2025年06月03日(火)公開
【秘話】「ホテルがあるのは長嶋さんのおかげ」巨人の"関西の定宿"は感謝 震災後に激励の言葉『巨人軍が竹園に泊まらない年はない』
編集部セレクト
「ホテルが今もあるのは長嶋さんのおかげ」。『ミスタープロ野球』の訃報に関西からも悲しみの声です。
巨人の終身名誉監督・長嶋茂雄さんが、6月3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。89歳でした。現役時代は王貞治さんとのONコンビで9年連続日本一を達成。監督としても、5度のリーグ優勝、2度の日本一に導きました。
「突然の訃報でびっくり」
巨人が関西で定宿としている兵庫県芦屋市の「ホテル竹園芦屋」。3日の朝礼前に訃報が入ってきたといいます。福本吉宗社長に話を聞きました。
――訃報はどういった状況で聞きましたか?
朝礼前に一報がこちらに入りまして、これはもう率直な感想として、本当に突然の訃報でびっくりした。朝礼も取りやめて、まずはみんなでご冥福をお祈りしないといけないなっていうことで、ご冥福をお祈りした。その後、「これは大変なことだな」と。
私たちは、巨人軍の長嶋さんというよりも、『日本の宝』というぐらいに思っていますから、日本の宝の方が亡くなったっていうのは本当に残念でならないっていうのがもう率直な感想ですね。
――最後に会ったのはいつ?
最後にお会いさせていただいたのが、2年半ほど前にご自宅にお伺いさせていただいたとき。そのときは、本当に元気そうな姿で、(手を振って)「おー」っていう感じでおっしゃっていただいたのが本当に忘れられないぐらいお元気な顔だった。そのイメージがずっと残っていたので、この訃報っていうのが本当にもうびっくりしたっていうのが率直な感想ですね。
2年半前にお伺いさせていただいたときもお元気でしたし、その後も、入院されましたけどもそこまでっていうことで、ちょっと安心はしてたっていうことと、本当に入院なさってるけど、そんなに病状が悪化というのは聞いておりませんでしたので、「えっ」というのが、もうこの突然の訃報ですよね。
阪神・淡路大震災で半壊も…「長嶋さんの言葉で暗い気持ちが全て吹き飛んだ」
――社長が今思い出す長嶋さんとの思い出は?
阪神・淡路大震災のときに、地震で弊社も半壊ということで、ちょっと復興がどうなるかも見えない状況。もしかしたらホテル竹園自体が倒産の危機になるかもしれないという状況の中で、長嶋終身名誉監督(当時は現役監督)から私達のおばの方に連絡があり、「巨人軍が竹園に泊まらない年はない。最終戦に間に合わせなさい」と。ゲキの言葉をいただいて、もう暗い気持ちが全て吹き飛んで、「これは最終戦に間に合わせるために何とかしないといけない」という思いでした。
1月17日発生の地震で、9月1日に再オープンいたしました。9月の最終戦に間に合ったときに監督にお越しいただいて、「よくやった」というお言葉をいただいたときが本当に忘れられない。
被災して先が見えないときに、明かりを灯していただいた。そしてその灯りを本当にめがけて頑張ってきた中で、お褒めの言葉をいただいたっていうのが、本当にありがたかった。
ある意味、私たち、竹園の危機を救っていただいたお言葉をいただいた。もう本当にその感謝の気持ちっていうのが、未だにずっと忘れられない。
「竹園が今日あるのも、長嶋終身名誉監督のおかげです」
――長嶋さんらしい言葉ですね。
本当にオーラとかエネルギーの塊みたいな方ですから、お会いするだけ、一言一言いただくだけで何か元気をもらうような。来られて一言おっしゃられただけで、何か全ての迷いが全て消え去るぐらい、本当にありがたい方だったなというのが、もう感謝の念しかないですね。本当にそうですね。
何か今でもふっとまたお越しになるような気がするんですよね。ふーっと正面玄関から入ってきていただいて、「おー」っていう感じでおっしゃっていただくようなイメージがやっぱりまだちょっとあるので、その方が来られない、その方がもうこの世におられないっていうのが、何かまだ実感が湧かないというのが、本当にありますね。
――亡くなった長嶋さんに声をかけるとしたら?
本当に目の前に長嶋終身名誉監督がおられて、もしお言葉をかけるとしたら、「本当にありがとうございます」と。「竹園が今日あるのも、長嶋終身名誉監督のおかげです」と。本当にありがとうございますという言葉ですね。
本当に感謝の念しかありません。「ありがとうございます」という言葉を本当にもうお伝えしたいです。
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