MBS 毎日放送

2021年10月01日 11時25分 公開

人気スイーツ「たねや」「クラブハリエ」はなぜ滋賀から大ヒットを飛ばし続けられるのか?

 2015年に会社創業の地、滋賀県近江八幡市に『ラコリーナ近江八幡』をオープンさせた「たねや」。地域のシンボル・八幡山を借景にして大自然に囲まれた中に店舗を構えるというコンセプトが大ヒットし、いまや年間322万人が訪れる滋賀県随一の観光施設に成長した。さらに、グループの「クラブハリエ」はバウムクーヘンの常識を覆し、しっとりとしてフワフワな食感が大ブレーク。年間580万個を売り上げる看板商品となった。なぜ、たねやは打つ手打つ手が当たるのか。その秘密についてグループを率いるたねや4代目・山本昌仁社長に話を聞いた。

滋賀で一番人気の施設『ラコリーナ近江八幡』 「自然に学ぶ」がテーマ
20211001101241-bf414301f86ee72a88360088dfbf246f7b6fb37f.jpg―――ラコリーナ近江八幡は店舗としては駅前でもありませんが、どうしてこのような施設をつくったのですか?
 近江八幡市にはシンボルの八幡山がありまして、この麓で店をしたいと思い、この地を選びました。八幡山を借景にということで建物をつくったので、すべて舞台のメインは八幡山です。さらに、お菓子づくりは「自然と共に生きる商い」だと考えています。ですから、ラコリーナ近江八幡のテーマは「自然に学ぶ」としました。敷地の中央に位置する大きな田んぼはその象徴です。毎年、従業員たちが苗を植え、米を育てています。
20211001101425-9fd673bfa7018e8614b70f1eb30c2adbbe684032.jpg―――もともとこの土地を買った2008年は別の施設が建っていたのですよね?
 そうですね、かつては厚生年金の施設でした。ホテルとかテニスコートとか、ゴルフの練習場やプールとかがこの辺一帯にありました。それが更地になった状態でした。ですから、私たちが山を切り開いたわけではありません。もちろん樹木は後で植えたものが大半ですが、わずかですけれどもともと植わっていた樹木もあります。

お菓子の城ではなく「懐かしい」「ほっこりする」施設に
20211001101607-2b4a1ba254f328889993136f6047b7e61db61d1a.jpg―――土地を買った当時から施設のコンセプトは「自然に学ぶ」だったのですか?
 当初は違っていて、「近江の原風景を取り戻そう」でした。「地元の人たちの憩いの場になることをベースに考えよう」とやっていましたが、完成までは悩みに悩みましたね。初めの設計図はお菓子の城みたいになってしまっていたのでね。そうじゃなくて、この場所にお客さんに来ていただいたときに「何だか懐かしいなあ」と感じてもらえるとか、「何だかわからないが気分がいいな」「ほっこりするな」とか驚きがあるとか。そういうものがどうしてもほしいと思って、悩みに悩んだ末に「森」をベースに、あるいは「緑」をベースにしてその周りにお店があるというイメージができあがりました。

―――「お店ありき」というよりは「自然ありき」の中にお店が組み込まれているという感じですね。
 これからの時代は、草花のひとつひとつに生命が宿っていると考え「自然に学ぶ」ことが大切だと思っています。これだけの自然に囲まれた施設なので、「オーベルジュのようにご飯も食べられて宿泊もできる施設をつくったらいいのに」と言われることがあります。ですが、私どもはお菓子屋なのでなかなかその分野に踏み込めません。どちらかというと、その道の専門家と連携するということはぜひ将来的にはあってもいいと思っています。あくまでも本業はお菓子屋なので、お饅頭づくりやケーキづくりを一生懸命やりたいなと。

―――そこはブレないですね。
 経営者にとって大切なのは「ネットワーク力」だと思っています。いかにネットワーク力を持ってオープンな場にしていくかが問われます。例えば、「栗饅頭について意見をください」と言ったら、ある国の方から「こういうことができればすごく良くなると思う」といった意見を頂戴できるイメージですね。従業員はいま2000人いますが、従業員だけで考えるより、グローバルに意見が聞けて「そういう発想があったか!」という具合に近江八幡に住んでいながら世界から情報を集められるネットワーク力が経営者のこれからの大事なところだと思っています。

