2025年12月07日(日)公開
「なぜ娘は死ななければならなかったのか」答えなき永遠の問いかけ "ホミサイドサバイバー" アメリカ訪問で知った早期支援【附属池田小事件 犯罪被害者支援part3/全4回】
編集部セレクト

2001年6月8日。大阪教育大学附属池田小学校に男が侵入し、児童や教員23人が死傷した事件。「最愛の娘が、何の落ち度もないのに、安全だと信じていた学校で事件に巻き込まれた」と、遺族のひとり酒井肇さんは、突然犯罪被害者になった家族に共通する思いを話す。(酒井肇さん)「まず、なぜ娘は死ななければならなかったのか、という答えなき永遠の問いかけ。そして事件の真実を知りたい、何が起きたのか。そして発生原因を知りたい。そして絶望の淵から回復するためには、責任の明確化。誰が何をして何をしなかったから起きたのか、そして責任のあるものには心から謝ってほしい。そして生き続ける意味を再確認したい。事件の再発防止への願いもあります。これらは我が家に限ったことでなく犯罪被害者共通です。」そして、自身が受けた支援や、受けられなかった支援について語った。
警察の被害者支援を実感した出来事
事件直後の超混乱期に現れたのは、「何でもします」と大阪府警から来た被害者支援対策室担当の警察官2人だった。帰宅の付き添い、家に帰ってから洗濯物を取り込む、報道陣から逃れるために窓のカーテンを閉める、残された子どもの幼稚園の送迎援助といった生活支援だ。
(酒井肇さん)
「今振り返るとたった11日間の支援でした。しかし今でも最も実感を得たという支援だったことには違いありません。いかに早期支援が被害者にとって重要であるか、そのことを裏付けています」
当時、酒井さんは通夜や葬式すら取り囲む報道陣にも困っていた。「娘と過ごす最後の時間、そっとしてほしい」との思いから、自身やマンションの管理人などが取材自粛を依頼しても報道陣は立ち退かない。しかし制服の警察官が要請すると報道陣が避けたというのだ。「警察にしかできない被害者支援もあるのだな」と酒井さんが実感した一幕だった。
いっぽう、混乱期における報道内容に対する支援は受けられなかった。自分たちの様々な報道をされていることに気づいてはいたが、マスコミ対応の仕方を提案する支援者や、マスコミと犯罪被害者の間に入って調整するような支援者は現れなかったのだ。
カウンセリング専門家との出会い

そんな中で酒井さんは、事件があった校舎が取り壊されることを知る。この時点では、当時何が起きたかさえ知らないのに、現場がなくなってしまうのは困る―。酒井さんは、カウンセリング心理学の専門家・常磐大学の長井進教授に会いに行くことに決めた。長井教授を知ったのは、偶然目にした新聞記事がきっかけだった。
(酒井肇さん)
「長井先生からは、校舎改築や被害者支援の考え方を教えていただきました。そしてどういったことが遺族にとって事件現場の保存が望ましいのか、そういったこともご提案いただきました。のちに長井先生には(小学校の)校舎改築検討委員会に参加していただいたり、メンタルサポートチームに加わっていただいたり、幅広い支援を受けることになります」
さらに酒井さんは、容疑者が不起訴になる可能性もあると知り、法律家から「上申書を書いたり署名活動をした方がいい」と助言を受ける。とはいえ署名活動などどうやって始めていいか分からない。長井教授を経由して犯罪被害者を紹介してたもらい署名活動を開始。犯人にふさわしい刑罰を求める署名や学校の安全を求める署名、あわせて80万人以上の支援を受けることができたという。
ホミサイドサバイバーとは アメリカでの出会い

酒井さんら家族は2002年にアメリカを訪ねて、コロンバイン高校銃乱射事件の犠牲者家族や、アリゾナ州にある殺人事件遺族の会の代表、ゲール・リーランドさんに会ったという。
(酒井肇さん)
「私たちの中で、事件に遭遇しても力強く生きていきたいという気持ちがあったので、ホミサイドサバイバー(=直訳すると、殺人犯罪の生存者)という言葉を使いました。実際にゲールさんに会い、息子さんを亡くされてから歩んでこられた壮絶な生き方や力強さに、私の人生の参考となるモデルを見出したと思いました」
酒井さんはアメリカで、被害者支援団体が捜査機関と連携し、警察のパトロールに同行しながら、事件発生すぐに被害者に対して支援の手を差し伸べる仕組みが整っていること、そして「プライバシーとメディア」と題して「被害者がしていいこと」として、”取材依頼に対して断ること”、”イヤな写真や映像が出版されたり放送されたりすることがないように頼むこと”など18項目を記した文書が手渡されることを知った。
こうした経験を経て、酒井さんとマスメディアとの関係がすこしづつ変化していったという。
(酒井肇さん)
「お通夜、お葬式の壮絶な報道被害に嫌悪感や増悪感を抱いていました。と同時に、私たちの思いを世の中に伝えたい。私たちと同じ苦しみを持った、苦しみを味わった、家族をなくされたご遺族と語り合いたいという願いを持ちました。長井先生からは『犯罪被害者に対して理解のあるメディアもいらっしゃいますよ』と教えていただいた」
part4へ続く
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