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陸軍が受け取りを拒否した絵『國之楯』 当初は『軍神』と題した作品に従軍画家「小早川秋聲」が込めた思いは

2021年09月03日(金)放送

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『従軍画家』という言葉をご存知でしょうか。戦地に行って士気を高めるための絵を描き記録する役割です。軍から受け取りを拒否された一枚の絵があります。これを描いたのは京都にいた日本画家・小早川秋聲(しゅうせい)です。この絵にどんな思いを込めたのでしょうか。

陸軍が受け取りを拒否した『國之楯』

チョークで殴り書きされた「返却」の文字。陸軍から受け取りを拒否された時に記されました。
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そこに描かれていたのは闇の中に浮かび上がる将校の遺体。題名は『國之楯(くにのたて)』。顔には仲間の名が寄せ書きされた日章旗がかけられています。

天皇に見せるため描かれたというこの絵の受け取りを陸軍は拒否しました。1944年、終戦の一年前のことです。

(京都文化博物館・学芸員 植田彩芳子さん)
「初めて見る人でもちょっと衝撃を受ける作品でもある。インパクトもあって」
(愛知県美術館 平瀬礼太さん)
「戦争の痛ましさを感じさせるものではあると思います」

作者は小早川秋聲(1885~1974)という日本画家です。京都を拠点に活動していましたが、この時代に珍しく24歳で中国に渡り、その後もヨーロッパ各国、インド、アメリカと世界中を旅して回りました。

戦争画だけではない小早川秋聲の魅力

京都文化博物館(京都・中京区)ではこの夏、秋聲の初めての大規模な回顧展が企画されました。その名も『旅する画家の鎮魂歌(レクイエム)』(9月26日まで開催)。

(京都文化博物館・学芸員 植田彩芳子さん)
「秋聲さんて変わった布(きれ)を使って表具しています」

学芸員の植田彩芳子さん。『國之楯』の印象が強い秋聲の違う一面も知ってほしいと展覧会を企画したそうです。
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(京都文化博物館・学芸員 植田彩芳子さん)
「(絵に描かれている)『四六四九』なんですよ。今だと『ヨロシク』ですけれども。戦時中に描いているので、これはウィットではないと思うんですけれども。今これをふっと見るとね…」

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集められた作品は112点。好奇心が旺盛で旅をこよなく愛した秋聲の世界各地を描いたスケッチ『伊太利ベニスカナルの月』や『巴里所見』。
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生まれたばかりの娘をモデルにした『未来』。
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『恋知り初めて』という作品では、物思いにふける女性の姿と共に壁に描かれているのは葛飾北斎の『富獄三十六景』です。
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『長崎へ航く』ではオランダから日本に出航する船を見送る場面を描いています。異国情緒のある作風は、若い頃から世界中を旅してきた秋聲らしさに溢れています。

(京都文化博物館・学芸員 植田彩芳子さん)
「秋聲が戦争画だけに興味があって戦争だけを扱っていたわけではなくて、(戦争画)以前にはもっと自由で明るい作品を描いていたんだけれども、ちょうど秋聲の画家として脂ののりきった時期が戦争と重なってしまった」

秋聲が描いた兵士たち

秋聲は1931年の満州事変を機に『従軍画家』として自ら進んで戦地に赴くようになりました。そこから作品の雰囲気は変わります。
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極寒の戦地で焚火にあたりひと時の暖を取る兵士たちが描かれた『護国』(1934年)。
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軍旗を背に夜営を守る実直な兵士を描いた『御旗』(1936年)。

雑魚寝している兵士を描いた『虫の音』(1938年)では、疲れ果てた兵士が無防備に寝入る姿が描かれています。

(秋聲の随筆~「絵画教習」より~)
『兵士諸君のポーズの中にとても無理がなく芸術的に良い時がある。特に寝顔などは素敵だ。戦ひを忘れた顔をして夢見ている無邪気な寝顔。祖国の夢、母の夢、妻子の夢、友の夢、何かは知らないが』

従軍画家になっても秋聲は士気高揚より兵士たちの自然な姿を好んで描いたようです。
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(戦争画を長年研究する愛知県美術館 平瀬礼太さん)
「戦争画というのは本当にいろいろありますので一概には言えないんですけれども、小早川さんの場合は兵士と共に兵士のイメージを一緒に持ちながら絵を描いていた。生活も共にしている。軍隊の生活とか兵士の営みに対して共感をもって絵を描いていたということは言えると思います」

従軍画家は300人いたと言われています。戦闘の記録や兵士たちの慰労、戦地の様子を家族に知ってもらうためなど、様々な理由で大勢の画家が筆をとりました。洋画家として名を馳せた藤田嗣治も生々しい戦闘場面を描いた作品を残しています。

(愛知県美術館 平瀬礼太さん)
「どうやったら日本・国家に(画家も)貢献できるのだろうかと考えたんじゃないかなと。多くの人がこんなに兵士の方が頑張っているのだから“何とか役に立たなければ”と、そういう状況だった」

秋聲は「戦いはどうあっても絶対に勝たなくてはならない」と語る一方で、戦死者への思いを口にしています。

(秋聲の随筆~「塔影」より~)
『戦争は国家として止むに止まれぬ事とは申せ 惨の惨たるもの之あり候』
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『國之楯』が完成したのは1944年。陸軍に作品を提出した時の題名は『軍神』。当初、兵士の頭の周りには光が描かれ背後に桜の花びらが舞っていたとみられています。受け取りを拒否された理由は明らかにされていません。この絵が公表されたのは終戦から23年後、秋聲は背景を黒く塗りつぶし、題名も『國之楯』に変えていました。

『國之楯』について秋聲は何も語らず

今、この絵を見て人々はどのように感じるのでしょうか。

「当時の芸術家が生きていくということもあるでしょうし、日本人として『国のために』という気持ちの反面、やはり『反戦』ということを考えて描かれたのかなと」
「そのころの社会情勢を重ねて考えてしまうかな」
「戦争に行った人が国のために命を捧げる気持ちが何となくわかった気がします」

(京都文化博物館・学芸員 植田彩芳子さん)
「今でもあの絵を見て『反戦』と捉える人もいれば、実物を見ると、戦死した将校に対する敬う気持ちが描かれているのではないかと言う人もいるし。二通り、あるいはもっともしかしたらいろんな解釈のできる作品だと思うんですね。あの時代を生きた画家としての人生みたいなものが見えてくるのではないかと思います」
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戦後、秋聲は公の場に出ず、仏画を多く描くようになりました。『國之楯』については何も語ることなく、1974年に88歳で亡くなりました。秋聲は後世に何を伝えようとしていたのか。作品からその思いを感じ取ることしかできません。

(9月3日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『コダワリ』より)

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