MBS(毎日放送)

2022年01月24日 14時00分 公開

「ミスターセレッソ」はいま、クラブの社長!経営でも華麗なゴールを決められるか

 かつて「ミスターセレッソ」とサポーターたちから愛されたサッカー選手がいた。セレッソ大阪の社長・森島寛晃氏だ。現役時代に付けていた背番号「8」は、いまもチームのエースナンバーである。「日本一腰の低いJリーガー」としてサポーターに親しまれ、2008年に惜しまれながら引退。2018年に社長に就任し、クラブを率いる。新型コロナウイルスの感染拡大で厳しい経営環境が続く中、かつてのエースストライカー・森島社長は会社の舵をどのようにとり、成長戦略を定め、クラブを成長させようとしているのか。その秘めたる思いに迫った。

憧れの選手から贈られた言葉「心技体」を胸に刻む
20220124120527-4ba02c4e335e3339e046e10edda5c23f5a29781a.jpg―――森島さんにとってホームグランドの「ヤンマースタジアム長居」は、サポーターから何度も大歓声で迎えられてピッチに立った思い出の場所ですよね?
 もちろん、そうですね。ヤンマースタジアム長居は、プロのサッカー選手として色々な経験をさせてもらった印象深い場所です。実に多くの思い出が詰まっていますね。日本代表としてもプレーさせてもらって、2002年に開かれた「日韓ワールドカップ」のチュニジア戦でゴールを決めたのも長居でした。
20220124120725-e1a3006bc93d77041c7214dbacadaf869b91873c.jpg―――森島さんがサッカーを始めたのはいつ頃ですか?
 サッカーを始めたのは小学2年生の時ですね。ずっと憧れていた選手は「ミスターマリノス」と呼ばれた木村和司さんです。プレーを間近で見て以降、ずっと目標にしてきました。フリーキックの素晴らしさは、いまも語り継がれています。1995年にJリーグデビューを果たす直前に木村さんから色紙をいただきました。
20220124130744-a8214110d47c64a09215bd51e722e9916e733a8c.jpg―――色紙ですか?
 色紙には「森島くんへ。心技体」と書かれていました。私が木村和司さんに「プロとして大事なことはなんですか?」と聞いたときに、色紙に書いていただきました。プロに入ってやっていくのは技術やテクニックだけでは成功しない。だから常に強い気持ちを持って体を鍛えるのはもちろんだけれど、しっかり心を整えて、技術に対する向上心を持っていく。「心技体」の全てを整えてサッカーと向き合っていかないと絶対に成功しない、とアドバイスを頂戴し、それから「心技体」は自分の中で常に大事にしている言葉です。

何度も断った社長就任の打診
―――2008年に引退してクラブのアンバサダーに就任し、社長になったのが2018年でした。最初、打診されたときは?
 最初に聞いた時は「え???」って感じでした。その場の勢いで「わかりました」とお受けするような話でもありませんしね。ましてやこれまでと全然違うポジションになりますのでね。その時は「社長就任の打診は、気持ちはすごくうれしいですけど、無理です」とお断りしました。

―――打診された最初は断った? 
 最初は、というか3回くらいは断りましたね。4度目ぐらいにちょっと気持ちが動いたというか...。セレッソ大阪を良いクラブにしたいという思いは選手時代もそうですし、引退してアンバサダーになった時もそうですし、立場は変わってもずっとクラブを良くしたいという思いは変わらなかったので。最終的には、覚悟をもってやろうという気持ちで決断しました。

「試合は未だ冷静に見られない」足が動いて机を蹴ることも
20220124131030-4003e57620dc19066cbe0181180517eeaa374b59.jpg―――色々な立場を経験されましたが、やはり見える景色は全然違いますか?
 全然違いますね。自分でも不思議ですが、セレッソ大阪の社長というポジションになってみると、選手時代よりまして1試合1試合に対してすごく緊張感を持って臨んでいます。もちろん、私がプレーをするわけではないのですが...。不思議なほどに、むしろ社長になってからのほうが試合に対して力みすぎているのではないか、と思うくらい力が入りますね。立場が立場ですから、あまり感情を表に出してはいけない、と思ってはいますが...。

―――社長なので選手時代のように勝ち負けで一喜一憂はできないですよね?
 私自身、ほかのクラブの経営者が感情を出している姿をあまり見たことがありませんからね。でも、みなさんどういうふうにして冷静さを保たれているのかと感心してしまいます。私はどちらかというと感情が出てしまうので、とてもじゃないですけど冷静に見るのはとても難しいです。ぐっと気持ちを抑えながら試合を見ていても、ピンチになると勝手に足が動いて机をガーンと蹴ってしまうことだってあります。

―――机を蹴る?
 気づくと足が動いているんですよ、勝手に足が。ガーンと蹴った瞬間に「あっ!足が出た!!」「『おいっ!』って言ってしまったー!!」みたいな感じですね。私がまだこんな始末なので、クラブのメンバーたちはみんなひとりひとりが「自分がしっかりしないといけない」という責任感が出て、たぶんこれがクラブ運営にプラスの効果を与えているのかなと思っています。

―――「森島さんをみなで支えていこう!」みたいな感じですかね?
 いやいや、支えるというよりも、社長には任せっきりにできないので「自分たちが率先してもっと前面に出ないとクラブ運営は前に進まない」という感じじゃないでしょうか、おそらく...。でも、そうしたひとりひとりの姿勢がクラブ運営には何より大切だと思っています。

