さんまがぼんち揚げに「足向けて寝られない」ワケ

痛快!明石家電視台に、エエ話はいらんねん!

2018/07/26 18:00

さんまが義理堅い一面を見せた。7月23日放送の「痛快!明石家電視台」では、「実際どうなん!?お菓子メーカー」という企画で、誰もが食べたことがあるだろう、カントリーマアム、チロルチョコ、ハッピーターン、ぼんち揚げ、ビスコ、パインアメ、ココアシガレット、モロッコヨーグルのお菓子メーカー8社8人が登場。お菓子開発にまつわる裏話や、定番お菓子のおススメの食べ方を提案した。番組の冒頭、さんまが口にしたのは意外にも「ぼんち揚げ」への感謝の言葉。その理由とは・・・!?

「ぼんち揚げさんには頭上がらないし、足向けて寝れない」
番組の冒頭、いきなりこう切り出したさんま。「俺が24歳の時に初めて大きなCMをいただいたのがぼんち揚げさんなんですよ」。当時、23歳の時に女性問題を起こしたという。「銀座のクラブの女性が嘘をついて。まったくの嘘なのにすごいスキャンダルに。あんなスキャンダル起こすような奴、イメージに合わないって、CMも番組もなくなるやろっていう時に、「そんなスキャンダルくらいで、あの男のイメージはダウンしない」と言って使ってくださったのが、ぼんち揚げさんなんです。だから、ずっとぼんち揚げ食べてんねん。40年前の恩を忘れたらあかんから」とさんま。ちなみにその時、さんまを使ってくれたのが、当時、2代目の社長で、今回出演のぼんち株式会社管理部の遠藤洋紀さんのお祖父さん。遠藤さんは「今の社長が私の父で、結婚式の時にさんまさんから祝電を頂いたと聞いてます」。40年前のさんまと「ぼんち揚げ」のエピソードが明かされた。

パインアメで腱鞘炎に!?知られざる過酷な製造秘話
古くから親しまれた来たお菓子には、作り手の思いもこめられている。チロルチョコは、1962年まだチョコレートが高級品だった時代に、独自の製法で1つ10円で販売され、人気に。これまでに400種類以上が売り出されたという。パインアメは戦後、1951年発売。最初、穴はなかったそうだが、「穴を開けるに当たって、当時、手作業で毎日割り箸で穴を開けてまして・・・」とパイン株式会社広報室の井守真紀さん。それが2年ぐらい続き、腱鞘炎になって体調を崩す人が続出。それをきっかけに機械の導入を考えることになったとか。「どうしても缶詰に近づけたいということで・・・」という話に、「あ、缶詰に寄せたの? 缶詰のパインのイメージなんだ」と意外な表情を見せるさんま。当時、高級フルーツだったパイナップル。缶詰のパイナップルも高価だった時代に、その味わいを手軽に食べてもらおうと考えて作られたという。

幻のハッピーターンマンゴー味にさんま大笑い
長年続く定番の商品にも、さまざまな改良の手が加わっていた! 1984年発売の不二家のカントリーマアムの初めての改良に取り組んだという不二家の菓子事業本部の深野勝さん。先輩と2人、毎日100個以上を1%ずつ分量を変えながら、手でこねて試作。約半年かけて改良に取り組んだという。また、亀田製菓で「ハッピーターンパウダー250%」を開発、普通のハッピーターンの6倍の売り上げとなった商品開発部の尾関太一郎さん。次の年、「夏場に女性に売れるヒット商品作を作ってくれ」という社命がくだり、「夏、女性・・・マンゴーだ! と思いついて」というと、「いいね! 響きがいいね!」とさんま。これまでになかったフルーツ味の、マンゴー味を提案。商品化されたが、全く売れずに撃沈することに。さんまも「それ知らんわ」というほど、すぐに消えてしまったのだった。

「痛快!明石家電視台」はMBSで毎週月曜午後11:56放送。
明石家さんまが関西で唯一収録している視聴者公開バラエティー番組。1990年4月スタートから来年で30周年を迎える。芸能人から素人まで幅広いゲストを迎え、間寛平、村上ショージのレギュラーに松尾伴内、雨上がり決死隊、中川家、次長課長、重盛さと美が週替わりで参加。関西ならではのトークが展開する!
https://www.mbs.jp/akashiya/

番組情報

毎週土曜 午後3:00~

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