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「ニューヨークに負けない広場にしたい」南海なんば駅前を『歩行者天国』にする社会実験 駅前の"広場化"で撤去されたものも

2021年11月23日(火)放送

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大阪・ミナミの南海電鉄なんば駅前で、道路を「歩行者天国」にする社会実験が11月23日から始まりました。普段は多くの車が行き交うエリアが一体どのようになっているのでしょうか。道路の封鎖が始まった11月22日の深夜から現場を取材しました。

なんば駅周辺の道路を『歩行者の広場』に

大阪市などが行っているこの実証実験は、なんば駅周辺の道路を“原則車両通行止め”にして、駅前の広場約6000平方メートルを「歩行者天国」にするものです。4年後の大阪・関西万博を見据えて、周辺に車が入れない場合の荷物運搬への影響や、歩行者空間をどう活用できるかを検証します。12月2日まで行われる予定です。

11月22日、午後11時になっても「南海なんば駅前」は車の流れが途絶えません。そんな中、御堂筋から駅前に入る道路が封鎖されて、新たに歩行者ゾーンを示す標識が建てられました。
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飲食店などが集まる高島屋の東側「なんさん通り」も、通行できるのは許可証のある搬入車のみです。
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通りを少し入ったところにある「豪快立ち寿司・千日前店」は、昼の通行制限に頭を悩ませていました。社会実験中は、午後の仕入れの時間帯に車が入れなくなるのです。

(豪快立ち寿司 代表取締役・大八木一平さん)
「朝、僕ら市場に行って、1回目は自分らで買ってきて、2回目のお昼にもう1回仕入れるんですよ。鮮度を保つために」
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午前9時から翌日の午前1時の間は車両の進入が禁止され、通行が制限されるため、納品業者の人たちからは困惑の声が聞かれました。

(納品業者)
「通行できない所があるからね、だいぶ影響があります。道順変えなあかんから。遠回りしないと、いつもより大変」
「大変ですね、やっぱり。やめてほしい部分もありますね、正直」
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南海電鉄なんば駅北側にある、普段であればタクシー乗り場がある場所に椅子や机などが設置されて広場となっていました。広場を訪れた人に話を聞いてみると、次のように話していました。
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(広場を訪れた人)
「ここが直接渡れることがないので、すごく助かりますけど」
「ベビーカーはかなり押しやすいですね。フラットに来れたら」
「こんなの初めてやからびっくりしました。小学校からずっとここに住んでいるんですけど、見たことがなかったんで」
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一方で、実証実験中は車の乗り入れができないため、タクシー乗り場が封鎖されて、新たに2か所に分散して設置されました。しかし、そのひとつは元のタクシー乗り場から150mほど離れています。

(タクシー運転手)
(Qタクシー乗り場が変わりましたが?)雨の時や、足の悪い方、そういった時はものすごく大変だと思うんですね。距離がありますんで、できたら戻してほしいですね」
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午後3時半、先ほどのなんば駅近くの「豪快立ち寿司・千日前店」に魚の搬入です。いつもなら店のそばに車を止めますが、11月23日はずいぶん離れた堺筋から運ぶことになりました。

(搬入業者)
「(距離は)少なくとも6、7倍はあると思いますね。極端に言うなら店の前まで行きたいくらいです。だいぶ遠回りです」
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なんば駅前の“広場”化は、地域の商店街などが中心となって、13年前から進めてきました。

(社会実験事務局 寺内雅晃さん)
「なんばは『世界に直結している街』なんだ、『おもてなしのなんば』なんだ、という所を全面に打ち出していきたいと思っておりますので。少し背伸びいたしますけれども、ニューヨークに負けないような広場をつくっていきたいという思いがございます。(Qタイムズスクエアのような?)そうですね」

駅前の“広場化”で撤去された『黒の女神像』

今回、実験の対象となっているエリアはどのような歴史をたどってきたのでしょうか。近代大阪の美術史に詳しい、大阪大学の橋爪節也教授に聞きました。

(大阪大学 橋爪節也教授)
「南海のなんば駅前というのが広場になってる。待ち合わせをしていたり、あるいは荷物を運んだり、色んな人々がクロスする場所としてこういう広場が機能していたと思います」
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その後、車中心の社会になり、広場のど真ん中が車道だった時代を経て、近年では、選挙があるたびに街頭演説の聖地として人を集めてきました。

橋爪教授は、歩行者を中心にする取り組みについて、どう評価しているのでしょうか。

(大阪大学 橋爪節也教授)
「グルグル人が回るのがミナミの特質。地下街と地上と複雑に重なり合ってる空間がありますから、新しい人が地上に出て、そこで周回する、1つの要素としての空間を作ってみるということなんじゃないかと思います」
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さて、今回の実験では、道があったところにテーブルやイスが置かれた一方、普段であればあった植栽が取り払われていました。
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その他にも動きだした実験の裏で、ひっそりと姿を消したもの、それは“白と黒の2体の像”でした。

(広場を訪れた男性)
「銅像かなんかあったんちゃうかな。(どんな銅像でした?)そこまで覚えてない」
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そのうちの1体、黒い「平和の塔・女神像」は、数奇な運命を辿っていたのです。戦前にあった、大阪の中心を示す「中心標」という塔のかわりに、戦後、平和を願って建てられた女神像。地元商店街などによると、府民らの寄付によって1950年に設置されましたが、1973年の「大丸」の拡張工事に伴って、戎橋の北詰め、当時の「キリン会館前」に移設されます

しかし、戎橋の架けかえに伴い一時撤去。2009年、なんば駅前に3か所目として設置されていたのでした。

今回の実験中に再び撤去された黒の女神像について、橋爪教授は次のように話しています。

(大阪大学 橋爪節也教授)
(Qまた引越しになるのでは?)これはね、大阪でよくあることなんですけど、『平和を願う』というのでそこに女神像を作ったと思うんですけど、段々と当初の目的が薄らいでいくと、『なんかあれ置いてあるけどいつから置いてあるんや。邪魔やな』とかね。街の歴史、地域の歴史と、その時代に生きた人の気持ちがそこにこもっているわけであるから。(移設は)慎重にやった方が、本来の街の発展に繋がるのではないかと思います」
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「平和の塔・女神像」は現在、市内の倉庫で保管されていると言います。

(社会実験事務局 寺内雅晃さん)
「一旦は、少し保管場所に移動させていただいて、将来の広場が出来上がったときには戻してくるようなイメージで、今整備計画を進めているところでございます」

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