仕事一筋の父親は驚くほどの「先見性」の持ち主
20211001101837-2cddc1d9666ecfb7b3b7836b2427e86302aeacd1.jpg―――2008年に23億円の大金を投じてラコリーナ近江八幡の広大な土地を買われたのはお父さまですよね。どのようなお父さまですか?
 私が小さいころは、とにかく家にはいない父でした。要は、頭の中はいつも仕事ばかりで家に帰ってきても仕事で悩んでいるというか、悩んでいる様子は見せなかったですがイライラしているのは子どもながらにわかりましたよ。それから、よく夫婦喧嘩はしていましたね。

―――家にいてもお父さまは仕事のことで頭が一杯だったのですね。
 いつも仕事、仕事の父でしたが、さすがにたまには遊びに連れて行ってくれました。ただ、それも仕事のついでにという感じでしたね。毎日毎日忙しいですから、仕事のついでに遊びに連れて行ってくれるのはそれはそれで良かったですが、行った場所で私たちのことを忘れてしまってほったらかしにして、挙句の果てには私たちを残してそのまま帰るとかありましたね。

―――わが子を忘れるぐらい仕事に集中するんですね。
 でもね、仕事にかける情熱は小さいころから見ていましたし、本当に判断力というのには長けていたと思います。ですから、なんでこんな場所に?というような所にお店を建てても、5年も10年もしたらすごくその店が繁昌しているという具合になっていて、とても先見性があったと思います。

―――お父さまがつくられた「たねやのバイブル」のようなものがあるそうですね。
 たねやとしての生き方や人生訓とかが書かれてあります。昔、うちのスタッフは従業員がいなくて家族だけでやっていました。それが父の代で一気に従業員が増えました。私が引き継いだ時は1000人程度でしたが、いまは2000人ほどにまで増えています。どんどん従業員が増えると、バイブルのようなものにしたためないとたねやの精神は受け継がれないし、従業員に浸透しないということで、40年前ぐらいにできました。書物の冒頭には『道』と書かれています。人にはいろんな道がありますが、私どもはお菓子屋の道、商いの道を貫いていきますと。そういったことの諸々がいっぱい書いてあります。

父親を勝手にライバル視 悩みに悩んだ20代、30代の頃
20211001102039-2142844f8fade815f2e5b325bc70dd05288620d2.jpg―――働き始めてから挫折であるとか一番辛い時期とかはありましたか?
 20代の頃は悩みに悩んでいました。勝手に父をライバル視したこともあります。あるいは、父を追い抜かなあかんというか、こういうふうな人間にならなあかんとか、いまとなっては不思議なくらい思い込んで悩んでいましたね。でも、いま振り返るとその頃は自分に信念がなかったなとすごく思いますね。20代・30代前半くらいまでは迷いに迷いました。

―――社長になった初年度は全ての商品の見直しをされたと聞きました。
 私は和菓子の全ての商品を見直しました。工場の担当者と話し合いながらやるのですが、初めはみんな心配で心配で...。「急に味が変わるのもどうなんや」ということとか言われました。さらには、売れている商品でもこれからは「自然に学ぶ」ということだから、できる限りプラスチック容器を石油由来から食物由来のモノに変えていきたいとか。その過程の中で、ほんのわずかでも減らす努力をしようと。どうしても減らせないものは廃番にするということを当時はしていました。

SDGsは「近江商人の精神」そのものだ!
―――最近でこそSDGsと言われるようになりましたけど、たねやとしては随分前から取り組んでいるのですね。
 SDGsの考え方は、昔からの近江商人たちの取り組みです。まさに近江商人の精神ですね。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしの近江商人の教えにつながります。自分だけが良ければいいという考え方ではなくて、商売をする上で社会にどういいの?社会に必要とされているの?されていないの?されてなかったらだめですよ、っていうことをずっと言われ続けてきました。この精神を世界中の人たちがSDGsと言っている。誰一人取り残さない社会を作っていく。「いまこそ近江商人がやってきたことを世界に発信する時だ」ということで、私どもはSDGsに対していろいろな取り組みをしています。

―――新型コロナウイルスで人生観が変わったことはありますか?
 新型コロナが感染拡大する前の2019年までは、バタバタしすぎているのがかっこいいと思っていました。海外も含めていろんな場所に行っていましたので。それが自分のすばらしさやと思っていました。「分刻みで仕事に追われている自分ってかっこいい」みたいにね。それが、ゆっくり緑を見たりお店見たりしていると、それでも世の中は流れるなと思います。社内ではより一層働き方が変わっていくのと違うかなと思いますね。ガサガサしていたところから少しゆとりを持って、ほんの1時間ゆっくりする時間があるだけでも人として成長していくというのをコロナ禍で教わりました。

