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「父と一緒に死にたかった」震災の5か月後に母が"自死" 生前かけた言葉に息子は後悔 阪神・淡路大震災「遠因死」遺族の涙を刻むモニュメント

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「6434 人が犠牲となった」「6434 人が亡くなった」阪神・淡路大震災を語る際に、繰り返し語られる言葉である。しかし、あの震災によって“人生を奪われた”人たちは、6434 人で本当に済むのだろうか。震災の犠牲者の名前を刻む、神戸・三宮の「慰霊と復興のモニュメント」。この場所には、いわゆる「遠因死」とされる人々の名前も刻まれている。直接死や災害関連死とは認められていないものの、遺族が“震災の影響を受けて亡くなった”と考える人々の名前だ。その 1 人、夫を失い、深い悲しみに暮れた女性は、立ち直ることができず、発災から 5 カ月後に遺体で見つかった。息子が、後悔の念と銘板に込めた思いを語った。

実家が全壊「わしはあかん…」息絶えた父 泣き叫んだ母

神戸市東灘区に住む山下准史さん(63)。1995 年 1 月 17 日、激震が襲ってきた瞬間は、いまでも鮮明におぼえている。

(山下准史さん)
「まずすごく大きな音が近づいてきて。妻とベッドで寝ていたんですが、体が飛び跳ねる、何が起こっているかわからないけど、真っ暗な中でとにかく体は飛び跳ねていました。マンションの駐車場でつぶれた車のクラクションが鳴り響いたり、マンション自体の警報音も、周り全体で鳴り響いたりして。とにかくすさまじい音でしたね」
震災で全壊した山下さんのご両親の自宅(神戸市東灘区).jpg
なんとかマンションを脱け出し、状況を確認しようと、すぐ近くの両親の実家へ向かった。2階部分が見えたので安堵したのもつかの間、両親が寝ている1階が、2階に完全におしつぶされていた。人力だけで救出できる状態ではなかった。

その後、母の芙美子さんは、わずかなすき間から何とか自力で脱出したが、父・金宏さんは助からなかった。

(山下准史さん)
「2階が落ちてきて、『わしはあかん…』のような言葉を口にして、それ以降声が聞こえなくなったので、父はもうだめだったんだなと、おそらく母はわかったと思うんですね。だからとにかくずっと泣きながら、『お父さんが!お父さんが!』と、なかばパニックの状態で言っていましたね…」

「父と一緒に死にたかった」母が漏らした言葉

普段は物静かな芙美子さんの、金宏さんを荼毘(だび)に付す時の慟哭が、山下さんは脳裏に焼きついて離れないという。

(山下准史さん)
「とにかくもう、大きな声で叫びながら、ひょっとしたら自分も一緒に(棺に)入ろうとするんじゃないかというぐらい、大きな声で泣きながら見送っていましたね…」
教諭時代の山下さん③.jpg
その後、神戸市の市立小学校の教諭だった山下さんは神戸に残り、芙美子さんは大阪の親族宅に身を寄せることになった。芙美子さんは「父と一緒に死にたかった」と漏らす場面があったという。

(山下准史さん)
「『せっかく救われたんやから、死にたいなんか言うたらあかん』と、つい言っていましたね…。他にどういう声をかければ良かったのかもわからないですけど、少なくとも『つらいよね』ぐらいね、もうちょっと声のかけ方があったのかなと、いまでは思いますけどね…」

母は行方不明になり帰らぬ人に かけた言葉に抱いた後悔

山下さんは、何とか気晴らしになればと、親族と一緒に芙美子さんを連れ出したこともあったという。

しかし発災からちょうど5か月後の6月17日、大阪の親族宅から、芙美子さんが行方不明になったとの知らせが入った。

芙美子さんは翌日、変わり果てた姿で、神戸で見つかった。大阪から神戸に移動し、自死したとみられている。

“母の喪失感や悲しみに寄り添いきれたのか…” 山下さんは後悔の念にさいなまれた。
山下准史さん②.jpg
(山下准史さん)
「小学校の子どもたちに『命は大事だからね』と普通に言っていたんですけど、わりと軽く言っていたよなと…。どこかで『そういうあなたは、自分の大事な人の命を守れなかったでしょ』って言われる気がして…」

山下さんは子どもたちにかける言葉に苦悩するようになった。

モニュメントに刻んだ「直接死」の父「遠因死」の母

2000年に神戸・三宮の東遊園地に「慰霊と復興のモニュメント」が誕生。直接死の父・金宏さんの名前が刻まれた。

その3年後の2003年、直接死や災害関連死とは認められていないが、震災の影響を受けて亡くなったと遺族が考える「遠因死」の故人の名前も掲げられるようになると、山下さんは迷わず申し込んだ。

(山下准史さん)
「あの日がなければ、父も母も生きていたのは一緒でしょうし、そういう意味では、震災の影響というか、震災で亡くなったというのは間違いないと思っています」
「“父と一緒にいたかった” 母にはずっとそういう思いがあったはずなので、あの空間に一緒に名前を貼らせていただくというのは、母の思いに応えることにもなるのかなという思いもありました。自分自身がやれることのひとつができたかなと…」
meisouka1.jpg
山下さんは、いまでも毎年1月17日の早朝にはモニュメントを訪れ、両親の銘板の前で手を合わせる。

