2026年02月25日(水)公開
「あの世で夫に『わかってもらえたよ』って言いたい」42年前の強盗殺人事件「再審開始が確定」 無罪信じて戦い続けた家族の思い「生前に救えず申し訳なかった」 滋賀・日野町事件
編集部セレクト
1984年に滋賀県日野町で起きた強盗殺人事件。犯人とされた男性は裁判で無罪を訴えましたが無期懲役を言い渡されて服役し、病死しています。 男性の遺族が再審=裁判のやり直しを求め、最高裁は2月24日付けで再審を認める決定を出しました。 無罪を主張し続けてきた家族の思いを取材しました。
無期懲役を言い渡された父親の「無罪」を信じ続けた家族

阪原弘次さん(64)。滋賀県日野町の最愛の父親が眠るお墓を訪れました。阪原さんはこの日の墓参りに特別な思いを持っていました。
(阪原弘次さん)「『早よ良い決定持って報告に来てくれよな』と父が言っているような気がして、やはり父の名誉と無念を回復してやりたい」
1984年、滋賀県日野町で酒店を経営していた女性が殺害され、店にあった手提げ金庫が無くなりました。
女性の遺体は宅地造成地で、手提げ金庫は山林で見つかり、警察は強盗殺人事件として捜査を始めました。
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発生から3年以上経ち、警察は常連客で阪原さんの父・弘さんを強盗殺人容疑で逮捕しました。
弘さんは裁判で「虚偽の自白をさせられた」と一貫して無罪を主張しましたが、2000年、弘さんの無期懲役の判決が確定します。
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(阪原弘さん 2000年)「私は悔しくてなりません」
その後、弘さんは再審(裁判のやり直し)を求めましたが、大津地裁が退け、大阪高裁で争っている最中に病死。
不本意な逮捕から23年、再審の手続きは打ち切られました。
大阪高裁が再審開始を決定 警察が撮った写真の「ネガフィルム」が大きな決め手に

弘さんが亡くなった後、刑務所から届いたのが日用品などが入った段ボール。支援者らからの手紙や色紙の中に、「番号」が書かれたタオルが入っていました。
(弘さんの長男・阪原弘次さん)「父は刑務所の中にいるときは、恐らく『阪原弘』ではなく『番号』で呼ばれていた。それがこの中に詰まっている。父の無念が詰まっているわけですよ。ちょっとつらくて見られないかな。(逮捕から死亡まで)かなり長い期間ですよね。その間に父が使っていた物が段ボール箱1箱、ミカン箱2つ分だけって、あまりにも悲しいじゃないですか」
阪原さんらの2度目の再審請求に対し、2018年、大津地裁が再審開始を決定しました。
しかし、検察側が即時抗告し大阪高裁に舞台が移ります。そして、2023年2月27日。
(記者リポート)「再審開始、再審開始です。大阪高裁も裁判のやり直しを認めました」
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再審開始を決めた大きな要素が、弘さんが自白通りに現場を案内できるか確かめる捜査で 警察が撮った写真の「ネガフィルム」。
例えば、金庫が捨てられていた場所まで弘さんが捜査員を案内したことを示すという写真は、実は帰り道に行きの”ふり”をして撮影されたものでした。
調書に添付された写真19枚のうち8枚が、帰りに行きの”ふり”をして撮られたものだと判明。
大阪高裁は「任意に行われたといえるかどうか疑問を差し挟む余地が生じた」と判断しました。
決定が出てすぐに阪原さんが電話したのは、脳梗塞で療養中の母で弘さんの妻・つや子さんでした。
(阪原弘次さん)「あのな(検察の)即時抗告棄却なった。再審が開かれるで。良かったな、ありがとうな」
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(阪原弘次さん)「(母は)『お前らが頑張ってくれたさかいに良い結果が出たんや。お前らのおかげや、ほんまに良かったな』と声が詰まっていましたよ。父の雪冤(せつえん)を一番望んでいるのはやはり母やと思います。我々はそのために頑張っているような気がする」
しかし、この1週間後、大阪高検が特別抗告し最高裁に判断が委ねられることになりました。
「無実の人間はやはり無罪にしないと」戦い続けた弘次さん

2024年2月上旬、阪原さんの姿は東京にありました。関東で支援の輪を広げようとあいさつにも思いがこもります。
(阪原弘次さん)「阪原弘、父は絶対に犯人ではありません。あの時に全ての証拠が出されていたならば、確定審の大津地裁は『主文、被告人を無期懲役に処す』そんなバカな判決を出したであろうか」
阪原さんはその後、最高裁の書記官との面会に向かいます。
(阪原弘次さん)「集会の方で興奮してしまって。今一生懸命心を落ち着けているところ。母が高齢なので、母が墓参りに行けるうちに再審無罪を勝ち取って。あんまり時間がない。ちょっと焦っているんかな」
この日来られなかった母の思いもぶつけるべく、阪原さんは最高裁に入ります。
書記官と10分ほど面会した阪原さんは…
(阪原弘次さん)「思っていたより親切なので、それはびっくりしましたけど、重々しいという雰囲気ではなかった」
最高裁を訪れたことでかつて書記官から言われた”意外な言葉”を思い出したといいます。
(阪原弘次さん)「刑が確定して抗議行動という形で最高裁判所を訪問したときは、(当時の上席書記官から)『力及ばず申し訳なかった。陰ながら応援してます。頑張ってください』という言葉をいただいたんですよ。あの(判決確定)ときは何が何か分からずに有罪になってしまった。今回は無罪になるという前提で来てますんで、あのときとは趣が違うかなと思う」
2度目の再審請求から14年。無期懲役が確定した人が死亡し遺族が申し立てた再審請求が認められれば戦後初めてです。
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(阪原弘次さん)「普通、無罪判決を書いてしかるべきやと思う。それができなかった裁判所、私は本当に強い憤りを禁じ得ません。本当にひどい事件やったと思う。こんなことあったらいかんですよね。こんなこと許しちゃいかんですよ。無罪の人間、無実の人間はやはり無罪にしないと」
そして、2026年2月25日。最高裁の判断が明らかになりました。
最高裁が再審を決定 妻・息子の思いは…

2月24日付けで最高裁は「2審・大阪高裁の判断に誤りがあるとは認められない」として特別抗告を退け、再審を認める決定をしました。
決定の知らせを受けた阪原弘さんの長男、弘次さんが25日、東京都内で取材に応じました。
(阪原弘次さん)「『父ちゃんやったで。再審始まるよ』ってすぐに伝えにいきます。墓参りさせていただきます。20名を超える子ども、孫、ひ孫、やしゃご孫まで生まれています。(再審が早ければ)それに囲まれて幸せに暮らしていると思うんです。(生前に)父を救えなかったことは申し訳なかったと思う」
また、夫の無実を信じ続けた妻のつや子さん(88)は…
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(弘さんの妻・阪原つや子さん)「殺すはずがない、それを信じていたからね。いつ死んでもいい、あの世に行って、(夫に)『わかってもらえたよ』って言いたい。あした死んでもいいわ」
再審は今後、大津地裁で開かれることになります。死刑や無期懲役が確定した事件で、本人の死亡後に再審開始が認められたのは戦後初めてです。

2026年02月25日(水)現在の情報です