自分は「つなぎ」の社長 「ずっとお菓子屋であり続けたい」
20211001102250-a03cd7915b30fc6b406b8a271dc85aa1946f9859.jpg―――社長としての夢は何ですか?
 将来においてもお菓子屋であり続けたいと思っています。次の代、次の代に脈々とお菓子屋を継いでもらいたい。それもこの近江八幡の地、滋賀でやってもらいたいというのが非常に思っていることです。私はそのための「つなぎ」として社長をしている感じです。

―――つなぎですか?
 自分の代で何か成果を出すというのではなくて、私は長いたねやの歴史の中で点でしか過ぎませんが、点と点をずっと結んで一直線に続いて行って、これ以上大きくなる必要はないですし...。もちろん、もっともっとという気持ちはありますよ。ありますけれど、そんなに焦らずとも来るべき時が来たら皆さんからチャンスをいただけるので、自分がガサガサする必要はないと思っています。

―――プライベートの夢はいかがですか?
 プライベートですか...。経営者にはあまりオンとオフがないのでね、父親がそうであったように。「それがストレスでしょ?」と言われますけど、別にそれがいいのかな。ひとりでいると寂しさとか不安しかないので。オリーブの収穫にイタリアまで行く時も従業員を連れて行ったりもしますし。

大ヒット商品「オリーブ餅」はイタリアでの大人買いから生まれた!?
20211001102404-aea9c3ef2636ccc6b65e66c5e817671851290885.jpg―――「オリーブ餅」ですが、その畑でできたオリーブのオイルに惚れ込んで「在庫を全部買いますから」とおっしゃったのですよね?
 食べた瞬間にピリピリとして、「これこそがオリーブオイルなんだ!」と感動しましたね。この生産者とは一生お付き合いしたいと思ったので、インパクトが大事だと思って「全部買う!」となりました。

―――大人買いにもほどが過ぎませんか?
 イタリア料理屋じゃないし、何で和菓子屋が...と思いましたし、自分で食べるには10年くらいかかると思いつつ...。どうしようか?というのはありましたけれど、お菓子屋なのでお菓子に使おうと。商売ってワクワクドキドキする環境をいかにつくれるかだと思っています。ドキドキもんですわ、日本に帰っている途中は。オリーブオイルの在庫を全部買うなんてえらいことしたなって。金額もある程度張るしね。また経理に叱られるかなとか不安だらけでしたけどね。

―――結果、オリーブ餅が売れたら「どうだ!」って胸を張って?
 あたかも、あらかじめ考えていたようにね。何も考えていなくて買ったのにね。でも、だからこそモノづくりはおもしろいです。農家の方々とお会いして話しているうちに「あっ!」という気づきがあって、たくさん教えていただくことがあります。いまは工場のスタッフたちも農地に入って一緒に刈ったり収穫したりしていると、その時に初めてセールスポイントが「ここやな!」というのを気づかせてくれる。そういうのがとても良いですね。

経営者に必要なのは「話す力」よりも「聞く力」
20211001102522-1f9d6fba6548c54ad5a0e2d39b5f233acf094484.jpg―――最後に、山本社長にとってリーダーとは?
 「ネットワーク力」と「聞く力」だと思っています。ネットワーク力は、世界各地にいろいろな人たちとつながりをつくって、いろいろな国の人たちから意見をもらうということ。そのために経営者はできる限り、話す力よりも聞く力をもつことが大事になってくると思っています。

■たねやグループ 創業の地・滋賀県近江八幡市に本社を置く。1872年、山本昌仁社長の曾祖父・久吉が「種家末廣」を創業。江戸時代は木材商を営み、のちに穀物や根菜の種を販売。当時「たねや」の愛称で親しまれ、やがて屋号に。現在、グループ従業員約2000人、年間売上高200億円、全国に47店舗を構える。最中の皮と餡を分けて包装した「ふくみ天平」、創業当時からの味を守り受け継ぐ「栗饅頭」は店の看板商品。

■山本昌仁 1969年、滋賀県近江八幡市で生まれる。東京製菓学校を卒業し、10年間修業。1990年、入社。2011年、社長。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。

バックナンバー

番組ページ