜
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2019.04.24
フランス人料理人 ステファン・パンテルの「職人気質」
第1回目に登場いただくのは、「フィリップ・オブロン 祇園」、「クーラン・デルブ」、「KEZAKO」のシェフを歴任し、2012年に自店「リョウリヤ ステファン・パンテル」を開いたステファン・パンテルさん。築100年の町家で開くフレンチ店のこと、京都への想いを聞いた。職人の街、京都にとことん惚れた「京都の人はうるさいのではないですか? 京都で暮らすのは難しいでしょう?」とよく聞かれます。でも、私はそう感じたことはないんですよね。そういう意味では、人にも環境にも恵まれてきたのでしょうね。「フランスに帰りたい」なんて思ったことは一度もないですからね。もちろん、たまにフランスに帰えるとハッピーになるけど、京都にいるほうが落ち着くというか...。今は自分の家は京都だと思っています。京都の好きなところですか? いろいろあるけど、一番は職人を大切にすることですね。料理人もそうだけど、道具を作る人、野菜を育てる人、庭を調える人と、いろんな職人さんがいて、みんな自分には厳しい。納得いくまで質を追求します。そういう職人さんから受ける刺激は、料理にもつながります。知れば知るほど、京都はいいものづくりができるし、上を目指せる街だと感じてきました。日本女性とパリで結婚、彼女の育った国が見たかった京都にきたのは、奥さんが関西の人だったからです。私の勤めていたパリの一つ星レストランに彼女が料理の勉強に来て知り合ったんです。彼女がパリにいる間に結婚して子供も生まれました。パリもいいけど彼女が生まれ育った国も見たかった。仕事を探すなかで、運よく「フィリップ・オブロン祇園」のオープニングスタッフとして採用されました。最初から京都の神髄ともいえる祇園で働けたことは運がよかった。京都の歴史や伝統、京都人気質みたいなものに日々触れることができましたから。街並みも綺麗で歩いているだけで楽しくなる。そんなところは、パリに似ているのかもしれません。京食材との出合いが、新しいフレンチへの扉を開いた「ケザコ」を任され、シェフとして自由に料理をさせてもらえるようになると、お客様に叱られることもあったし、教えていただくこともありました。京都の人は味や食材にうるさいですからね。でも、そこがいい。ダメだしされるたびに、洗練された感性や食材の合わせ方について考える機会をいただきました。「ケザコ」では、京都の野菜や食材はたくさん使っていました。「フランス人なのに、日本の食材をよく知ってるねえ」とお客様は驚かれました。でも、その土地の食材を知ることは、料理人にとっては当たり前のこと。積極的に、見たことのないもの、食べたことのない日本の食材を口にしました。難しいのはその味を見極めてフランス料理にすることだと思っています。フォアグラと奈良漬を合わせた料理は、京都のみなさんも意外だったようです。京都に来た頃に「田中長」さんの奈良漬を食べて「フォアグラに合うかも」と思ったんです。クリスマスディナーに出してみようと思い、フォアグラに奈良漬を巻いて10日間寝かせて熟成させました。酸味のあるフルーツソースを添えたら、味に奥行きがでました。フォアグラの脂と奈良漬の甘味、両方が混ざり合って、まろやかでふくよかな味わいになったんです。フォアグラには酒の香りがつくし、奈良漬にはフォアグラのコクが溶け込む。それぞれを別々で食べる以上に新しくて深い旨味が生まれました。この料理の評判は、想像以上でした。口コミや雑誌の記事で知って、この料理を食べたいという人がどんどん店に来てくださった。クリスマスだけのつもりだったのに、気がつけば私のスペシャリテになっていました。いよいよ独立、素晴らしい町家との出合いがあった2001年に京都に来て11年目、「ケザコ」を閉めるというときに、自分の店を出そうと考えました。でも、なかなか場所が見つからなかった。日本家屋の落ち着いた感じが好きだったから、できれば町家がいいと思っていたけど、これという物件に出合わない。あるとき、ダメモトで街の小さな不動産屋さんに入って尋ねたら、希望通りの場所はまずまず無理だろうと言われた。たぶん日本人じゃないから、貸したくなかったのでしょう。でも、その後電話があって、「ケザコのシェフなら貸してもいいというオーナーがいらっしゃる」と。がんばってきてよかったと思いましたよ。それがこの町家だったんです。門構えや庭のある日本的な雰囲気と海外のプロダクツが融合した店にしました。おかげさまで開店から6年。「ケザコ」以来、毎月来てくださるお客さまもいらっしゃいます。大原や上賀茂の野菜、美味しいものがすぐ手に入る環境がある大原や上賀茂の農家さんに自分で出向いて、野菜を収穫させてもらうこともあります。そんなときわかるのは、生産者のみなさんのご苦労です。1年365日、冬も夏も彼らが手を抜かず美味しい野菜をつくってくださる。それを知っているから、その野菜をより美味しくしたいとこちらも一所懸命になるんです。野菜だけじゃなくて、味噌や豆腐、だしの使い方や調理の組み立て方、京都の食文化から学ぶことはほんとうに多くて。地元の人に負けないというか、認めてもらいたいと思ったからこそ、京都で続けられたのでしょう。この料理は、春のメイン料理です。フランスなら仔羊は骨付きのままローストするだけですが、ここでは二つの部位に分けて火を入れています。ロース肉は優しくローストし、骨付バラ肉は塩漬けして一晩置いた後、36時間じっくりコンフィしています。とろとろになったコンフィは、骨から肉をすっとはずせより美味しく食べられる。静原の椎茸は、肉のソースと一保堂さんの京番茶を加え煮込みました。口に入れると番茶がふっと薫ります。京都の食材と出合って、そこから発想した料理も随分増えました。変わらない京都で日々挑戦し続けたい京都はよそものに厳しいと言われます。でも外国人の私だから言えるのは、よそものだから厳しくされるのではないということ。職人さんたちの意気に共感し、一緒に歩めば、よそものであっても大切にしてくださる。お客様も一緒です。どこの国の人間かは関係ない。他の人にはできない味をつくるための努力を惜しまなければ、それを認めるくれる人はたくさんいます。これからも私が思う「最高の料理」をつくりたいし、それを「美味しい」と言ってもらえるよう挑戦するだけです。好きな言葉「職人気質」■リョウリヤ ステファン・パンテル住京都市中京区柳馬場丸太町下ル四丁目182075-204-4311営12:00~12:30(入店)、18:00~19:30(入店)休火曜、水曜(年末・年始休み、夏期休業あり)http://stephanpantel.com/
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