高度経済成長期に入って間もない1958年、安藤百福氏が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発。当時の値段は1食35円だった。まさに食の常識を覆す画期的な発明に続き、1971年には麺をカップに入れてフォークで食べるという新しい発想で世界初のカップ麺「カップヌードル」を世に送り出す。次々と食文化に革命をもたらした日清食品。その社長を2015年から務める安藤徳隆社長は、「3代目は会社をつぶす」という言葉とは裏腹に、卓越したマーケティング力とユニークなCMでヒット商品を連発。いまは「完全メシ」に力を注ぐ。祖父の時代から受け継ぐ開拓者魂と、インスタント食品の未来について安藤社長に話を聞いた。
百福氏のかばん持ちを3年、祖父の強い好奇心が生んだ「初」の数々
―――聞くところによると「お食い初め」は、チキンラーメンだったとか?
安藤家の伝統なのですが、お食い初めの時には漆の器に入れたチキンラーメンを口にちょんちょんと当てて食べる真似をします。私の子どものお食い初めも祖父(百福氏)と一緒にやりました。
―――高校・大学時代はラクロス部に?
当時、ラクロスはオリンピック競技になるだろうと言われていて、「日本代表に一番近いスポーツだよ」と友だちにそそのかされて始めました。競技人口がそれほど多くなかったこともあり、仲間たちと一緒に日本代表になることができました。
―――大学院を卒業された後は、百福さんのかばん持ちを?
祖父が96歳で亡くなるその日までの3年間、かばん持ちをやりました。祖父は執念深いというか、事業に対する思いが非常に熱い人でした。インスタントラーメン産業をどう作ってきたか、将来に向けどう引き継いでいってほしいか、その熱い思いを3年間でみっちりと叩き込まれました。96歳になっても好奇心が強く、あらゆることに興味を持っていました。若い世代が食べているもの、見ているもの、聞いているものにはどういうものがあるのか毎日毎日、私に聞いてくるんです。その好奇心が、新しい発明を生み出す原動力だったんじゃないかと思います。
祖父と父の経営めぐる議論を間近に見聞き 37歳で社長に
―――仕事場でも百福さんとご一緒だったのですか?
朝起きてから夜寝るまでずっと一緒でした。仕事から戻ってきて一緒に夕飯を食べて、時には一緒にお風呂にも入って、寝室まで連れて行く。「もう寝て下さい」と言ってベッドに入ってもらっても、祖父はずっとしゃべり続けるんです。3年間、間近で事業に対する思いを聞かせてもらえたことは、大きな財産になっていると思います。祖父と父が経営方針について役員会で議論しているシーンを見ることができたのも貴重な経験です。
―――間近で意見を戦わせる姿を見ていたのですか?
ある意味、非常に健全なことだと思うのですが、祖父は祖父の、父は父の価値観や経営の思想で意見をぶつけ合っていました。2人の議論を間近で見ていると「お前はどっちなんだ」などと突然振られることもありました。役員会だけでなく、お正月やお盆などで家族が集まると、朝から晩まで経営についての議論が続くんです。当時は若かったこともあり、「なんでこの人たちこんなに仕事の話ばかりしているんだろう」と思っていたんですが、いま振り返ると非常に重要な議論でしたし、私が今の年齢で参加していたら、おそらく3人で夜中まで議論し続けていたんじゃないかと思います。
―――37歳で社長になりました。若くしてリーダーになってどう感じていましたか?
大きなプレッシャーを感じていました。社員としてもお手並み拝見というところがあったと思います。「会社は3代目がつぶす」と言われて育ってきましたので、それだけはないようにしようと思っていました。祖父がつくったカップヌードルはとても大きなブランドですが、だからと言ってカップヌードルに頼り切りでは会社の成長が止まってしまう。そんな危機感から、私が社長になった時、2つの企業スローガンを掲げたんです。
「インスタントラーメン一本足では、いつか会社は衰退する」
―――社長になって掲げたスローガンとは?
ひとつは、「100年ブランドカンパニーへの挑戦」。これはカップヌードル、チキンラーメン、どん兵衛、U.F.O.などのロングセラーブランドや既存のビジネスモデルをどれだけ世界で大きく展開できるかという挑戦です。もう一つの「Beyond Instant Foods」は、今はない価値の創造を目指す意思表明です。インスタントラーメン一本足では、いつか会社は衰退していくでしょう。ですから、それを超えていくような新しい事業をつくり、新しい食文化を生み出さなければならない。そんなクリエイティブでユニークな企業になりたいと考えて、さまざまな取り組みをスタートさせているところです。
―――ファミリー企業であることの強みは?
非常に長い視点で物事を考え、戦略を実行できる点が強みだと思います。一般的な企業の場合、社長の在任期間は平均5~6年、中央値だと3年とも言われています。そうすると、短期視点で利益をあげないと評価されない。それに対して10年20年の視点で物事を見ることができるので、長期的な投資もできますし、長期的なビジョンに基づいた経営戦略をとることもできる。これは大きな違いだと思うので、武器として生かしていきたいと普段から意識しています。
―――ロングセラー商品をずっと輝かせる秘訣は何ですか?
