「教えてもらった前と後で、見る目が変わります!」を合言葉に、滝川クリステルと学ぶ今回のテーマは・・・
「ルイ・ヴィトンの愛する日本」と「東京オリンピック後の日本」
日本人女性のおよそ4割が愛用していると言われるルイ・ヴィトン。歌舞伎やダルマといった和柄のデザイン誕生の裏にはいったい何があったのでしょうか。
56年ぶりの感動を期待して、多くの国民が待ち望んでいる東京オリンピック。その開催がいよいよ3年後に迫っています。しかし2020年以後・・・日本の行く末にはヤバい未来が!?ベストセラー「未来の年表」の著者・河合雅司さんがスタジオに登場し、“本当は怖い”日本の未来を予測します。
日本の女性1000人中、約400人が持っているとも言われるルイ・ヴィトンは、世界でも一番日本人が愛していると言っても過言ではない。しかし実は日本こそルイ・ヴィトンに愛される国だった!?そこには意外にも深い関わりがあったのです。
山本寛斎がルイ・ヴィトンとコラボ
2017年5月、初めて日本でファッションショーを開催したルイ・ヴィトン。
舞台となったのは、滋賀県甲賀市信楽町の山中にある美術館「MIHO MUSEUM」。美しい自然と調和した全長1キロにも及ぶランウェイで、侍や浮世絵、黒澤明監督作品の世界観を演出。世界中から集まった500人の招待客を魅了した。そのとき発表された作品の中でもひときわ目を引いたのがルイ・ヴィトンと日本伝統の「ダルマ」がコラボした様々なアイテム。実はこのダルマとのコラボを実現させたのは、日本を代表するデザイナーのひとり、山本寛斎さんだったのです。
山本寛斎さんといえば、1971年、日本人としては初めてロンドンでファッションショーを開催。斬新なデザインが話題となり、あのデヴィッド・ボウイがステージ衣装制作の依頼をしてくるなど、世界を舞台に活躍し続けるトップデザイナー。そんな寛斎さんにルイ・ヴィトンで女性部門のデザインを担当しているニコラ・ジェスキエール氏が、日本でファッションショーを開催する際、「あなたの世界を好きに表現して」とオファーしてきたのだとか。
寛斎さんはその時を振り返って「たくさんスケッチを書いて送ったら、《今のヴィトンと合っている!》というすごいリアクションで...。《あれもこれもやるぞ!》ってなりました」
そして依頼を受けてから9ヶ月後、新作コレクションとして様々な商品となり、期間限定のショップがオープンするなど世界中から注目されたのです。
日本の政治の夜明けにルイ・ヴィトンが一役!?
実はルイ・ヴィトンと日本との関係は、最近始まったものではないんです。
高知県にある博物館・自由民権記念館にもルイ・ヴィトンと日本が関係した事実を裏付ける品物が!そこには、約135年前に作られた日本に現存する最古ともいわれるルイ・ヴィトンのトランクが展示されていました。特別に開けてもらうと、当時としては珍しい収納用のトレーや、ルイ・ヴィトン・パリ店のラベルを発見。「7720」のシリアルナンバーを手掛かりに持ち主を調べたところ、自由民権運動の指導者・板垣退助がフランスへ渡った時に購入していたことが判明。フランスで買った大切な書物を過酷な船旅でもちかえるためルイ・ヴィトンのトランクを利用したのだとか。ルイ・ヴィトンが日本の政治の夜明けに一役かっていたかもしれないという驚きの事実が明らかになったのです。
ルイ・ヴィトン世界進出の陰に日本女性!?
さらに、ルイ・ヴィトンが世界に進出するキッカケを作ったのは、日本人女性のある行動のおかげだったという説が。
1854年にフランスで創業したルイ・ヴィトン、1970年代まで直営店はパリとニースにしかありませんでした。
ところが、パリのショップで品質の良さを見極めて熱心に買い物をする日本人女性の姿に感銘を受けたルイ・ヴィトン、「世界進出は日本から」と決めたのだとか。
1978年3月に世界進出を果たしたルイ・ヴィトンの第1号店は、東京。そして2、3号店も東京に出店。さらに4、5、6号店は大阪に出店したのです。
現在は、日本各地で56店舗を展開するほどに。
そんな歴史を紐解いていくと、今のルイ・ヴィトンは日本がなかったら違う未来になっていたかも!?
そう考えると、日本は世界で一番「ルイ・ヴィトン」を愛するとともに、「ルイ・ヴィトン」に愛されている国であったといっても過言ではない! のかもしれない...。