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神戸で続く『毎日登山』震災時に山で失った仲間も...神戸の街を山から見つめた「震災の記憶」阪神・淡路大震災から27年

2022年01月13日(木)放送

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阪神・淡路大震災の発生から1月17日で27年を迎えます。神戸は六甲山系の山々と距離が近いこともあり、市民が山に毎朝登る『毎日登山』という文化が明治時代から続いているといいます。街と海を一望できる場所ですが、山を愛する人たちは震災で一変した神戸の街を見下ろし、心を痛めながら鎮魂の祈りを捧げ、復興を願いました。あの日を忘れないために今もあの日の記憶を抱えながら山に登り続けている人たちがいます。

明治時代から受け継がれてきた『毎日登山』

六甲山系にある神戸市東灘区の保久良神社。
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夜明け、地元住民は登山の記録を残すため、境内にある山小屋のノートに記帳していきます。
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(登山者)
「(Q今おいくつなんですか?)80歳や。一応、若作りや」
「今年の誕生日で92歳や。(登山は)きょうで9200回くらいかな。(Q目標は何回ですか?)目標は1万回や」

神戸市民の間では、健康維持などの目的で近くにある六甲山系に毎朝登る『毎日登山』の文化があり、明治時代から今に至るまで受け継がれてきました。

約20年間ほぼ毎日登山を続ける木村さん

この山小屋を管理するのが「神戸ヒヨコ登山会」保久良支部長の木村絹代さん(74)。朝4時に保久良神社を訪れ、登山を証明するハンコを押しています。
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約20年間ほぼ毎日登山を続けてきた木村さんは、境内の掃除を行うなどして、現在は『毎日登山』を支える活動もしています。
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木村さんは阪神・淡路大震災でおばや友人を亡くしました。この時期に神戸の街を見下ろすと、こみ上げるものがあるといいます。

(神戸ヒヨコ登山会 木村絹代さん)
「だんだんと薄れてきていますけれど、やっぱり1月17日になると思い出しますね。自分も被災しましたので。住んでいた家の前が焼けたりしました。親の家もぺちゃんこになりました」

1995年1月17日午前5時46分

1995年1月17日午前5時46分、震度7の激震が街を襲いました。家屋やビルが倒壊、神戸は炎に包まれました。
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地震発生当日に六甲山系の高取山から撮影された写真があります。神戸の街から黒煙が立ち上っています。撮影したのは木村さんも所属する登山愛好会「神戸ヒヨコ登山会」のメンバーでした。

登山に来ていて亡くなった人も…登山会メンバー10人が犠牲に

神戸ヒヨコ登山会の会長・吉野宏さん。記憶は今も鮮明です。

(神戸ヒヨコ登山会 吉野宏会長)
「震災の時に、小屋が保久良にあるのですが、無念にも潰れてしまったんです。その犠牲になった方がいらっしゃいますね。毎朝、本当に神戸の『毎日登山』を楽しんでいらっしゃった」
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保久良神社では境内の建物が倒壊。ちょうど登山記録を書いていた登山会のメンバー4人が建物の下敷きとなり死亡しました。他にも山へ向かう道中で塀の下敷きになるなど計10人のメンバーが犠牲になりました。

地震翌日に保久良神社に向かった中村さん

登山会のメンバーである中村友一さん(88)。地震の翌日、仲間の被災を受け、保久良神社に向かいました。

(神戸ヒヨコ登山会 中村友一さん)
「会長から電話があって、絵馬堂が倒れて何人か会員が亡くなったと。4人は岳友といって山の友ですから。だから非常にショックやった」

40年以上前に『毎日登山』を始めた中村さん。今は月に1回のペースになりましたが、今もこの神社に来ると、一緒に登山をしていた頃の仲間の元気な姿が目に浮かびます。

(神戸ヒヨコ登山会 中村友一さん)
「(亡くなった方が生前)ふと見たら水浴びしていたとか、ここでお茶飲むっていっぱい飲んでたなとか思い出す。もうみんな震災から遠ざかってしまって、記憶がないというよりも経験していないからね。我々から話を聞くだけでしょ」
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変わり果てた神戸を見下ろした時の衝撃を忘れることはないと中村さんは言います。

(神戸ヒヨコ登山会 中村友一さん)
「震災から2~3日が経って見下ろしたときに、屋根が全部ブルーシートでカバーされていて、それがずっと大阪に向かうように続いているんですけれども、おそらく芦屋の先辺りからは見えなかったんですよ。そこで明らかに被災した人間と、被災していない地域とが分かれていた」
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(神戸ヒヨコ登山会 中村友一さん)
「風化していく、どの災害でも自然とそうなってしまうんですけれど、やっぱりみなさん胸の中にはあるわけですよ。折に触れ、時に触れ、思い出しますからね」

「子どもたちにも話して受け継いでいきたい」

朝6時半、保久良神社では毎日、ラジオ体操が行われています。そこには幼い子どもの姿もありました。
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(1歳の子どもと一緒に来ている登山者)
「山の方みんないい人なので人慣れして、まだ1歳で人見知りとかするところを、全くそういう事もなく。みんなの愛情に支えられながらすくすく大きくなっているので、これからも山登りを続けてもらえたらと思います」

おばや友人を亡くした木村絹代さんは、登山で生まれるコミュニケーションを通じて、震災など神戸の歴史を次の世代へと伝えていきたいと話します。

(神戸ヒヨコ登山会 木村絹代さん)
「高齢の方がだんだん少なくなって、私自身も被災しましたけれど、家とかおばとかお友達みんな亡くしていますので被災はよくわかります。それをやっぱり子どもたちにも話して受け継いでいきたいなと思います」

あの日、山から見た震災の記憶を抱えながら、これからも『毎日登山』は続けられます。

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