2025年05月24日(土)公開
【城崎温泉が焼け野原】『北但馬地震』から100年...温泉街に並ぶ"柳の木"には震災の教訓が 専門家「この地域の地震活動は現在も活発」
編集部セレクト
兵庫県豊岡市の城崎温泉。川沿いの“柳の木”で有名な温泉街ですが、今から100年前、「北但馬地震」によって多くの建物が倒壊し、街は火災に襲われました。地震後、温泉施設や駅を鉄筋コンクリートで再建するなど復興が進められ、街並みは一変。その痕跡の一端は今も垣間見えます。
1925年に発生「北但馬地震」 ほとんどの外湯が燃える
城崎温泉は、約1300年前の奈良時代、旅の僧侶が病に苦しむ人々を救うために開いたと伝わる歴史ある温泉街です。
(観光客)
「(志賀直哉の小説)『城の崎にて』を学生時代に読んで、来てみたいなと。柳の感じがすごくいい」
「旅館のある並木道を歩いて、20年ぶりに来たけれど、変わっていないなと思いました」
温泉と風情ある街並みは世界中から愛されていますが、今から100年前、大きな危機に直面しました。「北但馬地震」です。1925年5月23日、兵庫県北部を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生。当時の最大階級だった震度6を豊岡で観測し、兵庫県内で421人が亡くなりました。当時も旅館が立ち並ぶ人気の温泉地だった城崎も強い揺れが襲い、多くの建物が倒壊。火災で街は焼き尽くされました。地元では“北但大震災”とも呼ばれています。
被災直後に撮影された映像が残されていました。映っているのは、城崎の温泉街を流れる大谿川の周辺です。地震が起こったのが昼前だったことから、調理中のかまどの火が燃え移って大規模な火災が発生。大勢が犠牲になりました。有名な外湯もほとんどが燃えてしまいました。地震の翌年、兵庫県がまとめた資料には、地震の直後、温泉街を襲った火災の様子が克明に記録されています。
【兵庫県の資料より】
『発震の際は恰(あたか)も浴客(よっきゃく)の多数が入浴する時刻とて六箇所の浴場は皆大混乱』
『殆(ほと)んど倒潰(とうかい)の運命に遭逢(そうほう)したるが故に浴客の焼死したるもの甚だ多し』
「木橋の方がよかった」の意見も…地震後は鉄筋コンクリートに
地震の後、城崎の街並みは一変しました。温泉街でボランティアガイドを務める松井敬代さんは、当時の復興を物語る痕跡が今も残っていると話します。
(松井敬代さん)「こちらが城崎の外湯で1番大きな『一の湯』です。(地震の前は)木造でしたが、地震で壊れて焼けてしまい、鉄筋コンクリートで再建しています」
洞窟風呂で知られる一の湯のほか、駅や役場などの公共施設を鉄筋コンクリートで再建しました。さらに主要な道の幅を広げるなどして、火が燃え広がりにくい街に復興したのです。
(松井敬代さん)「この橋は木橋だったんですが、地震後に鉄筋コンクリートの橋につけ替えられました。鉄筋コンクリートは冷たい感じするので、木橋の方がよかったという意見もあったようですが、燃えないことや避難できることもあって、鉄筋コンクリートにしたようです」
城崎のシンボルになっている川沿いの柳の木も、地震後の街づくりのなかで植えられました。コンクリートが増えた街の景観を補うためですが、柳を選んだのも、火災を意識したからだといいます。
(松井敬代さん)「柳の木は燃えにくいという特徴があるようなので、その理由もあったかなと思います。今となれば景観になっていますね」
「この地域の地震活動は現在も活発だと考えた方がよいのでは」
温泉街に大きな影響を与えた大地震。近畿の地震や復興を研究してきた佛教大学の植村善博名誉教授は今後も備えが重要だと指摘します。
(佛教大学 植村善博名誉教授)「この地域の地震活動は現在も活発だと考えた方がよいのではないか」
実は、この地域では、北但馬地震までは大地震の記録がほとんどありませんでしたが、その後、周辺で地震が相次ぎました。2年後(1927年)、京都府北部を震源とし2925人が亡くなった北丹後地震が発生。さらに、1943年には鳥取地震が起きていて(死者1083人)、今も活動期にあるというのです。
(佛教大学 植村善博名誉教授)「どうすれば被害が少なくて済むかという心構えや準備・対策こそが大事」
「婦人消防組」があった田結地区 訓練重ね被害を最小限に
100年前の地震でも、準備していたことで被害を最小限に抑えた場所があります。城崎温泉から車で15分の豊岡市田結(たい)地区です。
(田結地区 仲川進区長)「田結地区には(かつて)婦人消防組があって、男性が(仕事で)いない時でも女性が火事を消せるよう訓練をしていました」
この地区では明治時代に大きな火災を2度経験していたことから、訓練を重ねていました。そのため地震直後、すばやく火災の消火にあたってから、下敷きになった人を助け出したのです。その結果、亡くなったのは、即死の7人だけでした。
地震発生からちょうど100年を迎えた今年5月23日、田結地区では、早朝の神社に住民が集まっていました。犠牲者を鎮魂する「お千度参り」です。地震があった5月23日に毎年行っています。
(田結地区 仲川進区長)「これからも亡くなられた方への慰霊と震災での出来事を語り続けていかなければならない。この日(5月23日)をきっかけに、防災について今一度、家族などと話し合い、どうすれば自分自身や家族が守れるか考えていただきたい」
(地区の住民)「『災害は忘れた頃にやってくる』と言いますが、災害が起きないよう祈っています」
(地区の住民)「近々災害が来るんじゃないかと(危機感を)後継の方に伝えていき、毎年お千度参りをして無事を祈っていきたい」
地元で静かに引き継がれてきた大地震の経験と教訓。より多くの人が知ることが、今後の被害を減らすことにつながっていきます。
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