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「ゲイは途絶えるだろうか。絶やすなと言いたい」かつて病気とされた「同性愛」苦難の時代を生きた95歳のゲイが残した言葉「いつまでも私のこと忘れないでね」

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 2024年11月10日、心不全のため亡くなった長谷忠さん。95歳でした。自宅で、ひとりで亡くなっているのを訪問したヘルパーが発見しました。同性愛は病気とされた厳しい時代を生き抜いてきた長谷さんが生前に残した言葉を振り返ります。

人生で初めて東京を訪れパレードに参加

 2024年4月21日、長谷さんは東京・代々木公園にいました。差別や偏見のない社会を目指す「東京レインボープライド2024」のパレードに参加するためです。大阪市西成区に住む長谷さんが東京を訪れるのは人生で初めてです。

 長谷忠さん「こんなに人が多いとは思ってなかった。日本って広いな」

 長谷さんは同性婚の実現を目指すグループと一緒に、虹色の旗を掲げながら東京・渋谷を車椅子で行進。沿道で声援を送る人たちを見て「こんなに多くの人が理解してくれてるんやな」とつぶやきながら、笑顔で旗をはためかせました。

 この日は過去最高の約1万5000人がパレードに参加しました。

 長谷忠さん「中高年のゲイが多いことにびっくりした。仲間がたくさんいることがわかった。初めてこんなにたくさんの人を見た。ゲイを理解できる人は多くはないけど、少なくないと思いたいわ」

“同性愛は病気”とされた時代を生きる

 かつて同性愛は“異常性欲”“変態性欲”だと公然と語られ、治療可能な精神疾患とされてきました。

 1915年に発表され同性愛を医学的に論じた「変態性欲論」には、一種の伝染病であり、まん延すれば社会を破壊すると考えられていました。同性愛が病気だと認識された頃、長谷さんは香川県で生まれました。初恋は、小学校の男性教諭でした。

 長谷忠さん「告白なんて一切していない。男が女を好きになると簡単に告白できるけど。僕らの少年時代は、男が男を好きなんて言えない」

 職場で好きな男性ができた時もありましたが、その思いはいつも心に秘めたまま。同性愛者である自分が近くにいると迷惑になると思い、母やきょうだいとは次第に疎遠になりました。

 長谷忠さん「ものすごく生きづらかったよ。もし他人に『お前は同性愛者やなぁ』『同性愛者気味の人間やなぁ』って言われたら『違います』っていう時代や。人の言葉を遮って偽の言葉で隠すわけよ」

 本当の自分をさらけ出すことができたのは、ペンネーム「長谷康雄」の名で書いた詩や小説でした。長谷さんは詩人の顔も持っていて、過去に詩集や自身の半生を描いた小説も出版しています。34歳のときには、詩人の新人賞で最も歴史のある「現代詩手帖賞」を受賞しています。

長谷忠さん「僕の場合は文学に惹かれたのが大きかったよ。ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやったからね。自分の生きてきた痕跡を自分で書いておきたかった」

雑誌『薔薇族』の登場

 まだ、同性愛は「病気」や「異常」だとされた1971年。長谷さんの心の支えとなる雑誌が登場します。日本初となるゲイの商業雑誌『薔薇族』です。当時の出版界では同性愛のジャンルはタブー視されていましたが、「同性愛者を明るいところへ」と高らかにうたいました。

長谷忠さん「ゲイ雑誌『薔薇族』が出てから、男同士が出会えることを知った。でも僕は内気やったから行動に移せなかった」

『薔薇族』が出版された頃、長谷さんは既に40歳を超えていました。それでも「薔薇族」には救われたと話す。

長谷忠さん「薔薇族を密かに読んでいた。本屋で売っているんやったら、これを読む人々も世の中にはおるんやなって思った。薔薇族があったのはありがたかった」

『薔薇族』を作った男性と初対面

 長谷さんはパレードの前日、東京・中野区にある映画館、ポレポレ東中野で自身が主人公のドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』の初日舞台挨拶をしました。

 つらい日々を救ってくれたゲイ雑誌『薔薇族』の元編集長・伊藤文学さん(92)も登壇して、長谷さんに花束を贈りました。

 長谷忠さん「ゲイの生き方をこの人(伊藤文学さん)から学んできたんよ。薔薇族があったおかげで、僕の一生がある。この人のおかげよ」

 伊藤文学さん「こんな催し物をしてくれたことに、感激しております。長生きしてよかったと思います。そして薔薇族がゲイの人たちの心の支えに少しでもなれたことを今でも感謝しています」

若い世代に語る「男と男の恋愛、女と女の恋愛も恥ずかしいことないで」

 番組や映画をきっかけに長谷さんの存在が知られるようになり、大学の授業にも招かれることが増えました。

 2024年5月の同志社大学での授業。学生らに「僕はゲイです」と告げたあと、今では想像もできない厳しい時代を生き抜いた自らの思いを語りました。

 長谷忠さん「同性愛者は汚らわしい、汚いという考えを昔は持っていた。今は同性愛者って言われても理解のある人が増えているかと思うんですけどね。同性愛者であることを黙っていると一生悲しいですわ。男と男の恋愛、女と女の恋愛というのも少しも恥ずかしいことはない」

90代で出会ったゲイの友人

 2022年の秋、長谷さんはある男性と出会いました。東京在住のボーン・クロイドさん(65)です。
ボーンさんは日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれ、中学生のときに自分がゲイであることを自覚しました。

 今は障害者就労支援施設を運営するNPO法人の代表を務めています。テレビ番組で長谷さんのことを知ったといいます。ボーンさんは頻繁に長谷さんの自宅を訪ねるようになり、95歳の誕生日を一緒に祝ったり、食事に行ったりするような仲になっていきました。

 長谷さんは「同じゲイの友達と出会うことはもうないと思っていた。まるで奇跡や」と話します。ボーンさんにとっても30歳離れた長谷さんは特別な存在でした。

ボーン・クロイドさん「ゲイとして最後まで生きたい。私もわかってくれる人たちとつながって死んでいきたいと思います。長谷さんは何か行動しないと人生って変わらないということを教えてくれている。先を行くロールモデルなんだろうなと思います」

長谷さんが書き上げた詩「ゲイ」

 2024年3月、長谷さんはある詩を書きあげました。題名は「ゲイ」。

 女と女がキスをする。男と男がキスをする。
 男と女がキスをする。女と男がキスをする。
 それは出産のため。子供を産むため。
 子供を増やすため。人間を増やすため。
 ゲイは途絶えるだろうか。ゲイは絶やすなと私は言いたい。
 男と女がキスをする。女と男がキスをする。これはいつまでも絶えない。
 ボーンさんよ。いつまでも元気でね。私のことを忘れないでね。
 ボーンさんよ。いつまでも私のことを忘れないでね。
 年老いた私のことを。

 長谷さんの人生を描いたドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』は、1月25日から東京・ポレポレ東中野と大阪・シアターセブンで追悼上映されます。

MBS報道情報局 吉川元基

2025年01月19日(日)現在の情報です

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