WORK職種紹介

#14

CAMERAMANカメラマン

NAME
赤井 里菜Rina Akai
DEPARTMENT
報道情報局映像取材部
/報道カメラマン
CAREER
2017年度入社

COMMENT

高校時代、オーストラリアの朝食を紹介するMBSの番組を観て「楽しそう」と思い、オーストラリアへ留学。大学時代は、MBSの『ロケみつ』でサグラダファミリアを観て「自分の目でも見たい」と、スペインへ行く。実体験からテレビが持つ影響力の大きさを知り「伝えることで世の中が良くなる仕事をしたい」と思い、MBSへ。入社後、報道カメラマンとして3年勤務。4年目から営業へ。2022年、再び報道情報局に異動。

おシゴト紹介01 / 04

社会が動く瞬間も、
少年の人生も、
映像に残す。

あなたの仕事を教えてください。

2019年、元号が平成から令和に変わる瞬間、天皇陛下を撮影する。2023年、広島でG7が開催されたとき、空港に到着したウクライナのゼレンスキー大統領の姿を画に残す。歴史が動く瞬間をカメラに収め、世の中に発信するのが、私たち報道カメラマンの仕事です。前述したのは、私がこれまで撮影に成功したできごとの一部。希少価値の高い映像を撮ることができたら、長く受け継がれ使われ続けるのは、報道カメラマンの醍醐味です。

もうひとつ、大きなやりがいがあります。自分で考え、動き、いろいろな人生に触れて、メッセージを発信できることです。2024年、病気で目がほとんど見えなくなったある中学生のフットサルへの挑戦を取材し、放送しました。視聴者に、日々の生活で何かを考えるきっかけをもたらしたい。そんなふうに思っていた頃に彼の存在を知り、すぐに取材を申し込みました。弱視のプロサッカー選手との出会い。弱視者向けのフットサル「ロービジョンフットサル」との出会い。公式試合への出場…密着した期間は約1年。本人やご家族へのインタビューなども含めて、私一人で追い続けました。放送終了後、ご両親からも「赤井さんに取材してもらったことで、息子も成長できました」と感謝の言葉をいただいたときの嬉しさは、今でも覚えています。

おシゴトの環境02 / 04

心から頼れる
上司や先輩のおかげで、
前に進める。

自分の想いを大切にできる理由は?

目がほとんど見えなくなった彼への特集取材をやり遂げられたのは、私一人の力ではありません。実は、1年間の取材・撮影において、何度も迷いが生じたことがありました。自分がしていることは、本当に意義のある報道だろうか。視聴者に有益だろうか。何かがずれてしまえば、彼本人やご家族を傷つけることになりかねません。上司や先輩に何度も相談し、たくさんのアドバイスをもらいました。どんなに忙しいときでも、私のやりたいことや意志を尊重し、真剣に向き合ってくれる先輩方に、どれだけ助けられたか分かりません。1時間のドキュメンタリー番組『映像’24』で、小児性犯罪の加害者に密着したときもそうでした。公園で、少年に偏った想いをもつ加害者の男性にカメラを向けているときのこと。突然、見知らぬ男の子が男性の目の前に現れました。「ふたたび過ちを犯してはいけない」と、思わず目をつぶる加害者。いきなりの事態に、何をどう撮ればいいのか分からず、その一部始終はガタガタと揺れた映像になってしまいました。それを見た先輩は「下手だけど、視聴者の目線で迷いが表現されていると思う」。正直、悔しさでいっぱいでしたが、少しだけ救われた気がしました。

もしかしたら先輩は、この失敗も覚悟したうえで、私に撮影を任せてくれたのかもしれません。思い返せば、「全力を尽くせばなんとか乗り越えられる壁」を仕事として託してもらった気がします。そして、任せっぱなしにはせず、ちゃんと見守ってくれている。だからこそ、厳しい言葉も、嬉しい言葉も、素直に受け入れられる。関わる人や会社を信じて前に進めるのだと思います。

おシゴトの目標03 / 04

社会に、
災害を真剣に考える
メッセージを。

これからの目標を教えてください。

私は今、南海トラフ地震が発生したときの準備を進めるプロジェクトに参加しています。2023年、入社7年目になったときに「テレビ局として、社会に何ができるのか」を強く考えるようになりました。そんなときに、上司から「南海トラフ地震の会議に参加してほしい」と打診を受けたのです。津波が起きたとき、ヘリコプターで何を撮影するか。必要な機材は何か。どの災害備品をそろえるか…。映像に関することだけでなく、設備や環境のディスカッションにも参加しています。

だからこそ、2024年1月1日に発生した能登半島地震は、他人事ではありませんでした。「今、改めて、災害の重大さを身をもって知っておかなければ、南海トラフ地震が起きたときに何もできないのでは」という想いに駆られ、現場への派遣を直訴したんです。孤立集落へ向かう自衛隊の同行取材は、重い機材を持ち、道なき道を1時間半歩き続ける過酷なものでした。ただ、被災した地域の皆さんのショックと比べたら軽いものです。災害の残酷さ、準備の大切さを思い知らされるだけでなく、災害と向き合う覚悟を自分自身に改めて問う重要な機会にもなりました。

いつか、能登半島での経験を活かして、災害対策を改めて考えるきっかけを視聴者の皆さんに提供したいです。テレビには、その人に生活や考え方を問いなおす時間をもたらし、よりよいものにする力があります。私が高校時代に、MBSの番組がきっかけでオーストラリアへ留学したように。MBSの上海支局やパリ支局に赴任して、世界のニュースを撮影するのも、いつか叶えたい夢のひとつです。