2025年06月01日(日)公開
「時給600円」「異常な低賃金」...入れ歯作る歯科技工士がなり手不足のピンチ 過酷な勤務実態
編集部セレクト
多くの人が受けたことがある歯科治療。今、その治療がピンチに陥っています。歯科医師の指示で歯の詰め物・入れ歯などを作る「歯科技工士」のなり手が、20年で4000人以上と大幅に減っているのです。40年以上経験を持つ技工士への取材を通じて見えてきたのは、土日も問わず朝までの長時間労働、そして低収入といった過酷な勤務実態でした。若手の技工士は「時給600~700円で他の仕事の方がマシ」など待遇や長時間労働への不満を訴えています。
経験47年のベテラン歯科技工士 「朝まで働くことが日常茶飯事」
兵庫県尼崎市で歯科技工士として働く泉敏治さん(67)は、この道47年の大ベテランです。個人の技工所でさまざまな機械を使い分け、義歯や歯のかぶせ物を手作りしています。
技工物を作るには、細かい作業や修正も含めると40~50の工程があり、それをほぼ全て手作業でしないといけないといいます。これは、歯の形などが人によりバラバラで、オーダーメードで製作するためです。
これだけ手間のかかる作業でありながら、泉さんは高くない報酬で長時間労働を余儀なくされてきたと訴えます。
約30年前のバブル時代には労働時間が1日約20時間に及び、土日も休むことなく朝までほぼ丸1日働くことが日常茶飯事でしたが、今もその状況があまり変わっていないといいます。
(泉敏治さん)「最近は1日16時間働いて、年300万円の収入。1日8時間労働なら150万円の収入です。部分入れ歯を作るのに、保険点数が変わってないからずっと(1個あたり)1万2000円くらい。作るのにやっぱり1日に16時間労働をしないとできない。それにする対価ではない、今の保険点数は」
技工物の単価が安いことから、多くの歯科医院からの発注を受け、迫った納期の中で作業せねばならず、長時間労働になりやすいとも指摘します。
20年で4000人以上減少
歯科医療の一端を担う歯科技工士が近年、減少と高齢化のピンチに直面しています。
厚生労働省によりますと、歯科技工士として働く人の数は、2000年の3万7000人あまりから4000人以上減少。さらに50歳以上の割合が、2000年度には約20%だったのに対し、2022年度には54%以上にまで増加しています。
約40年前に技工所を開業した泉さんは、多い時には4人の若手の技工士を雇っていました。しかし、その多くは過酷な労働環境を理由に辞めてしまい、泉さんは今一人で働いています。
(泉敏治さん)「親御さんが怒鳴り込んできて『なんちゅう仕事や』と怒られたり、『辞めさせる』言うて。過酷だからです。私が働いてるのに先に帰したりしたけど、それでも長時間ですからね。(Qどんな思いで仕事に取り組んでいる?)日々こなすだけです、以外に何もないですね。するだけで精いっぱいです」
歯科医 技工士のなり手不足で「今後の歯科診療がどうなるかすごく不安」
それでは銀歯などの技工物を使う歯科医師は技工士が減少している現状をどのように思っているのでしょうか。兵庫県伊丹市で歯科医院を開いている川村雅之さんの医院でもこれまで依頼していた技工士が去年末に廃業し、替わりの技工士は未だに見つかっていません。また、周辺の病院でも納期に時間がかかるなどの影響が出始めているといいます。
「『保険(診療)の技工物やったら1週間ではできないようになってきたよ』っていうふうな話は聞きますね。うちでもものによっては1週間ではちょっと厳しいというふうな状況にはなっています」
また、技工士が減少したことで、保険診療での技工物をやらないという技工士も出てくる恐れがあり、患者にも影響が出るのではないかと指摘します。
「一番しわ寄せを受けるのは患者さんで、保険で技工物を作ってくれる所がないから全部保険外ですよとなったらやってられないよとなります。保険で技工物を作れることも国がちゃんと保障しないと、患者さんがちゃんと噛めない状態になります」
川村さんは、改めて技工士の減少、高齢化が進むことで歯科医療の将来への不安を抱くとともに、技工士の存在の重要性を改めて認識するべきだと話します。
「技工士が絶滅危惧になっていくのはすごく不安を感じます。技工士さんは歯科医にとってのパートナーです。患者さんや技工士さんに教えてもらい、いい医療が提供できるようになる。ですから技工士さんがいなくなってもらったら僕らは困るんです」
技工物の報酬はどう決まるのか?
