2025年08月14日(木)公開
「"武は負けたけど、文で勝て" みんなの声が聞こえる」巨星堕つ... 千玄室さんが102歳で死去 元特攻隊員 茶道を究め平和を希求した人生【生前の単独インタビュー】
編集部セレクト
茶道「裏千家」の前の家元、千玄室さんが8月14日、亡くなりました。102歳でした。元特攻隊員として知られた千さん。終戦80年を見届けるかのように、茶道の道を究め、平和を希求し続けた人生の幕を引きました。MBSが6月に行った単独インタビューを再掲します。
「ぼくらの仲間は私1人になった」今年6月、MBSの取材に答える千玄室さん
今年6月、MBSの取材に答えていた千玄室さん。裏千家によりますと、8月14日未明、病気のためなくなったということです。102歳でした。
千さんは千利休の子孫で、1964年に京都の茶道・裏千家の15代家元を継承。茶道の発展に大きく貢献し2002年、家元を長男に譲りました。
太平洋戦争中は海軍の特攻隊員だったことでも知られ、亡くなる2か月前、MBSの取材に当時の仲間への思い、平和への思いを語っていました。
(千玄室さん)「もう誰もいません。ぼくらの仲間は、私1人になった。生き残った人はみな死んでしまった」
「みんな本当は死にたくなかった」 仲間は叫ぶ「お母さーん」と
1943年、日本が敗走を重ねる中、不足する兵力を補うため、大学生は陸海軍へ入隊することなりました。「学徒出陣」と呼ばれ、大学生だった千さんも海軍に入隊。そして1945年、特攻隊員を志願しました。
(千玄室さん)「こんなんかなんわと、本音は。歩兵にいった連中はどんな目にあっているか、それ思ったら何とも言えない」
爆弾を抱えた戦闘機が艦船をめがけて急降下する「特攻」。「出撃すれば確実に死ぬ」。千さんが我が身を重ねたのが先祖の千利休。時の権力者、豊臣秀吉の命令で切腹しました。
(千玄室さん)「利休居士は腹を召された。私は15代目でまた腹を召さなあかんかなと。ただね、さみしそうなおふくろの顔が出てきてね。それだけやった」
千さんは言います。「みんな本当は死にたくなかった」。特攻機のそばで開いた茶会で仲間が立ち上がり叫びました。
(千玄室さん)「『お母さーん』とみんなが叫んだ声が私の耳の奥に残っています。『おふくろに会いたいなあ』と、みんな涙流しながら。思い出しますね、みんなの声が。みんな突っ込みました。みんな帰りませんでしたね。みんな亡くなった」
「茶を介し、敬いあって交流すれば…」戦後も平和を訴え
仲間が命を失う中、千さんには待機命令が続き、終戦を迎えました。
戦後、裏千家の家元となった千さん。「茶を介し、敬いあって交流すれば、国同士も争わなくなるはず」との思いを胸に茶会を開き続けました。根底にあるのは仲間たちへの思いです。
(千玄室さん)「80年間、慙愧の念に堪えず、私は生き残ってきたんですよ。このお茶を勧め合う気持ち、アフターユー、どうぞ、どうぞ。本当の心のおもてなし。大事なことなんです。これを世界中に伝えてきている」
(千玄室さん)「“千よ、お前残ってな、お前のお茶で、武は負けたけど、文でやれ、文で勝て”みんなの声が聞こえますよ」
終戦から8月15日で80年。戦争の現実を知り、平和を訴える茶人が亡くなりました。
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