京の都も春爛漫。
どうして桜の花はこんなにも気持ちを浮き立たせるのでしょうね。
今年の京都のさくら(ソメイヨシノ)の開花は3月27日、満開は4月6日に迎えました。
この「開花」や「満開」は、気象台が定める「標本木(ひょうほんぼく)」によって
観測されるということは多くの方がご存知かと思います。
京都の標本木は、世界遺産の二条城の中にあります。
2012年から標本木として使われているもので、樹齢は不明だそうです。
この木が5、6輪花を咲かせると「開花」、
そして木全体の8割以上が咲けば「満開」が発表されます。
2割がつぼみでも「満開」、だということはあまり知られていないかもしれませんね。
桜が咲いたという発表は、本格的な春の到来を告げる便り。
だからこそ世の中の関心も非常に高いですし、
我々気象予報士も「開花」の第一報をお伝えするときには
ついつい気合が入っちゃうというものです。
今年は特に、桜を眺めて、深く考えることがありました。
この記事の初めに出てきた写真、花の力強さを感じさせられますが、
実はこんな状態で咲いている木を撮影したものです。
根こそぎ倒れてしまいながらも、花を咲かせた木々。
折れて、文字通り皮一枚で繋がっているような枝にも、花が。
これらは、桂川と天神川が合流する、京都市南区の桂川緑地公園の桜の木です。
去年、近畿を襲い、暴風を吹き荒らした、台風21号。
京都市内で、戦後最も強い最大瞬間風速39.4m/sを観測しました。
風が通り抜けやすい桂川沿いでも、相当な暴風が吹いたものと考えられます。
その被害を受け、痛々しい姿となりながらも、木は春を迎えて花を咲かせたのです!
自分たちが、いまも生きていることを証明するように。
それはもう、圧倒的なエネルギーを感じる光景でした。
河川事務所でも昨年来、樹木医と相談しながら
倒木の対処について検討を進めていたそうですが、
木々が花を咲かせたことは「まさか」だったといいます。
先日、91歳の京都の桜守、16代佐野藤右衛門さんに、
今年の桜の様子についてお話をうかがいました。
長きにわたって、京都をはじめ全国各地の桜の世話をしてこられた方です。
藤右衛門さん曰く、「今年は、生物の営みがなかなかうまくいっとらん」
ということでした。
去年の夏の猛暑も影響して、桜も花1つ1つが例年より小さい傾向にあるようです。
確かに街中でも、花芽の付きがあまりよくない木も散見されます。
とはいえ、枯れない限り、木々が花を咲かせないということは決してありません。
猛暑の夏からの、暖冬、そして寒春。
そんな厳しい環境の中でも、どうしてちゃんと花が咲くのでしょうか。
「植物が花を咲かせるのは、おしべとめしべが受粉して、実をつけるため。それだけや。
実をつけて子孫を残すためには、どうしてでも花を咲かせなあかん。
今年の桜は、なんや、しんどい中で、嫌々咲いとるような感じがするなぁ。」
藤右衛門さんは笑いながら、そう話をしてくださいました。
あぁ、そうか。
桜が花を咲かせるのは、命を未来に繋ぐためなのだ。
危機に瀕した桂川沿いの木も、なんとかして命を次の世代に繋ごうと、
当然のように花をつけたのです。
そんなシンプルな理由に直面して、私は胸がいっぱいになりました。
咲いた散ったに一喜一憂する、我々人間のためなんかでは無論なく、
もっと大きな、命のサイクルの中で、懸命にそのバトンを繋ごうとする―。
その姿に、私たちは勝手に、力をもらっています。
嫌々にでも、咲いてくれてありがとうと、
生きるために必死な姿を見せてくれてありがとうと、そう思いました。
花が散れば次は、若葉の季節。
その生まれたての葉に、光合成の源となる光をたっぷり注ぐ
初夏の太陽が、待っています。