入れ歯など歯科技工の値段は、使う材料や製作方法、保険診療か自由診療かなど治療によっても大きく異なります。患者の負担が少ない保険診療については、国が価格を決め、技工物代など治療にかかわる診療報酬は、国と患者から歯科医院に支払われ、その一部が歯科技工士に渡されています。
専門家などによりますと、この支払い比率は基準が示されているだけで、法的な拘束力はありません。技工士の間では「値下げをして、安くたくさん作る」と営業を行う技工士も出てきたことから、発注側の歯科医院では少しでもコストを抑えるため、技工物の価格がどんどん下がり、価格競争が生じている現状があります。
こうして、下がった技工物の価格をベースに国が診療報酬を決めることから、物価や材料費の高騰にもかかわらず技工物の価格(診療報酬)は30年あまり(去年まで)ほぼ横ばい状態となっています。
“異常な低賃金”現場の声から見える過酷実態
去年9月、兵庫県保険医協会が歯科技工士を対象に実施したアンケートには、1日の労働時間が12時間以上だと答えた人が4割を超え、6割以上の人が所得が年収400万円未満だと回答しました。
【アンケートの回答より】
「過度な労働時間と理不尽な就業内容。特に異常な低賃金」
「収入の割に働く時間が長いのがつらい」
「時給600~700円で材料・光熱費・ガソリン代を引けばもっと低くなる。違う仕事の方がましだと思っています」
「患者さんや歯科医師のことを考えながら40年以上仕事に従事したが、報われることは無かった」
歯科技工士であり、歯科医療従事者の労働環境の改善などを訴える団体「保険で良い歯科医療を」全国連絡会の雨松真希人会長は、若者の歯科技工士離れについて「報酬の低さ」を指摘します。
「入れ歯やかぶせ物とかそういう物の値段ですよね。この値段があまりにも安い。安いことによって長時間働かないと売り上げが上がらない」
雨松会長は歯科技工士の間では少しでも仕事を得るためにと値引き競争が激しく、物価や材料費の高騰にもかかわらず技工物の価格は30年あまり(去年まで)ほぼ横ばい状態となっていると指摘します。
「『よそよりもうちは10%安いですよ』という営業スタイルで取っていく技工所も。価格を抑えたい歯科医師と安くして発注をかき集めたい技工所が合わさり歯止めが利かなくなって、どんどん安くなっていった。3年~5年以内に(若手技工士の)7割近くが辞めると言われている」
政府は、歯科技工士の声を受け、去年6月、労働環境改善のためとしては30年ぶりに保険点数の引き上げを実施しました。
しかし、兵庫県保険医協会は、賃上げを実現したのは、歯科技工士の4割にとどまっているといいます。理由は発注する側の歯科医院も経営が苦しく、価格上昇分を技工士に支払っていないからだと訴えています。
(兵庫県保険医協会 西山裕康理事長)「(保険点数の)10%以上の大幅引き上げが必要なのではないかと思います。歯科技工士の待遇改善なしには十分な歯科医療は提供できない」
現在は負担軽減のため、スキャナーで読み取った患者データからかぶせ物などをデザインするなどデジタル技術の開発・導入が進められていますが、装置導入のためには1000万円以上かかると言われていて、2021年の調査では半分以上の技工所が所有していないことが明らかになっています。
厚生労働省は歯科技工士を取り巻く労働環境についてどう捉えているのでしょうか。担当者に聞いてみると…
(厚労省の担当者)「低賃金で長時間労働になっている技工士がいることについては把握している。現在の対応で十分だとは捉えておらず引き続き対策を検討している」
“人の笑顔を作れる”厳しい環境でも歯科技工士を目指す若者の姿
大阪大学歯学部付属の歯科技工士学校。歯科技工士が厳しい環境でありながらも日々実習や講義に熱心に取り組む学生たちの姿がありました。今年度、新たに18人の学生が入学したといいます。
(学生)「細かい作業が好きなので、それをいかせる仕事を探しているときに歯科技工士を見つけて。人の笑顔を見るのが好きなので笑顔を作ることができるんだと思って、歯科技工士を目指すようになりました」
(学生)「自分の手を使って小さいことをやるのが好き。歯科技工士自体も人口が少ないと聞いていたので、一緒に人助けもできたらいい感じだなと」
「入れ歯難民」ならぬためには「もっと目を向けてほしい」ベテラン歯科技工士訴え
ベテラン歯科技工士の泉さんは、長時間労働や低賃金などの問題改善のためには「仕事自体にもっと目を向けられるべきだ」と話します。
「みんな何か作っているぐらいにしか思われていない。歯のかみ合わせは健康のためにも大切だし、それを支える技工物を作ることが出来るのは歯科技工士しかいない。重要性を改めて知ってほしい」
高齢化で需要が高まる入れ歯などの歯科技工。必要な人材を絶やさないための対策が求められています。
これまで何度も歯科治療を受けてきて、お世話になってきた歯科技工士。取材をする前、私はこれからも、当たり前に虫歯の治療などを享受できると思っていました。
しかし取材を進めると、想像できないくらいの過酷な就労環境で人のために懸命に働く歯科技工士と、それによって10年後には歯科技工士が不足し技工物が作られなくなるかもしれないという、厳しい現実が見えてきました。
価格競争、十分とは言えない診療報酬の改定、歯科医院とのいびつな関係など…この現実に繋がる様々な要因が見えてくる中、過酷な環境で47年間働いてきた泉さんが「ただやっていくだけです」と、仕事について語ったとき、やりきれない、寂しい思いに押しつぶされそうになりました。
今回の取材で特に私の心に残っているのは、歯科医師の川村さんが「歯科技工士さんはパートナーだ」と話していたことです。
技工士に報酬を渡す側の立場であるものの、歯科医院の経営もある中で、仕事を「あげる」のではなく、「一緒に」仕事をしていくという意識を持つべきと話しているのを聞いていると、心強く感じました。
また、技工士学校では、学生たちが「患者さんを笑顔にしたい」「お世話になった歯科医と働きたい」と目を輝かせながら、実習に取り組んでいました。
歯科技工士、歯科医院、国、それぞれがこの問題に向き合い、我々が将来「入れ歯難民」にならないためにも、一刻も早く改善されていくことを願います。
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