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シベリア抑留の「記憶」伝える10代 戦争体験者の思いを若者から若者へ語り継ぐ <終戦76年>

2021年08月12日(木)放送

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76年前の8月15日に終戦を迎えましたが、その日から始まった苦難の歴史がありました。それが「シベリア抑留」です。中国大陸で終戦を迎えた日本兵らが、シベリアの極寒の中でソ連に強制労働させられ、約6万人が命を落としました。同じ悲劇を繰り返さないために、抑留経験者から託された「記憶」を、若者たちが語り継いでいます。

舞鶴引揚記念館で語る高校生たち

京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館には、シベリア抑留や引き揚げの史実を伝える学生の語り部たちがいます。語り部は体験者から聞き取った「記憶」を伝えています。
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(中学生に伝える語り部の高校生)
「耳がいつの間にか取れていたとか、指の先がなかったとか、足の指がないとか。でもマイナス30℃なわけです、実際。取れていることに痛みを感じないので気づかない人が多かったそうなんです」

舞鶴市には、中国大陸に住んでいたりシベリアに抑留されたりした日本人約66万人を13年間にわたって迎え入れ続けた歴史があります。

「人が毎日死んでいく」寒さ・重労働・飢えの三重苦

舞鶴市に住む100歳の安田重晴さんは、3年間のシベリア抑留の末、1948年5月に舞鶴港に引き揚げてきました。24歳のとき、出兵先の中国の旧満州で終戦を迎えた安田さん。しかし…。

(安田重晴さん)
「いよいよシベリア鉄道に乗せられて、これで日本に帰れるぞということでみんなぐっすり寝てしまった。翌日、朝起きたら列車がシベリア鉄道を走っているけど、太陽が列車の後方から上がっているわけ。だまされたと憤慨した」
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ソ連兵によって乗せられた列車は、日本とは逆方向に走っていて、逃げ出そうとした日本兵もいたといいます。

(安田重晴さん)
「逃亡の疑いで引っ張り出されて、1000人がいる面前で軍刀持った人が切りつけていって、倒れたところを自動小銃を持った2人がだーっと撃って。お前ら見せしめやぞと」
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捕虜としてのシベリア抑留生活の始まりでした。マイナス30℃を下回る極寒の地で命じられたのは木の伐採です。

(安田重晴さん)
「伐採作業なんて普通でも重労働。毎日重労働させられて1人から3人が毎日死んでいく。そんな状態がずっと続いて、私もそのとき一度意識不明になって死にかけて」
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安田さんを襲ったのは寒さと重労働だけではありません。朝と晩はわずかなコウリャン(穀物の一種)のおかゆで、昼は350gの黒パンのみ。65kgあった安田さんの体重は38kgにまで減りました。そんな中、ある抑留者の様子を目撃したといいます。

(安田重晴さん)
「夜中になったら何か知らないけど炊いて食べている子がおるんや。何を食べとるんやろうって最初はわからなかったけど。毎日死んでいきますやろ。人体を切ってきてな、炊いて食べていたらしい。それくらいの酷い生活やった」

寒さ・重労働・飢えの三重苦。シベリア抑留で約6万人が亡くなったと言われています。

(安田重晴さん)
「こんな時代が再び起こることがあったら悲しい。もう戦争だけは絶対にしてほしくないし、したらあかん」

引き揚げの歴史に興味を持った高校1年生

戦争体験者が減っていく中、思いをどう繋いでいくのか。舞鶴市に住む高校1年生で語り部の谷口逢友さん(15)は、安田さんから聞いた抑留生活の記憶をノートに記していました。

(語り部 谷口逢友さん)
「本当に体験した人から聞くと、伝わりきらない思いみたいなのが伝わってきて」
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語り部になったきっかけは曾祖父の篤稔さん(享年79)の存在でした。戦後の舞鶴で抑留者らを迎え入れて手助けする仕事をしていたと祖父・芳朗さん(66)から聞き、引き揚げの歴史に興味を持ちました。

(語り部 谷口逢友さん)
「いろいろ知りたいなっていう部分もあって、ほかの人にも自分の言葉で伝えられたり納得してくれた顔を見たりしたときがすごくやりがいを感じる」

抑留生活を記した『白樺日誌』 “自分の言葉”で「記憶」を伝える

舞鶴引揚記念館での谷口さんらの活動の様子を見せていただきました。語り継ぐのは抑留中の生活などを白樺の木の皮に和歌で記した『白樺日誌』についてです。
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(白樺日誌より)
『南の空ふし拝む 朝夕の點呼一入 思ひ深かる』

この和歌は、極寒の中、無事に過ごせたら祖国に帰れると信じ、気を強く持っている様子をうたっています。

(語り部 谷口逢友さん)
「難しい言葉を使いすぎず、私たちがわかる言葉で伝えられるようにしたいなって思います」
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コロナ禍で思うように活動ができない中、終戦の日を控え、語り部として久しぶりに活動を再開できました。谷口さんは同じ語り部の吉田透子さん(14)とノートを見直しながら内容を念入りに確認します。

(吉田さん)「何て話すんだった?」
(谷口さん)「ペンとインクのやつと…」
(吉田さん)「あと、なんだっけ?」
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そして記念館に中学生らがやってきました。

(谷口さん)「これは白樺日誌っていうんですけど、みなさんは知っていますか?」
 (中学生)「知らないです」
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(吉田さん)「これが実際に使われていたペンなんですけど、何でできているか想像できますか?実はこれ空き缶でできているんです。空き缶を加工したペンと煤(すす)を溶いたインクで白樺の紙に日誌を書いていたそうです」
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自分の言葉でシベリア抑留の記憶を伝えていきます。

(谷口さん)「強制労働とかすごくつらいことがあるじゃないですか。『小さな喜び』とか『故郷想う』とか、こういうことを書くことによって自分の気持ちが少しでも楽になったり、心を楽にしたいなっていう思いも書いているんです」
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谷口さんらの話を聞いた中学生たちはどう感じたのでしょうか。

(中学生)
「同じ年代の人がシベリア抑留とか戦争について考えていて、そう思うと自分も考えないといけないんだなって思いました」
「もっと詳しく知って自分もほかの人に少しずつ話せたらいいなと思いました」
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生まれる遥か前の出来事ですが、谷口さんはこれからも語り部を続けたいと話します。

(語り部 谷口逢友さん)
「先代の人たちがすごくつらい思いをしてきて、体験者の方々の話も聞いて、やっぱりこういうのって本当にしたらだめだなとか、自分たちが伝えていかないと、もしかしたら今後起こってしまうだろうなと考えると、ちょっとでもこのことについて詳しく知っている私たちがみんなに教えていかないとなという気持ちがあるので、伝えていかないと、と思います」

戦後76年。平和のバトンは私たちに託されています。

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