スタジアムをキャンプ場に!コロナ禍で様々なチャレンジ
20220124131209-6e743eac830d945895a51420d9ec69bf67a8aa18.jpg―――社長になって3年のうち2年はコロナ禍ですよね?大変なことが多々あったのではないですか?
 最初の年は1年間で40万人近くのサポーターのみなさんがスタジアムに足を運んでくださった状況の中で終えられました。この勢いで2年目は「もっと頑張っていこう」というタイミングで新型コロナウイルスが感染拡大してしまいました。Jリーグ自体が止まってしまいましたので、2020年と2021年のシーズンはとても厳しい経営状況を経験したなと思いますね。その中でも新しいチャレンジといいますか、工夫といいますか、様々な試みをしています。コロナ禍の中で新たな本拠地として「ヨドコウ桜スタジアム」を去年7月に運用を開始したのもその1つです。

―――新しいスタジアムでも色々な試みをされていますよね?
 夏にはお子さんを集めてキャンプをしました。ピッチにテントを張って泊まるイベントです。サポーターのみなさんにはとても好評でして、実際、すぐに応募人数に達してしまって...。参加した人たちからは、スタジアムでキャンプが楽しめるという珍しい経験ができたということで、大変喜ばれましてね。子どもたちにはたまらないと思いますね。だってスタジアムでテントを張ってそこで寝るというのは、なかなか経験できないですしね。そういった意味では、スタジアムをいろんな使い方ができるというのは明るいニュースかなと思いますね。
20220124131321-cc7f54b5098a77064e32f67c97f8819b1666cff3.jpg―――現役時代のように色々なチャレンジをすることが大事だと?
 そうです。色々なチャレンジができる環境があるというのがセレッソ大阪の良いところだと思っています。会社で話し合って始めた「なんかせなあかん!プロジェクト」もその1つです。サポーターが購入したユニフォームやポンチョをスタジアムの客席に飾り、セレッソカラーのピンクで彩るプロジェクトです。去年、改修した新たな本拠地「ヨドコウ桜スタジアム」には、子ども連れのサポーターたちが楽しめるキッズルームをつくりました。

人生で一番大きな決断は「社長になったこと」
―――いままで色々な決断をされてきたかと思いますが、これまでの中で森島さんの一番大きな決断は? 
 それは、セレッソ大阪の社長というポジションになったというのが、自分としてはすごく大きな決断だったと思いますね。ただ、決断をして結果に結び付けていかないと駄目ですから。決して決断がゴールではないと思っています。

―――いまのところ、悩んだけれど、社長を引き受けて良かったですか? 
 社長を引き受けたことは全く後悔していなくて、むしろクラブをもっと良くしていかなければならないなと思っています。タイトルを取るのもクラブの大事な要素ですし、何よりもスタジアムをいっぱいにしたいというのがスタッフみんなの思いでもあるので。そういった意味で、セレッソ大阪が大阪という場所の中で通天閣みたいな大阪のシンボル的な存在になっていきたいという思いは強いですね。

目指すゴールは「大阪と言えばセレッソ大阪」と呼ばれるクラブに!
20220124131519-fd68679a1440caaa5dd238b6ed117246b01afa8e.jpg―――多くのクラブチームがありますが、中でもセレッソ大阪の良さは? 
 選手はもちろんですが、クラブに関係する多くのスタッフたちもそうですし、サポーターのみなさんもスポンサーのみなさんもセレッソ大阪に関わる全てのみなさんが、ファミリー感を持って一体感があるというのがセレッソ大阪の何よりもの良さだと思っています。

―――経営者として目指すゴール、夢はどういったことですか?
 やはりJリーグで1番になるというのはもちろんですが、世界でも「日本といえばセレッソ大阪」と言われるようになりたいですね。「大阪にセレッソあり」というか、本当の意味で大阪に根付いて、「大阪といえばセレッソ大阪」といわれる魅力あるクラブになっていく。そして、セレッソ大阪から日本代表の選手たちがどんどん出てくる。そういった魅力あるクラブを目指して、みんなでクラブを育てチーム育てる。そのために色々なチャレンジをどんどんやっていきたいと思っています。海外の選手がセレッソ大阪に来たい、海外の人がセレッソ大阪を応援したいというクラブにしたいですね。
20220124131607-ed08cbfa4f5fdc49c224c393ff239f08337cae7f.jpg―――最後に、森島さんにとってリーダーとは?
 リーダーとは?ですよね。やっぱり、メンバーに道を示してくれる、組織を引っ張っていってくれる存在でしょうか。それが自分の中ではリーダーかなと思っていますね。

■セレッソ大阪 1957年、工場のサッカー好きが集まって前身となる「ヤンマーディーゼルサッカー部」創部。Jリーグ開幕の1993年、「大阪サッカークラブ」設立。「セレッソ大阪」として新たなスタートを切る。1994年、Jリーグ昇格。2021年の順位は12位。

■森島寛晃 1972年、広島市で生まれる。1991年、「ヤンマーディーゼルサッカー部」に入団。2008年、引退。広報活動などを担うチームのアンバサダーを経て、2018年、社長に就任。現在に至る。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。
『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。

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