2025年06月11日(水)公開
神戸に避難のウクライナ人親子が帰国 背景に「父と一緒にいたい」4歳息子の願い いまも爆発や空襲警報が続く中...疲弊した人々を支える決意「避難していたから力がある」
編集部セレクト
ロシアによるウクライナへの侵攻から3年3か月。ことし5月から停戦へ向けた直接交渉が始まりましたが、停戦のめどはいまだ立っていないどころか、6月に入り攻撃は激化しています。こうした中、侵攻直後から神戸に避難していたウクライナ人の親子が帰国を決断しました。
「家族に早く会いたい」神戸に避難していた親子が帰国の途に
夜の街を襲う轟音。ロシア軍は6月5日夜から6日朝にかけて、ウクライナ各地を攻撃しました。一晩の攻撃としては最大規模とみられ、ゼレンスキー大統領は4人が死亡、80人がけがをしたとしています。
5月、ロシアとウクライナによる直接交渉が再開されたあとも、攻撃が収まる気配はありません。
一向に停戦のめどが立たないなか、5月30日、ウクライナ人の親子が帰国の途に就きました。神戸に避難していたオルガ・クトバさん(42)と、ひとり息子のレブくん(4)です。
(オルガ・クトバさん)「ウクライナに戻れるのはうれしい。家族に早く会いたい」
元々ダンサーだったオルガさん。ウクライナの首都・キーウで夫のアンドリーさん(53)とレブくんの3人で暮らしながら、子どもたちにダンスを教えていました。
しかし、ロシアの軍事侵攻で生活が一変します。
(オルガ・クトバさん)「爆発音で目が覚めました。ストレスを感じて動くことができなかった。夫はとても心配していてこう言いました。『自分の身は自分で守れるが、3人でいたら難しい。みんな死んでしまうかもしれない』」
3年前2人で神戸に避難 夫は介護のためウクライナに残る
2022年4月、オルガさんはレブ君と2人で神戸に避難。夫のアンドリーさんは介護が必要なオルガさんの母親のため、国に残りました。
(オルガ・クトバさん)「ソバです。ウクライナではそのまま食べます」
夕食はウクライナ料理。1歳から日本で暮らすレブくんのためにも、家ではなるべく祖国の文化を取り入れています。
【親子の食事の様子】
(オルガ・クトバさん)「レバーを1つ食べてくれる?」
(レブくん)「レバーはいらない。ソバの実を食べるよ」
(オルガ・クトバさん)「わかった。ソバの実を食べましょうね」
(レブくん)「レバーはいらない」
(オルガ・クトバさん)「なんておいしいのかしら」
カフェでパートを始めたオルガさん 日本語でコミュニケーションも
言葉の壁などから、ウクライナにいた頃のようなダンスや子どもと関わる仕事は見つからず、カフェでパートを始めました。
(オルガ・クトバさん)「メレンゲがふわふわすぎたんじゃないんですか」
(指導係)「もうちょっと潰さなあかん。もうちょっと潰そう」
日本語でのコミュニケーションにも少しずつ慣れる中、本業のダンスの幅を広げようと、子育てとパートの合間に日本舞踊を学びます。
(先生)「日本舞踊はつま先を内側に入れる」
(オルガ・クトバさん)「でも内側に入れすぎるとだめでしょう?」
(先生)「少しだけすって歩く」
(オルガ・クトバさん)「ダンスのプロだから練習しないといけない。新しい文化を勉強するのは大切なこと。ウクライナでダンスの先生だから、日本舞踊とかを絶対教えます。それが私の人生です。それをしないと人生が悲しくなる」
侵攻開始から3年「家族に会いたい。ウクライナに平和がほしい」
そんな生活のなかで、いつも気にかけていたのが、キーウに残る夫・アンドリーさんのことです。
【オンライン通話の様子】
(オルガ・クトバさん)「昨夜はどうだった?ミサイルは飛んでこなかった?」
(アンドリーさん)「ここには飛んでこなかった。おかげさまで落ち着いているよ」
(オルガ・クトバさん)「どこに(ミサイルが)飛んできたの?」
(アンドリーさん)「主にオデッサだね」
今年2月で侵攻開始から3年が経ちました。オルガさんは平和を訴える集いで、創作ダンスを披露。家族が引き裂かれた侵攻への悲しみを踊りに込めました。
(オルガ・クトバさん)「家族に会いたいけどウクライナは危ない。日本には慣れているようで慣れていない。平和がほしい。一番ほしいのは平和。ウクライナに平和がほしい」
帰国決断の背景にひとり息子の思い「父親と一緒にいたい」
5月23日。オルガさんの自宅を訪ねると、帰国に向けて部屋の片付けが進められていました。
(オルガ・クトバさん)「だんだん荷物が少なくなってきたね」
帰国を決断した背景には、レブくんの「お父さんと一緒にいたい」という強い思いがあるといいます。
(オルガ・クトバさん)「(レブくんは)毎日いつお父さんに会いましょうか、お父さんと遊びたい、お父さんといろいろ一緒にしたい。だから帰ります。お父さんと一緒に散歩がしたい。散歩をしてサーカスに行きたい。サーカス行きますか?」
(レブくん)「行きますか!」
神戸を離れる前の日。レブくんが通うこども園では、お別れ会が開かれました。
(先生)「レブくんにプレゼントがあるので渡したいと思います。レブくんありがとう」
(レブくん)「ありがとう」
(先生)「遠くにいってもみんなの顔を覚えておいてもらおうと、みんなの写真を貼りました」
(オルガ・クトバさん)「かわいい。ありがとうございます、大切にします」
(先生)「本当に頑張って、レブくん」
成田空港から、ポーランドのワルシャワに向かい、そこからバスでキーウを目指します。
(オルガ・クトバさん)「どきどきです。本当にありがとう。さようなら」
(レブくん)「さようなら」
家族一緒の生活は、もうすぐです。
“家族一緒の生活”を再開「神戸に避難していたからまだ大丈夫。力がある」
6月5日。オルガさんとレブくんはキーウに到着しました。再会を心待ちにしていたアンドリーさんが出迎えます。
オルガさんは現在、キーウのマンションに3人で暮らしています。
(オルガ・クトバさん 6月8日)「(Qお元気ですか?)きょうは元気です。久しぶりによく寝られました。きのうとおとといは元気がなかった。空襲警報や爆発がいっぱいあった。マンションの窓が壊れちゃうと思った。レブくんはすごく強いみたい。まだ(空襲警報や爆発が)怖くない」
レブくんは、お父さんとずっと一緒にいられることがうれしいようです。
(オルガ・クトバさん)「全部なんでもずっと一緒にします。掃除・遊ぶ・食べる・ピザを作る・外に行く。なんでも一緒です。家族と一緒は全然違う人生。全然違う気持ち、全然違う考え。日本にいたころとは違う。安全だったけど、毎日心配だった。『(夫の)アンドリー大丈夫かな』、『お母さん大丈夫かな』、『ウクライナ大丈夫かな』。心配することがよくありました。ウクライナに来て落ち着いた。安心した。だけど危ない時間だけよくない」
悩みぬいて家族一緒の生活を選んだオルガさん。これからダンスを教える仕事を再開し、長引く侵攻で疲弊した子どもたちを支えていきたいと話します。
(オルガ・クトバさん)「みんな(ウクライナに)3年いるから慣れたみたいだけど元気がない。私は神戸にずっと避難していたからまだ大丈夫。力があります」
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