2025年11月14日(金)公開
「わしは空襲で死んでもうたんや」聞こえてくる先代の無念...落語で戦争体験を語る『伝戦落語』 動物園での悲劇伝える「どうぶつえん1945」に込めた思いとは?【三代目・桂花團治】
編集部セレクト
俺は動物を育てるために飼育員になったんや―――太平洋戦争中、動物園で猛獣が殺処分されたことなどが生々しく語られる創作落語「どうぶつえん1945」の一幕です。 演じるのは三代目・桂花團治さん。空襲で亡くなった先代の無念を伝えようと、今日も高座に上がります。伝えたいのは、戦争の悲惨さ。しかし、それだけではない「あること」を表現したいと言います。 落語を通じて戦争を伝える、大阪の落語家の思いとは?
知っていますか?落語で戦争体験を伝える「伝戦落語」

大阪の落語家、三代目・桂花團治さん(63)。10月25日、大阪市の小学校で子どもたちや地域の人を前に披露したのは、落語で戦争体験を伝える「伝戦落語」です。
<創作落語「どうぶつえん1945」>
「へーあれゾウのハナか!汚い花やなあ。一輪挿しにはよう挿さん」
「何言うてんねん。その花と違うがな」
なぜ落語で戦争を伝えるのか。それは、先代(二代目)・花團治さんへの思いからでした。
(三代目・桂花團治さん)
「大阪大空襲。第4次ですけどね。(先代は)防空壕のそばで亡くなっていた。無念やったやろうなって」
キャンセル続きのコロナ禍…先代の声が「今やらないかんのは稽古」

そんな先代を意識するようになったのは、2020年からのコロナ禍です。講演が次々と中止になり、花團治さんも高座に上がれない日が続きました。
(三代目・桂花團治さん)
「ここで稽古してると、二代目・花團治(先代)と目が合うんですよね。もう(仕事の)キャンセルの電話ばっかり受けてるときに」
「僕もちょっとしょんぼりしてますよ。でも、先代花團治が僕に語りかけるわけですよ。『コロナ禍や言うたっていずれまた収まるがな。今やらないかんのは稽古と違うか』って」
「『わしは“これからや”いうときに襲名して、1年足らずで空襲で死んでもうたんや』って言われてるような気がして。僕が先代の無念を、伝えていくべきちゃうかなって。落語を通じて」
「落語にすると粉薬みたいで飲み込みやすい」子どもたちが戦争考えるきっかけに

落語で戦争を伝えるうえで常に意識しているのが、子どもたちの存在です。戦争について自分で考えるきっかけにしてほしいと話します。
(三代目・桂花團治さん)
「(落語は)登場人物2人3人て、複数出てくるじゃないですか。だから『俺はこう思う』『いやいやわしはこうで』とか違う意見をその1つの物語中に入れ込みやすいというのも、落語のいいところかなと思いますね」
「落語ってね、登場人物のセリフですからね。そういうことが伝えやすい手段というか芸能なので。聞いた子どもたちが考えるきっかけは作りやすいのかなって思ってます」
実際に、子どもたちからはこんな声が寄せられたといいます。
(三代目・桂花團治さん)
「(戦争を)そのまま伝えるのは錠剤みたいで、飲み込みにくいけど、落語にすると粉薬みたいになって飲み込みやすくなる」
子どもたちからの「わかりやすい」という声。実は、これも色んな登場人物が出てくるからこそ。登場人物のセリフに乗せて、様々な事象を説明しやすいからだといいます。
「どうぶつえん1945」題材にしたのは悲惨な実話

これまでに4作の「伝戦落語」を作ってきた花團治さん。「どうぶつえん1945」は4作目です。名古屋市の東山動物園(現・東山動植物園)の実話を題材にしました。
太平洋戦争中、「空襲で壊れた檻から逃げるかもしれない」などの理由で、大阪の天王寺動物園など全国各地の動物園で猛獣が殺処分されたことなどが生々しく語られます。
<創作落語「どうぶつえん1945」>
「むちゃくちゃや。俺は動物を育てるために飼育員になったんや。動物殺すの、一番やったらいかんことやし一番やりたないことや」
「どうせ殺されるんやったら、俺の手にかかった方がええっちゅうのか。そうか、そうか。そう思ってええねんな。ええねんな」
(客)「語り部とは違う会話の駆け引きが臨場感につながるのかな。戦争の悲惨さを伝えられる落語ってすごい」
猛獣の殺処分は東山動物園でも行われましたが、当時の園長が軍に嘆願し、ゾウだけが殺処分を免れました。結果、全国で唯一ゾウが戦争から生き残ったのです。
「笑っていいのかなっていう雰囲気」苦労するのは“笑い”の場面

