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ウクライナ侵攻で散り散りになった「名門バレエ団」準備期間10日あまり...困難乗り越え実現した日本公演

2022年08月23日(火)放送

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 ウクライナ国立バレエ団「キエフ・バレエ」。旧ソ連時代には3大劇場の1つに数えられた「ウクライナ国立歌劇場」に所属していて、150年の歴史を持つ世界的なバレエ団です。しかしロシアのウクライナ侵攻を受けて団員たちはヨーロッパ各国に避難。実質活動停止になってしまい、恒例だった日本公演も開催が危ぶまれていましたが、なんとか開催できました。取材班は、開催実現のカギを握った人物を取材しました。一体どんな苦労があったのでしょうか。

軍事侵攻で「キエフ・バレエ」の団員たちが散り散りに

 華麗な舞を見せるバレエダンサー。ウクライナ国立バレエ団「キエフ・バレエ」の公演です。キーウの国立歌劇場を拠点に活動していて世界的な人気を誇ります。日本でも数多く公演を重ねてきました。
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 ところが今年2月、ロシアが突然ウクライナに軍事侵攻し、ウクライナの人たちの暮らしは破壊されました。バレエ団も例外ではありませんでした。戦時下のため劇場は一時閉鎖され、公演も一時、一切できなくなりました。それだけではありません。120人いたバレエダンサーのうち90人が国外に避難せざるを得なくなったのです。団員たちは散り散りになってしまいました。

キエフ・バレエで副芸術監督を務める日本人

 その中にひとりの日本人男性がいました。「キエフ・バレエ」で副芸術監督を務める寺田宜弘さん(46)です。寺田さんは11歳でウクライナの国立バレエ学校に留学。その後、バレエ団のダンサーや副芸術監督をしてウクライナでの暮らしは35年に及んでいました。
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 ウクライナ侵攻後、ドイツに避難していた寺田さんのもとには、避難した団員らから「バレエを続けたい」と悲痛な思いが届けられたといいます。

 (ウクライナ国立バレエ団・副芸術監督 寺田宜弘さん)
 「私の生徒たちから連絡があって『先生、サポートしてほしい』と。朝の8時から夜中の2時ごろまで、そういうことが3月・4月ずっと続いていたんですね。お世話になった国、芸術をサポートするのがいまの私の大きな役目」

 軍事侵攻後初の海外公演となる日本での公演が決まりました。寺田さんは各国に避難しているダンサーに参加を呼びかけました。しかしダンサーが本当に来日できるのか当日まで不安でした。

日本公演が決まりダンサーら22人が来日 現地に父親を残し来日のメンバーも

 そして7月3日、バレエ団のダンサーたちが到着しました。その数、22人。久しぶりの再会に喜びが溢れます。

 (寺田さんの教え子のバレエダンサー)
 「寺田さんに久しぶりに会えてうれしい。久しぶりに日本に来られてとてもうれしい」
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 そして、公演を成功させるためにもぜひ来てほしかった女性。バレエ団の芸術監督で世界的にも有名なダンサーであるエレーナ・フィリピエワさん(52)です。フィリピエワさんは祖国に父親を残したまま国外に避難していました。

 (ウクライナ国立バレエ団・芸術監督 エレーナ・フィリピエワさん 7月14日の会見)
 「私はいまもロシア軍に侵略された地域に父親を残してきました。耐え難い思いです。ただ私は行かなければならなかった。全てがうまくいくことを願っています」

公演までの準備期間はわずか10日あまり

 通常なら何か月も前から公演の準備をしますが今回はわずか10日あまりです。バレエ団として同じ舞台に立つのも4か月ぶりのこと。1つ1つの動きを確認します。これまで多くの舞台を一緒に作ってきた寺田さんと協力しながら、急ピッチで調整を進めていきます。

 (芸術監督 エレーナ・フィリピエワさん)
 「私たちは武器を手にとって戦うことはできないが、ウクライナの(バレエの)演目や作曲家の曲を示すことでウクライナの芸術や文化を伝えることができる」

衣装は寺田さんの母親が提供「なんの躊躇もなくすごくうれしく思った」

 公演に向けて心配事はほかにもありました。衣装が足りないのです。ダンサーたちはすぐにキーウに戻れると考え、ほとんど衣装を持たず国外に避難していました。そんな窮地を救ったのも寺田さんでした。母親の美智子さん(83)が京都でバレエ教室「寺田バレエ・アートスクール」を開いていて、衣装の提供を申し出てくれたのです。

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 (寺田さんの母親 美智子さん)   
 「同じ衣装を着て踊れる。私たちもあれを着ていた。キエフ・バレエの人もあれを着ていただける。なんだかすごく心が1つになれるような気がして、お貸しするのになんの躊躇もなくすごくうれしく思いました」

日本公演が実現「ウクライナの芸術が生きていると証明できて幸せ」

 いくつもの困難を乗り越え日本公演は実現しました。7月24日に「ロームシアター京都」で行われた公演は、ウクライナの民族舞踊を取り入れた演目「ゴパック」で始まりました。衣装は寺田さんの母親が用意してくれたものです。

 賑やかな舞から一転、フィリピエワさんが「瀕死の白鳥」を踊ります。波打つような細かい腕の動き。消えかけた命を掴もうとするかのような白鳥の姿に会場は静まり返りました。
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 そして寺田さんが今回の公演のために特別に振り付けた「ひまわり」。カラフルな衣装をまとったダンサーたちが楽しそうに舞台上を駆け回ります。ひまわりはウクライナの国の花です。平和と復興への願いが込められています。

 公演を通じて、ダンサーたちはウクライナに平和が戻るよう訴えました。
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 (副芸術監督 寺田宜弘さん)
 「キエフバレエ団、ウクライナの芸術が生きているということを証明できて私としては本当に幸せです。きっと戦争は終わる日がくると思います。そして新しい時代、新しい芸術、新しいバレエ団としてすばらしい時代を迎えることができると信じています」

 8月9日、全国16都市での公演を終え、団員らはそれぞれ避難場所などへと戻っていきました。次の切なる願いは祖国ウクライナでの舞台です。

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