「西郷どん」のヒー様がカメラで撮りまくっていた写真とは?

5分で読める!教えてもらう前と後

2018/08/04 05:30

徳川最後の将軍・慶喜。晩年はカメラに夢中で"カメラオタク"になっていたという。
32歳の頃、江戸から離れて駿府(静岡)に移住した慶喜は、77歳で亡くなるまでカメラにのめり込み、数々の写真を遺した。
「教えてもらった前と後で、見る目が変わります!」を合言葉に、滝川クリステルと学ぶ「教えてもらう前と後」では、教科書で習った誰もが知っている慶喜の、教科書では教えてくれなかった知られざるその後の人生を紹介した。

慶喜は自撮り好き!?

慶喜の写真を研究して30年、徳川慶喜研究家の齊藤洋一さんが、貴重なエピソードとともに慶喜のカメラオタクぶりを物語る写真を特別に見せてくれた。
「明治維新後、写真に惹かれてカメラに熱中。没入したといわれるくらい打ち込んだのは事実です。彼がつけていた撮影記録が500枚以上は残っています」

静岡に住んでいた慶喜は、最初の頃は自分の家の周りの景色をしきりに撮っていた。静岡の名所で、撮っていない場所がないというほど、精力的に撮影していたようだ。
元将軍とは思えないラフな格好で、カメラを構えている慶喜の後ろ姿を捉えた貴重な1枚が残されていた。そこには、漁をしている人の姿を、河原に腰掛けて撮影している慶喜が写っている。自分の心の赴くままに出かけて行き「撮りたいから撮るんだ」と、写真を心から楽しんでいる証拠の写真でもある。

そんな慶喜が一番思い入れのある写真は、なんと「自撮り写真」。歴史の移り変わりとともに自分の姿を写しまくり、細かく記録していた慶喜。そのことについて齊藤さんは、
「彼ほど身分の高い人が、バリエーション豊かな写真を集中的に残している。こんな人は慶喜さんだけです。中には彼のことを"ナルシスト"と呼ぶ人もいたようですが」

何をやっても一流の慶喜は趣味で書道もやっていて、その文字が現存している。それは、誰でも一度は目にしたことがある東京・日本橋に掲げられている「日本橋」の文字。
激動の時代を生き抜いた慶喜の足跡は、誰もが知っている形で残っていた。
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「教えてもらう前と後」はMBS/TBS系で毎週火曜日よる8時放送。
政治・経済・健康・アート・歴史など毎回その分野のスペシャリストが登場し、決定的瞬間を教えてくれる。
「知のビフォーアフター」が体感できる番組。

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