連日多くの家族連れらが訪れる、大阪・此花区にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパン。来場者数は、世界第3位。ハリウッド映画のテーマパークとして誕生し、来年で開業25周年。いまではゲームやアニメなど、多様な世界観で支持を集める。
ことし6月、そのパークの運営会社「ユー・エス・ジェイ」のトップに就任した村山卓社長(53)。生え抜き社員として、初めての社長だ。
“NO LIMIT(ノー リミット)!”のスローガンを掲げ、体感したことのない感動と興奮を届けるために現場に立ち続ける思いと、今後の抱負を聞いた。
「駐車場が自分の原点」
―――パークの駐車場に思い入れがあると?
25年ほど前にUSJに入社した時、私の最初の仕事が、駐車場でした。料金所でのお金の精算方法やパーキングでの車の誘導方法を考えながら、日々仕事をしていました。
できるだけ車をスムーズに誘導できるように、いろいろな工夫をしてきたことが、いまの自分の『原点』になっていると思います。![]()
―――どんな子ども時代を過ごされましたか?
子ども時代は本当に、ぼーっとした、のんびりした子どもでした。ちょっと違う世界にいるような。例えば母親に、「ゴミ捨てて」と言われて、友達と話しながら小学校までゴミを持っていってしまうとか。
![]()
―――大学時代はアメリカに?
のんびり育ってきたので、両親がさすがに心配して...。海外で武者修行ではないですが、親元から離れた方がいいんじゃないかということになって、アメリカに留学することに。
向こうでは寂しくて。その時、支えてくれたのが司馬遼太郎さんの本「竜馬がゆく」です。日本にいる両親から全巻が送られてきて、竜馬もがんばっていたんだなとか、勝手に自分と重ね合わせて。「竜馬がゆく」は、僕にすごく元気もくれたし、日本人としてのアイデンティティというものが何なのかを考える契機にはなったと思います。
東京ではない場所で働きたいという思いが強かった
―――就職先に決めた理由は?
大阪にテーマパークができることが僕のなかで大きくて。アメリカは各都市でいろいろな特徴があったりするのに比べて、日本は全てが東京に一極集中しているな、とすごく感じたんですよね。ですので、日本で働くのであれば、やはり東京ではないところで働きたいという思いが強く、そうした中でこういうテーマパークは、街に影響を与えることができるんじゃないかなと当時思いました。
―――2000年の入社以降、手ごたえのあった仕事は?
最初、インバウンド担当をした時は、まだそれほど海外が大きな集客ではなかったんです。外国に行っても、ユニバーサルが何かわからない旅行会社もいらして。そうした中で、いかにして海外の人に、この「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」をわかってもらうか、旅行会社の方とさまざまな戦略を考えた結果、いまのものすごい数のインバウンドのお客様につながっている。他の都市に比べても、大阪のインバウンドの数は非常に多い。もちろん我々の力だけではないですが、少しだけでも貢献できたのかな、というのはあります。
―――失敗談は?
うまくいかなかったこともあったんだろうけど、ぱっと思いつかないんですよね。その理由は、うまくいくまで、しつこく粘り強くやるところがある。周りの人からもしつこいって言われるぐらい諦めない。もちろん闇雲にあれもこれもやる、というのではないですが、市場の変化なども見ながら、あの手この手、いろいろなやり方で。目標が7、8年変わらなかったということもありますね。
コロナ禍がパークの存在意義を考えるきっかけに
![]()
―――新型コロナの時期は副社長でしたが、やはり大変でしたか?
当時はパークがクローズするなど、人との接触を避ける社会になっていったので、「テーマパーク」というビジネスが、今後どうなっていくんだろうと、みんなが不安だったと思うんです。なので僕自身は、このタイミングで一度振り返ろうと。なぜこの社会にユニバーサル・スタジオ・ジャパンが存在しているのか、存在価値や存在意義を考えるきっかけにしようと。前向きにこれからの未来を考える上で、非常に重要なことだったと思っています。
―――改めてテーマパークの意義・意味とは?
コロナ禍は人と人の接触はなくなり、全てのことがリモートやデジタルでのコミュニケーションになりました。ですが、やはり直接話をした方がいろいろなアイデアや信頼関係が生まれるなと思ったんですよね。テーマパークは、友達と一緒の時間を過ごして体験する非常にアナログな部分があって、これはやはり人間として必要なんじゃないかなと。また、エンターテインメントは人に元気を与えるし、自分が自分なりでいいんだと解放された気分をご提供できると考えています。
部下の一言ではっとして...社長就任を決意
―――社長の打診を受けたときは?
「わぁ、えらいことになったな」と。部下を僕のオフィスに呼んで「大変なことになってしまったけどどうしようかな」と彼に言ったら、「卓さん、こういうものは運命だから受け入れないとダメです。社員のために頑張ってください」と言われたんです。それで「あっ」と思いまして。「自分が社長になる、自分がどうしよう...」ではなくて、社員と一緒に将来を進んでいくことが重要だと、彼の一言で気付きました。
―――USJは当初、ハリウッド映画に特化したテーマパークでしたが?
最初は日本の市場、またはアジアのマーケットをそれほど理解できてなかったのではないかと思います。調査をしてみると、昔ながらのジョーズやジュラシック・パークなどハリウッド系のコンテンツがお好きな方と、アニメやゲームなど日本のコンテンツが好きなお客様が半々ぐらいなんですよ。これからパークを成長させていく際は、このバランスを考えながら進めていく必要があると考えています。
![]()
―――来場者数が世界で第3位ということですが、どう分析されていますか?
お客様が何を求めてらっしゃるのか、どういったところにストレスを感じていらっしゃるのか。もちろん我々も100%理解できているわけではないですが、継続的にしっかりお客様と向き合って、仕事をしているということが、このパークが成長できた理由だと思っています。
―――社長としてやり遂げたいことは?
パークの将来像については、高いゲスト満足度を追求しながら、お客様が元気になれる、または悩み事なども吹っ飛ぶ場所になればいいなと思っています。新しいエリアやアトラクションについては発表前なのでお話できませんが、新しいシーズナルイベントなどを展開したいです。
会社としても、お客様はもちろんですが、従業員が楽しく働いて満足する、従業員一人ひとりの人生が豊かになるような会社環境を作っていきたい。
またこの大阪・関西が、東京に匹敵するように、もう一度盛り上がるよう各企業と連携してやっていきたい。関西の可能性は大きいと思っています。
![]()
―――最後に、村山社長にとってリーダーとは?
従業員が安心して満足して自分らしく働ける、そういった環境をつくることが、リーダーの仕事だと考えています。
■ユー・エス・ジェイ 1994年「大阪ユニバーサル企画」設立、2001年ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開業。2014年にウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター、2021年にスーパー・ニンテンドー・ワールド開業。
■村山卓 1971年大阪市生まれ。大学時代はアメリカで過ごし、2000年入社。パーク運営やマーケティング部門などを長く務める。2020年副社長、2025年6月社長就任。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組です。
過去の放送はこちらからご覧ください。