2025年02月27日(木)公開
「一番ほしいのは平和」4歳息子と神戸で暮らすウクライナ人の母 生活費の支援終了を前にパート勤務も「家族に会いたいけど母国は危ない。日本に慣れたみたいだけど慣れていない」
編集部セレクト
2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から3年となりました。ウクライナ軍は4万6000人が死亡。民間人の死者は1万2000人を超えています(国連ウクライナ人権監視団発表)。 避難者にも大きな意味を持つ3年。1982人のウクライナ人が日本で避難生活を送るなか、神戸で暮らすウクライナ人の親子の生活に密着しました。
4歳息子と神戸で2人暮らし ウクライナの習慣も取り入れ生活
ウクライナ出身のオルガ・クトバさん(42)。ひとり息子のレブくん(4)と3年前、神戸にやってきました。今は中央区の市営住宅で暮らしています。
取材した日の夕食はウクライナの定番料理、ソバの実を炊いたものと鶏レバーのソテー。もうじき日本での暮らしの方が長くなるレブくんのためにも、家ではできるだけウクライナの習慣を取り入れています。
(オルガさん)「レバー1つ食べてくれる?」
(レブくん)「レバーはいらない。ソバの実を食べるよ」
(オルガさん)「わかったわ、ソバの実を食べましょうね。レバー1つ食べてくれる?」
(レブくん)「いらない」
(オルガさん)「だめよ」
(レブくん)「レバーはいらない」
(オルガさん)「なんておいしいのかしら」
「みんな死んでしまうかもしれない」オルガさんに伝えた夫
元々ダンサーだったオルガさん。首都・キーウで夫のアンドリーさん(53)とレブくんの3人で暮らしながら、子どもたちに伝統的なダンスを教えていました。しかし、ロシアの軍事侵攻で生活は一変します。
(オルガ・クトバさん)「爆発音で目が覚めました。ストレスを感じ動けませんでした。私の夫は非常に心配していました。夫はこう言ったんです。『私は自分の身は自分で守れる。でも3人でいたら守るのは難しい。みんな死んでしまうかもしれない』と」
介護が必要なオルガさんの母親のため、夫・アンドリーさんは国に残り、息子と2人で2022年4月、知人がいた神戸に避難してきました。
家族一緒に暮らしたい思いが抑えきれず、2023年に一度帰国しましたが、連日の空襲警報に悩まされ、8か月で戻ってきました。
キーウで暮らすアンドリーさんとは毎晩、電話しています。
【電話中の様子】
(アンドリーさん)「ほら雪だよ」
(オルガさん)「日本でも雪が降っているわ。こちらは少ししか降らないの。雪はもう見せてくれないの?雪が見えないわ。それだけ?」
(アンドリーさん)「ウクライナでは-18℃の予報が出ているよ」
(オルガさん)「-18℃。きれいね。すばらしいわ」
(アンドリーさん)「家族とは必ず一緒になります。すぐに一緒に暮らせると確信しています。普通の家族のように、一緒に旅行したり、祝日を一緒に祝ったりすると思います」
日本の支援期限は「3年」 生活のためパートへ
今も約2000人のウクライナの人たちが日本へ避難しています。しかし、日本財団が支給している1人当たり年間100万円の支援は、期限が3年で順次切れていきます。
オルガさんもあと数か月で生活費の支援がなくなります。言葉の壁などから、ウクライナのころのようなダンスや子どもと関わる仕事は見つからず、1月からカフェでパートを始めました。
(オルガさん)「メレンゲがふわふわすぎたんじゃないんですか」
(指導係)「もうちょっと潰さなあかん。もうちょっと潰そう」
週に3回、ここでバームクーヘンを焼いています。元々得意だったお菓子づくりを通して、日本語でのコミュニケーションに少しずつ慣れようとしています。
(ブロートバール セセシオン 上田倫子さん)「最初はどうしよう何も日本語をしゃべれなかったらという不安があった。でも必ず伝えようとするし、わからないことは書いてきてくれる。伝えたい気持ちが伝わるので、私たちも伝えてあげたい。あと笑顔がすてきで明るいので、彼女が『おはようございます』と職場に入ってくると華やぐ」
「踊っているときに幸せを感じる」日本舞踊を学ぶオルガさん
避難生活の終わりはまだ見えませんが、帰国をみすえ、本業のダンスの幅を広げようと2月から日本舞踊を学び始めました。
(先生)「日本舞踊は足をちょっと内向きにする」
(オルガさん)「内に向きすぎるとだめでしょう」
(先生)「足をすって歩く」
(オルガ・クトバさん)「(ダンスの)プロだから練習しないといけない。新しい文化を勉強するのは大切です。ウクライナではダンスの先生なので今度絶対、日本舞踊を教えます。それが私の人生です。そうしないと人生が悲しくなります。踊っているときに幸せを感じます。人生が明るくなります」
就労のため日本語を学び始める避難者が増加
これまでウクライナから82人が避難してきた神戸市。支援センターでは、最近になって新たに日本語を学び始める避難者が増えているといいます。
【日本語での会話を学ぶ様子】
「プレゼント何がいいでしょうか?花はどうですか?」
「もっと思い出に残るものがいいです」
滞在が長期化するなかで、言葉の習得やその人にあった就労の支援などがより求められるようになっていると市の担当者は感じています。
(神戸国際コミュニティセンター 山本祐子事業担当課長)「支援金がなくなるのが確実になってきて、安定的な収入を得る場を持たないと生活が成り立たない。日本語が当初できなかった方たちも少しずつできるようになっているなかで、どういうところで仕事がしたいか、どういう時間帯で働きたいとか、ニーズは一人ひとり違うので、ニーズを聞いたうえで必要な情報を提供していきたい」
「一番欲しいのは平和。戦争に終わりがほしい」
軍事侵攻から3年の2月24日。神戸・元町で避難者らがウクライナの平和を願う集会を開きました。
それぞれが今の思いをスピーチするなか、オルガさんは創作ダンスで終わりが見えない侵攻への悲しみを表現します。
(オルガ・クトバさん)「起きてからあの日を思い出して、とてもつらい気持ちです。家族に会いたいけど、ウクライナは危ない。日本に慣れたみたいだけど慣れていない。平和がほしい。一番ほしいものは平和です。ウクライナに平和がほしい。戦争に終わりがほしいです」
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