上野動物園で、昨年6月にシャンシャンが誕生。公開されてから半年で来場者は200万人を超え、1歳の誕生日には約4000人が行列するなど未だシャンシャンブームは衰えることを知らない。このシャンシャンにつながる日本のパンダブーム、そもそもは田中角栄と大きく関係しているという。
7月17日放送の「教えてもらう前と後」では、かつてのパンダフィーバーを紹介。パンダと田中角栄の関わりについて検証した。
パンダ初来日で横浜中華街が変わった!
昭和47年11月5日、中国から日本に初めてやってきたパンダのカンカンとランランをひとめ見ようと、上野動物園に日本中からおよそ5万6千人が訪れた。列の長さは2キロ、待ち時間は2時間にも及んだ。
そのおかげで、上野動物園周辺の経済効果はおよそ110億円。
シャンシャンの名付け親のひとりでもある、上野観光連盟の二木忠男会長は当時を振り返って「パンダさまさまでした」と語る。そして「商店街の中にもパンダがあふれて活気がありました。日本経済を動かすくらいの力がパンダにはあります!」と続けた。
昭和47年、日本と中国の国交が正常化し、その友好の証として贈られたパンダ。これを演出したのが当時の総理大臣・田中角栄と周恩来。この二人が世紀の対面をはたし、中国では古くから祝いの席に欠かせない「マオタイ酒」で乾杯を繰り返している映像がニュースで放送された。すると「飲んでみたい」と思った日本人が中華街に押し寄せたのだ。それまでは治安が悪く怖いイメージがあったのだが、パンダの影響で中国ブームが訪れ、次々と中華料理店がオープン。「安全で美味しい横浜中華街」が誕生したのである。
「人寄せパンダ」の言葉も田中角栄から
そして「客寄せパンダ」「人寄せパンダ」という言葉も生まれた。実はこの言葉、最初に言ったのは、パンダ来日にひと役買った田中角栄だった。
昭和55年、自民党の演説会に出席した際、「あえて私は人寄せのためのパンダになろう」と宣言。ひとたび壇上に上がれば黒山の人だかりとなることを自覚しており、自ら人寄せパンダを演じるという田中角栄に日本中がますます魅了されることとなる。
「教えてもらう前と後」はMBS/TBS系で毎週火曜日よる8時放送。
政治・経済・健康・アート・歴史など毎回その分野のスペシャリストが登場し、決定的瞬間を教えてくれる。
「知のビフォーアフター」が体感できる番組。
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