モニュメントに名前が刻まれた遠因死の人々は約300人に

「慰霊と復興のモニュメント」に掲げられている銘板の数は、2025年1月17日時点で5,070人。そのうち「遠因死」の故人の銘板は、約300人にのぼる。銘板には、ひとりひとりの人生に大震災が及ぼした爪痕の深さと、喪失に打ちひしがれ、それでも前を向く遺族の歩みが刻まれている。

「遠因死」発災約1か月後に旅立った赤ちゃん

廣畑帆乃香ちゃん(※「廣」は「まだれに黄」)は、両親の数年におよぶ不妊治療の末に、1995年1月11日に産声を上げるも、心臓に病気を抱えていた。6日後に阪神・淡路大震災が発生。
廣畑帆乃香さんのご両親の銘板掲示申込時のシート②.jpg
停電で人工呼吸器が一時停止した影響からか、病状が悪化し、2月24日に敗血症で亡くなった。父親が保育器の中に手を入れて、指を差し出すと、小さな手で優しく握り返したという。
廣畑帆乃香さんの銘板③.jpg
両親は語る。
「緊急車両に乗せてもらい、なきがらを抱いて自宅に帰った時、まだ温かかったことを覚えています。天国に召された我が子が、短い間ではあっても、この世に存在していた証、生きていた証が欲しいと思いました。銘板の掲示が、ひとつの区切りになった気がします」

「遠因死」自宅と最愛の妻を失った男性

橋本嘉男さんは震災で自宅が全壊。妻は大阪の病院に運ばれたが、クラッシュ症候群で亡くなった。娘は必死に励ましたが、放心状態の嘉男さんは3月に行方不明に。その後、山中で自ら命を絶っていたのが見つかった。あの震災がなければ、と娘は悔やむ。
橋本嘉男さんの娘様の銘板掲示申込時のシート.jpg
「失意のどん底で、生きていく意欲を無くした父の死は、普通の死でしょうか。今でも父の死は震災の被害の死だったと思って、銘板の掲示を希望しました」

「遠因死」念願だった店が半壊 急死した美容師
百々沖子さん④.jpg
百々沖子さんは、雇われ美容師として働いていたが独立し、念願だった自分の店舗を構えた。しかし、震災で店は半壊。心身に不調をきたし、精神科にも通いながら細々と店を続けたが、翌年に急死した。姉は語る。

「モニュメントに銘板を掲げることができれば、神戸を愛した妹の魂も安らかになるのではないかと思いました」

阪神・淡路大震災の発生から30年が経った。生々しい記憶から、“歴史”に変わる段階に入ったという声もある。しかし、あの震災で“人生を奪われた”人々の無念や、残された遺族の悲しみは、いまなお癒えることはない。それは、「6434」という無機質な数字の内にいるか外にいるかにかかわらずであり、モニュメントに掲げられた銘板は、そうした数字を越境し、喪失の涙や遺族の超克を未来に刻む、かけがえのない存在となっている。

【悩みがある方・困っている方へ】
もしもあなたが悩みや不安を抱えて困っているときには、気軽に相談できる場所があります。

▼こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556
全国どこからでも共通の電話番号に電話すれば、電話をかけた所在地の公的な相談機関に接続されます。相談に対応する曜日・時間は都道府県・政令指定都市によって異なります。

▼いのちの電話:0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(午後4時~午後9時・毎月10日は午前8時~翌日午前8時)

▼チャイルドライン:0120-99-7777(毎日午後4時~午後9時)
チャイルドラインは、18歳までの子どもがかける電話です。

▼厚生労働省の自殺対策ホームページ:https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/
上記以外にも、厚生労働省が様々な相談方法や窓口を紹介しています。SNSを通じた相談窓口もあります。

【取材を終えて】
20250116_MBS_松本様3.jpg
在阪局の記者として阪神・淡路大震災の報道に関わる中で、「死者6434人」という無機質な数字が、この震災の被害に“線を引いている”と感じてきました。震災が残した爪痕の深さは、6434という数字で語れるものなのか。その数字の外にいながらも、震災で人生を狂わされた人々の悲しみや苦しみが捨象されていないか。その疑問が、今回の取材を始めた原点です。

“遠因死”遺族が銘板掲示を申し込む際に記した言葉や、取材に応じてくださった遺族が語る言葉を目の前にすると、胸が張り裂けそうになります。あの震災がなければ…という思いを抱えながら生きてきた故人や遺族が、どれだけ多くいるのだろうと思いを馳せずにはいられません。

どこかで“線を引く”ことは必要です。しかし、その線の中にいる人だけではなく、“周縁”にいる人々の悲しみや苦しみにも寄り添うことが、メディアや社会には求められていると思います。

2025年01月17日(金)現在の情報です

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