2025年07月03日(木)公開
「4~5年は泣いて過ごした」視力を失い絶望した女性を救った『ブラインドメイク』自力でメイクすることが自信に..現在は飲食店でアルバイトも「仕事してる自分が好きだったのでうれしい」
編集部セレクト
看護師として働くなかで突然視力を失った、大阪に住む中島千恵さん(47)。仕事もできず、絶望の中で転機となったのは「ブラインドメイク」との出会いでした。2010年に日本で考案されたというブラインドメイクとは?中島さんの人生はどう変わったのか?密着しました。
視力を失い「4~5年は落ち込んで泣いて過ごした」
大阪・梅田で行われたイベント。「障がいなどのハンディキャップがあってもおしゃれを楽しむ」というコンセプトで企業や団体などが出展しました。
その中に「ブラインドメイク」の体験コーナーがあります。ブラインドメイクは手先の感覚などを頼りに鏡を使わずに化粧をする技法で、視覚障がいがある人でもフルメイクができます。日本ケアメイク協会が認定する「化粧訓練士」という講師が教えます。
そんなブラインドメイクを広げるため活動しているのが中島千恵さん(47)。中島さんも視覚障がい者です。
(中島千恵さん)「『(目が)見えてないと何もできないんじゃないか』と思う人がいっぱいいると思う。工夫次第で(おしゃれを)楽しむことができると広げていけたらうれしい」
中島さんが視力を失ったのは10年前、看護師として働いていたときでした。目がかすむと思い病院に行くと「網膜に異常がある」と診断され、約1年後にまったく見えなくなりました。ただ、正確な原因はわかっていません。
(中島千恵さん)「(失明後)4~5年くらいは落ち込んで泣いて過ごすことが多かった」
自力でメイクができるようになり心境に変化
そんな中島さんに変化をもたらしたのが「ブラインドメイク」でした。
(中島千恵さん)「見えてたときと同じように、自分の力だけでメイクができるのはすごくうれしかった。(自分で)メイクできるようになったら『きょうはどんな服着たいかな』みたいな。見えてたときと同じようにおしゃれを楽しむ気持ちが持てた。外に出たいなという気持ちに自然とさせてもらえた」
中島さんにブラインドメイクの様子を見せてもらいました。特徴は両手を同時に同じ強さで動かすこと。片手ですると、濃さにムラが出てしまいやすいからです。下地とファンデーションを終えたら次はマスカラ。外にはみ出して肌につかないよう、目の周りに医療用のテープを貼ってから塗っていきます。
(マスカラを塗る中島千恵さん)「持つのに工夫があって、左の人さし指で押さえる。そしたら(マスカラの)端が鼻につくのを防げる。このまままつ毛を感じながら塗っていく」
マスカラを乾かしているあいだに口紅を仕上げます。使うのは、口紅やアイシャドーが一緒になった、目が不自由な人でも使いやすいパレットです。
(中島千恵さん)「薬指で(塗る位置を)確認して小指で」
そしてアイシャドー。色や塗る広さで指を使い分けながら塗っていきます。最後はチークです。笑うことで頬骨が出るので、そこを始点に仕上げます。
メイクは40分ほどで完成しました。
(中島千恵さん)「指先に化粧している感じが伝わったり、『きょうメイクすごくきれいにできてる』って言われたらうれしくて」
「できる仕事があるのはすごくうれしい」3年前から続けるアルバイト
ブラインドメイクが大きな転機となり、中島さんは気持ちだけでなく行動にも変化があらわれました。
3年前から週に1回、スペイン料理店でアルバイトをしています。イベントで知り合ったマスターの吉村さんが、働いてみないかと声をかけたそうです。
(La Oliva 吉村健治さん)「笑顔がすごくすてき。笑顔で迎えられると、お客さんにもほっとしていただけるのかな。カウンターでコミュニケーション取ってもらっている。大事なスタッフの1人」
店のなじみのお客さんには、注文を取りに行ったりドリンクや料理を運んだりすることも。お店のメニューには全て番号がふられています。目が見えない中島さんでも数字であればメモが取りやすいからです。仕事ができることで、再び社会とつながるよろこびを感じています。
(中島千恵さん)「メイクして外に出られる自信がついて、1人で行けるところが増えていったから、出会いもあるのかなと感じて。仕事してる自分が好きだったので、できる仕事があるのはすごくうれしいです」
ブラインドメイクで明るさを取り戻した中島さん。この思いをどうしても伝えたい人たちがいました。
医学生に伝える「患者が自信を持てるようアシストしてほしい」
中島さんは週に一回、兵庫医科大学に通っています。その目的は、眼科の実習に来ている医学生に講師として話をするためです。医療従事者として患者の理解を深めてほしいという思いから、実際に視覚障がい者になって感じた不安などを語っています。
(中島千恵さん)「特に見えていたときの私の姿を知っている人には、失明した情けない、みじめな自分の姿を見られたくないという気持ちを強く持っていた」
障がいによってつらい思いを抱える患者が自分でできることを増やすことで、自信を持てるよう医療従事者としてアシストしてほしいと話します。
(中島千恵さん)「ブラインドメイクとの出会いは大きかった。見えなくなっても見えていた時と同じように自分自身の力でメイクできるのがすごくうれしかった。自信にもなった」
話を聞いた学生は…
(兵庫医科大学・医学部 岸田紗矢香さん)「できないことを医療者側やできる人がサポ-トするだけではなく、どんなことができなくて気分が落ち込んでるかしっかり聞いて、いっしょに考えていく姿勢が大事だと思いました」
(兵庫医科大学・医学部 千葉瑳和子さん)「患者にたくさんの選択肢を与えられるような医師になれればと思いました」
目が見えない人にとって一筋の光となっているブラインドメイク。このメイクが紡いだ出会いが中島さんの心を明るく照らし続けています。
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