2025年11月21日(金)公開
「もし今も生きていたら...」願いをかなえる"絆画" ガンで夫を亡くした親子が依頼にこめた思いとは 遺族に寄り添う似顔絵作家の創作活動に密着
編集部セレクト
遺族からの依頼を受け亡くなった人の絵を「絆画(きずなえ)」とよんで描き続けている名古屋市の似顔絵作家・大村順さん。「あの人にもう一度会いたい」遺族の願いをかなえる創作活動に密着しました。
帰らぬ人の姿を想像して描かれた絵

今年の春、大阪の寺で開かれた展覧会。色鮮やかな絵の中には笑顔が溢れています。一方で見る人の目には涙が溢れています。
「この世を旅立った人たちがもし今も生きていたら…」これらの絵はそんな帰らぬ人の姿を想像して描かれたものです。
(来場者)「絵なのに絵じゃないみたいな、すごく温かみもある」
(来場者)「ここまで依頼者の思いをすくいあげて絵の中に表現されている」
絵を描いたのは、名古屋市の似顔絵作家・大村順さん(40)。「のこされた家族に亡くなった人との繋がりを感じてほしい」。「絆画」と名付けた作品を500以上も創ってきました。
(似顔絵作家 大村順さん)「絵を見て生きているみたいだなって、ここにいるなとか、すごく生き生きしているなというふうに亡くなった人のことを思ってもらえたらいいなと思って」
「夫との死別を乗り越えたい」と絵を依頼

大村さんは絵を描くために依頼があった遺族に直接会うようにしています。
大村さんがこの日訪れたのは、滋賀県高島市のお寺。待っていたのは住職の堅田理枝さんと高校3年生の息子・光寿さんです。
4年前、もともと住職をしていた父親・正樹さんを52歳という若さで失いました。
(堅田理枝さん)「中学校の入学式から(時間が)止まっていますもんね。お父さんが亡くなってからは、一生懸命やってきたというのが一番ですね。何も思い返すこともなく」
(堅田光寿さん)「友達としゃべっているときに『お父さんはきょうこんなことしている』みたいな。ああ、僕にはいないよなと思って」
真面目で実直、家族思いだったという正樹さん。突然、ガンと診断され、医師から余命1か月と告げられました。家族は心の準備ができないまま別れを余儀なくされました。
SNSで絆画を知った理枝さん、夫との死別を乗り越えたいと大村さんに依頼しました。
(堅田理枝さん)「本当にお父さんが生きていた、お父さんというものがちゃんとあった、家族としての形がちゃんとあったと確かめたいというか形にしたい」
国民スポーツ大会への出場で「絵を見て勇気をもらえたらいいなと」

息子の光寿さんにも理由がありました。
(堅田光寿さん)「いつもお父さんはなんか、もうちょい頑張れみたいな感じで。ある程度頑張っていても、その上をいきたいみたいな感じでしたね」
将来、消防隊員になりたいとウエイトリフティング部で体を鍛えている光寿さん。実は10月に地元・滋賀で開かれる国民スポーツ大会への出場を決めていました。
幼い頃からどんなときも背中を押してくれた父・正樹さん。大舞台でもう一度、父から力をもらいたいと考えました。
(堅田光寿さん)「今までやったことのない重量をやると思うので、そのときに絵を見て何か勇気をもらえたらいいなと思って」
大村さんは2人の思い出や過去の写真から絆画の構想を練ります。
2人にとって特に思い入れのある写真があります。光寿さんの中学校の入学式の後に寺の前で撮った父と息子の2ショット写真です。
(大村順さん)「すごくかわいらしい笑顔をされますね」
(堅田理枝さん)「(正樹さんは)直立不動の人だったから、ふざけたことを言って笑わせるのが好きだったんですよ。ちょっと笑ってよ!ちょっと!とか言いながら」
(大村順さん)「だからあんな顔なんですか」
(堅田理枝さん)「それが好きだったんですよ。笑わせたくて。私はいつも撮り手に回っていたから。息子とお父さんを一緒に撮りたいという自分がどこかにあるんですよ」
もし、正樹さんが生きていたら…理枝さんが未来に撮っていたであろう息子と父親の2ショットを描くことに決めました。
親友が亡くなって「絆画」を描くことを決める

名古屋のアトリエに戻って下書きの作業に入ります。
(大村順さん)「肩が下がっていると、ちょっと自信無さげに見えるじゃないですか。肩を若干あげると胸を張っているように見える。『お父さん僕に任せておいてね』みたいな雰囲気が伝わるんじゃないかなと」
大村さんはデザインの専門学校を経て似顔絵作家になりました。「絆画」を描き始めたのは約8年前。親友が27歳という若さで亡くなりました。遺された両親のため家族に囲まれた親友の姿を描きました。
(大村順さん)「(親友の)お母さんが『こんなことになるんだったら、もっと息子と写真を撮っておけばよかったな』という気持ちを知って。絵を見ながらお父さんとお母さんが『なんか息子が生きているみたいだね』って話しているのを見て、もう絆画やろうかなって」
「あの人にもう一度会いたい」遺族の思いに応えるため大村さんは絵筆を走らせます。
「こんな写真が撮れていたらよかったな」

堅田さん親子が絆画を依頼してから5か月。大村さんが完成した絵を届けにやってきました。
(堅田理枝さん)「わあすごい!お父さんや!」
描かれていたのは、消防隊員になる夢を叶え成人式を迎えた光寿さん。隣ではにかんでいるのは年を重ねた父・正樹さんです。そして2人の足元には写真を撮る母・理枝さんの影が。まるで、あの写真からそのまま時間が過ぎたかのようです。
(堅田理枝さん)「こういうふうに年をとっていたんだろうなと思って」
(堅田光寿さん)「こんな写真が撮れていたらよかったなみたいな感じです」
(大村順さん)「お父さんが亡くなって自分がしっかりしようみたいな、自分が頑張ろうみたいな熱い気持ちをすごく感じるので、その思いになんか応えられる絆画になれていたらいいなって思いながら描いていた」
大会では母が絆画とともに息子を見守る

10月5日、光寿さんがウエイトリフティングで国民スポーツ大会に出場する日がやってきました。母の理枝さん、絆画とともに見守ります。
光寿さんの出番がきました。父・正樹さんの姿が光寿さんを後押しします。
成功すれば自己最高記録となる124kgに挑戦。…しかし上げ切ることはできず、残念ながら目標の入賞には届きませんでした。ただ、全力を出すことができました。
光寿さんが、大村さんに電話で報告します。
(堅田光寿さん)「入賞はできなかったんですけど…」
(堅田理枝さん)「泣かなくていい。頑張ったんだからね」
(大村順さん)「結果も大事だけど積み重ねてきた自分の頑張りが一番大事だと思うから、そこを誇ってほしいなと思いますし、お父さんもそういうところを見てくれていると思うので、泣かないでね」
隣にはいないけれど大切なあの人とどこかで繋がっている。大村さんは遺された家族のためきょうも絆画を描き続けています。
(大村順さん)「精いっぱい聞いて、それをできる限り表現して描くという。自分の中ですごい大事なんじゃないかなと思うので、寄り添った先にご遺族が希望を見いだしてくれたらうれしい」
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