戦後、全国の子どもたちがゾウを見られるよう、名古屋に子どもたちを運ぶ「ゾウ列車」を国鉄が運行しました。戦後の復興の象徴ともいえるこの出来事はのちに歌になりました。
♪ぞうれっしゃよはしれ (作詞:小出隆司・清水則雄 作曲:藤村記一郎)
「象列車よ急げ やみを裂いて走れ
象列車よ急げ 空を駆けて走れ」
この歌が落語「どうぶつえん1945」をつくるきっかけだったといいます。
(三代目・桂花團治さん)
「戦争の真実を伝えていくんだけれども、そこに最後は希望を。曲を聞いたときにエンディング出来上がったと思ったんですね。希望の部分にこれ(歌)がちょうどはまるなと思いました。」
「どうぶつえん1945」の制作は約1年がかり。戦争の悲惨な歴史を、落語を通じてどう語るのか。模索しながらの制作だったといいます。
(三代目・桂花團治さん)
「伝戦落語の中で笑っていいのかなっていう雰囲気もあるわけです。だからそこはね、すごく自然な感じで、ふって笑わせるっていうのかな。そこ一番苦労してるかもわかんない。」
ではなぜ、戦争について「笑い」がある落語で伝えるのでしょうか。
(三代目・桂花團治さん)
「戦争の落語ですから、ぐっと張り詰めた場面って多々あるんですね。緊張する場面ってね。だから余計に笑いの場面って要ると思ってるんです」
「戦争は戦地だけで起こるわけじゃない」焦点当てたいのは“銃後”

また笑いの場面以外にも、「伝戦落語」を作るにあたって大切にしていることがあると言います。それは「銃後」、つまり戦争において戦闘に参加しなかった一般市民についてです。
(三代目・桂花團治さん)
「戦争は何も戦地だけで起こるわけじゃなしに、一般の人々が普通に普通に暮らしてた人々のところにいきなり戦争はやってくるんだっていうこと。そこに僕は焦点を当てて、作っていきたいなと思ってます」
「いろんな書き方があると思うんですけども、僕は銃後にこだわっていきたいなっていうのが一つの方針ですね。それと、その非業の死を遂げた人。それを描きながら最後は希望を持って、終わりたいなって」
「つらいことも出していくけど…」最後に伝えたいのは“希望”

花團治さんは、名古屋市の東山動植物園を訪れ、落語の題材になった歌の作曲者に会い、今後の落語にいかそうと歌に込めた思いを聞きました。
(音楽家 藤村記一郎さん)
「(ゾウ列車の歌は)つらいことだけを合唱にするのではなく、(子どもの)『ゾウに会いたい、ゾウと遊びたい』という夢を実現させる物語」
(三代目・桂花團治さん)
「僕の伝戦落語も合唱曲みたいに“希望”で終わる。しっかりと戦争のことを描きながら最後は“希望”が見える。これを守っていこうみたいな」
東山動植物園で改めてその歴史に思いを馳せた花團治さん。今も新しい落語の制作に取り組んでいます。どう「伝戦落語」を形にしていくのか。その思いを再確認していました。
(三代目・桂花團治さん)
「つらいこともしっかり出していくけど、希望で終わろうというのは(曲と)全く同じだし。ここへ来てゾウ見て藤村先生と話してやっぱりそうすべきだなって。これから時代を担っていく人たちにちゃんと伝える落語をしていきたい。一緒に戦争のことを考えるような落語をしていきたいです」
<創作落語「どうぶつえん1945」>
「戦争というのは無慈悲なもんじゃな。それに犠牲になるのは、いつも弱いもんからや」
落語を通じて戦争を伝える。この決意が、花團治さんの活動の原動力になっています。
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