2025年11月02日(日)公開
強度行動障害のある28歳息子と初めて離れて暮らす決断 「自分たちが世話が出来なくなる前に」両親はパニックに対応できる施設を6年間探す...届いた「受け入れ可能」のメール
編集部セレクト
突然、自分や他人を傷つける“パニック”を起こすことがある「強度行動障害」がある人は、全国に12万人いると推定されています(厚労省調べ)。1年前、MBS『よんチャンTV』では、「強度行動障害のある息子が自立して暮らせる施設を探しても、受け入れる施設が見つからない」と思い悩む長野県の家族の実情を取材し、放送しました。 放送後、自宅から300km離れた大阪にある施設が受け入れを申し出たのです。互いに年齢を重ねていくなか、同じ家でともに暮らし続けることが家族の幸せなのか。初めて別々に生活することになった親子の1年半を追いました。
親子の穏やかな生活の中で起こる「強度行動障害」による“パニック”

長野県に住む蒲和美さん(52)と、息子の涼太さん(28)。涼太さんには重度の知的障害があります。2人の時間のほとんどが穏やかに流れていく中で、ある瞬間の出来事が生活に影を落とします。
突然起こる「パニック」。涼太さんには「強度行動障害」があります。
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強度行動障害とは、「自分や他の人を傷つけるなどの行動が著しく高い頻度で起こる状態」を指します。生まれつきの障害ではなく、自分の感情を周りに上手く伝えられないストレスなどから生じるとされ、厚生労働省の調べによると、全国に12万人いると推定されています。
(蒲和美さん)「1分弱、何十秒で収まるときもあれば、1時間半とかひたすらやっているときもあります。抑えても抑えても、もう止まらない、また始まる」
施設を探して6年…パニックに対応できないと受け入れてもらえず

涼太さんは時間に「こだわり」があります。少しでも予定が崩れると、その不満を言葉で伝えることが出来ず、「パニック」になってしまうのです。
そのため、和美さんは仕事をせず専業主婦です。夫の竜也さん(48)も自宅の中に整体院を開き、涼太さん中心の生活を送っています。
しかし、涼太さんももう20代後半。和美さんは涼太さんが自立する必要があると考えました。
(和美さん)「涼太の将来を考えると、いつかは私と離れる日が来ると思うんです。もしかしたら離れた方がお互いに安定するんじゃないか、と思い始めました」
自分が年を取って世話が出来なくなる前に、涼太さんが家を出て暮らせる施設を探すことにしたのです。
しかし、施設に問い合わせても…
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(和美さん)「この施設が(車)通りの激しい道路に近くにあるから、もしパニックになって飛び出したときに対応できないかもしれない」
(竜也さん)「前も道路沿いで断られたもんね」
入所できる施設を探して6年になりますが、職員が不足していてパニックに対応できないことを理由に受け入れを断られ続けています。
施設から届いた1通のメール「涼太さんを受け入れられる」

強度行動障害のある子どもとの生活を多くの人に知ってほしいと、和美さんは2021年からYouTubeチャンネルでの発信を始めました。涼太さんのパニックもありのままを映像で記録し、投稿しています。
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そんな中、去年11月、YouTubeをみた施設から一通のメールが届きました。「涼太さんを受け入れられる」というのです。
突然の便りの2週間後、早速、見学へ向かいます。
大阪市にある少人数の障害者施設「いきいきホーム」。入所者全員に「強度行動障害」があります。涼太さんのパニックにも対応できるのか、相談します。
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(和美さん)「夜勤の人数は何人なんですか?」
(施設の担当者)「だいたい3人とか。やっぱり重度の障害ある方なので何か起こったときに危ないんですよ。そういう時に何もできないとなると本人もスタッフも危ない」
夜勤の職員は1人の施設が多い中で、ここではいつでもパニックに対応できるよう、職員を手厚く配置しています。和美さんは、涼太さんが自立して暮らせる環境が整っていると感じ、ここに預けることを決めました。
施設へ出発の日 涙が止まらない和美さん「涼太さん、いってらっしゃい」

涼太さんにも、大阪の施設への引っ越しを伝えます。
(和美さん)「1月10日から涼太さんは新しい場所に住みます」
(涼太さん)「大阪」
(和美さん)「お母さんは一緒に行かないからね。大丈夫?」
(涼太さん)「大丈夫」
引っ越し当日。車で5時間離れた大阪から、施設の迎えがやってきました。車に乗り込めば、親子離れての生活が始まります。
(和美さん)「泣いちゃう、泣いちゃうとだめだ。涼太さん、いってらっしゃい」
親子で離れて過ごすようになって半年 はじめて施設を訪れる和美さん

強度行動障害のある涼太さん(28)は、初めて親と離れ、施設での生活を始めました。新しい環境で家族でない人との共同生活を始めた涼太さんは、他の人の部屋に入ったり、冷蔵庫のものを勝手に食べようとしたりして、注意されてしまうこともありました。
それでも、施設での生活は日々の予定が安定していて、パニックはほとんど起きていません。職員ともすぐに打ち解けたようです。
涼太さんと離れて半年。和美さんは初めて大阪まで会いに行くことにしました。
(和美さん)「涼太さーん、こんにちは。頑張ってる?頑張ってますね」
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(和美さん)「涼太もうちにいると甘えもあってこだわりも増えた。こだわりができないことによってパニックの回数も多くなっていたので、環境が変わってすごく頑張ったと思うんですよね。いまは本当に預けてよかったなという思いです」
その後、和美さんは以前から興味があったピラティスの研修を受け、教室を開業しました。仕事を終えたあと、涼太さんとリモートで話をする時間が今の何よりの楽しみです。
初めて、別々に暮らすことになった親子。お互いに心の余裕を持てる新たな居場所で、ともに生きています。
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