チキンラーメンは、誕生から65年間、味がほとんど変わっていません。カップヌードルもそうです。一方で、テレビCMを中心としたブランドコミュニケーションは、時代に合わせて常に変化させる必要があります。CMが印象に残れば、お客さまが店頭に立った時にそのブランドのことを思い出し、商品を手にとってもらうことができる。面白いだけでなく、売上に繋がるCMを作れるかがポイントです。守るべきところは守りながら、変化を恐れずにブランドを進化させていく。これがいまの日清食品のマーケティングの根源と言えます。
「カップヌードルをぶっつぶせ」を合言葉に社内競争を活性化
―――「謎肉」という言葉も話題になりましたね?
カップヌードルの発売当初から入っているサイコロ状の具材ですが、お客さまからは「謎肉」という愛称で親しまれていました。通常なら、自分たちの商品に会社が自ら「謎」という言葉を使ったりしないのですが、お客さまにとって親しみのある呼び名にしたほうがもっとカップヌードルを身近に感じていただけると思ったんです。そこで、今から10年ほど前に思い切って謎肉と呼んでしまおうと決断しました。当時、役員会では反対されましたが、「次世代ユーザーを育成していくためには、これくらいインパクトのある言葉を使わないと響かない」と説得しました。ただ、祖父が命をかけて生み出したカップヌードルですから、祖父が生きていたら許可は出なかったと思います。
―――カップヌードルをどんどん進化させる一方で、カップヌードルを超えるものもつくっていくと?
カップヌードルだけが目立ったらどん兵衛やU.F.O.の担当者はあまりいい気がしませんよね。カップヌードルよりもっと話題を作りたいという社内の競争構造が、われわれの強みになっています。カップヌードルがあるから安心ではダメなんです。「カップヌードルをぶっつぶす」ぐらいの新しいコンセプトやサービス、ビジネスモデルを生み出そうと社内で切磋琢磨することが、日清食品をさらなる成長に導くと考えています。
―――会社の強みは何でしょうか?
商品開発力や技術力です。さらにマーケティング力、それを実行するスピード感が、日清食品の強みだと思います。
「完全メシ」は人類が抱える"食の課題"の解決を目指す
―――いま一番、力を入れていることは?
主要な栄養素がバランスよく適切に調整された「最適化栄養食」のカテゴリーに注力しています。「日本人の食事摂取基準」で設定された33種類の栄養素とおいしさの完全なバランスを追求した「完全メシ」というブランドを、2022年に立ち上げました。完全メシのポイントは、普段の食事と変わらないおいしさを実現しているところです。ビタミンやミネラルなどの栄養素には独特の苦みやエグみを持つものがあり、そのまま入れてしまうとまずくて食べられないんです。しかし、日清食品がインスタントラーメンで培ってきた技術を応用して苦みやエグみをうまく隠しています。
―――「完全メシ」という発想は、どのようにして生まれたんですか?
いま世界では、飽食による肥満が課題になっている一方で、粗食・小食を原因とした低栄養によって引き起こされるシニアのフレイルや、偏った食生活を原因として、カロリーは足りているけれど身体に必要な特定の栄養素が不足する隠れ栄養失調の増加も深刻な問題です。こうした現代ならではの食の課題を解決したいとの思いで開発したのが完全メシです。食欲を満たすジャンクフードを健康的な食に変えることができたら、食生活で無理や我慢をする必要がなくなるわけですから、人類はもっと健康に、もっとハッピーになるんじゃないかと思ったんです。
カップヌードルの「完全メシ化」が難しいワケ
―――まだカップヌードルの完全メシはできていないんですか?
実は、カップヌードルの完全メシ化が最も難しいんです。カップヌードルやどん兵衛のようなロングセラー商品は、お客さまが"いつもの味"を覚えておられますので、味が少し違うだけで「これは○○ではない』と思われてしまいます。なんとかあと数年でカップヌードルの完全メシバージョンを発売したいと思っています。
―――最後に、安藤さんにとってリーダーとは?
周りの人から「狂っているんじゃないか」と言われるくらいのスピード感とユニークさをもって、変化や失敗を恐れずにどんどん会社を進化させていく人。そういう人がリーダーじゃないかと考えています。
■日清食品 1958年創業。創業者の安藤百福氏が「チキンラーメン」を開発。1971年「カップヌードル」を発売、その後も「日清焼そばU.F.O.」「日清のどん兵衛」「日清ラ王」など、多数のロングセラーブランドを誕生させる。売上収益2200億円、従業員は約2000人。
■安藤徳隆 1977年大阪・池田市生まれ。2002年慶応義塾大学大学院理工学研究科修
了。2007年日清食品入社。経営企画部部長、取締役、CMO(グループマーケティング責任者)、専務、CSO(グループ戦略責任者)などを経て、2015年社長就任。2016年から日清食品HD副社長、COO(グループ最高執行責任者)も務める。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
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